想い出キャンディの作り方

武田花梨

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第五章

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 喉が痛い。自分が思うよりも大きな声で叫んでいたみたい。
 泣きたいのは、絶対に瑠々の方だ。でも、瑠々は感情を表に出さない。それが大人になるってことなんだろうか。
 お風呂に入りながら、瑠々の強い顔を思い浮かべる。
 暑いからもういいや。湯船には数十秒浸かっただけで出た。ひとりのお風呂はなんだか寂しい。それに、長く入っていたら、瑠々の乱入を待っているみたいになる。それは面白くない。
 手早く着替えて部屋に戻ると、私のベッドに瑠々が腰掛けていた。当たり前のような顔で。
「びっくりしたぁ」
「おかえり」
 ピンク色の、ひらひらしたナイトウェア。透けた素材を重ねてある。ワンピースタイプで、裾がとっても長い。パジャマパーティーと言うには庶民感があまりない格好で私を待ち受けていた。
「湯加減はいかがだったかしら」
「はぁ、大変よろしかったです。瑠々、お風呂は?」
「もうひとつあるから、そっちに入った。梨緒子って案外長風呂ねぇ」
「髪の毛長いから」
 お風呂、もう一個あるのか。そうか、ホテルだったんだもんね、と私は頭を落ち着かせる。なんでもテキパキこなすんだなぁ。
 瑠々は、部屋の隅を指差した。そこには、すっかり存在を忘れていたサッカーボールが置いてある。
「サッカーボール。庭に置いたままだったから持って来た」
「そうだった。ありがとう」
 湯上りで汗ばむ首筋から、おろしたままの髪の毛を手で浮かせ、風を送る。その姿を瑠々はじっと見ていた。
「似合うわね。私の見立てどおり」
 先ほど買ってきた、ふわふわで淡いオレンジ色のパジャマを見ている。タンクトップとショートパンツ、袖が七分丈パーカーの三点セット。今はパーカーを着てはいないけれど。
 私は妙に気恥ずかしくなって、持っていたバスタオルで身体の前を覆った。
「あの、今頃聞くのはおかしいけど、後でお金払えって言わないよね」
 照れ隠しに話題を逸らした。本当に気になっていることではあるけれど。
「言うわけないでしょ。私を誰だと思っているの」
「瑠々様です」
 ありがたいありがたい、と私は瑠々を拝んだ。瑠々は心底おかしそうに吹き出した。そんなに面白いことをしたつもりはないんだけれど。
「梨緒子に貰った水ようかんを食べましょう。これから最後の夜、パジャマパーティーだよ!」
 パジャマパーティーのお供が水ようかん。自分が食べたいから持って来たんだけど、変な感じ。
 小さなテーブルの上に黒い和皿が置いてある。そこに並べられた水ようかんは、買ってきた値段よりも高級に見えた。麦茶もセットで置いてある。
 瑠々は立ち上がり、赤いソファに座った。私にも座るよう促す。近くに座ると、お風呂上りの、甘いシャンプーの香りがした。
「梨緒子はどうして、淳悟にもっと積極的に行かないの」
 窓の外の景色を見る椅子の方向。だけど、外は真っ暗。山を少し登った所にあるから下の様子がわからない。家族の皆は、元気かな。
「いいの。三年後、五年後の将来にかける。その為にも、素敵な大人になれるように頑張る」
「だらしがないわね。あれが伏線と言えるのかしら。淳悟の事だからすぐ忘れる心配があるわ」
 それは気がかりだ。口約束だもん。でも、今はこれでいい。当たって砕けるだけが正解とは思えない。
「瑠々だって、全然経験ないくせに」
 光郎さんと恋する前に結婚したんだから。私は竹のようじで水ようかんを切り、口に運んだ。
「悪かったわね。ま、自分の選択が間違いだった、なんて思わないように。選択を正しくするのも自分の力よ」
 難しい事を言って、瑠々も水ようかんを口にする。選択を正しいものにする。出来るようにしないとね。
「あら、久々に食べたけれど美味しいわね」
 次々と口に運ぶ。話を逸らしたいのだろうか。
「光郎さんからの手紙、嬉しかった?」
 その問いかけに、瑠々は手を止めた。テーブルに水ようかんを置くと、麦茶をひとくち飲んで、頷いた。
「生きているうちに言ってくれたらよかったのに」
 寂しそうに、でも嬉しそうに目を細めた。
「どうして、光郎さんは『雨傘』を隠そうとしたのかな。裏板に隠したはいいけど、それが外れなくなったからっていうのは分かるよ。でも『雨傘』は瑠々の……妙さんの大切なものだから、なくなったら探されちゃうじゃん」
「見つけて欲しかったのよ。だから淳悟に教えた。自分が生きている内は恥ずかしい。でも死んだ後なら見てもらいたい。そんなところじゃない? 本当に隠したかったらさっきみたいに無理矢理裏板を壊して、何か理由を付けて額縁を買い換えたと言えばいいだけのことだもの」
 私も麦茶を口にした。香ばしい風味が喉に流れる。
「へぇ。大人ってメンドクサイね」
「そうよ。大人だって本来は単純な生き物だもの。でも単純に物事を考えるには、少々知識を入れすぎてしまったのかもね」
 ごちそうさま、と言った瑠々は、ベッドにころんと寝転ぶ。ひらひらの服がひらりと広がる。本当にお姫様みたい。部屋の内装を見渡しながら言葉を続けた。
「この体になってわかった。知識があるとか、しがらみがあるとか、誰の配偶者だとかも、素直に生きられない原因かもしれないって。梨緒子だって、私が元の姿だったら全然話してくれなかったと思うわ」
 それを言われると、何も言い返せない。人は見た目じゃないなんて言うけれど、嘘だ。
「梨緒子の年齢でも、がんばって肩肘はって生きることもあるでしょう。子どもは子どもなりの悩みがある。でも、大人からしたら、それはとってもキラキラしていて、羨ましいくらいのものなの」
 瑠々はまるで夢を見ているようにぼんやりと、頬を赤らめて瞳をきらめかせていた。そんなに羨ましがられるものではないのに。
「隣の芝生は青く見えるだけじゃない? がむしゃらに生きた瑠々を羨ましく思うよ。私にそういう生き方は出来るのかって」
「出来るわよ。まだ未来があるんだから」
 違うよ、と私は力なく答える。
「だって、未来があるとわかってて、それでも出来なかったらって思ったら不安になるよ。戻れない過去を羨ましく思うより、現実的で残酷な気もする」
 私も瑠々の隣に寝転んだ。ほのかな洗剤の香りと、ぱりっとのりのきいた肌触りがする。
「これからも友達が出来なかったら。恋人が出来なかったら。家族と離れ離れになったら……。未来は不安なことしかない」
 思っていても、誰にも言葉にして伝えなかったこと。どうして、この間会ったばかりの瑠々に言えるのだろう。人との出会いってこういうものなんだろうか。
「だから、生きている今、この年齢でしか出来ない楽しいことをするのよ。想い出をたくさん作るの」
 自分の腕を枕にして、瑠々がこちらを向いた。アイドルの写真みたいなポーズだ。
「たくさん作ってどうするの。過去には戻れないのに」
「心の中で、少しずつ溶かしていくの。キャンディみたいにね。辛くなった時、心が苦くなった時、想い出は辛い思いを癒してくれるキャンディになるの」
 手で何かをこねるマネをした。お泊まり会の前にもやっていた。あれは、キャンディを作るマネだったんだ。
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