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第七話 夕暮れの約束
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昼休みが近づくころ、教室の空気はどこか落ち着かないものになっていた。
いつものように授業は行われているのだが、生徒たちの関心はどうしても別のところへ向いてしまうらしい。教師が黒板に書いた内容を写しながらも、あちこちで小さな囁き声が交わされている。
その理由は、このところ学園の中でよく話題になっている行事だった。
「来週の茶会、本当に王子殿下もいらっしゃるのかしら」
前の席から聞こえてきた声に、近くの生徒が顔を寄せる。
「新入生の茶会でしょう? 上級生も来るって聞いたわ」
「そうなの? それなら……」
言葉はそこで小さく途切れ、代わりに控えめな笑い声が重なった。
王立学園では、入学して間もない時期に新入生を対象とした茶会が開かれる。名目としては社交の練習だが、実際にはそれ以上の意味を持つ行事だった。
王族や上級生、そして同じ学年の貴族子女が一堂に会し、互いに言葉を交わす場。
その場でどのように振る舞うかは、意外なほど人の記憶に残る。
レーネは教科書のページを閉じ、静かに息を吐いた。
机の向かい側では、栗色の髪の少女が少し考え込むように視線を落としている。
「……やはり、少し緊張しますね」
控えめな声だった。
レーネが顔を上げると、栗色の睫毛がそっと伏せられる。
「家でも社交の練習はしてきましたけれど……学園での最初の行事ですし」
指先が本の端を軽くなぞる。
「アルヴィス様は、こういう場にも慣れていらっしゃるのでしょう?」
その問いに、レーネは少し考えてから答えた。
「慣れている、というわけではありません」
静かな声だった。
「ただ、形式は決まっていますから」
「形式?」
「挨拶の順序や話題の選び方、礼の仕方。決まった型を守れば、大きく失敗することはありません」
淡々とした説明だったが、向かいの少女は小さく目を見開いた。
それから、ほっとしたように微笑む。
「なるほど……そう考えると、少し安心します」
そのころ、教室の後ろでは別の会話が続いていた。
「三年生も来るらしいぞ」
「上級生も?」
「有名な方もいるって」
「例えば?」
声が少し落とされる。
「ソフィア様とか」
その名前が出た瞬間、何人かの生徒が振り向いた。
「ああ……アルヴィス公爵家の」
「すごく綺麗な方でしょう?」
「王子殿下ともよく話しているって聞いたわ」
小さな囁きが広がる。
レーネは特に反応を見せなかった。
姉の名前が話題に上ることは珍しくない。
やがて授業の終わりを告げる鐘が鳴り、教室の空気はゆっくりと普段の落ち着きを取り戻していった。
午後の授業を終え、レーネは東棟の廊下を歩いていた。
窓から差し込む光はすでに夕方の色に変わり始めている。帰りの時間が近いのか、廊下を行き交う生徒の数も多かった。
その流れの向こう側から、数人の上級生が歩いてくる。
中心にいる人物の胸元に刻まれた紋章が、ふと目に留まった。
王家の紋章だった。
エドワルド王子である。
周囲の上級生と何か話しながら歩いていた王子は、ふと顔を上げた。そしてレーネに気づくと、足を止める。
「……お前」
わずかに意外そうな声だった。
「また会ったな、アルヴィス」
レーネは軽く礼をする。
「ごきげんよう、殿下」
廊下を行き交う生徒たちが、ちらりとこちらを見た。だが王子は特に気にした様子もない。
「もう学園には慣れたか?」
「まだ始まったばかりですから」
短い返事に、王子は小さく笑った。
「そうか」
一瞬、言葉が途切れる。
やがて思い出したように言った。
「来週の茶会、出るんだろ」
「はい」
「新入生は全員だもんな」
腕を組み、少し考えるような視線が向けられる。
「楽しみにしてる」
不意の言葉だった。
レーネはわずかに首を傾げる。
「……何を、でしょうか」
その問いに、王子は肩をすくめた。
「さあな」
口元だけが少し笑う。
「じゃあな」
それだけ言うと、再び歩き出した。上級生たちも後に続く。
レーネはしばらくその背中を見送った。
言葉の意味はよく分からない。だが、なぜか胸の奥に小さく残るものがあった。
校門の前には、すでに多くの馬車が並び始めている。
アルヴィス家の馬車のそばには、金色の髪の少女が立っていた。夕暮れの光を受け、その髪が柔らかく輝いている。
「レーネ」
穏やかな声だった。
「お疲れさま」
「姉様も」
二人は並んで馬車へ向かう。
御者が扉を開いたとき、ソフィアがふと思い出したように言った。
「そういえば、来週の茶会」
「あなたも出るのよね」
「はい」
当然のことだった。
ソフィアは少しだけ視線を落とし、それから優しく微笑む。
「無理はしないでね」
静かな声だった。
「ああいう場は、少し大変だから」
レーネは小さく頷いた。
「分かりました」
二人は馬車に乗り込む。
やがて車輪が静かに動き出し、学園の門を離れていった。
窓の外では、夕暮れの空がゆっくりと色を変えている。
来週の茶会。
それがどのような時間になるのか、レーネには想像もつかない。
ただ、その場でまた新しい出会いが待っていることだけは──。
いつものように授業は行われているのだが、生徒たちの関心はどうしても別のところへ向いてしまうらしい。教師が黒板に書いた内容を写しながらも、あちこちで小さな囁き声が交わされている。
その理由は、このところ学園の中でよく話題になっている行事だった。
「来週の茶会、本当に王子殿下もいらっしゃるのかしら」
前の席から聞こえてきた声に、近くの生徒が顔を寄せる。
「新入生の茶会でしょう? 上級生も来るって聞いたわ」
「そうなの? それなら……」
言葉はそこで小さく途切れ、代わりに控えめな笑い声が重なった。
王立学園では、入学して間もない時期に新入生を対象とした茶会が開かれる。名目としては社交の練習だが、実際にはそれ以上の意味を持つ行事だった。
王族や上級生、そして同じ学年の貴族子女が一堂に会し、互いに言葉を交わす場。
その場でどのように振る舞うかは、意外なほど人の記憶に残る。
レーネは教科書のページを閉じ、静かに息を吐いた。
机の向かい側では、栗色の髪の少女が少し考え込むように視線を落としている。
「……やはり、少し緊張しますね」
控えめな声だった。
レーネが顔を上げると、栗色の睫毛がそっと伏せられる。
「家でも社交の練習はしてきましたけれど……学園での最初の行事ですし」
指先が本の端を軽くなぞる。
「アルヴィス様は、こういう場にも慣れていらっしゃるのでしょう?」
その問いに、レーネは少し考えてから答えた。
「慣れている、というわけではありません」
静かな声だった。
「ただ、形式は決まっていますから」
「形式?」
「挨拶の順序や話題の選び方、礼の仕方。決まった型を守れば、大きく失敗することはありません」
淡々とした説明だったが、向かいの少女は小さく目を見開いた。
それから、ほっとしたように微笑む。
「なるほど……そう考えると、少し安心します」
そのころ、教室の後ろでは別の会話が続いていた。
「三年生も来るらしいぞ」
「上級生も?」
「有名な方もいるって」
「例えば?」
声が少し落とされる。
「ソフィア様とか」
その名前が出た瞬間、何人かの生徒が振り向いた。
「ああ……アルヴィス公爵家の」
「すごく綺麗な方でしょう?」
「王子殿下ともよく話しているって聞いたわ」
小さな囁きが広がる。
レーネは特に反応を見せなかった。
姉の名前が話題に上ることは珍しくない。
やがて授業の終わりを告げる鐘が鳴り、教室の空気はゆっくりと普段の落ち着きを取り戻していった。
午後の授業を終え、レーネは東棟の廊下を歩いていた。
窓から差し込む光はすでに夕方の色に変わり始めている。帰りの時間が近いのか、廊下を行き交う生徒の数も多かった。
その流れの向こう側から、数人の上級生が歩いてくる。
中心にいる人物の胸元に刻まれた紋章が、ふと目に留まった。
王家の紋章だった。
エドワルド王子である。
周囲の上級生と何か話しながら歩いていた王子は、ふと顔を上げた。そしてレーネに気づくと、足を止める。
「……お前」
わずかに意外そうな声だった。
「また会ったな、アルヴィス」
レーネは軽く礼をする。
「ごきげんよう、殿下」
廊下を行き交う生徒たちが、ちらりとこちらを見た。だが王子は特に気にした様子もない。
「もう学園には慣れたか?」
「まだ始まったばかりですから」
短い返事に、王子は小さく笑った。
「そうか」
一瞬、言葉が途切れる。
やがて思い出したように言った。
「来週の茶会、出るんだろ」
「はい」
「新入生は全員だもんな」
腕を組み、少し考えるような視線が向けられる。
「楽しみにしてる」
不意の言葉だった。
レーネはわずかに首を傾げる。
「……何を、でしょうか」
その問いに、王子は肩をすくめた。
「さあな」
口元だけが少し笑う。
「じゃあな」
それだけ言うと、再び歩き出した。上級生たちも後に続く。
レーネはしばらくその背中を見送った。
言葉の意味はよく分からない。だが、なぜか胸の奥に小さく残るものがあった。
校門の前には、すでに多くの馬車が並び始めている。
アルヴィス家の馬車のそばには、金色の髪の少女が立っていた。夕暮れの光を受け、その髪が柔らかく輝いている。
「レーネ」
穏やかな声だった。
「お疲れさま」
「姉様も」
二人は並んで馬車へ向かう。
御者が扉を開いたとき、ソフィアがふと思い出したように言った。
「そういえば、来週の茶会」
「あなたも出るのよね」
「はい」
当然のことだった。
ソフィアは少しだけ視線を落とし、それから優しく微笑む。
「無理はしないでね」
静かな声だった。
「ああいう場は、少し大変だから」
レーネは小さく頷いた。
「分かりました」
二人は馬車に乗り込む。
やがて車輪が静かに動き出し、学園の門を離れていった。
窓の外では、夕暮れの空がゆっくりと色を変えている。
来週の茶会。
それがどのような時間になるのか、レーネには想像もつかない。
ただ、その場でまた新しい出会いが待っていることだけは──。
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