その身を賭けろ

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さようなら

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 12月も半ばを過ぎ、冷え込みもかなり厳しくなってきた。しかし旭が住んでいた安普請のアパートと違い、葉月のマンションはえらく快適だ。今年は寒さに震えなくても済む。何より好きな人と暮らせている、それだけで心が温かくなる。
 一緒に暮らしていることで、葉月がほんの少しでも幸せを感じてくれているならいいと、旭はそう願いながら毎日を過ごしていた。

 旭が通い倒すカジノではクリスマスにイベントがあり、毎年参加している。ただ、さすがに彼女がいる時は非参加だった。そのあたりはきちんとわきまえている。まあ、それでも結局最後は、アタシよりギャンブルが好きなのよね、と振られるのだが。
 旭の歴代彼女は、元依頼人がほとんどだ。護る護られるの立場にいると、恋愛関係が生まれやすい。女性はこの人なら安心、信頼できると思い、暴漢やストーカーから追われるドキドキをボディーガードへの恋だと勘違いする。基本クライアントに手を出してはいけないことになっているが、依頼期間が終わってしまえばあとはただの男と女だ。そして頼りになってカッコよく見えた旭がカジノへ通ってる様子を見て、たいてい幻滅して去っていく。フィルター二枚三枚かかった状態からの転落なので、恋も冷めやすいのだろう。
 
(今年は……どうするかな)
 
 葉月とは相変わらず、友人同士の域を出ていない。そんな相手に、クリスマスは二人で過ごしたいと告げるのは、さすがに重すぎる気がした。
 テーブルいっぱいのご馳走にケーキ、プレゼント交換。その後はポーカーなどに興じ、疲れたら手を繋いで眠る……。
 付き合い初めのような、くすぐったいクリスマスプランだ。そこでキスをしたり抱きしめたり、という展開がないのは、最近葉月が前よりも強固にキスを拒むようになったから。
 そう……。葉月との仲は相変わらず、というよりは、後退していた。
 なのでキスも、どうしても我慢できない時以外は、頑張ってこらえるようにしている。キスをした後は必ず不機嫌になる葉月。鋼の心臓をもつ旭とはいえ、その様子はさすがにこたえた。嫌悪感を抱いているわけではなく葉月なりの気遣いらしいのだが、旭としてはただただ悲しかった。

 原因がなんであれ怪我をして帰ってきた日は葉月が優しい。いっそのこと生活に関わるような怪我を負えば、葉月はその負い目からずっと傍にいてくれるかもしれないと、最近ではそんなことまで考える始末だ。
 不謹慎な妄想に嫌悪感を覚えながら、きたるクリスマスに向けてプレゼントを考える。カジノのパーティーに参加するとしても、気持ちのこもったプレゼントを何かしら渡したかった。
 いつもは単独参加なので、相手がいるだけでまた違ったクリスマスになるだろう。しかも、並々ならぬ想いを寄せる相手だ。
 問題は葉月にそんな想いを抱いているのが旭だけではないということだが……。嫌な予感などポジティブな旭の前では吹き飛んでしまう。毎日指折り数え、クリスマスを待つ。葉月はイブも当日も両方参加すると言っていた。なんだかんだで祭り事が好きらしく、楽しみにしているようだ。
 葉月へのプレゼント選びは難航し、買えたのは結局イブの前日というギリギリっぷりだった。
 
 プレゼントが決まったことと、祭り前夜の浮かれモードでカジノへ訪れると、葉月の姿が見えない。いつもなら既に来ている頃なので不安になる。
 ソワソワしながらカジノ内のバーでアルコールを注文すると、ロマンスグレーのバーテンがおかしそうに笑った。
 
「葉月様ならまだ来ておりませんよ」
 
 葉月はカジノへ来ると、一番初めに飲み物を注文する。つまりまだカジノへ着いていないということだ。
 カジノへ来ているはずなのに姿が見えないという事態よりは幾分安心できて、ホッと息をつく。
 葉月は……ギャンブル以外でも、運がいい。今まで清い身体でいられて、刺されたりもしていないのは、おそらくそのためだ。
 それでも、絶対ということはありえない。旭は過保護な自分に呆れつつ、スマホを取り出した。
 葉月は基本的に不精者で、あまり連絡を取ろうとしてこない。遅くなることで旭がどれだけ不安になるかがわかっていない。
 しかし周りから見れば、年頃の娘が門限に少し遅れたかのような過剰反応をする旭のほうがおかしく映るのだろう。相手はれっきとした成人男性なのだから。

 電話をかけた途端、真後ろで電子音が鳴り響いた。
 驚いて振り向けば、何食わぬ顔で葉月が立っている。
 
「誰に電話かけようとしてるのかと思ったら、おれかよ」
「…………なんか、胸騒ぎがして」
「お前の胸はよほど騒々しいみたいだな。この過保護め」
 
 案の定、呆れられた。
 葉月は当たり前のように旭の隣に座り、ジンジャーエールを注文する。他人ではない距離と、旭のあからさまに好意を含んだ視線。はたから見れば、確実にイイ仲にしか見えない。
 葉月は旭を事実通り友人のようにしか扱っていないが、それでも他者といる時と比べ警戒心を解いているのは明らかだった。
 
「パーティーは明日だってのに、今年も前日から浮かれた空気だな」
「カジノへ通う方々は基本イベントごとが好きですからね。享楽主義とでも言いましょうか」
 
 バーテンダーは人の良さそうな笑みを浮かべながら、葉月の前にカクテルグラスを差し出す。
 
「人が多いということはそれだけ危険も多いということです。ご注意ください」
 
 それだけ告げると、他の客に呼ばれ二人の前を離れていった。
 
「危険……か。ブラッディクリスマスにならないよう、気をつけないとな」
「葉月が言うとシャレにならない。とりあえず明日は俺の傍を離れず、先に来たりもしないこと」
「心配しすぎだ。むしろおれの傍にいるヤツのほうが危険に晒される可能性が高い。お前こそ気をつけろ」
 
 結局、傍にいてはくれるらしい。思わず顔がにやけそうになる。
 だが葉月の言うことはもっともだ。
 例えば上からナイフの雨が降ってきたとする。そのまま立ち止まっていたとしても何故かナイフがすべて葉月を避けて無傷。近くにいる相手は当然、お察しの通り。
 旭が傷つけば葉月は悲しむだろう。せっかくのパーティーに、悲しませるわけにはいかない。旭は素直に頷いた。

「わかった、気をつける」

 従順な旭の姿に、葉月が満足そうに笑う。この笑顔を曇らせたくないと、心の底から思った。

 だが、このあとすぐ……その想いは叶わぬものとなる。




 祭前夜の高揚からかカジノの騒がしさもいつもと違った空気だ。それにつられるようにいい気分でギャンブルをし、旭だけがいつも通りの惨敗をして外へ出ると、そこは一面の銀世界だった。
 
「今年二度目の雪かあ」
 
 旭は割合寒さに強く、そして雪や台風が嫌いではない。むしろワクワクしてしまう、子供のようなタイプだ。葉月はまったく逆で、白い息を吐き出しながら嫌そうに眉をひそめた。大人になれば大概は葉月のように面倒だと思うだろう。
 綺麗な雪景色も、共にいる相手によって価値が変わる。それは雪だけでなく、何にたいしても言えることだが。
 もちろん旭にとって、今隣にいる相手はベストだ。雪の中を一緒に歩けることが嬉しく、必要以上にはしゃいでしまう。
 
「ほら、見て! 結構降ってる。すごーい!」
「女子高生か、お前は。うー、サム」
 
 ただでさえ細い身体を細めながら、葉月がぶるりと身震いをする。
 
「よし。じゃあ俺があっためる!」
「っ、バカ。お前本当に浮かれすぎだ。犬だな、犬」
 
 コートのように両腕で包み込めば、文句を言いつつも暖かさが心地好いのか抵抗はしてこない。それどころか、抱きしめやすいように身体を更に縮こまらせている。
 
「この前の公園、少し歩いて帰らないか?」
「今日は酔いをさます必要もないし、駐車場と逆方向だろ。寒い。イヤだ」
 
 筋肉のほとんどついてなさそうな葉月は、寒さにとことん弱いようだった。それでも傍目にはそうは見えない。ヒョウが降っても槍が降っても動じずクールに見えるだろう。
 弱みを堂々と自分に見せるのは、やはり気を許してくれているからかなと、旭は葉月から顔が見えないのをいいことに思う存分にやけた。
 とりあえず、今この二人が誰から見てもカップルに見えるのは間違いない。しかも、頭にバがつくような。
 
「葉月……」
 
 前方から聞こえた声に、旭は慌てて顔を上げた。職業柄と本能によるものか、旭は危険に関する気配を感じ取るのに長けている。しかしこの時ばかりは、敵の接近に気づかなかった。
 直接的な攻撃はしてこないのに、葉月の表情はどのストーカーと対峙した時よりも強張る。
 目の前に立つ夜西の目には殺意がない。ただ、哀しみだけがあった。接近に気づかなかったのはそのせいだろうか。
 だが、ストーカーの中には正常な感覚が麻痺している者も多く、殺意がないからといっても油断はできない。
 旭は葉月を抱きしめる腕に力を込めた。
 夜西は黒い葉月と対照的に、白いロングコートを着ていた。ガタイのいいその風貌には正直あまりよく似合ってはいない。周りが雪景色なため、どこか溶け込んで見えた。
 
「君は強く見えるけど、心の底ではいつだってパートナーを探していたよね。どうして僕じゃダメだったの? 僕なら毎日傍にいて、大事に大事にしてあげたのに」
 
 一気に告げられた台詞には抑揚がない。台本をそのまま読み上げているかのようだった。
 
「ああ、怯えないでいいよ。危害を加える気はない。もちろん、旭くんにも。だってその男を傷つけたら君は僕を憎むだろう? 僕は他の奴らとは違うからね。だって君を心の底から愛しているから。だからどうしたら君を傷つけずに憎まれずに君の心に残ることができるか考えたんだ」
 
 夜西はそう言って、爽やかに笑った。コートから、ジャックナイフを取り出して。
 
「さようなら葉月。僕を君の目に焼き付けてね」
「ま……っ」
 
 葉月も、旭にも、止める暇などなかった。数歩分の距離を開けていたのはこのためだったのか……。二人が見ている前で、夜西は自分の喉を掻き切った。
 白いコートも、白い地面も、赤い血で染まっていく。夜だからそうハッキリとは見えないはずなのに、視覚はそれを鮮やかな赤だと認識した。
 踏み出した位置が悪く、二人の身体にも血が降り注いでいた。顎から滴る液体は、酷く生臭いような気がした。
 
「お前……ッ。こ、こんな」
「葉月、愛してたよ。誰よりも」
 
 唯一その台詞だけは、感情がこもって聞こえた。いや、声になっていたのかはわからない。ぱっくりと裂けた夜西の喉からは、とてもではないが声が出るようには見えなかった。
 熱い血液が白い雪をとかしつづける。旭は込み上げる吐き気を抑えながら、震える指でを救急車を呼んだ。
 想いをこじらせたストーカーが自傷行為に及ぶのは珍しい話ではない。しかし目の前で自害をされるのは初めての経験だ。きっと、何度されても、一生慣れることはないだろう。
 夜西が助かったとしても、助からなかったとしても、葉月は一生彼のことを気にしながら生きていく。それが……愛する人の思い出の中で生きることを選択した、夜西の意図だ。
 思うことはいろいろあったが、この先どうなるとしても、助かってほしいと心から願った。目の前で死なれるのは、さすがに寝覚めが悪すぎる。
 青い顔をして呆然と立ちすくむ葉月にかける言葉も見つからず、遠くから響くサイレンの音を静かに聞いていた。
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