ホラーエッセイ365

緑縁翁☆りょくえんおう

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火の記憶 ― 朱に染まる夜の夢

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あれは夢だったのか、現だったのか。
いまだに分からない。

三年前の夏、京都で取材をしていた時のことだ。
「古い火事跡を歩くのが趣味なんです」と、ある郷土史家が僕を案内してくれた。
安元三年、つまり1177年に起きた“京の大火”――日本史上、最も凄まじい都市火災のひとつ。

「この辺りが、火元の樋口富の小路(ひのくちとみのこうじ)です」
案内人がそう言ったとき、風が急に吹き、スマートフォンの画面が一瞬、朱色に染まった。
僕はそれを、夕陽のせいだと思った。
……最初のうちは、ね。

取材のあと、僕は京都駅近くのホテルに泊まった。
夜更け、原稿を書いていると、ふと焦げ臭いにおいがした。
ホテルの非常灯は静かに緑に光り、廊下に異常はない。
なのに、鼻の奥をつくような“焼けた畳”の匂いが、確かに漂っていた。

パソコンの時計は、20時ちょうどを指していた。

……1177年の記録でも、火が上がったのは「八つ刻(午後8時頃)」とある。
偶然だろうか。
そう思っても、手の震えが止まらなかった。

夜の二時ごろ、うたた寝していたら、部屋の隅から音がした。
“ぱちっ”と、薪がはぜるような音。
次の瞬間、薄く目を開けると、
テレビの画面が勝手に点いていた。

映っていたのは、燃えている都の俯瞰映像だった。
赤黒い炎が、まるで血の川のように大地を舐めている。
空は朱雀の羽根のように真っ赤に染まり、
黒い灰が雪のように降りしきっていた。

その映像の中に、ひとりの女がいた。
白い顔、焦げた衣。
口を開け、声なき叫びを上げながら、こちらを見上げている。

僕はリモコンをつかみ、電源を切ろうとした。
だが、画面の女の目が、僕の動きと“ぴたり”と重なった。
まるで、鏡のように。

電源を落としたのに、テレビは消えなかった。
かわりに、画面いっぱいに古い文字が浮かんだ。

「火ハ 人ノ愚行ニ宿ル」

翌朝、ホテルのロビーに降りると、
壁際のソファに座って新聞を読む男性がいた。
あの郷土史家だった。
僕に気づくと、静かに言った。

「……夢、見ましたか?」

僕は凍りついた。
何も話していないのに、どうして知っている?

「私も見ました。あの火はね、鎮まっていないんですよ。
 八百年たっても、まだ“燃えている”んです」

男の目は、まるで炎の残り火みたいに濡れていた。
彼は鞄から一枚の資料を取り出した。
そこには、安元三年の大火で焼けた区域の地図が印刷されていた。

――赤く塗られた範囲の中心に、僕が泊まったホテルの住所があった。

それ以来、僕は“八時”という時間が怖くなった。
パソコンの時計がその数字を指すと、背筋が勝手に冷たくなる。
夜風に灰の匂いを感じることもある。
特に、風が南東から吹く晩には。

あの夜見た女の顔が、
いまも、画面の奥で燃えている気がしてならない。

……あれから何度も、同じ夢を見る。

炎の中を歩く人々。
煙にむせて倒れる者、火に呑まれる者。
そして、誰かの声が必ず聞こえる。

「この世の家も人も、みな、燃えて灰になる定め。
 ――あなたも、まだ燃えているのですよ」

その言葉で、目が覚める。
手のひらには黒い灰が、指先には焦げ跡が残っている。

朝になると消えてしまうけれど、
時々、その匂いだけは、確かに残るのだ。

それは、まるで八百年前から続く、
**“火の記憶”**のように。
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