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第十二章
しおりを挟む宿舎に戻ると、アーロンは約束通り、私の部屋の前で警備についてくれることになった。
「何かあったら、すぐに呼べ」
「わかったわ」
私は部屋に入り、ベッドに腰を下ろした。
今日起こったことが、まだ信じられない。
闇ギルドの襲撃。
リュートを奪おうとされたこと。
そして――アーロンに助けられたこと。
私はリュートを抱きしめた。父の形見は無事だった。そして、私も無事だ。
窓の外を見ると、満月が煌々と輝いている。
まだ、危険は去っていない。
ストラトフォード侯爵は、諦めないだろう。
今回の襲撃が失敗したと知れば、次はもっと巧妙な手を使ってくるかもしれない。
私は立ち上がり、リュートを手に取った。
弦を爪弾く。
澄んだ音色が、部屋に響く。
そして――音花の恵みが、再び発動した。
淡い金色の光の粒子が、部屋を満たす。
私は光の粒子に命令した。
「情報を集めて。ストラトフォード侯爵について。彼の次の計画について」
光の粒子が、小さな鳥の形になった。
鳥は窓から飛び出していった。
私にできることは、まだある。
ただ守られるだけではなく、自分でも戦う。
アーロンが私を守ってくれるなら、私はアーロンを支える。
そう、心に誓った。
◆
数日後、私はアーロンの執務室に呼ばれた。
「おはよう、クレア」
「おはよう、アーロン」
彼は疲れた表情をしていた。
おそらく、一晩中私の部屋の前で警備していたことに加えて、彼らの尋問に時間がかかったことも関係しているのだろう。
アーロンが書類を広げる。
「『黒蛇』のリーダーが口を割った」
「本当?」
「ああ。侯爵から直接依頼を受けたわけではないが、魔導師団の副団長ブラッドフォードを通じて、指示を受けていたそうだ」
アーロンは別の書類を見せた。
「報酬は金貨五千枚。それと、魔導師団の研究成果の一部」
「つまり――」
「ストラトフォード侯爵が黒幕だという確証は得られた。だが」
アーロンの表情が険しくなった。
「侯爵を逮捕することはできない」
「なぜ? 証拠があるのに」
「侯爵は、現国王陛下の従兄弟なんだ」
アーロンは重々しく言った。
「王族の血を引く者を逮捕するには、国王陛下の直接の命令が必要になる。だが――」
彼は声を潜めた。
「現国王陛下と王太子殿下の間には、政治的な対立がある。国王陛下は保守派で、軍事力の強化を重視している。
一方、王太子殿下は改革派で、文化や芸術の振興を掲げている」
私は息を呑んだ。
「つまり......」
「ストラトフォード侯爵は、国王陛下の側近だ」
アーロンは苦い表情で続けた。
「侯爵が音花の恵みを兵器として研究したがっているのも、国王陛下の意向に沿っている。だから、国王陛下は侯爵を守るだろう」
「じゃあ私は......」
これからもずっと侯爵の魔の手に怯えながら生活するのだろうか。
私の不安を感じ取ったアーロンが立ち上がる。
「――王太子殿下に、俺が直接報告する」
「殿下はお前の才能を認めている。そして、芸術家を守ることに熱心だ。
殿下から侯爵に警告していただければ、少なくとも表立った行動は取れなくなる」
「それで......私は安全になる?」
「完全に、とは言えない」
アーロンは正直に答えた。
「だが、侯爵が動きづらくなるのは確かだ。それに――」
彼は私の手を取った。
「俺たちの婚約を、王太子殿下に認めていただこう」
「ええっ」
私は目を見開いた。
「そうすると、何か変わるの?」
「ああ。今の婚約は書面だがもっと強い効力を働かせる方法がある」
アーロンは真剣な表情で続けた。
「だが、王太子殿下の前で婚約を宣言し、殿下の祝福を得れば――それは王室公認の婚約となる。
そうすれば、お前は近衛騎士団隊長の婚約者として、より強い保護を受けられる。侯爵も、簡単には手出しできなくなる」
私の心臓が、激しく打ち始めた。
王室公認の婚約。
