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恋
しおりを挟むそれから3週間が過ぎ、早いもので4月が終わりを迎えようとしていた。斉木さんとはプレゼミとその翌日の講義が1コマ被っているだけなので顔を合わせることができるのは週にその2回だけ。中学生の頃の話を打ち明けてくれたことから、少しは俺のことを友達として見てくれているのかな、なんて期待はしていたのだが。
(まったく、前までと変わらない……)
「戦争と平和」は2巻まで読み終わったものの連絡先も知らないので感想を伝える機会もない。
講義では挨拶もしなければ自分と顔を合わせようともしない。プレゼミはどうしても少人数だから挨拶程度はするものの、やはり顔は強張ったままだ。
そもそも、これ以上斉木さんに近づくのは危ない、と自分で自分を制していたのだ。これでいいんだ。慰めるようにして自分に言い聞かせる。
(好き、とかじゃないはず。ただ気になる存在というだけで、それは友達としての好意だよな)
ただ、一つ気付いたことがある。プレゼミでは毎週1回、自分の興味のある分野の文献を読み、自分の意見を記述するブックレポートを提出しなければならない。そのブックレポートはゼミ生全員で読み合い、その場で少しの意見交換が行われる。
(斉木さんのレポート、今回も読みやすいな……)
回された全員分のコピーに目を通すと、斉木さんのレポートがいつも圧倒的に上手にまとめられているのだ。それはきっとやはり、普段から活字に触れる習慣があるからこそなのだろう。
これまであまり学業には前向きではなかった自分も、斉木さんのレポートには刺激を受け、自分ももっと頑張ろうという気になれた。
そして今日のプレゼミから、個人での研究活動に入っていくことになっている。今日はまず研究分野を決めて文献を探すところという段階だった。
紘と一緒に大学図書館に向かい、お互いの研究テーマについて話す。
「俺らちょっと分野離れてるな。俺多分こっちの書架だから向こう側で作業するな」
紘はそう言って、奥の書架へと進んでいった。自分も早速探していこうと歩を進める。
(えーと、自分は……たぶんこっちだろうな)
大体の目星をつけて巨大な書架の間をきょろきょろしながら進んでいく。
すると、
「あ、大野くん…?」
か細い声が聞こえてきてぱっと声の方を振り返る。
もう毎回お決まりのように、目が合ったと思ったらさっと目を伏せる斉木さんがそこに立っていた。
まさか斉木さんの方から声をかけてくるとは露とも思わず、緊張と嬉しさが混在する感情に脳みそが一瞬ショートしそうになった。
「斉木さんもここら辺?」
自分の気持ちを悟られないよう、あくまでも落ち着いて対応しようと努める。
「うん。たぶんこのあたり…」
「そうなんだ。ちなみにテーマどんな感じなの?」
「えっとね、帰国子女の日本語フォローアップみたいなところで書こうかなって」
「あ、ほんと?俺も似たような感じ。言語的マイノリティーのための支援みたいな」
じゃあやっぱりこの辺りの書架からいくつか漁ればいいかな~なんて一人でぶつぶつ言いながらざっと図書を見渡す。
斉木さんも同じように辺りの図書を見渡して、いくつかを実際に取り出して中身を眺めてみたりしていた。
「あっこれ。これとか大野くんのテーマに近いんじゃない?」
斉木さんが、手に取った本をパラパラとめくりながら俺に見せてくる。
「ほんとだ、ありがとう」
斉木さんから本を受け取り、あることを思いつく。
「あのさ。もし、よかったらなんだけど」
「…うん?」
今までの自分だったら絶対こんなこと言わなかっただろうに。勝ち目のない勝負ごとは最初から乗らないタイプの人間だったはずなのに。
拒絶されるかもしれないリスクを背負いながら口を開く。
「あっちの机で一緒に作業しない?お互いテーマが近いから参考になるのあったら教え合おうよ、きっと効率良いし」
男の人を過剰に意識する斉木さんだから、もしかしたら作業に集中できないと断られるかもしれない。そもそも俺と関わり合いたくないかもしれない。あくまでも平静を装って軽い感じで誘ってみたものの、自分の脳内はかなり後ろ向きな考えで溢れかえっていた。
「…うん、いいね。そうしよ」
が、ありがたいことに斉木さんは遠慮がちに提案を飲んでくれた。相変わらず目を合わせてはくれないが、きっと嫌悪感は持たれていないんだろうと心の中で安堵のため息をつく。
それからは二人で集中して作業に取り組み、お互いに参考になる箇所を見つけては教え合い、今日の分の課題は順調に進めることができた。心なしか斉木さんから緊張する様子が薄れ、かなり自然体で接していると感じるときもあった。
(緊張でガチガチになって沸騰する斉木さんもかわいいけど……)
やっぱり自然体で自分に関わってくれることが嬉しかった。他の男の人とはきっと違うんだという特別感。この特別感をできればずっと感じていたい、そんな邪な欲求が心の片隅から僅かに湧いてくるのが自分でもわかる。
「あ、もうすぐ時間だね。ちょうどいいところで終われたかも」
斉木さんがスマホの時計を見てふーっと一息つく。
「斉木さんありがとう。おかげで思ってたより進んだと思う」
「こちらこそ!誘ってくれてありがとう」
お誘いなんて星の数ほどあるだろうに、こうやって感謝の言葉がすらすら出てくるところに彼女の性格の良さが滲み出て微笑ましい。
「あ、そういえばさ。毎週ブックレポート提出するじゃん。あれ、斉木さんのすっごい読みやすいよね」
できれば伝えたいと思っていた。本当にすごいと思ったから。
「えっ、ほんと?そんな風に誉めてもらえるのとってもうれしいな…」
「うん。やっぱり本読んでる人の言葉っていいなって思ったし、きちんと受け手の視点で書けてるところとかすごいと思う。俺はちょっとあんなところまで書けないもん。それに刺激も受けたし自分ももっと頑張らないとなってモチベーション上がったりもしてさ」
すらすらと何の気も無しにそこまで言い切れたのは、全てが偽りのない本心だから。
でも、斉木さんからは何の反応もなくて。ちょっと心配になり斉木さんの顔を見て、俺はびっくりした。というのも、斉木さんが本当に嬉しそうな顔をしていたから。
「……っ私ね、大野くんと知り合えて本当に良かったって思ってるの。この間の話も親身になって聞いてくれて…」
「だから斉木さんの話だったらみんな親身になって聞いてくれるって」
大袈裟に話す斉木さんがおもしろくて、軽く笑って流すつもりでいたのに。
「ううん、違うの、そうじゃないの。あの時本を持っててくれたのが大野くんで良かったなって」
たぶん相当頑張って話をしているのだろう、机に置いた両手はぎゅっと拳が握られている。そうしてまで目を合わせて伝えてくれる斉木さんの誠意が嬉しくて。
「あのっ、大野くん、本当にありがとうっ…」
少しの恥ずかしさを携えた斉木さんの明るい笑顔が胸に刺さる。何とも言えずに今度はこっちが目を逸らしてしまう。
(こんなん無理だろ……)
全てを独占したい。この笑顔が自分だけに向けられるものであればいいのに。
俺はついにこの感情に”恋”という名前を付けざるを得ないようだった。
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