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第十一章
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私は、できるだけ穏やかに、しかしはっきりと言った。
「貴女は、一度でも私を家族と思ったことがありますか?」
ミレイユの顔が、みるみる青ざめていく。
「私が寒い物置部屋で震えていた時、貴女は暖かい暖炉の前で笑っていました。私が硬いパンだけの食事をしていた時、貴女は豪華な料理を楽しんでいました」
私の声は静かだったが、その言葉の一つ一つが、重く響いた。
「貴女が着ていた美しいドレスは、すべて私が徹夜をして、心を込めて作ったものです。指に針を刺して血を流しながら、目を酷使して頭痛に耐えながら、それでも最高の仕事をしようと努力しました」
ミレイユの唇が震えている。
「でも、貴女は一度も『ありがとう』と言わなかった。それどころか、『使用人にしては上出来』と見下し、自分の手柄のように振る舞っていた。社交界で賞賛を浴びる度に、私の存在を隠し続けた」
「それは......私は......」
ミレイユが何か言おうとしたが、言葉が続かない。言い訳など、存在しないのだから。
私は深呼吸をした。胸の奥に溜まっていた、十年分の思いを吐き出すように。
「もう、終わりにしましょう。貴女たちとの縁は、ここで切らせていただきます」
その言葉を聞いて、ミレイユの顔から完全に血の気が引いた。彼女は何か叫ぼうとしたが、衛兵が素早く彼女の腕を掴んだ。
「離して!離しなさい!セレスティーナ、お願いだから――」
ミレイユの叫び声が、工房に響く。しかし衛兵たちは、容赦なく二人を引きずっていく。
叔父とミレイユは、衛兵に連れられて、工房の扉へと向かった。ミレイユは最後まで振り返り、恨めしそうな目で私を見ていた。叔父は、ただ項垂れて歩いている。
扉が閉まる音が響き、二人の姿が完全に消えた。
もう、何も感じなかった。
憎しみも、怒りも、悲しみも――全てが、まるで遠い昔の出来事のように感じられた。ただ、胸の奥に広がる、静かな解放感だけがあった。
審査会場が、しんと静まり返った。
職人たちは、誰も言葉を発することができない。侍女長も、侍従卿も、ただ沈黙している。この劇的な展開に、誰もが圧倒されているのだろう。
その静寂を破ったのは、公爵の足音だった。
彼が、ゆっくりと私に近づいてくる。その足音が、工房の床に静かに響く。
公爵が、私の前で立ち止まった。
そして、予想外にも、彼は短く言った。
「見事だった」
その声には、称賛の色が含まれていた。ヴィルフォール公爵――感情を表に出さないことで知られる彼が、明らかに私を評価してくれている。
「ありがとうございます」
私は深く礼をした。彼の言葉が、何よりも嬉しかった。
公爵は少しの間、私を見つめていた。その灰色の瞳の中に、何か――温かいものが宿っているように見えた。
やがて、彼は話題を変えた。
「ところで」
公爵は、周囲を見渡してから続けた。
「筆頭仕立て職人には、専用の工房と住居が与えられる。王宮の東翼だ。明日から使用できるよう、手配しておこう」
「え?」
私は驚いて顔を上げた。王宮の東翼――それは、王族や最高位の貴族たちが居を構える、最も格式高い場所だ。
「王宮に、住めるのですか?」
「当然だ。筆頭職人は、いつでも王家の要望に応えられるよう、宮廷内に住む。それが伝統だ」
公爵は、そこで一瞬だけ間を置いた。そして、まるで何でもないことのように付け加えた。
「偶然だが、私の執務室の近くでな」
その言葉に、私の心臓が跳ねた。
公爵の、執務室の近く――
公爵は、その時、僅かに口元を緩めた。それは微かな、ほんの一瞬の変化だったが、確かに笑みだった。
初めて見る、彼の笑顔だった。
冷たく、近寄りがたいと思っていた公爵が、こんな風に笑うことができるなんて。その笑顔は、彫像のように美しかった顔に、温かな人間らしさを与えていた。
私は、言葉を失った。
顔が熱くなるのを感じる。心臓の鼓動が、また激しくなった。
「工房の準備が整い次第、知らせよう。それまでは、現在の住居で構わない」
公爵はそう言うと、踵を返した。しかし数歩進んだところで、また振り返る。
「セレスティーナ」
また、名前を呼ばれた。その声の響きが、胸の奥に染み込んでいく。
「これからは、誰にも邪魔されることなく、君の才能を存分に発揮できる。期待しているぞ」
そう言い残して、公爵は工房を後にした。
彼の姿が扉の向こうに消えた後も、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
工房の中で、職人たちがざわめき始める。祝福の言葉、感嘆の声――しかし、その全てが遠くに聞こえた。
私の心は、まだ公爵の最後の笑顔と言葉に、捕らわれていた。
「貴女は、一度でも私を家族と思ったことがありますか?」
ミレイユの顔が、みるみる青ざめていく。
「私が寒い物置部屋で震えていた時、貴女は暖かい暖炉の前で笑っていました。私が硬いパンだけの食事をしていた時、貴女は豪華な料理を楽しんでいました」
私の声は静かだったが、その言葉の一つ一つが、重く響いた。
「貴女が着ていた美しいドレスは、すべて私が徹夜をして、心を込めて作ったものです。指に針を刺して血を流しながら、目を酷使して頭痛に耐えながら、それでも最高の仕事をしようと努力しました」
ミレイユの唇が震えている。
「でも、貴女は一度も『ありがとう』と言わなかった。それどころか、『使用人にしては上出来』と見下し、自分の手柄のように振る舞っていた。社交界で賞賛を浴びる度に、私の存在を隠し続けた」
「それは......私は......」
ミレイユが何か言おうとしたが、言葉が続かない。言い訳など、存在しないのだから。
私は深呼吸をした。胸の奥に溜まっていた、十年分の思いを吐き出すように。
「もう、終わりにしましょう。貴女たちとの縁は、ここで切らせていただきます」
その言葉を聞いて、ミレイユの顔から完全に血の気が引いた。彼女は何か叫ぼうとしたが、衛兵が素早く彼女の腕を掴んだ。
「離して!離しなさい!セレスティーナ、お願いだから――」
ミレイユの叫び声が、工房に響く。しかし衛兵たちは、容赦なく二人を引きずっていく。
叔父とミレイユは、衛兵に連れられて、工房の扉へと向かった。ミレイユは最後まで振り返り、恨めしそうな目で私を見ていた。叔父は、ただ項垂れて歩いている。
扉が閉まる音が響き、二人の姿が完全に消えた。
もう、何も感じなかった。
憎しみも、怒りも、悲しみも――全てが、まるで遠い昔の出来事のように感じられた。ただ、胸の奥に広がる、静かな解放感だけがあった。
審査会場が、しんと静まり返った。
職人たちは、誰も言葉を発することができない。侍女長も、侍従卿も、ただ沈黙している。この劇的な展開に、誰もが圧倒されているのだろう。
その静寂を破ったのは、公爵の足音だった。
彼が、ゆっくりと私に近づいてくる。その足音が、工房の床に静かに響く。
公爵が、私の前で立ち止まった。
そして、予想外にも、彼は短く言った。
「見事だった」
その声には、称賛の色が含まれていた。ヴィルフォール公爵――感情を表に出さないことで知られる彼が、明らかに私を評価してくれている。
「ありがとうございます」
私は深く礼をした。彼の言葉が、何よりも嬉しかった。
公爵は少しの間、私を見つめていた。その灰色の瞳の中に、何か――温かいものが宿っているように見えた。
やがて、彼は話題を変えた。
「ところで」
公爵は、周囲を見渡してから続けた。
「筆頭仕立て職人には、専用の工房と住居が与えられる。王宮の東翼だ。明日から使用できるよう、手配しておこう」
「え?」
私は驚いて顔を上げた。王宮の東翼――それは、王族や最高位の貴族たちが居を構える、最も格式高い場所だ。
「王宮に、住めるのですか?」
「当然だ。筆頭職人は、いつでも王家の要望に応えられるよう、宮廷内に住む。それが伝統だ」
公爵は、そこで一瞬だけ間を置いた。そして、まるで何でもないことのように付け加えた。
「偶然だが、私の執務室の近くでな」
その言葉に、私の心臓が跳ねた。
公爵の、執務室の近く――
公爵は、その時、僅かに口元を緩めた。それは微かな、ほんの一瞬の変化だったが、確かに笑みだった。
初めて見る、彼の笑顔だった。
冷たく、近寄りがたいと思っていた公爵が、こんな風に笑うことができるなんて。その笑顔は、彫像のように美しかった顔に、温かな人間らしさを与えていた。
私は、言葉を失った。
顔が熱くなるのを感じる。心臓の鼓動が、また激しくなった。
「工房の準備が整い次第、知らせよう。それまでは、現在の住居で構わない」
公爵はそう言うと、踵を返した。しかし数歩進んだところで、また振り返る。
「セレスティーナ」
また、名前を呼ばれた。その声の響きが、胸の奥に染み込んでいく。
「これからは、誰にも邪魔されることなく、君の才能を存分に発揮できる。期待しているぞ」
そう言い残して、公爵は工房を後にした。
彼の姿が扉の向こうに消えた後も、私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
工房の中で、職人たちがざわめき始める。祝福の言葉、感嘆の声――しかし、その全てが遠くに聞こえた。
私の心は、まだ公爵の最後の笑顔と言葉に、捕らわれていた。
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