「でも、それって私がもらってばかりだわ。あなたはどうなの?」
思い切って尋ねると、アーロンが少し驚いた顔をした。
数秒して、くすくすと笑い始める。
「もう、真剣な話をしているのに!」
「いや、悪い。ちゃんと俺にも益がある」
そして――アーロンは私の手を両手で優しく包み込んだ。
節くれだった指先が私の指を優しくなぞる。
爪先、指のあいだ、手のひら、そして手首。
「あ、アーロン?」
くすぐったくて引っ込めようとしたが、逆に引き寄せられた。
そっと手首にアーロンの唇が落とされる。
「!」
手首へのキスの意味を、私は知っている。
それは『好意』だ。
彼の黒髪がほんの一瞬だけ指先にかかる。猫の毛みたいに柔らかかった。
ふっとアーロンが顔を上げた。目がかち合う。
「君のまわりに変な虫を寄り付かせなくて済む、とかな」
顔が真っ赤に染まっていくのが分かる。
突然、なんてことを言うの。
「だめか?」
そのまま上目遣いで迫られたら、もう抵抗はできなかった。
「わ……」
「なんだ? よく聞こえないな」
アーロンの唇が手首から手のひらへと移っていく。
このまま何も言わないでいると、もっと違うところにもキスしてくるかもしれない。
「分かったから、手を離してちょうだい」
そういうと、ようやく彼は拘束を解いてくれた。
「続きは、侯爵の件がかたづいたら、な」
なんだかとんでもない事になった気がする。
その日、私は一日中練習してもアーロンの顔がずっと思い浮かび、楽師としてまったく使い物にならなかった。
◆
翌日、私とアーロンは王太子殿下の私室に通された。
殿下は執務机の前に座り、穏やかな笑みを浮かべていた。
その隣には、腹心の側近であるエドワード卿が控えている。
「クレア・エヴァンス、アーロン・ブラックウッド。よく来てくれた」
殿下の声は優しかった。
「本日は、お二人の婚約について正式に承認するために、お呼びした」
私は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、殿下」
「いや、礼を言うのはこちらだ」
殿下は立ち上がった。
「クレア、君の音楽は素晴らしい。祝賀会での演奏は、我が国の威信を大いに高めてくれた。
ヴァルデマール王国の王女殿下も、大変感銘を受けておられた」
「恐れ入ります」
「それに――」
殿下は窓の外を見た。
「ストラトフォード侯爵の件、アーロンから報告を受けている」
私の背筋が凍った。
「侯爵は優秀な魔導師だが、時として行き過ぎた行動を取る。今回の闇ギルド『黒蛇』を使った誘拐未遂は、決して看過できない」
殿下の声には、明確な怒りが込められていた。
「ただ――」
エドワード卿が口を開いた。
「侯爵は陛下の従兄弟であり、保守派の重鎮です。殿下が直接処罰なさることは、政治的に難しい」
「わかっている」
殿下は頷いた。
「だからこそ、クレアとアーロンの婚約を王室公認とすることで、侯爵に対する牽制とする」
殿下は私たちの方を向いた。
「クレア・エヴァンス、アーロン・ブラックウッド。お前たちの婚約を、私の名において承認する。今後、クレアは近衛騎士団隊長の婚約者として、王室の保護下に置かれる」
アーロンが片膝をついた。
「ありがたき幸せ、殿下」
私も慌てて膝をついた。
「ありがとうございます」
「立ちなさい」
殿下は優しく言った。
「それから、クレア。君には一つ、頼みたいことがある」
「何なりと」
「来月、隣国との和平条約調印式が執り行われる。その式典で、演奏をお願いしたい」
私は驚いた。
和平条約調印式――それは、国家間の最も重要な儀式の一つだ。
「私が、そのような大役を――」
「君なら大丈夫だ」
殿下は微笑んだ。
「君の音楽には、人の心を一つにする力がある。それを、この式典で発揮してほしい」
私は深く頭を下げた。
「精一杯、務めさせていただきます」
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