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第十一章
しおりを挟む三日後。
音楽堂での定期演奏会の日。
私は朝から緊張していた。アーロンの警告が、頭から離れない。
「今日、侯爵が動く可能性がある」
演奏会は夕方に行われる。その帰り道が、最も危険だ。
「クレア様」
エリンが声をかけてきた。
「準備はいいですか?」
「ええ」
私は頷いた。
「隊長から指示がありました。演奏会が終わったら、すぐに宿舎に戻ってください。私が護衛します」
「わかったわ、ありがとう」
演奏会が始まった。
観客席には、多くの貴族たちが集まっている。
その中に――ストラトフォード侯爵の姿もあった。
彼は冷たい目で、私を見つめている。
私は背筋が凍る思いがしたが――演奏に集中した。
今日の曲目は、父が作曲した『月光のワルツ』。
優雅で繊細な旋律が、音楽堂に響き渡る。
演奏は成功した。
観客たちから、盛大な拍手が送られる。
私は深々と頭を下げ、舞台を降りた。
控室で、エリンが待っていた。
「お疲れ様です、クレア様。すぐに出ましょう」
「ええ」
私はリュートを抱えて、エリンと共に音楽堂を出た。
夕暮れの王宮。長い影が、石畳に伸びている。
私たちは宿舎への道を急いだ。
だが――。
「待て」
前方から、黒いローブを纏った男たちが現れた。
エリンが剣を抜いた。
「誰だ」
男たちは名乗らず、リーダーらしき人物が、低い声で言った。
「クレア・エヴァンス。大人しく来てもらおう」
私の心臓が、激しく打ち始めた。
ついに――来たのだ。
エリンは私の前に立ち、剣を構えた。
「クレア様、私の後ろに」
私は彼女の背中に隠れながら、周囲を見回した。闇ギルドの男たちは、私たちを完全に包囲している。
「エリン、相手は五人もいるわ」
「大丈夫です」
エリンは自信に満ちた声で答えた。
「隊長の訓練を受けた私を、なめないでください」
リーダーらしき男が、一歩前に出た。
「女騎士一人では、どうにもならんぞ。大人しく娘を渡せば、お前の命は助けてやる」
「断る」
エリンはきっぱりと言った。
「私は近衛騎士団第三部隊所属。クレア様は隊長の婚約者であり、私の守るべき方です」
男は舌打ちをした。
「仕方ない。力ずくで行くぞ」
男たちが一斉に動いた。
エリンは素早く対応し、最初の男の攻撃を剣で受け流した。キィン、という金属音が響く。
彼女の剣捌きは見事だったが、相手は数で勝っている。
二人目、三人目の男が別の角度から襲いかかってきた。
エリンは必死に防いでいるが、徐々に押されていく。
私は何かしなければと思い、リュートに手を伸ばした。
音花の恵みを使えば、彼女を助けられるかもしれない。
だが――。
「クレア様、逃げて」
エリンが叫んだ。
その瞬間、一人の男が私に向かって突進してきた。
私の手からリュートを奪おうとする。
「させない」
私は咄嗟にリュートを胸に抱きしめた。父の形見。これだけは、絶対に手放せない。
男の手が私の腕を掴む。
「おとなしくしろ」
冷たい声。
私は必死に抵抗したが、男の力は強かった。
リュートを抱えたままでは、音花の恵みを発動させることもできない。
演奏するには、両手が自由でなければならない。
楽器を構えて、弦を弾かなければ、音楽は生まれないのだ。
「くっ......」
私は歯噛みした。
その時――。
夜空を切り裂くような、鋭い金属音が響いた。
男の手が、私の腕から離れた。
振り返ると、そこには――アーロンが立っていた。
彼の剣は抜き身で、月光を受けて銀色に輝いている。
その碧眼には、氷のような怒りが宿っていた。
「クレアに手を出したな。貴様ら」
アーロンの声は、低く冷たかった。まるで死神のような迫力に、男たちは一瞬怯んだ。
「て、てめえ......近衛騎士団の隊長」
「そうだ」
アーロンは一歩、前に出た。
「お前たち『黒蛇』だな。ストラトフォード侯爵の依頼で動いている」
リーダーの男の顔が、わずかに歪んだ。
「ほう、ご存知とはな」
「当然だ。俺は近衛騎士団の隊長だぞ」
アーロンは剣を構えた。
「今すぐ、クレアとエリンを解放しろ。そうすれば、命だけは助けてやる」
「ふざけるな」
リーダーの男が叫んだ。
「我々には侯爵様がついている。たとえ近衛騎士団の隊長でも、侯爵様に逆らえば――」
「侯爵に逆らう?」
アーロンは冷笑を浮かべた。
「勘違いするな。俺が守るのは、クレアだ。侯爵がどうなろうと知ったことではない」
彼は一瞬で距離を詰めた。
その動きは、まるで風のように速かった。
リーダーの男が反応する前に、アーロンの剣が彼の武器を弾き飛ばした。
「ぐっ」
男は地面に膝をついた。
他の男たちが、慌ててアーロンに襲いかかる。
だが――。
アーロンの剣技は、圧倒的だった。
一人目の男の攻撃を受け流し、二人目の男を蹴り飛ばし、三人目の男の剣を奪い取る。
その全てが、一連の流れるような動きの中で行われた。
まるで舞を踊っているようだと、エリンが言っていた意味がわかった。
アーロンの剣技は、芸術作品のように美しかった。
数秒後、五人の男たち全員が地面に転がっていた。
アーロンは剣を鞘に収め、私のもとへと駆け寄った。
「クレア、怪我はないか」
「ええ、大丈夫」
私は彼の腕の中に倒れ込んだ。恐怖と安堵が一気に押し寄せてきて、涙が溢れた。
「良かった......本当に」
「もう大丈夫だ」
アーロンは私を優しく抱きしめた。
「俺がいる。もう、誰にもお前を傷つけさせない」
彼の温もりが、私の震える心を落ち着かせてくれた。この人の腕の中なら、どんな危険も恐くない。
「エリン、無事か」
アーロンが声をかけた。
「はい、隊長」
エリンは立ち上がり、剣を拾った。
「申し訳ありません。クレア様を守りきれませんでした」
「いや、お前はよくやった」
アーロンは彼女を労った。
「五人を相手に、クレアを守り続けたんだ。立派だ」
エリンの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます」
その時、倒れていたリーダーの男が、よろめきながら立ち上がった。
「くそ......こうなったら――」
彼は懐から、小さな笛を取り出した。
「増援を――」
だが、その前に。
アーロンの剣が、笛を叩き落とした。
「させるか」
アーロンは男の襟首を掴んだ。
「お前たちは、王宮内で宮廷楽師を襲撃した。これは重罪だ」
「ま、待て。俺たちは侯爵様の命令で――」
「ストラトフォード侯爵が命令した証拠はあるのか?」
アーロンは冷たく尋ねた。
「それは......」
男は言葉に詰まった。
「どうやら、いろいろと聞き甲斐がありそうだな」
アーロンは男を地面に投げ捨てた。
「エリン、こいつらを牢獄に連行しろ。取り調べはあとで俺が行う。自殺せぬよう、しっかりと見張りを立てろ」
「了解しました」
エリンは男たちを縛り上げ始めた。
アーロンは私の方を向いた。
「クレア、お前はもう宿舎に戻れ。今夜は一人にしない」
「でも、あなたは取り調べが――」
「そんなのはあとでいい」
アーロンはきっぱりと言った。
「今、大切なのは君の安全だ。違うか?」
私の胸が、熱くなった。この人は、本当に私のことを第一に考えてくれている。
「ありがとう、アーロン」
私は彼の手を握った。
「礼には及ばない」
彼は微笑んだ。
「お前は、俺の婚約者だからな」
婚約者。
まだ建前のはずの関係なのに、今のアーロンの言葉には、何か特別な響きがあった気がした。
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