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秘密の坂道と風の匂い
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朝の光がカーテン越しに差し込み、ポチが小さくくしゃみをした。
「へっくしゅ!」
その声に目を覚ました美咲は、思わず笑ってしまった。
「もう、ポチ。花粉症?」
ポチは首をかしげて、美咲の頬をぺろりと舐める。
その仕草がたまらなく愛おしくて、美咲はぎゅっと抱きしめた。
学校に行く前のわずかな時間、ポチと遊ぶのが毎朝の習慣になっていた。
朝露の残る庭でポチが駆け回る。
白い息を吐きながら美咲が笑う。
その風景を、母が台所の窓から静かに見守っていた。
「まるで家族が増えたみたいね」
そう言って母は微笑む。
美咲にとって、ポチは“家族以上”の存在になりつつあった。
友達ができなくても、学校でうまく笑えなくても、
家に帰ればポチがいる。
「おかえり!」とでも言いたげに、玄関でしっぽを振るその姿が、
美咲の一日を救っていた。
ある日の放課後。
学校帰りにポチと一緒に桜坂を登った。
道の両側に桜が並び、風が吹くたびに花びらが舞う。
坂の上には、古びた見晴らし台がある。
「ここ、秘密の場所にしようね」
ポチはうれしそうに吠え、足もとで花びらを追いかける。
美咲はポチの頭を撫でながら、ふと思った。
この町で初めて“居場所”を見つけた気がする。
桜の花も、風の匂いも、ポチの息づかいも、全部が心に刻まれていく。
「ねぇ、ポチ」
「ワン?」
「わたし、強くなるね。どこに行っても、大丈夫なように」
ポチは耳をぴくりと動かして、美咲の顔を見上げた。
その瞳の奥に、なぜか涙がにじむような温かさを感じた。
数日後。
夕食の席で、父が少し沈んだ声で言った。
「会社の異動が決まった。東京だ」
箸を持つ母の手が止まった。
「……いつ?」
「来月には」
美咲はスプーンを握りしめたまま、言葉が出なかった。
耳の奥で、何かが崩れる音がした。
「引っ越すってこと?」
「そうだ」
「ポチは……?」
父の眉がわずかに動いた。
「今度のマンションは、ペット禁止なんだ」
食卓の上の明かりが滲んで見えた。
美咲は下を向き、黙ってご飯をかき込む。
ポチがテーブルの下で、美咲の足に鼻を押し当てた。
その温もりだけが、現実を引き止めていた。
その夜、美咲はポチを抱きしめて泣いた。
「やだよ、離れたくない……。ポチ、ずっと一緒にいたいのに」
ポチは小さく鳴いて、美咲の涙を舐めた。
何も言わなくても、その目がすべてを分かっているようだった。
翌日、美咲は父に懇願した。
「お願い、どうしても連れて行けないの?」
父は目を伏せたまま、静かに首を振った。
「分かってくれ。ポチのことは、母さんの友人が預かってくれる」
「預かってくれるって、それってもうお別れじゃん!」
「いつか、きっと会える」
「そんなの嘘だよ!」
美咲の声が震え、リビングに響いた。
父は何も言わずに背を向けた。
その姿が遠ざかるように感じて、美咲の涙は止まらなかった。
数日後。
春の終わりを告げるような雨が降っていた。
段ボールに詰めた荷物、玄関に並ぶスーツケース。
ポチはリードをつけられ、車の中で静かに座っている。
「ポチ、ちゃんとごはん食べるんだよ」
母が優しく撫でた。
美咲は言葉が出なかった。
涙が止まらず、唇を噛む。
「美咲、最後に“またね”って言おう」
母の声が遠くに聞こえた。
ポチの目が、美咲をまっすぐに見つめた。
その黒い瞳が何かを訴えていた。
“泣かないで”
そう聞こえた気がした。
車のドアが閉まり、エンジンの音が響く。
美咲は走り出した。
「ポチ! ポチー!!」
車が曲がり角を曲がるその瞬間、
ポチが後ろ足で立ち上がり、窓に前足をかけた。
ガラス越しに、美咲を見ていた。
花びらが雨に濡れて、地面に貼りつく。
その中で、ポチの姿が少しずつ遠ざかっていく。
「ポチーーーっ!!!」
叫んでも、風にかき消された。
雨の中、桜坂の上から見下ろす街は霞んでいた。
美咲は傘を差しもせず、空を仰いだ。
桜の花びらが、雨と混じって頬に貼りつく。
その冷たさが、涙と区別がつかなくなる。
「ポチ……また、会えるよね」
風が一瞬、強く吹いた。
まるで返事のように。
その夜、美咲はポチの首輪を胸に抱いて眠った。
夢の中で、桜坂を走るポチの姿が見えた。
満開の花の中を、風のように駆けていく。
「ポチ!」
呼びかけると、ポチは振り向いて笑った。
けれど、その姿はすぐに光の中に溶けていった。
目を覚ますと、頬に涙が流れていた。
窓の外では、夜明けの光が少しずつ広がっていた。
