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第四章
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ちゃぷん、とお湯の滴る音を聞きながら、私はようやくひと心地ついた。
体を洗い、広々とした浴槽に浸かりながら自分の準備の甘さを嘆く。
ぼんやりと窓を見上げる。
浴槽にはジャグジーのボタンもついているし、とても高級なお風呂だ。異次元の世界だなぁ。バラを浮かべても違和感なさそう。
セレブな妄想をしていると、脱衣所で物音がした。
顔を向けると同時にがしゃん、と荒い音をたてて瑠々がドアを開けて入ってきた。
「梨緒子、体洗い終わった?」
「びっくりした!」
女の子同士ではあるけれど、私は自分の腕で体の前を隠す。しかし、瑠々はそのまんま、裸を私の前にさらけ出していた。
気が弱いという本物の瑠々ちゃんが「おばあちゃま、やめて~」と恥ずかしがっているのではないかと思い、とっさに目を反らした。
「裸の付き合いをしようじゃないの! ほら、冷たいサイダー持って来たよ」
氷がたっぷりのグラスと、ペットボトルのサイダーをトレイに乗せ、浴槽の縁に置いた。
縁もちょっとしたテーブルくらい広いから、置いても落ちる気配はない。
慌しくかけ湯をすると、飛び込むように浴槽に入ってきた。顔にお湯がかかり、私は眉をひそめる。
「何、なんなの」
不審者でも見るような気分で瑠々を見た。
「あのさ、体は小学生の瑠々ちゃんでしょ。勝手に裸を私に見せていいの」
しかし、その言葉はまるで腑に落ちない様子だった。
「減るもんじゃないし、これから友達になるんだからいいじゃない。梨緒子が言いふらさなければ誰も知らないわ」
そういう問題か、と思ったけれど、瑠々に口答えしたところで適当に正論めいたことを言われて終わりだろう。生まれた時代が違いすぎる。
諦めて私はサイダーをコップに注いだ。
「本物の瑠々ちゃんも、瑠々みたいな強引さがあれば友達できたかもね」
「あら、私みたいな人でも友達は出来ないわよ」
「そうなの?」
サイダーちょうだい、と瑠々は手で催促した。
私はもう一つのコップを手渡し、サイダーを注いだ。
勢い良く注いでしまったせいで、シュワシュワ溢れた泡が、お湯に落ちてすぐに消えた。
人魚みたいに、瑠々も近いうちに消えてしまうんだろうか。
「おっとっと。入れすぎよ。あー日本酒なら最高なのにな」
冷酒をくいっと、と手であおるマネをする。
「体はか弱い瑠々ちゃんなんだから、お酒は飲んじゃダメだよ」
「わかってるわよ。あー死ぬ前に一杯したかったわぁ」
乾杯、とグラスを合わせてくる。何に乾杯だかわからないけれど、調子を合わせた。冷たいサイダーは、お風呂で温まった体を冷やし、喉を潤してくれた。
「最高! お風呂場でサイダーなんて飲んだら親に怒られるもんね」
「今日は何もかも特別よ」
瑠々はグラスを持ち上げ、妖艶とも言える笑みを浮かべる。手にしているのはサイダーではなく、本当に日本酒なのでは、と思ってしまう。くりくりと大きな黒い瞳にボブの髪の幼い少女なのに。
「瑠々にも友達はいないけど、私にもいないのよ。いらないものだと思っていたし、気がつけば自分以外の事で大忙しだったしね。私の自慢は友達が少ないこと、って豪語していた位よ。煩わしい人間関係に悩むくらいなら、自分のペースで生きていたいもの」
そんな自慢があるのか、と私は少し呆れてしまう。強がりにしか見えない。
「瑠々ちゃんも、その血を受け継いだわけか。かわいそうに」
「あなた、嫌な物言いするわね。だから友達できないのよ」
言われなくても、と思いつつ、確かにそうだ。普段相槌しか打たないのに、いざ口を開けばイヤなことを言うから場の空気が悪くなっていたのだろう。自覚はなかったけれど。
「瑠々のため、といいつつ、結局自分のためかもね。私も、本当ならこうして友達とお泊まり会をしていたかもしれない。年をとってもお友達同士で泊まりに来るお客様はたくさんいたわ。それが心底羨ましかった。幼なじみで、五十年の付き合いとか。カラオケサークルの仲間とか。嫉妬を隠して心からもてなすことには慣れていたけど、心のどこかで羨ましかったんだと思うわ」
やっぱり強がりだったのか。悔しそうに想い出を語っていた。
「人生に後悔していない、って言ったけど、本当はしているの?」
ためらいながらも口を開いた私に、瑠々は眉をくいっとあげた。その仕草は、外国の映画に出てきそうなものだ。
「していると言ってしまうと、私の六十九年を自分で否定してしまうからね。そこはご想像にお任せします」
「私、大人の空気とかそういうの、察してと言われてもわからないよ。六十九年の重みもわからない」
余計なことを言って、傷つけてしまったら。
同学年ですらあまり状況を読めていないというのに、難しい問題だ。顔をさげた私に、瑠々は明るい声をあげた。
体を洗い、広々とした浴槽に浸かりながら自分の準備の甘さを嘆く。
ぼんやりと窓を見上げる。
浴槽にはジャグジーのボタンもついているし、とても高級なお風呂だ。異次元の世界だなぁ。バラを浮かべても違和感なさそう。
セレブな妄想をしていると、脱衣所で物音がした。
顔を向けると同時にがしゃん、と荒い音をたてて瑠々がドアを開けて入ってきた。
「梨緒子、体洗い終わった?」
「びっくりした!」
女の子同士ではあるけれど、私は自分の腕で体の前を隠す。しかし、瑠々はそのまんま、裸を私の前にさらけ出していた。
気が弱いという本物の瑠々ちゃんが「おばあちゃま、やめて~」と恥ずかしがっているのではないかと思い、とっさに目を反らした。
「裸の付き合いをしようじゃないの! ほら、冷たいサイダー持って来たよ」
氷がたっぷりのグラスと、ペットボトルのサイダーをトレイに乗せ、浴槽の縁に置いた。
縁もちょっとしたテーブルくらい広いから、置いても落ちる気配はない。
慌しくかけ湯をすると、飛び込むように浴槽に入ってきた。顔にお湯がかかり、私は眉をひそめる。
「何、なんなの」
不審者でも見るような気分で瑠々を見た。
「あのさ、体は小学生の瑠々ちゃんでしょ。勝手に裸を私に見せていいの」
しかし、その言葉はまるで腑に落ちない様子だった。
「減るもんじゃないし、これから友達になるんだからいいじゃない。梨緒子が言いふらさなければ誰も知らないわ」
そういう問題か、と思ったけれど、瑠々に口答えしたところで適当に正論めいたことを言われて終わりだろう。生まれた時代が違いすぎる。
諦めて私はサイダーをコップに注いだ。
「本物の瑠々ちゃんも、瑠々みたいな強引さがあれば友達できたかもね」
「あら、私みたいな人でも友達は出来ないわよ」
「そうなの?」
サイダーちょうだい、と瑠々は手で催促した。
私はもう一つのコップを手渡し、サイダーを注いだ。
勢い良く注いでしまったせいで、シュワシュワ溢れた泡が、お湯に落ちてすぐに消えた。
人魚みたいに、瑠々も近いうちに消えてしまうんだろうか。
「おっとっと。入れすぎよ。あー日本酒なら最高なのにな」
冷酒をくいっと、と手であおるマネをする。
「体はか弱い瑠々ちゃんなんだから、お酒は飲んじゃダメだよ」
「わかってるわよ。あー死ぬ前に一杯したかったわぁ」
乾杯、とグラスを合わせてくる。何に乾杯だかわからないけれど、調子を合わせた。冷たいサイダーは、お風呂で温まった体を冷やし、喉を潤してくれた。
「最高! お風呂場でサイダーなんて飲んだら親に怒られるもんね」
「今日は何もかも特別よ」
瑠々はグラスを持ち上げ、妖艶とも言える笑みを浮かべる。手にしているのはサイダーではなく、本当に日本酒なのでは、と思ってしまう。くりくりと大きな黒い瞳にボブの髪の幼い少女なのに。
「瑠々にも友達はいないけど、私にもいないのよ。いらないものだと思っていたし、気がつけば自分以外の事で大忙しだったしね。私の自慢は友達が少ないこと、って豪語していた位よ。煩わしい人間関係に悩むくらいなら、自分のペースで生きていたいもの」
そんな自慢があるのか、と私は少し呆れてしまう。強がりにしか見えない。
「瑠々ちゃんも、その血を受け継いだわけか。かわいそうに」
「あなた、嫌な物言いするわね。だから友達できないのよ」
言われなくても、と思いつつ、確かにそうだ。普段相槌しか打たないのに、いざ口を開けばイヤなことを言うから場の空気が悪くなっていたのだろう。自覚はなかったけれど。
「瑠々のため、といいつつ、結局自分のためかもね。私も、本当ならこうして友達とお泊まり会をしていたかもしれない。年をとってもお友達同士で泊まりに来るお客様はたくさんいたわ。それが心底羨ましかった。幼なじみで、五十年の付き合いとか。カラオケサークルの仲間とか。嫉妬を隠して心からもてなすことには慣れていたけど、心のどこかで羨ましかったんだと思うわ」
やっぱり強がりだったのか。悔しそうに想い出を語っていた。
「人生に後悔していない、って言ったけど、本当はしているの?」
ためらいながらも口を開いた私に、瑠々は眉をくいっとあげた。その仕草は、外国の映画に出てきそうなものだ。
「していると言ってしまうと、私の六十九年を自分で否定してしまうからね。そこはご想像にお任せします」
「私、大人の空気とかそういうの、察してと言われてもわからないよ。六十九年の重みもわからない」
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