初恋 〜3season

茉莉 佳

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July 10

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 今日、7月20日は終業式だ。
その日の朝、ぼくは葛藤していた。

明日からは夏休みに入る。
そうなると9月になるまで、『中谷2丁目』バス停に萩野あさみさんは来なくなるだろう。
夏休み中には結核が完治して、このサナトリウムから退院する予定だから、新学期からの通学時間帯にここへ来る事はできない。という事は、もう二度と、彼女に会える事はないかもしれないのだ。

なのでおそらく、今日が彼女に会える…
正確には、彼女の姿を見れる、最後のチャンスなのだ。

だけど、前回あさみさんに会った時の、あの嘲笑と侮蔑の瞳を、ぼくはまだ忘れられないでいる。
それは心の奥底にまで突き刺さる、トラウマだった。
あんな思いは、もうしたくない。
例え臆病者だとなじられても、彼女の事はもう思い出にしてしまうのが、ぼくが唯一傷つかないですむ方法なのかもしれない。

だけど・・・

やっぱり会いたい!
どんなに嫌われても、やっぱり彼女の事を見ていたい。
でも・・・

そんな思いの狭間で、ぼくは揺れていた。

「くそっ! あれこれ考えてもしかたないか!」

葛藤を断ち切るかの様にぼくはひとりごちると、勢いよくベッドから起き上がり、外出の支度をした。
会うにしても会わないにしても、とにかく散歩には出かけよう。
勇気が出ればバス停で彼女を待てばいいし、傷つくのがイヤならバス停には近づかなきゃいい。
なんだか行き当たりばったりだけど、それでもいいさ。なるようになれだ。


 梅雨が明けたばかりの夏は、あきらかに空気の匂いが変わっていた。
早朝でも日射しは強く、アスファルトの照り返しで、はるか向こうの道路には、ゆらゆらと逃げ水が見えている。
どんなに近寄ってみても、近づけない蜃気楼。
実体のない、虚像。
まるで自分の初恋みたいじゃないか。
思わず失笑してしまう。

左右に青々とした田んぼの広がる、このアスファルトの細い農道を突っ切って国道に出れば、すぐに『中谷2丁目』バス停だ。
足どりが重くなる。
まだ迷っている。
彼女からはっきりとした拒絶の態度をとられるのは、やっぱり怖い。
でも、会いたい。
ひと目でいいから、彼女の姿を見たい・・・

また、この悩みループにはまっている自分。
何度リフレインすれば気がすむんだ。
もういい加減にしろ!
自分自身を鼓舞罵倒しながら、ぼくはバス停をめざした。

 そうやってグズグズしていたせいでバス停に着くのが遅れて、国道に出た時にちょうどぼくの目の前を、8時10分のバスが通り過ぎていった。
その後を追う様に、ぼくは国道をノロノロと歩く。
10メートルほど前のバス停にふと目を向けると、萩野さんがバス停に佇んでいるのが見えた。
バスが到着する直前、いつもの様に、バッグからうさぎのストラップのついた携帯を取り出し、目線を落として時間を確認している。
ここからじゃ遠過ぎて、携帯はおろか、彼女の表情も見えない。
機械的な女性のアナウンスとともにブザーが鳴って、バスのドアが開く。
人の列がゆっくりとバスに吸い込まれていき、あさみさんも軽やかにバスのステップを駆け上がろうとしている。
こちらに注意を払う様子はない。

気がつくと、ぼくはiPhoneを構えていた。
彼女がバスに乗り込む横顔に向けて、ぼくはシャッターを切っていた。

“カシャ!”

大きなシャッター音が響いて一瞬ドキリとしたが、バスのエンジン音に紛れて、彼女には聞こえなかったらしく、萩野さんがこちらを振り向く事はなかった。

“ブロロロロロ…”

彼女を乗せたバスは、真っ黒な煙を吐き出しながら、ぼくの目の前から走り去る。
行く先の道路にはゆらゆらと蜃気楼が漂い、バスはその輪郭を曖昧あいまいに揺らしながら、やがてぼくの視界から消えていった。
その間中、ぼくの頭には、はじめて萩野あさみを見た時の彼女の台詞が、何度も何度もリフレインしていた。



『来たわ!』
『来たわ!』
『来たわ!』
『来たわ!』



そうか…
出会ったあの時と同じ様なシチュエーションで、ぼくは最後の彼女を見送ったってわけか。

なんという偶然。
でも、これでよかったのかもしれない。
iPhoneをタップして、今撮った画像を表示する。
郊外の田園風景の中に、小さくバスが写っていて、顔も判別できないくらいの制服姿の女子高生が、軽やかにスカートをひるがえしながら、バスに乗り込んでいる。
この画像を誰かに見せても、どこにでもある様なバス停の点景にしか見えないだろう。
初めて愛した『萩野あさみ』という女性は、『制服姿の女子高生』というただの記号に置き換えられ、デジタル画像として、ぼくの手元に残った。

「初恋は叶わないっていうしな。こんなもんだろ・・・」

自嘲的につぶやきながら、ぼくはその画像を閉じた。

さよなら。
萩野あさみさん。
ぼくの、初恋・・・

つづく
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