その身を賭けろ

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お前は特別だよ

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 葉月はありあまるほど金を持っている……のは確かだが、本人から金持ちの匂いはしない。
 よく見れば服の生地はよいものだとわかるし、高級車に乗っている。だが豪邸に済んでいるわけでもなく、チェーンの喫茶店やファミリーレストランなども利用しているらしい。……それでも旭から見れば充分贅沢なのだが。

 本人いわく、お高い店は気取っていて肩がこるとのことだ。そんな葉月を旭は彼らしいと思ったが、フォーマルを着てテーブルマナーが完璧であっても、それはそれで似合うと思った。ようするに、相変わらず掴めない男。ただひとつ言えるとしたら、普通の会社員には見えない。
 
 街中を歩いて、本屋へ行きドラッグストアへ寄る。映画へ行くでもなく、オシャレなショッピングモールへ行くでもなく、デートというよりはただふらついているだけだ。もちろん、どれも特に高級な店ではない。
 
「こうして買い物へ出るのも久しぶりだな」
「普段はどうしてるんだ?」
「ネットで。便利だよな。あとはドライブかカジノにいるか、家でごろごろしているかだから、散歩も新鮮だ」
 
 葉月はそう言って、周りを軽く窺う。
 
「この前のストーカー?」
「いや。……アイツは飲食店勤務だから、今日この時間はおれを追い回せないはずだ」
「詳しいな」
「探偵雇って調べさせたからな」
「それくらいなら、ボディーガードを雇えばいいのに。葉月なら24時間つきっきりでも……」
「やめてくれ。四六時中見つめられてるなんて、息がつまる」
「じゃあ、何を気にしてるんだ?」
「……別に、気にしてない」
 
 しかし、葉月は明らかに周りを気にしているように見える。普通の人間なら気づかないくらい平静を装っているが、職業柄旭にはわかってしまう。
 
「まさか、他にもストーカーが?」
「ちッ。鈍そうに見えて、こういうことは目ざといな。ボディーガードとしてはそう無能でもないらしい」
 
 葉月はニッと笑って肩を竦めた。
 
「でも、まだまだだな」
「ど、どういう意味だ」
「さあな。おれをつけてる相手は、生きてる人間よりタチが悪いってことだ」
「おい、変な冗談やめろよ」
 
 タイミングよく、風が騒ぐ。オカルトの類は一切信じていない旭だが、葉月が言うと冗談では済まされない。その黒い瞳で見据える先は、現世ではないような気がするのだ。
 
「あまり気にするとハゲるぞ」
 
 結局はぐらかされ、それから先は葉月の様子はいつも通りに戻った。周りを窺っていたあたりから、からかうための布石だったのかもしれない。




 葉月のマンションへついて、いつも通り駐車場からエレベーターへ乗り込むあたりで、旭はあることに気づいた。
 
「郵便受け……」
「ん?」
「昨日、郵便受け見たか?」
「何? ラブレターでも入れてくれた?」
「ち、違う! ほら、俺がきた時は一度も覗いてなかっただろ?」
 
 セレブ御用達のような超高級マンションであれば、また別の受取方法があるのかもしれないが、葉月が住んでいるのは家賃がとてつもなく高そうだとはいえ、一応普通のマンションだ。
 
「まあ、開けるのは週1程度だからな」
「葉月がよければ俺が開ける。もちろん、郵便物に関しては見ない」
「そんなコトまでするなんて、ボディーガードさんも大変だねぇ」
「あっ、いや。俺はあまり、そういうのはしたことはないんだけど」
「ふーん?」
 
 そう顔を覗き込まれれば、やましいことなど何もないはずなのに、何故かうしろめたいような気分になる。
 
「じゃあ、友人として?」
「っ……」
 
 言われた単語に、思わず息を飲んでしまった。
 旭と葉月の間は対等ではない。勝者と敗者。搾取する側とされる側。たとえ旭が葉月と友達になりたいと思ったとして、立場上それは言い出せないことだ。だからこそ、葉月のほうから知人より親しい関係を提示され、心が弾んだ。葉月がそう思ってくれているのであれば、旭は喜んでその関係を受け入れる。すでに理由がなくとも会いたいと思うほどには、葉月のことを好ましく思っているのだから。
 