ポチがいない朝。
でも、美咲の耳には、確かにあの鈴の音が残っていた。
――風の匂いと、桜の花の中に。
「へっくしゅ!」
その声に目を覚ました美咲は、思わず笑ってしまった。
「もう、ポチ。花粉症?」
ポチは首をかしげて、美咲の頬をぺろりと舐める。
その仕草がたまらなく愛おしくて、美咲はぎゅっと抱きしめた。
学校に行く前のわずかな時間、ポチと遊ぶのが毎朝の習慣になっていた。
朝露の残る庭でポチが駆け回る。
白い息を吐きながら美咲が笑う。
その風景を、母が台所の窓から静かに見守っていた。
「まるで家族が増えたみたいね」
そう言って母は微笑む。
美咲にとって、ポチは“家族以上”の存在になりつつあった。
友達ができなくても、学校でうまく笑えなくても、
家に帰ればポチがいる。
「おかえり!」とでも言いたげに、玄関でしっぽを振るその姿が、
美咲の一日を救っていた。
ある日の放課後。
学校帰りにポチと一緒に桜坂を登った。
道の両側に桜が並び、風が吹くたびに花びらが舞う。
坂の上には、古びた見晴らし台がある。
「ここ、秘密の場所にしようね」
ポチはうれしそうに吠え、足もとで花びらを追いかける。
美咲はポチの頭を撫でながら、ふと思った。
この町で初めて“居場所”を見つけた気がする。
桜の花も、風の匂いも、ポチの息づかいも、全部が心に刻まれていく。
「ねぇ、ポチ」
「ワン?」
「わたし、強くなるね。どこに行っても、大丈夫なように」
ポチは耳をぴくりと動かして、美咲の顔を見上げた。
その瞳の奥に、なぜか涙がにじむような温かさを感じた。
数日後。
夕食の席で、父が少し沈んだ声で言った。
「会社の異動が決まった。東京だ」
箸を持つ母の手が止まった。
「……いつ?」
「来月には」
美咲はスプーンを握りしめたまま、言葉が出なかった。
耳の奥で、何かが崩れる音がした。
「引っ越すってこと?」
「そうだ」
「ポチは……?」
父の眉がわずかに動いた。
「今度のマンションは、ペット禁止なんだ」
食卓の上の明かりが滲んで見えた。
美咲は下を向き、黙ってご飯をかき込む。
ポチがテーブルの下で、美咲の足に鼻を押し当てた。
その温もりだけが、現実を引き止めていた。
その夜、美咲はポチを抱きしめて泣いた。
「やだよ、離れたくない……。ポチ、ずっと一緒にいたいのに」
ポチは小さく鳴いて、美咲の涙を舐めた。
何も言わなくても、その目がすべてを分かっているようだった。
翌日、美咲は父に懇願した。
「お願い、どうしても連れて行けないの?」
父は目を伏せたまま、静かに首を振った。
「分かってくれ。ポチのことは、母さんの友人が預かってくれる」
「預かってくれるって、それってもうお別れじゃん!」
「いつか、きっと会える」
「そんなの嘘だよ!」
美咲の声が震え、リビングに響いた。
父は何も言わずに背を向けた。
その姿が遠ざかるように感じて、美咲の涙は止まらなかった。
数日後。
春の終わりを告げるような雨が降っていた。
段ボールに詰めた荷物、玄関に並ぶスーツケース。
ポチはリードをつけられ、車の中で静かに座っている。
「ポチ、ちゃんとごはん食べるんだよ」
母が優しく撫でた。
美咲は言葉が出なかった。
涙が止まらず、唇を噛む。
「美咲、最後に“またね”って言おう」
母の声が遠くに聞こえた。
ポチの目が、美咲をまっすぐに見つめた。
その黒い瞳が何かを訴えていた。
“泣かないで”
そう聞こえた気がした。
車のドアが閉まり、エンジンの音が響く。
美咲は走り出した。
「ポチ! ポチー!!」
車が曲がり角を曲がるその瞬間、
ポチが後ろ足で立ち上がり、窓に前足をかけた。
ガラス越しに、美咲を見ていた。
花びらが雨に濡れて、地面に貼りつく。
その中で、ポチの姿が少しずつ遠ざかっていく。
「ポチーーーっ!!!」
叫んでも、風にかき消された。
雨の中、桜坂の上から見下ろす街は霞んでいた。
美咲は傘を差しもせず、空を仰いだ。
桜の花びらが、雨と混じって頬に貼りつく。
その冷たさが、涙と区別がつかなくなる。
「ポチ……また、会えるよね」
風が一瞬、強く吹いた。
まるで返事のように。
その夜、美咲はポチの首輪を胸に抱いて眠った。
夢の中で、桜坂を走るポチの姿が見えた。
満開の花の中を、風のように駆けていく。
「ポチ!」
呼びかけると、ポチは振り向いて笑った。
けれど、その姿はすぐに光の中に溶けていった。
目を覚ますと、頬に涙が流れていた。
窓の外では、夜明けの光が少しずつ広がっていた。
ポチがいない朝。
でも、美咲の耳には、確かにあの鈴の音が残っていた。
――風の匂いと、桜の花の中に。
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