公爵家の次女ですが、静かに学園生活を送るつもりでした

佐伯かなた

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第二十四話 認識の相違

 ──翌日。


 教室には、いつも通りの時間が流れていた。

 教師の声、板書を写すペンの音、時折窓から入り込む風がカーテンを揺らす音。それらすべてが規則正しく繰り返され、昨日の出来事など最初から存在しなかったかのように、穏やかな空気を形作っている。

 レーネもまた、その一部として淡々と授業を受けていた。

 余計な感情は挟まない。ただ必要な情報を整理し、記憶する。それだけに集中する。

 やがて鐘が鳴り、休み時間が訪れると、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。

「レーネはこの後──どうするのですか?」

 隣から声をかけてきたのはミレイユだった。いつものように穏やかな表情を浮かべながら、机に頬杖をついてこちらを覗き込んでいる。

「図書館に行こうかと思っています」

 レーネは教科書を閉じながら、簡潔に答える。

「あら、やっぱりそうでしたか……わたくしも行こうかしら」

 軽やかな声音。

「この前言っていた本はもう見つけたのですか?」

 そう栗色の眉が揺れる。

「ええ。あの棚の奥にありました。少し古いものですが、なかなか興味深い内容でした」

「わたくしは最近話題の小説でも読もうかと思います。なんでも結末が意外らしくて──ああ、学園の図書館は新刊が入荷されるのが早くて嬉しいわ」

 そんな他愛のないやり取りが続く。

 穏やかで、静かな日常。

 その空気が──

 不意に乱された。

 教室の入口付近がざわめき始める。

 ひそひそとした声が重なり、誰かが小さく息を呑む気配がした。

「……何かしら?」

 ミレイユがそちらへ視線を向ける。

 レーネもまた、わずかに顔を上げた。

 そして。

 入口に立つ人物を視認した瞬間、ほんの僅かに目を細める。

 三年生であるはずのエドワルド王子が、当然のような顔でそこに立っていた。

 本来、この東棟は一年生の教室しかない。上級生が訪れる理由などない場所だ。

 それにも関わらず。

 彼は周囲の視線を一切意に介さず、ただそこに存在していた。

 ──面倒ですわね。

 即座にそう判断する。

「行きましょう、ミレイユ」

 何事もなかったかのように立ち上がる。

「え? ええ……?」

 戸惑いながらもミレイユは後に続く。

 背後でざわめきが一層強まるが、レーネは一切振り返らなかった。

 

 中央棟へ向かう廊下。

 普段と変わらぬ足取りで進んでいるはずなのに、妙な違和感が付きまとう。

 視線。

 足音。

 不自然なまでの“偶然”。

「奇遇だな」

 軽やかな声が、横から差し込まれる。

 レーネは反応しなかった。

 まるで聞こえていないかのように、そのまま歩き続ける。

 ミレイユが困惑した様子で視線を泳がせるが、レーネはそれすら気に留めない。

 

 図書館に入っても、その気配は消えなかった。

 静寂に包まれた空間の中で、あまりにも不自然に重なる位置関係。書架を移動すれば同じ列に現れ、席を変えれば視界の端に入る。

 ──いい加減にしなさい。

 内心でそう結論付けた瞬間。

 レーネは本を閉じ、静かに立ち上がった。

「レーネ?」

 ミレイユが小さく声をかける。

 だがその問いに答えることなく、レーネは歩き出す。

 そして──

 すれ違いざま、迷いなくその手を掴んだ。

「……少し、よろしいですか?」

 温度のない声音。

 そのまま強引に引き、ミレイユをその場に残して図書館を出る。さらに裏手へ回り込み、人通りのない路地に入ったところで、ようやく手を離した。

 振り返る。

「──どういうつもりですか?」

 抑え込んでいた苛立ちが、はっきりと滲む。

 エドワルドは一瞬だけ目を瞬かせ、それからどこか納得したように頷いた。

「その気にさせる、という話だろう?」

 当然のように言う。

「だから、こうしてアプローチを──」

「……は?」

 レーネの表情が、露骨に歪んだ。

 短い沈黙。

 やがて深く息を吐く。

「……なるほど。そういう解釈ですか」

 呆れを隠さない声音。

「自分に惚れさせればいい、と?」

「違うのか?」

 本気でそう思っている顔だった。

 レーネは一瞬だけ視線を逸らし、こめかみを押さえる。

「……別に、アプローチをすること自体は構いません」

 ゆっくりと視線を戻す。

「ですが」

 一歩、距離を詰める。

「私は、できるだけ静かに学園生活を送りたいのです」

 はっきりと告げる。

「ただでさえ、作法の授業の件で余計な視線を集めているというのに……」

 あの一件以来、周囲の関心は確実に高まっている。そこに王子まで絡めば、どうなるかは明白だった。

「ですから」

 きっぱりと線を引く。

「そういった行動は、学園外のみにしてください」

 逃げ場のない条件提示。

「ここは社交の場以前に、学びの場です。余計な騒動は不要ですわ」

 一歩引く。

 そして、わずかに首を傾けた。

「それとも」

 静かな声音で、レーネは言葉を落とす。

「これも、“他人に支払わせる代償”の一部とお考えで?」

 その問いに、エドワルドは即答しなかった。

 ほんのわずかに視線を逸らし、考えるような間が生まれる。

 だが、レーネはそれ以上その話を続けるつもりはなかった。

 小さく息を吐き、気持ちを切り替える。

「……そもそもの話ですが」

 声音が、先ほどまでの棘を残しながらも、わずかに理性的なものへと変わる。

「まずは、アリアナ・オルトリスの真意を確かめるのが先決なのではありませんか?」

 問題の本質はそこにある。

 自分へのアプローチだの婚約だのは、その後の話に過ぎない。

 エドワルドもその指摘には素直に頷いた。

「……そうだな」

 短く同意する。

 レーネはさらに続けた。

「わざわざ王子である貴方が同行していたことを隠してまで噂を広めているのだとすれば──」

 一度、言葉を区切る。

「姉を貶める意図がある……と考えるのが自然ですね」

 その視線が、まっすぐにエディへ向けられる。

「何か、思い当たる節は?」

 問われたエドワルドは、わずかに思案するように顎に手を当てた。

「ふむ……そうだな」

 軽く息を吐く。

「アリアナ・オルトリスには、幼い頃から言い寄られてはいたが……」

 その言葉に、レーネの表情がわずかに動く。

「全て、きっぱりと断っている」

 あっさりとした口調だった。

「……ということくらいか?」

 付け加えるように言われたその一言に。

 レーネは、ぴたりと動きを止めた。

 数秒の沈黙。

 そして。

「……はあ」

 深く、長いため息が漏れる。

 そのまま、こめかみに手を当てた。

「しかし、それでは恨みを持つ相手は俺であり……俺に対して何か行動を起こすはずだ」

 エドワルドはなおも続ける。

「わざわざソフィアを標的にする理由には──」

「……」

 言葉が、途中で止まる。

 レーネが何も言わないまま、こめかみを押さえているのを見て、さすがに違和感を覚えたのだろう。

 その仕草には、呆れと苛立ちが混じっていた。

 そして何より。

 ──それ、本気で言っているのですか? とでも言いたげな、明確な感情が滲んでいた。
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