「ああ、そうだ。友人として、心配してるんだ」
 
 噛んで含めるように言い、葉月の目を真っ直ぐに見つめる。葉月は柔らかい表情で、ふっと笑った。
 
「じゃあ、お言葉に甘えて確認してもらうかな。ネズミの死骸でも入っていたら、サイアクだし」
 
 実際一度くらいは入れられてそうだが、過去のことには触れず、そのまま集合ポストへ案内される。結果、中に郵便物は何もなく、不動産関係のダイレクトメールが数枚入っているだけだった。
 
「全部広告みたいだけど、どうする?」
「そこにゴミ箱があるから捨ててくれ」
「了解。変な手紙とかが入ってなくてよかったな。もちろん、死骸もだけど」
「ま、ヘンな手紙にはもう慣れたけどな」
「慣れるほどくるのか……。やっぱりこのチラシ、必要なんじゃないか?」
 
 旭はそう言って、ゴミ箱に捨てるところだった不動産のチラシをはためかせる。
 
「おれが反応しないでいれば大体はすぐ諦める。変な手紙寄越した奴がみんなストーカーって訳じゃない」
 
 どうやら引っ越すつもりはまったくなさそうだ。
 
「諦めない奴もいるだろ?」
「……今のところ、何かされたわけでもない」
「されてからじゃ遅い」
「わかってる」
 
 葉月は旭が手にしているチラシを一枚引き抜いて、丸めて捨てた。
 
「もし物件を探すにしても、今はネットで簡単に調べられる。だからコレは必要ない。さあ、もう行こう。アレコレ悩んで時間を無駄にするのが一番イヤだ」
 
 そう言われてしまえば、無理強いはできない。友人といっても知人に毛が生えた程度で、深い部分まで踏み込むには、それなりの時間が必要だろう。
 旭は小さく溜息をついて、残りのチラシをゴミ箱へ突っ込んだ。
 
 
 
 
 一日ぶりにきた葉月の部屋は、相変わらず生活感がない。金で片付けられることは金で片付けると言っていたので、掃除はハウスクリーニングなどに任せているのかもしれない。
 
「夕飯はデリバリーでいいか。何がいい? ご馳走してやるよ」
「昼も奢ってもらったのに、それは悪い気が……」
「余裕があるほうが奢るってことで構わないだろ。給料出たら何か食わせてくれ」
 
 正直なところ懐に余裕がなく、とてもありがたい申し出だ。
 デリバリーのチラシは綺麗にパウチされ、リングでまとまっていた。
 
「あと、これも選べ。買っておいたから」
 
 薬局の袋を差し出され、中を覗けば大量に入浴剤が入っている。
 
「何か大量に買い込んでると思ったら……。本当に、一緒に入るつもりなのか?」
「もちろん。男同士なんだから、裸くらいで恥ずかしがるなよ」
 
 ジロジロと視姦されるのがわかっていて、恥ずかしくないはずがない。しかも、見られるだけではなく葉月の裸も見ることになる。
 その気がなくとも、男に一度抱かれているかもしれない身体だと思えば、変に意識してしまう。
 
「人の気持ちなんて、変わるんだぞ。もし俺が急に襲ったりしたら、どうするんだ」
「襲うんだ?」
「い、いや……襲わないけど」
「だったらいいだろ。信用してるぜ」
「危機感が薄すぎる……」
「誰にでもこうってわけじゃない。お前は特別だよ、旭」
 
 指先で頬をなぞられる。相変わらずひんやりとしたその指先が心地好く感じるのは、少しほてっているせいだろうか。
 葉月の言う特別とやらに、どれほどの意味があるかはわからない。からかわれていると思うほうが無難だ。何しろ彼は、そういう冗談を素で言うタイプに見える。
 
