3 / 11
3
しおりを挟む「お嬢様、ようこそいらっしゃいました」
トーマスは白髪混じりの髪を撫でつけ、深々と頭を下げた。彼は私が幼い頃から仕えてくれている、数少ない味方だった。
「トーマス......」
「お嬢様、こちらでゆっくりお休みください。何もかも忘れて、心を癒してくださいませ」
トーマスの優しい言葉に、涙が溢れそうになった。でも、ここで泣いたら、もう立ち上がれなくなりそうで、私は必死に堪えた。
別邸での生活が始まった。
最初の一週間は、何もする気になれなかった。ベッドに横たわり、ただ天井を見つめる日々。でも、二週間目に入った頃、ふと母の形見である調香道具が目に入った。
母は、宮廷調香師として名を馳せた女性だった。貴族の令嬢でありながら、その類まれな才能で王宮に仕え、数々の名香を生み出した。私が十歳の時に病で亡くなったが、その前に調香の基礎を教えてくれていた。
アンドレとの結婚後、私は密かに母の研究を続けていた。でも、それを夫に話すことはなかった。「公爵夫人が仕事など」と嘲笑われるのが目に見えていたから。
今なら、誰にも遠慮することなく、調香に没頭できる。
私は道具箱を開け、色とりどりの小瓶を取り出した。薔薇、ジャスミン、白檀、琥珀......母が遺してくれた香りの素たち。
手始めに、春の庭園をイメージした香水を作ってみることにした。
ガラス瓶に、薔薇の精油を数滴。そこに柑橘系の軽やかさを加え、最後にムスクで深みを出す。調合の割合は、母のノートに記されたレシピを参考にしながら、自分なりにアレンジを加えた。
一時間後、淡いピンク色の液体が完成した。
香りを確かめるため、手首に一滴垂らす。
瞬間、部屋中に春の庭園が広がった。
優雅な薔薇の香りの中に、若葉の瑞々しさと、朝露の清々しさが混ざり合う。まるで、貴族の庭園を朝の光の中で散歩しているかのような、幸福な香り。
「これは......」
自分でも驚くほど、素晴らしい出来だった。母の教えと、三年間の密かな研究が、ようやく実を結んだ。
トーマスが部屋に入ってきて、目を丸くした。
「お嬢様、この香りは......! まるで春の庭園そのものではありませんか! 」
「トーマス、これ、本当に良い香りかしら」
「素晴らしいの一言です。こんな香りは、宮廷でも滅多にお目にかかれませんぞ」
トーマスの言葉に、胸の奥が温かくなった。
そうだ。私には、これがある。
母から受け継いだ才能が、確かにここにある。
アンドレに捨てられても、父に見放されても、私には私の価値がある。
23
あなたにおすすめの小説
妹の身代わりだった私に「本命は君だ」――王宮前で王子に抱き潰され、溺愛がバレました。~私が虐げられるきっかけになった少年が、私と王子を結び付
唯崎りいち
恋愛
妹の身代わりとして王子とデートすることになった私。でも王子の本命は最初から私で――。長年虐げられ、地味でみすぼらしい私が、王子の愛と溺愛に包まれ、ついに幸せを掴む甘々ラブファンタジー。妹や家族との誤解、影武者の存在も絡み、ハラハラと胸キュンが止まらない物語。
悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。
執着王子の唯一最愛~私を蹴落とそうとするヒロインは王子の異常性を知らない~
犬の下僕
恋愛
公爵令嬢であり第1王子の婚約者でもあるヒロインのジャンヌは学園主催の夜会で突如、婚約者の弟である第二王子に糾弾される。「兄上との婚約を破棄してもらおう」と言われたジャンヌはどうするのか…
極悪な妹の言いなりなフリをしていたら、溺愛されて私だけが幸せになりました~気がつけば妹は不幸に~
つちのこうや
恋愛
妹に指図される姉の私。
指図に従っていると見せかけて、実は全然従うつもりはなかった。
そんな私は、人見知りのイケメン貴族と小さな部屋で出会い……
王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした
由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。
無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。
再び招かれたのは、かつて母を追放した国。
礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。
これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。
9時から5時まで悪役令嬢
西野和歌
恋愛
「お前は動くとロクな事をしない、だからお前は悪役令嬢なのだ」
婚約者である第二王子リカルド殿下にそう言われた私は決意した。
ならば私は願い通りに動くのをやめよう。
学園に登校した朝九時から下校の夕方五時まで
昼休憩の一時間を除いて私は椅子から動く事を一切禁止した。
さあ望むとおりにして差し上げました。あとは王子の自由です。
どうぞ自らがヒロインだと名乗る彼女たちと仲良くして下さい。
卒業パーティーもご自身でおっしゃった通りに、彼女たちから選ぶといいですよ?
なのにどうして私を部屋から出そうとするんですか?
嫌です、私は初めて自分のためだけの自由の時間を手に入れたんです。
今まで通り、全てあなたの願い通りなのに何が不満なのか私は知りません。
冷めた伯爵令嬢と逆襲された王子の話。
☆別サイトにも掲載しています。
※感想より続編リクエストがありましたので、突貫工事並みですが、留学編を追加しました。
これにて完結です。沢山の皆さまに感謝致します。
大好きな婚約者に「距離を置こう」と言われました
ミズメ
恋愛
感情表現が乏しいせいで""氷鉄令嬢""と呼ばれている侯爵令嬢のフェリシアは、婚約者のアーサー殿下に唐突に距離を置くことを告げられる。
これは婚約破棄の危機――そう思ったフェリシアは色々と自分磨きに励むけれど、なぜだか上手くいかない。
とある夜会で、アーサーの隣に見知らぬ金髪の令嬢がいたという話を聞いてしまって……!?
重すぎる愛が故に婚約者に接近することができないアーサーと、なんとしても距離を縮めたいフェリシアの接近禁止の婚約騒動。
○カクヨム、小説家になろうさまにも掲載/全部書き終えてます
妹が欲しがるので婚約者をくれてやりましたが、私の本命は別にいます
Megumi
恋愛
姉・メアリーの真似ばかりして、周囲から姉を孤立させていく妹・セラフィーナ。
あなたはお姉さんだからと、両親はいつも妹の味方だった。
ついには、メアリーの婚約者・アルヴィンまで欲しがった。
「お姉様、アルヴィン様をシェアしましょう?」
そう囁く妹に、メアリーは婚約者を譲ることに。
だって——それらは全部、最初から「どうでもいいもの」だったから。
これは、すべてを奪われたはずの姉が、最後に一番大切なものを手にいれる物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる