1 / 13
第一章
しおりを挟む「お前に相応しい場所は、この屋敷の隅にある物置部屋だけだ」
叔父ジェラルド・ローレンスの冷たい声が、朝の食堂に響き渡った。
私、セレスティーナ・ローレンスは、黙って俯いたまま、テーブルの端に置かれた硬いパンを手に取った。
かつて両親と共に座っていた椅子には、今は叔父とその連れ子であるミレイユが座っている。
十年前、両親が馬車の事故で急逝してから、私の人生は一変した。
ローレンス子爵家の正統な後継者であるはずの私は、後見人となった叔父によって、使用人同然の扱いを受けていた。
「セレスティーナ、今日も王宮の舞踏会用のドレスを仕立てなさい」
ミレイユが優雅にティーカップを傾けながら命じた。彼女は叔父が再婚相手と共に連れてきた義理の妹だが、今では完全にこの屋敷の令嬢として振る舞っている。
「......かしこまりました」
私は静かに答えた。反論すれば、食事さえ与えられなくなる。
この十年間で、私はそれを嫌というほど学んでいた。
食堂を後にして、屋敷の片隅にある小さな裁縫部屋へと向かう。
かつては物置として使われていた狭い空間が、今の私の仕事場であり、寝室でもあった。
部屋に入ると、昨日から取り掛かっている青いシルクのドレスが目に入った。ミレイユが明後日の王宮舞踏会で着るためのものだ。彼女は社交界でも評判の美女として知られているが、その美しさを彩るドレスのほとんどは、私が仕立てたものだった。
針を手に取り、細かな刺繍を施していく。
不思議なことに、私が針仕事をする時、まるで布地が私に語りかけてくるような感覚があった。
この絹はどこで織られ、どんな人の手を経てここまで来たのか――そんな記憶が、かすかに伝わってくるのだ。
それは、私だけが持つ秘密の力だった。
『星霜の記憶』
物に宿る過去と、時に未来の記憶を読み取ることができる希少な能力。
しかし、この力のことは誰にも話していない。もし叔父に知られれば、さらに利用されるだけだろうから。
「セレスティーナ様」
扉を軽くノックする音と共に、優しい声が聞こえた。
振り返ると、この屋敷で唯一私に敬意を払ってくれる侍従のエマが立っていた。
「エマ......」
「お食事、これしか持ってこられませんでしたが」
彼女は小さなバスケットを差し出した。中には温かいスープとふかふかのパンが入っている。明らかに使用人用の食事ではない。
「ありがとう。でも、見つかったら貴女が――」
「大丈夫です。私はもう、この屋敷に四十年も仕えています。亡くなられた奥様......貴女のお母様には、本当によくしていただきました。せめてこれくらいは」
エマの瞳に涙が浮かんでいた。私の母は、使用人たちにも分け隔てなく優しく接する人だった。その記憶が、今も彼女の中に生きている。
「それと、これを」
エマが小さな紙片を差し出した。王宮からの招待状だった。
「これは......?」
「明後日の舞踏会、セレスティーナ様にも正式な招待状が届いていました。ジェラルド様が隠していたのを、偶然見つけまして」
私は招待状を見つめた。『ローレンス子爵家令嬢セレスティーナ・ローレンス殿』と、私の正式な身分が記されている。
「でも、ドレスも何も......」
「お母様の形見のドレスがまだ残っています。少し手直しすれば」
エマの提案に、私の胸が高鳴った。もう何年も社交界から遠ざけられていた。叔父は私を「病弱で人前に出られない」ということにして、すべての行事から締め出していたのだ。
「行きたい......でも」
「セレスティーナ様、貴女は正真正銘のローレンス家の令嬢です。堂々と行かれるべきです」
その時、廊下から足音が聞こえてきた。エマは素早く招待状を私のエプロンのポケットに押し込んだ。
「おい、セレスティーナ!」
扉が乱暴に開かれ、叔父が入ってきた。その顔は怒りで赤らんでいる。
「ミレイユのドレスはまだ完成していないのか?明後日の舞踏会は、ヴィルフォール公爵も出席される重要な場だぞ」
ヴィルフォール公爵――その名前を聞いて、私の心臓が跳ねた。若くして爵位を継ぎ、剣術の達人として名高いアレクサンダー・ヴィルフォール。王国でも五指に入る権力者だ。
「明日の夕方までには必ず」
「遅い!今夜中に仕上げろ。さもなければ、三日間食事抜きだ」
叔父は踵を返して出て行った。エマも静かに頭を下げて退室する。
再び一人になった私は、針を持つ手に力を込めた。
(必ず、あの舞踏会に行く)
この十年間、耐えるしかなかった。でも、もしかしたら――もしかしたら、何かが変わるかもしれない。
窓の外では、春の陽光が優しく降り注いでいた。まるで、新しい季節の始まりを告げるように。
夜が更けても、私は針を動かし続けた。ミレイユのドレスは順調に仕上がっていく。青いシルクに銀糸で描かれた星座の刺繍は、まるで夜空を纏うような美しさだった。
ふと、手を止めて布地に触れる。すると、『星霜の記憶』が発動した。
――このドレスを着た女性が、大勢の前で恥をかいている光景が見えた。
未来の記憶だ。私の能力は、稀に物に宿る未来の片鱗を見せることがある。ミレイユが何か失態を犯すのだろうか?
しかし、今はそれどころではない。自分のドレスの準備もしなければならないのだから。
エマが言っていた母の形見のドレスは、屋敷の奥の物置に保管されているはずだ。明日の夜、皆が寝静まってから取りに行こう。
308
あなたにおすすめの小説
お姉様。ずっと隠していたことをお伝えしますね ~私は不幸ではなく幸せですよ~
柚木ゆず
恋愛
今日は私が、ラファオール伯爵家に嫁ぐ日。ついにハーオット子爵邸を出られる時が訪れましたので、これまで隠していたことをお伝えします。
お姉様たちは私を苦しめるために、私が苦手にしていたクロード様と政略結婚をさせましたよね?
ですがそれは大きな間違いで、私はずっとクロード様のことが――
「地味な婚約者を捨てて令嬢と結婚します」と言った騎士様が、3ヶ月で離婚されて路頭に迷っている
歩人
ファンタジー
薬師のナターリアは婚約者の騎士ルドガーに「地味なお前より伯爵令嬢が
ふさわしい」と捨てられた。泣きはしなかった。ただ、明日から届ける薬が
一人分減るな、と思っただけ。
ルドガーは華やかな伯爵令嬢イレーネと結婚し、騎士団で出世する——はずだった。
しかしイレーネの実家は見栄だけの火の車。持参金は消え、借金取りが押し寄せ、
イレーネ本人にも「稼ぎが少ない」と三行半を突きつけられた。
3ヶ月で全てを失ったルドガーが街角で見たのは、王宮薬師に抜擢された
ナターリアが、騎士団長と笑い合う姿だった。
「なあ、ナターリア……俺が間違っていた」
「ええ、知ってます。でも、もう関係のない話ですね」
婚約破棄された令嬢、気づけば王族総出で奪い合われています
ゆっこ
恋愛
「――よって、リリアーナ・セレスト嬢との婚約は破棄する!」
王城の大広間に王太子アレクシスの声が響いた瞬間、私は静かにスカートをつまみ上げて一礼した。
「かしこまりました、殿下。どうか末永くお幸せに」
本心ではない。けれど、こう言うしかなかった。
王太子は私を見下ろし、勝ち誇ったように笑った。
「お前のような地味で役に立たない女より、フローラの方が相応しい。彼女は聖女として覚醒したのだ!」
「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い
腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。
お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。
当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。
彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。
皇帝の命令で、側室となった私の運命
佐藤 美奈
恋愛
フリード皇太子との密会の後、去り行くアイラ令嬢をアーノルド皇帝陛下が一目見て見初められた。そして、その日のうちに側室として召し上げられた。フリード皇太子とアイラ公爵令嬢は幼馴染で婚約をしている。
自分の婚約者を取られたフリードは、アーノルドに抗議をした。
「父上には数多くの側室がいるのに、息子の婚約者にまで手を出すつもりですか!」
「美しいアイラが気に入った。息子でも渡したくない。我が皇帝である限り、何もかもは我のものだ!」
その言葉に、フリードは言葉を失った。立ち尽くし、その無慈悲さに心を打ちひしがれた。
魔法、ファンタジー、異世界要素もあるかもしれません。
追放された養女令嬢は、聖騎士団長の腕の中で真実の愛を知る。~元婚約者が自滅する横で、私は最高に幸せになります~
有賀冬馬
恋愛
「お前のような無能な女、私の格が下がるのだよ」
最愛の婚約者だったはずの王子に罵られ、雨の夜に放り出されたエルナ。
すべてを失った彼女が救われたのは、国の英雄である聖騎士団長・レオナードの手によってだった。
虚飾の社交界では見えなかった、本当の価値。
泥にまみれて子供たちを笑顔にするエルナの姿に、レオナードは心を奪われていく。
「君の隣に、私以外の居場所は作らせない」
そんな二人の裏側で、エルナを捨てた王子は破滅へのカウントダウンを始めていた。
【完結】お父様。私、悪役令嬢なんですって。何ですかそれって。
紅月
恋愛
小説家になろうで書いていたものを加筆、訂正したリメイク版です。
「何故、私の娘が処刑されなければならないんだ」
最愛の娘が冤罪で処刑された。
時を巻き戻し、復讐を誓う家族。
娘は前と違う人生を歩み、家族は元凶へ復讐の手を伸ばすが、巻き戻す前と違う展開のため様々な事が見えてきた。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる