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木刀の中の目
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京都・東山の夜は、湿っている。
千年のうちに積もった怨嗟が、土とともに呼吸をしているからだ。
観光客のいない時間帯、三十三間堂の裏に回ってみるといい。
風のない晩でも、誰かが廊下を渡る音がする。
——あれは、備前守・平忠盛の足音だ。
あの夜、宮中は光で満ちていたという。
五節の節会。貴族たちは香を焚き、絹を擦らせて笑っていた。
だが、笑いの奥には毒があった。
“平氏が昇殿する”——その事実が、彼らにとって耐え難かった。
人の嫉妬ほど、怨霊を呼ぶものはない。
その夜の闇討ちは、刀よりも先に言葉の刃で仕組まれていた。
「伊勢の瓶子は酢瓶である」
その囃し歌が響くたび、忠盛の血が冷えていった。
だが彼は笑わなかった。ただ一つの木刀を帯びていた。
黒く塗られた鞘。銀の箔。
それは“偽りの刃”のはずだった。
——だが、誰も知らない。
あの木刀は、生きていた。
木刀は備前の寺で削られた。
斬首刑に処された罪人の柩から抜き取った桐材だったという。
その夜、彫り師が木目の奥に「目」を見た。
ひとつ、またひとつ。
まるで魂が抜け出すように、木の中で泡立っていた。
彫り師は夜明けに発狂した。
翌朝、工房には木刀と——彫り師の舌だけが残されていた。
忠盛は知らずにそれを帯びた。
いや、知らなかったのだろうか。
彼の“半分の目”——眇(すが)めたその眼孔は、
いつもどこか、別のものを見ていた。
光の届かぬ方を。
やがて忠盛は出世した。
法皇の信を得て、平家は繁栄を手にする。
しかし、それと引き換えに、木刀の所在は不明となった。
三十三間堂の千体仏のうち——
ひとつだけ、目が生きていると噂されたのはその後だ。
修復のために御仏を調べた僧がいた。
顔を近づけると、木肌の奥から、
黒い瞳がこちらを覗き返したという。
「伊勢の瓶子は酢瓶である」
——その声が、木の中から聞こえたのだ。
僧はそのまま絶叫して死んだ。
脳の中心には、細い銀の筋が貫通していた。
まるで、木刀の刃が内側から生えたように。
それ以来、三十三間堂の夜警たちは
決して御堂の中を見渡さない。
目を逸らすことが、唯一の祈りなのだ。
なぜなら、あの木刀はいまもどこかにある。
平家の繁栄を見守るために作られたはずが、
いまや“滅びの刻”を数える刃となった。
そして、もしあなたが——
夜、スマホの画面越しに三十三間堂の仏たちを撮るならば。
画像の奥に、ひとつだけ、
人間の目が映り込むことがある。
それが開いたら、もう手遅れだ。
忠盛の片目が、あなたを見ている。
——次の「昇殿者」を、選ぶために。
千年のうちに積もった怨嗟が、土とともに呼吸をしているからだ。
観光客のいない時間帯、三十三間堂の裏に回ってみるといい。
風のない晩でも、誰かが廊下を渡る音がする。
——あれは、備前守・平忠盛の足音だ。
あの夜、宮中は光で満ちていたという。
五節の節会。貴族たちは香を焚き、絹を擦らせて笑っていた。
だが、笑いの奥には毒があった。
“平氏が昇殿する”——その事実が、彼らにとって耐え難かった。
人の嫉妬ほど、怨霊を呼ぶものはない。
その夜の闇討ちは、刀よりも先に言葉の刃で仕組まれていた。
「伊勢の瓶子は酢瓶である」
その囃し歌が響くたび、忠盛の血が冷えていった。
だが彼は笑わなかった。ただ一つの木刀を帯びていた。
黒く塗られた鞘。銀の箔。
それは“偽りの刃”のはずだった。
——だが、誰も知らない。
あの木刀は、生きていた。
木刀は備前の寺で削られた。
斬首刑に処された罪人の柩から抜き取った桐材だったという。
その夜、彫り師が木目の奥に「目」を見た。
ひとつ、またひとつ。
まるで魂が抜け出すように、木の中で泡立っていた。
彫り師は夜明けに発狂した。
翌朝、工房には木刀と——彫り師の舌だけが残されていた。
忠盛は知らずにそれを帯びた。
いや、知らなかったのだろうか。
彼の“半分の目”——眇(すが)めたその眼孔は、
いつもどこか、別のものを見ていた。
光の届かぬ方を。
やがて忠盛は出世した。
法皇の信を得て、平家は繁栄を手にする。
しかし、それと引き換えに、木刀の所在は不明となった。
三十三間堂の千体仏のうち——
ひとつだけ、目が生きていると噂されたのはその後だ。
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顔を近づけると、木肌の奥から、
黒い瞳がこちらを覗き返したという。
「伊勢の瓶子は酢瓶である」
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僧はそのまま絶叫して死んだ。
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まるで、木刀の刃が内側から生えたように。
それ以来、三十三間堂の夜警たちは
決して御堂の中を見渡さない。
目を逸らすことが、唯一の祈りなのだ。
なぜなら、あの木刀はいまもどこかにある。
平家の繁栄を見守るために作られたはずが、
いまや“滅びの刻”を数える刃となった。
そして、もしあなたが——
夜、スマホの画面越しに三十三間堂の仏たちを撮るならば。
画像の奥に、ひとつだけ、
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それが開いたら、もう手遅れだ。
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