11 / 46
第二章
2
しおりを挟む
安心して声をかけようとすると、中から話し声が聞こえた。
「草刈り、お疲れさま。助かるわ。管理人にはしばらく休んでいてもらわないといけないからね」
「その穴埋めに僕を呼んだわけですね。重労働です。汗びっしょり」
ふー、という淳悟さんのため息。相手は若い女の人。淳悟さんの彼女、とか?
「電動芝刈り機があるからだいぶ楽ですね。ここまでの道のりもすぐに作れましたし」
キャンプ場跡からふじくぼまでの道は、淳悟さんが電動芝刈り機を使って作ったものか。どうりで歩きやすかったわけだ。
「文化財に登録してくれ、って市からも言われていたんでしょう?」
「まぁね。でも、そんなことしたらちょっとリフォームしようかな、ってわけにはいかないの。お風呂とトイレをリフォームして快適に使えるのも、私が文化財への登録を断っていたからだよ。ありがたく思いなさい」
誰だろう。ふじくぼの偉い人? 棚の向こうに隠れてわからない。
「そもそも、どういう経緯でこのお屋敷を手に入れたのか、僕は細かいことは知らないのですが」
「私だって知らないわ。あの人が勝手に買い取って、ホテルにするって言ってきたんだもの。私に拒否できるわけない。旅館で手一杯だっていうのに」
あーあ、と女性は面倒な口ぶりで過去を語っていた。
声からして若い女性だと思ったけど、内容からかなり上の年齢のようだ。ホテルだったのはすっごい昔だって言ってた。
てことは、淳悟さんの彼女ではないな。安心。
いやいや、彼女がいないからって中学生の私とどうこう……っていうのはさすがにキモいけど。
アイドルに彼女がいたらイヤ、みたいな話。
「暑いから、さっさと戻るよ」
やば。身を隠さなくては。そう思っても、隠れるところなんてなかった。私はその場で落ち着き無くウロウロしただけ。ほどなく中から出てきた瑠々と目が合った。
「あれ、瑠々ちゃんもいたの?」
瑠々の声にしては大人びて聞こえていて、気付かなかった。
私と鉢合わせして、驚いたのは瑠々のほうだった。
目を丸くしている瑠々の後ろから、淳悟さんも出てきた。昨日とは違い、黒の半袖Tシャツにジャージ姿で、体中に草がついている。
「あ、梨緒子さん。いらっしゃい」
慌てる様子もない淳悟さんとは違い、瑠々と私はぽかんとしたまま、言葉が出なかった。
想像していた「大人の女性」は出てこないまま、淳悟さんは扉に鍵をかけてしまった。古めかしい木の札には『蔵』と書かれていた。
「あの」
「中で話しましょう。あなた、顔真っ赤よ。また倒れないでね」
あ、そうか。また暑さで頭がぼんやりして何か聞き間違いをしてしまったのかもしれない。元気が取柄だと思っていたけど、案外暑さに弱いのかもしれない。
頭が混乱しているのも、瑠々が変なのも、全部暑さとセミのうるさいせいだ。
昨日と同じダイニングに通された。涼しくて気持ちがいい。暑さには強いし、夏は大好きだけど、エアコンの涼しさも好きだ。
「そうだ、朝ジンジャーブレッドを焼いたの。よかったら食べて。二人じゃ食べきれないから。そうだ、紅茶は飲める? 淳悟、アイスティーいれてあげて」
口数多く、瑠々はあれこれ提案し、淳悟さんに指示を出した。
「ジンジャーブレッドって何?」
初めて聞いた。ジンジャーってしょうがだっけ?
「小説を読んでいたら出てきたからレシピ調べて作ってみた。しょうがを使ったパンというか、スイーツみたいなもの。私もまだ食べていないわ。どんな味かしら」
昨日も使っていたタブレットを指でコンコンと軽く叩く。カバーも何もつけていない、そっけない黒のタブレットだけど、キズもなくきれい。
昨日は私の前に淳悟さん、その隣に瑠々が座っていたけど、今日は私の正面に座った。淳悟さんはキッチンへと姿を消す。
黒目の大きな、可愛い瞳で私をじーっと見る。頬杖をついて、これが写真だったら見とれてしまいそうな可愛らしさ。でも、今は睨まれているだけで、エアコンで冷えた背筋が凍りそう。
「凄いね、私、お菓子作りなんて出来ない」
間が持たなくて、適当に話を続ける。
「お菓子って、本当に細やかな計量が必要なの。ちょっとでも量を間違えたら膨らまないし、手抜きすると食べられたものじゃなくなる。あなたみたいにがさつな子には向いていないわね」
ふふん、と口角を意地悪く上げる。
嫌な子!
私は反論せず黙った。図星だからだ。計量なんて適当でいいじゃん、ってやったらクリームは固まらなかったり、粉がダマになったり。
「ところで、なんでまた今日来たの? 私とまたケンカしに来た?」
「違います、忘れ物を取りに来ただけです」
親に嘘ついちゃったから、それを事実にするためにお願いがある、と言えなかった。
そんな嘘ついたの? ってバカにするだろうし。それにこんな子と一晩同じ屋根の下で寝るなんて、イライラしすぎて体調崩しそう。
「忘れ物? 手ぶらじゃなかった? 今日も何も持っていないし。年頃の女子が珍しいわね」
「余計なお世話」
「二人とも、汗かいて喉渇いたでしょう。おしゃべりの前に、どうぞ」
淳悟さんがやってきて、私と瑠々の前にアイスティーを置いて、すぐにキッチンに戻った。
「いただきまーす」
重いグラスを持ち上げ、ストローを口に運ぶ。なんだかんだ言っても、喉が渇いていたから一気に半分飲んでしまう。
「草刈り、お疲れさま。助かるわ。管理人にはしばらく休んでいてもらわないといけないからね」
「その穴埋めに僕を呼んだわけですね。重労働です。汗びっしょり」
ふー、という淳悟さんのため息。相手は若い女の人。淳悟さんの彼女、とか?
「電動芝刈り機があるからだいぶ楽ですね。ここまでの道のりもすぐに作れましたし」
キャンプ場跡からふじくぼまでの道は、淳悟さんが電動芝刈り機を使って作ったものか。どうりで歩きやすかったわけだ。
「文化財に登録してくれ、って市からも言われていたんでしょう?」
「まぁね。でも、そんなことしたらちょっとリフォームしようかな、ってわけにはいかないの。お風呂とトイレをリフォームして快適に使えるのも、私が文化財への登録を断っていたからだよ。ありがたく思いなさい」
誰だろう。ふじくぼの偉い人? 棚の向こうに隠れてわからない。
「そもそも、どういう経緯でこのお屋敷を手に入れたのか、僕は細かいことは知らないのですが」
「私だって知らないわ。あの人が勝手に買い取って、ホテルにするって言ってきたんだもの。私に拒否できるわけない。旅館で手一杯だっていうのに」
あーあ、と女性は面倒な口ぶりで過去を語っていた。
声からして若い女性だと思ったけど、内容からかなり上の年齢のようだ。ホテルだったのはすっごい昔だって言ってた。
てことは、淳悟さんの彼女ではないな。安心。
いやいや、彼女がいないからって中学生の私とどうこう……っていうのはさすがにキモいけど。
アイドルに彼女がいたらイヤ、みたいな話。
「暑いから、さっさと戻るよ」
やば。身を隠さなくては。そう思っても、隠れるところなんてなかった。私はその場で落ち着き無くウロウロしただけ。ほどなく中から出てきた瑠々と目が合った。
「あれ、瑠々ちゃんもいたの?」
瑠々の声にしては大人びて聞こえていて、気付かなかった。
私と鉢合わせして、驚いたのは瑠々のほうだった。
目を丸くしている瑠々の後ろから、淳悟さんも出てきた。昨日とは違い、黒の半袖Tシャツにジャージ姿で、体中に草がついている。
「あ、梨緒子さん。いらっしゃい」
慌てる様子もない淳悟さんとは違い、瑠々と私はぽかんとしたまま、言葉が出なかった。
想像していた「大人の女性」は出てこないまま、淳悟さんは扉に鍵をかけてしまった。古めかしい木の札には『蔵』と書かれていた。
「あの」
「中で話しましょう。あなた、顔真っ赤よ。また倒れないでね」
あ、そうか。また暑さで頭がぼんやりして何か聞き間違いをしてしまったのかもしれない。元気が取柄だと思っていたけど、案外暑さに弱いのかもしれない。
頭が混乱しているのも、瑠々が変なのも、全部暑さとセミのうるさいせいだ。
昨日と同じダイニングに通された。涼しくて気持ちがいい。暑さには強いし、夏は大好きだけど、エアコンの涼しさも好きだ。
「そうだ、朝ジンジャーブレッドを焼いたの。よかったら食べて。二人じゃ食べきれないから。そうだ、紅茶は飲める? 淳悟、アイスティーいれてあげて」
口数多く、瑠々はあれこれ提案し、淳悟さんに指示を出した。
「ジンジャーブレッドって何?」
初めて聞いた。ジンジャーってしょうがだっけ?
「小説を読んでいたら出てきたからレシピ調べて作ってみた。しょうがを使ったパンというか、スイーツみたいなもの。私もまだ食べていないわ。どんな味かしら」
昨日も使っていたタブレットを指でコンコンと軽く叩く。カバーも何もつけていない、そっけない黒のタブレットだけど、キズもなくきれい。
昨日は私の前に淳悟さん、その隣に瑠々が座っていたけど、今日は私の正面に座った。淳悟さんはキッチンへと姿を消す。
黒目の大きな、可愛い瞳で私をじーっと見る。頬杖をついて、これが写真だったら見とれてしまいそうな可愛らしさ。でも、今は睨まれているだけで、エアコンで冷えた背筋が凍りそう。
「凄いね、私、お菓子作りなんて出来ない」
間が持たなくて、適当に話を続ける。
「お菓子って、本当に細やかな計量が必要なの。ちょっとでも量を間違えたら膨らまないし、手抜きすると食べられたものじゃなくなる。あなたみたいにがさつな子には向いていないわね」
ふふん、と口角を意地悪く上げる。
嫌な子!
私は反論せず黙った。図星だからだ。計量なんて適当でいいじゃん、ってやったらクリームは固まらなかったり、粉がダマになったり。
「ところで、なんでまた今日来たの? 私とまたケンカしに来た?」
「違います、忘れ物を取りに来ただけです」
親に嘘ついちゃったから、それを事実にするためにお願いがある、と言えなかった。
そんな嘘ついたの? ってバカにするだろうし。それにこんな子と一晩同じ屋根の下で寝るなんて、イライラしすぎて体調崩しそう。
「忘れ物? 手ぶらじゃなかった? 今日も何も持っていないし。年頃の女子が珍しいわね」
「余計なお世話」
「二人とも、汗かいて喉渇いたでしょう。おしゃべりの前に、どうぞ」
淳悟さんがやってきて、私と瑠々の前にアイスティーを置いて、すぐにキッチンに戻った。
「いただきまーす」
重いグラスを持ち上げ、ストローを口に運ぶ。なんだかんだ言っても、喉が渇いていたから一気に半分飲んでしまう。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる