婚約破棄されたので、隠していた古代魔法で国を救ったら、元婚約者が土下座してきた。けどもう遅い。

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第二章

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「ふう」
馬車に揺られながら、エレナは深いビロードのクッションに身を預けた。
規則的な車輪の音が、石畳の上でカタカタと小さな音楽を奏でている。
時折、大きな石に乗り上げると車体が揺れ、彼女の銀髪が月光を受けて静かに揺れた。

窓の外を流れる夜景は、まるで宝石箱をひっくり返したような煌めきだった。
王都の街灯りが点々と続き、遠くには貴族の屋敷から漏れる暖かな光が見える。
通りには、舞踏会帰りの馬車が幾つも行き交い、御者たちの掛け声が夜風に乗って聞こえてくる。

(婚約破棄、か……)

エレナは小さく息を吐いた。
窓ガラスが一瞬白く曇り、すぐに夜気で晴れていく。

(正直、予想はしていたわ。いえ、むしろ遅すぎたくらいよね)

内心で自嘲的に呟く。
三年間も続いたこの茶番劇。もっと早く終わっていれば、お互いのためだったかもしれない。

(でも、これで良かったのよ。カルロス様も、セレスティア嬢も、きっと幸せになれる……まあ、どこまで続くか分からないけれど)

意地の悪い考えが頭をよぎり、エレナは慌てて首を振った。
馬車が大きく揺れ、エレナの身体が一瞬浮き上がる。手を伸ばして、革張りの手すりを掴んだ。その時、ふと三年前の記憶が鮮明に蘇った。

まだ十五歳だった頃。春の陽光が眩しい午後、父がいつになく上機嫌で書斎に呼んだのだ。

『エレナ、素晴らしい話がある! ヴァンドール侯爵家から縁談の申し出があったのだ!』

羊皮紙を振りかざす父の姿が、まるで昨日のことのように思い出される。
父は興奮のあまり、普段は大切にしている髭をしきりに撫でていた。
男爵家にとって、侯爵家との縁組みは、まさに雲の上の話だったから。

当時のヴァンドール侯爵家は、表向きは華やかだった。
豪華な晩餐会を開き、高価な美術品を収集し、誰もが羨む生活を送っているように見えた。

(でも、実際は火の車だった。見栄っ張りって、本当に始末が悪いわ)

エレナは窓に映る自分の顔を見つめた。
紫の瞳が、暗闇の中で微かに光を帯びているように見える。

『お嬢様、本当によろしいのですか?』

執事のセバスチャンが心配そうに尋ねた時の、あの曇った表情。
五十年以上フィオーレ家に仕え、エレナを実の孫のように可愛がってきた老執事は、何かを察していたのだろう。

(セバスチャンは、きっと全部分かっていたのよね。私が何をしようとしているか、そしてそれがどんな結末を迎えるか)

エレナは知っていた。
この婚約が、没落寸前の男爵家にとって重要な意味を持つことを。
そして同時に、自分にとっても必要な経験になることを。

婚約が決まってから、エレナは密かに動いた。
最初の訪問の時、カルロスは得意げに屋敷を案内してくれた。

「これが我が家の誇り、先祖代々の肖像画だ」

金箔の額縁は確かに立派だったが、よく見ると所々剥がれている。

「東棟には百人は収容できる大広間がある」

その大広間の天井には、雨漏りの跡がうっすらと残っていた。

(全てが見掛け倒し。でも、カルロス様は気づいていないのよね……いや、気づきたくなかったのかしら)

「お願いがあるんです」とエレナは可愛らしく首を傾げて頼んだ。「将来の奥方として、家計のことも学んでおきたいんです。帳簿を見せていただけませんか?」

カルロスは鷹揚に手を振った。

「君のような可憐な令嬢が、そんな面倒なことを気にする必要はない」
「でも、いずれは……」

上目遣いで見つめると、カルロスはあっさりと折れた。
男という生き物は本当に単純だ、とエレナは内心で苦笑した。
帳簿を開いた瞬間、エレナは目眩がした。

(これは……酷いなんてものじゃないわ。まるで、破滅への設計図じゃない)

収入の三倍の支出。意味不明な投資の数々。
返済の目途が立たない借金の山。数字を追うだけで、頭が痛くなってくる。

エレナは自分の持つ知識を総動員した。いや、正確には、血筋に眠る「記憶」を呼び覚ました。

フィオーレ家。

表向きは取るに足らない小さな男爵家。しかし、その血には秘密があった。
千年前に王国を救った大魔導士エレアノールの血を引く家系。
代々、その力は女子にのみ発現し、しかも百年に一度程度しか現れない。

(私がその百年に一度の当たり、というわけね。ラッキーなのか、アンラッキーなのか)

エレナはその力を隠しながら、ヴァンドール家の財政を立て直していった。
古代魔法『運命の紡ぎ手』。

これは単なる未来予知ではない。
無数に分岐する可能性の糸を読み取り、最適な道筋を紡ぎ出す力。
どの事業に投資すべきか、どの取引を避けるべきか、全てが手に取るように分かった。

馬車が大きく右に曲がり、エレナの回想は現実に引き戻された。
見慣れた並木道が見える。もうすぐ屋敷だ。

「カルロス様、この商談は見送った方がよろしいかと」

あの時の自分の声が、まだ耳に残っている。
応接室で、胡散臭い笑みを浮かべた商人と対面した時のことだ。

「なぜだ? 相手は王都でも有力な商人だぞ」

カルロスは不機嫌そうに眉をひそめた。

「ですが、私の勘では……女の勘かもしれませんが」

(本当は、あの商人の未来が見えていたんだけどね。詐欺で捕まって、牢獄で泣き叫ぶ姿が)

結果、その商人は三か月後に詐欺で捕まった。
もし取引していたら、ヴァンドール家は完全に破産していただろう。

「カルロス様、東の農地に新しい作物を植えてはいかがでしょう」

朝食の席での提案。
銀の食器に盛られた料理を前に、エレナはさりげなく切り出した。

「農業など、貴族のすることじゃない」

カルロスは鼻で笑った。

「でも、王都で今後需要が高まりそうですわ。王妃様もお気に入りだという噂を聞きました」

(嘘じゃないわよ。三か月後には本当にそうなるんだから)

渋々従った結果、その作物は王室御用達となり、莫大な利益を生んだ。
三年間、エレナは影でヴァンドール家を支え続けた。
朝から晩まで、見えない糸を紡ぎ、運命を導いていく。
それは孤独な作業だった。
カルロスはそれを全て自分の才覚だと勘違いし、どんどん傲慢になっていった。

「私は天才だ」

社交界でそう豪語するカルロスを見る度、エレナは苦笑を禁じ得なかった。

(天才? あなたは、ただ私の言う通りにしていただけじゃない)



そして今夜、全てが終わった。
馬車が門をくぐり、ゆっくりと停止した。
御者が扉を開け、エレナは優雅に降り立つ。
夜露に濡れた石畳が、月光を反射してきらきらと輝いていた。

「お嬢様」

玄関の扉が開き、セバスチャンが深々と頭を下げた。
その表情は安堵に満ちていた。
白髪が月光に照らされて、銀糸のように輝いている。

「ようやく、あの愚か者から解放されましたね」

セバスチャンの声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。

「セバスチャン、それは言い過ぎよ」

エレナは苦笑した。しかし、内心ではほっとしていた。
重い荷物を下ろしたような、そんな解放感。

「でも、お気持ちは嬉しいわ。ありがとう」

屋敷の中は、いつも通り静かで落ち着いていた。
使用人たちが心配そうに顔を覗かせたが、エレナが微笑むと安心したように頭を下げた。

「明日から、本来の私に戻れるわ」

階段を上りながら、エレナは呟いた。
一段一段、まるで新しい人生への階段を上るように。
薬指を見つめる。婚約指輪の跡がうっすらと残っている。
三年間、枷のようにはめていた指輪の痕跡。

(これも、時が解決してくれるでしょう。全ての傷跡がそうであるように)

部屋に戻ったエレナは、ドレスを脱ぎ、楽な部屋着に着替えた。
そして鏡の前に立った。
銀の髪を解くと、月光を浴びたかのような輝きを放つ髪が、肩に流れ落ちた。
紫の瞳の奥に、微かに魔力の光が宿っていた。今まで必死に抑えていた、本来の輝き。

「さようなら、カルロス様」

鏡に映る自分に向かって、エレナは静かに告げた。
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