「そういう甘い言葉には騙されないぞ」
「へー? そう……」
 
 葉月はニヤニヤと笑いながら、旭に顔を近づけてくる。
 
「な、なんだよ」
「甘く感じるんだ?」
「え?」
「おれに特別扱いされたら、嬉しいってことじゃないか。気づいてないのか?」
 
 旭は顔から火が出そうになった。
 彼に特別扱いされて嬉しくない人間はそういないだろうが、指摘されれば恥ずかしさが先に立つ。
 思っても普通は胸の中にしまっておくものじゃないのかと、それこそ胸の中で文句を言って肩を落とした。
 
「どうせ、ヘタレで手が出せそうにもないからって意味の特別なんだろ。嬉しいもんか」
「素直じゃないな。まあ概ね、あってるけど」
「…………」
 
 わかっていたはずなのに、そう言われたら言われたで釈然としない。
 それに旭がどう返事をしたところで、葉月はすべてお見通しに違いないのだ。




 命じられるままデリバリーの注文を済ませ、待つ間にホームシアターを並んで見る。家にはギャンブルを彷彿とさせるものは何も置いていない。あくまで表面上の話なので、どこかにルーレットやスロット台がしまってあるかもしれない。
 
「何か気になることでも?」
「え……」
「映画に集中できてないみたいだから」
 
 葉月が伸びをしながら旭の身体に肩を擦りつける。その仕種がまるで猫のようで、思わず笑みがもれた。
 
「ギャンブルに関するものが、何も置いてないなと思って」
「使い捨てのトランプなら常に持ち歩いてるけどな」
 
 そういえば初めて会った日もカジノのトランプを持ち歩いていた。使い捨てというのは、イカサマ防止に一度ゲームをしたら捨ててしまうトランプのことだ。実際には捨てるわけではなく、カジノでは使用済みのトランプが販売されている。葉月は恐らく封の開いてない物をしのばせているのだろう。
 しかし、葉月の懐から出てきたものはトランプではなくミントの飴だった。指先で丁寧に包装をといて唇へ運ぶまでの動作がやたらと綺麗に見えて、旭は声をなくして魅入ってしまう。舌を出して球体を乗せる様は綺麗というよりはむしろエロティックだ。
 
「……やりたい?」
「なっ、何を」
「ギャンブルだよ、ギャンブル。昨日も行ってないだろ、カジノ。むしろ今の流れでどうやったら変な意味にとるんだ、バカ」
 
 ナニを誤解したのかは動揺した旭を見れば一目瞭然。相手の慌てる様子を見るのが好きな葉月だが、意図的なからかいではないせいか、酷く呆れた視線を投げている。
 トランプやカジノの話題をし、おまけにそういった遊具がないのかと尋ねていたのだから、これは旭のほうに非がある。
 からかわれるのも恥ずかしいが、呆れられるといたたまれない。
 何より、葉月に対してほんの少し妙な気分になってしまったことに衝撃を受けていた。
 旭は女性に見える綺麗なニューハーフならなんとかいけるかなという程度で、男に惚れたりそういう気分になったことは今までに一度もない。ましてや葉月は美形ではあるがどこをどう見ても男で、綺麗可愛いよりはカッコイイで括られる容姿だ。
 
「いつもからかってくるから、毒されて勘違いしただけだ!」
 
 自分に言い聞かせるように、そう返した。
 葉月はその返しに文句も言わず、何かを探るようにじいっと旭の顔を見ている。そして首を傾げたあと、小さく息を吐き出して目を逸らした。
 
「うん。わかった、悪かったよ。もう、からかわない」
「えっ……」
「なんだよ」
「いや、素直にそう言われるとは思わなかったから……」
「……お前とは、友人でいたいからな」
「ど、どういう意味?」
「さあ?」
 
 視線を映画に戻して、葉月が口を動かす。何かを喋るかと思ったが、飴を転がしただけのようだ。
 隣から香る爽やかなミント。映画の内容はまったく頭に入ってこなかった。
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