婚約破棄されたので、隠していた古代魔法で国を救ったら、元婚約者が土下座してきた。けどもう遅い。

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第三章

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一週間後、エレナが朝食を摂っていると、食堂の扉が勢いよく開かれた。

普段は物静かで、どんな時も優雅な所作を崩さないセバスチャンが、今朝に限っては顔を真っ青にして駆け込んできた。
銀のトレイを持つ手が微かに震えている。

「お、お嬢様、大変です。アステリア公爵が──」

紅茶のカップを口元に運んでいたエレナの手が、ぴたりと止まった。

「公爵様が?」

(アステリア公爵って、昨夜の舞踏会で私を見ていた、あの黒髪の……まさか、昨夜のことで何か問題が?)

エレナが顔を上げると、セバスチャンは息を整えながら続けた。

「直々にお嬢様にお会いしたいと。既に来客用の応接室へのご案内を始めております」

カチャン、とソーサーに紅茶のカップを置く音が、静かな朝の食堂に響いた。
窓から差し込む朝日が、テーブルの上の銀食器をきらきらと輝かせている。

(公爵家が男爵家を訪問? しかも朝の、こんな時間に? これは尋常じゃないわ)

「分かりました。すぐに向かいます」

エレナは立ち上がり、ナプキンで唇を軽く押さえた。慌てて身支度を整え、鏡で髪の乱れがないか確認する。
昨夜の疲れが少し顔に出ているような気がしたが、今更どうしようもない。

廊下を早足で歩きながら、エレナは不安と好奇心が入り混じった感情を抱いていた。
絨毯が足音を吸収し、静寂の中を進んでいく。
壁に掛けられた先祖の肖像画が、まるで彼女を見守っているかのようだった。

応接室の扉の前で一度深呼吸をし、ノックをしてから中に入る。
そこには、昨夜の舞踏会で見かけた黒髪の青年が座っていた。

朝の柔らかな光が窓から差し込み、彼の端正な横顔を照らしている。
漆黒の髪は朝日を受けてもなお深い闇の色を保ち、その神秘的な雰囲気を際立たせていた。
黒い上着の下から覗く白いシャツが、彼の肌の白さを引き立てている。

「突然の訪問、失礼する。エレナ・フィオーレ嬢」

レオンハルト・アステリアは優雅に立ち上がり、貴族らしい完璧な所作で一礼した。
その動作は流れるように美しく、まるで舞踏のようだった。
深い青の瞳が、まっすぐエレナを見つめている。
その瞳の奥には、何か強い意志のようなものが宿っていた。

「アステリア公爵様、このような朝早くに、どのようなご用件でしょうか」

エレナは困惑を隠せなかった。
声が僅かに上擦りそうになるのを必死で抑える。公爵家と男爵家では、天と地ほどの差がある。
通常なら、生涯で言葉を交わすことすらないはずの相手だ。

(何か、とてつもないことが起きようとしている……そんな予感がする)

「単刀直入に言おう」

レオンハルトは再び腰を下ろし、背筋を伸ばしたまま前を向いた。
その表情が一変し、今まで纏っていた優雅な雰囲気が、鋭い刃のような真剣さに変わった。

「君の力が必要だ」

エレナの表情が凍りついた。
心臓が早鐘のように打ち始め、背中に冷たい汗が流れる。

(まさか、バレている? 私の秘密が?)

「な、何のことでしょうか」

努めて平静を装ったが、声が微かに震えた。
膝の上で握りしめた手が、じっとりと汗ばんでいる。

「隠す必要はない」

レオンハルトの声は、静かだが有無を言わせぬ確信に満ちていた。

「君が古代魔法の使い手だということは、昨夜の指輪の光で確信した」

エレナは息を呑んだ。

(あの一瞬の光を見逃さなかったなんて……この人、一体何者なの?)

昨夜、婚約破棄を言い渡された時、感情が高ぶって一瞬だけ魔力が漏れた。
あれはほんの僅かな光だったはず。
普通の人なら、シャンデリアの反射だと思うような。

「それに」とレオンハルトは続けた。

「ヴァンドール家の奇跡的な復活。三年前まで破産寸前だった家が、突如として王国有数の裕福な家になった。あれは君の仕業だろう」
「……」

エレナは何も答えられなかった。
否定すべきか、それとも──

(この人は、全て知っている。いや、知った上で、ここに来たんだ)

「心配する必要はない。私は敵ではない」

レオンハルトは懐から一通の書状を取り出した。
紫の蝋で封がされ、そこには見覚えのある紋章
──黄金の獅子と銀の剣を組み合わせた、王室の紋章が押されている。

エレナの手が震えた。
王室からの親書など、男爵家の娘が目にするものではない。

「実は、王国が危機に瀕している」

レオンハルトの声が、部屋に重く響いた。

「北の魔物たちが大挙して南下を始めた。既に国境の三つの砦が陥落した。通常の魔法では太刀打ちできない」

震える手で封を切り、羊皮紙を広げる。そこには、流麗な文字で国王直筆の言葉が記されていた。

『古の力を継ぐ者へ。王国の危機にあたり、その力を貸していただきたい』

「なぜ、私だと?」
「アステリア家には古い文献が残されている」

レオンハルトは、革表紙の古書を取り出した。
年月で黒ずんだ表紙には、かすれた文字で何か書かれている。

「千年前、エレアノール大魔導士が使った魔法の特徴が詳細に記されている。
銀の光、月の加護、そして運命を紡ぐ力。昨夜君の指輪から放たれた光は、まさにこの記述と一致した」

エレナは立ち上がった。
足がふらついたが、窓辺まで歩いていく。

窓の外を見る。
朝市に向かう人々、遊ぶ子供たち、平和に見える王都の風景。
鳥たちが楽しそうに囀り、花売りの少女が歌を口ずさみながら歩いている。

(この平穏が、脅かされているというの?)

しかし、この平穏も長くは続かないのか。
北から迫る脅威を思うと、胸が痛んだ。

「お受けします」

振り返ったエレナの瞳には、強い決意が宿っていた。
朝日を背に受けて、銀の髪が後光のように輝く。

「ただし、条件があります」
「聞こう」

レオンハルトも立ち上がり、真っ直ぐにエレナを見つめた。

「私の家名を汚さないこと。そして、この件が終わった後も、私を利用しようとしないこと」

(私は道具じゃない。誰かの都合で使われる存在じゃない)

レオンハルトの顔に、優しい微笑が浮かんだ。
それは今までの真剣な表情とは違う、心からの笑みだった。

「もちろんだ。むしろ、君のような逸材を道具として利用しようなどと考える方が愚かだ。君は王国の宝だ」

その言葉に、エレナは頬が熱くなるのを感じた。

その時、応接室の扉が勢いよく開かれ、セバスチャンが慌てた様子で入ってきた。
普段の冷静さはどこへやら、額には汗が浮かんでいる。

「お嬢様、大変です。ヴァンドール侯爵家が──」
「どうしたのですか、セバスチャン」
「今朝、東の農地が原因不明の病気で全滅したそうです」

セバスチャンは息を整えながら続けた。

「それに、昨日大型投資した商会が夜逃げを。さらに王室御用達の認可も突然取り消されたと」

エレナとレオンハルトは顔を見合わせた。

(やっぱり……私の魔法が切れた途端、これよ)
「始まったようだな」

レオンハルトの声には、哀れみとも軽蔑ともつかない感情が混じっていた。

「君という支柱を失った報いが」

ヴァンドール侯爵家の崩壊
その頃、ヴァンドール侯爵家では──

「なんだ、これは!」

カルロスの怒声が執務室に響いた。
机を拳で叩き、羊皮紙の山が床に散らばる。

カルロスは蒼白な顔で、次々と届く凶報を記した書類と格闘していた。
普段は完璧に整えられた茶色の髪は乱れ、額には脂汗がにじんでいる。
昨夜の勝ち誇った姿はどこにもない。

「なぜだ、なぜこんなことに」

震える手で書状を読む。
東の農地全滅、投資の失敗、王室御用達の取り消し──

つい昨日まで順調だった全てが、まるで砂の城のように崩れ始めていた。

(まるで、今まで何かに守られていたかのように……そしてその守りが、突然消えてしまったかのように)

いや、まさか。そんなはずは──

「カルロス様」

執事が扉を開けた。その表情も暗い。

「セレスティア嬢がお見えです」

赤いドレスを纏ったセレスティアが、大股で部屋に入ってきた。し
かし、昨夜の優雅な笑顔はどこにもない。
その表情は不機嫌そのもので、眉間には深い皺が寄っている。

「カルロス、話があるの」

腕を組み、仁王立ちになる彼女に、カルロスは苛立ちを隠せなかった。

「今は忙しいんだ。見て分からないか」

机の上の書類の山を指差す。

「あら、もう私に構っている暇もないの?」

セレスティアの声は氷のように冷たかった。

「以前は時間があったじゃない。私のために豪華な贈り物を選ぶ時間も、甘い言葉を囁く時間も」
「あの時とは状況が違う!」

カルロスの怒鳴り声に、セレスティアは眉をひそめた。
美しい顔が、醜い嫌悪の表情に歪む。

「みっともない。たかが農地が一つ枯れたくらいで取り乱して」
「たかが? あの農地は我が家の収入の半分を──」
「知らないわ、そんなこと」

セレスティアは踵を返した。赤いドレスが、まるで炎のように翻る。

「こんな甲斐性なしだったなんて。婚約、考え直すわ」
「待て、セレスティア!」

しかし、彼女は振り返らなかった。

「没落する家になんて、興味はないの。さようなら」

扉が乱暴に閉められ、その音が虚しく響いた。

カルロスは呆然と、その場に立ち尽くした。
全てを失いつつあることを、まだ完全には理解できずに。

(エレナなら……エレナなら、きっと何か解決策を──)

ふと、そんな考えが頭をよぎった。
しかし、すぐに首を振る。

(いや、あんな平凡な令嬢に何ができる。これは、ただの不運が重なっただけだ)

しかし心の奥底では、何か大切なものを失ったような、そんな不安が渦巻いていた。

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