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巨乳幼馴染こと、七瀬 美紀。 後編

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 昔一つの家族があった。それは一見幸せそうな夫婦だった。

 夫がサラリーマンで妻は主婦。生活に苦はなく、何も問題の無いようにも見えた。
 そんなある日、妻が子供を授かった。
 初めての子供で、女の子だったという。
 名前は考えに考え、「美しい」の美と「順序を追って書き記す」という意味を持つ紀を合わせて。

『恥じる事のない人生の道を歩んでください』という気持ちを込めて美紀と名付けたそうだ。

 そんな幸せに溢れていた時、夫の事を想う社員の女性が現れた。
 その女性が想いを告げるも、夫は丁寧に拒否したという。

 ――しかし、それで終わってはくれなかった。

 逆恨みした女性はある事ない事を社内に振りまき、夫の立場を危うくさせた。
 次第に心を病んでいった夫は、とうとう妻に全てを打ち明けた。
 妻からの支えもあり、何とか立ち直り会社にも弁明し理解してもらえ、結果その女性は会社を解雇されたという。

 ――その後は仕事も問題なく、家庭も問題なく、お腹の中の胎児も問題はなかった。

 だけど、出産が間近に迫ったある日の午後、買い物途中の妻が突然、暴漢に襲われる事件が起きる。
 意識不明の重体となり、出産が間近だったことと、母体の危険も考え、緊急出産することになった。
 そんな中、何も知らない夫の携帯に着信が入る。仕事中、事件を知らない夫にかけてきたのは――あの時の女性だった。
 あるビルの屋上、そこに呼び出された夫は、今にも飛び降りようとしている女性の姿を見つける。
 駆け寄ってきた夫の不意をつき、彼女はそのまま道連れにするように、夫と共に転落し――死亡した。
 やがて――二人の遺体から、どちらの物かわからない遺書が確認された。
 そこには『私は本当は妻が嫌いで、この人が好きだった。だから私は妻を殺し、私も償いの為に死のうと思う』と。
 後に妻を襲った暴漢達は逮捕され、供述内容も頼まれてやった、と夫の名前を出していた。
 妻は娘をどうにか産むも、負担が大きすぎたからか、我が子を見ることも叶わずに息を引き取った。

 やがて世間では大々的に記事にされ、夫への誹謗中傷が相次いだ。

 夫の両親は、日々行われる直接的な嫌がらせに耐え切れず心中を図り、死亡した。
 妻の両親は元々早くに事故で亡くなっており、生まれた娘は完全に血縁者がいなくなってしまったのだ。
 ――しばらく調査が続いた結果、遺書の筆跡が高度に似せて書いただけの別物と発覚し、夫の無実が証明されたものの……時既に遅く。
 身寄りのない娘は、警察の者の手によって血縁を調べられたが、全て途絶えてしまっている事から孤児院へと入れられ、そこで育てられる事になった。

「……胸糞悪い話でしょう。一方的な逆恨みから、一つの家族のあるべきだった幸せが奪われた」
「……そ、そんな、事って……」
 私の想像を遥かに凌ぐ程の壮絶さに、呼吸すらまともに出来ないほど動揺する。なんて一方的で、最低で、残酷な話だ……。
 人の恨みというものは、これ程までにおぞましいモノだったのかと、痛感する。
「……先生。もしかして、先生が美紀を……?」
「……そう。奇しくも、私の部署であった事件でね。ちょうど孤児院の件もあって、そこで育ててもらおうという事になったの」
「……じゃあ、実質私達を結びつけたのって」

「――そう。私よ」

 まさか、そんな事だとは思いもしなかった。
 こんな奇妙な偶然があるのか。
「……この事は、美紀自身は知ってる。ちょうど学園に入る前だな、教えたのは。知る事は、時によって不必要な事でもある。知り過ぎたらいけない。でも、これは知らなくちゃいけない事だと私は思ったのよ。自分の親の事……だからね」

 気づけば、崎村先生が走らせる車は、私の母の眠る墓地に到着していた。
 ――私は静かにドアを開け、降りる。
「……今日はありがとう先生。昔話と、ここまで連れてきてくれた事に。帰りは自分で帰るわ」
 私は、最後に先生が言った事には言及せず、そう続けた。
「勘弁してくれ、お前から礼を言われるとむず痒い。ま、何かあったら、連絡くれ」
 互いに一言礼を言いあって、やがて先生は去っていった。
 やがて、私は一人……亡き母の墓前に立つと、ゆっくりしゃがみ、手を合わせ目を瞑る。
 一通りやり終えると、私は立ち上がり静かな声で語りかけ始めた。
「ねえお母さん……。どうしてこう世界は残酷なのかしら」
 ぽつ……ぽつ……と、雨が僅かに降り始め、地面を徐々に濡らし始める。
「私ね……大事な友達が居るのよ。その子の悲しみを、辛さを少しでも分かち合って和らげてあげたいの。でもその友達はずっと私に打ち明けず、一人で抱え込んでた」
 いつだって笑顔を絶やさなかった。どんな時も、私の事を気遣ってくれていた。自分だって、辛いはずなのに。誰よりも、辛いはずなのに。
「……本当、凄いでしょう私の友達。自分よりも、友達を優先するのよ。私ですら見抜けない程に、自分の辛さを隠して」
 次第に雨足が強まっていく。辺りに響くのは地面に落ち弾けていく雨水の音だけ。
「いや、もしかしたら。他の人に相談して、私には言わなかっただけかもしれないわね。ほら、私って頼りないから……」
 びしょ濡れになっていく事なんて気にも留めず、私は無意味な自問自答をしていた。

 ――そんな時だった。

「姫華っ!!」

 何よりも見知った声が、私の耳に響く。
 それは、傘を持ち走り寄ってくる美紀の姿だった。
 表情はどこか悲しげで、半べそをかいているようにも窺える。
「み、美紀……!? ど、どうしてここに……」
 私の言葉に答える事無く、美紀は突然私を抱きしめ、狼狽する。
「良かった……姫華が……姫華が無事で……!!」
 美紀が涙ながらにそう抱きしめながら私に言う。
「心配したんだよ……! 昨日から様子がおかしかったし、今日も突然どっか行っちゃうし……姫華が居なくなっちゃうかもって、凄く怖かったんだから……!」
「そ、そんな居なくなったりなんてしないわよ……大げさね。でも……ごめん、心配かけたわ」
「ねえ、どうしたの姫華……何かあったの? 私が何かしちゃったとか……?」
 予想以上の心配性と、寂しがりやな部分を初めて知り驚いたものの、私は素直に尋ねることにした。
「――私ね、美紀の事何も知らないと思って……先生に、美紀の両親の話を聞いたのよ」
「私の……両親?」
「そう。 美紀が辛い時、私が何もしてあげられてなかった事が悔しくて……今ここで、独りで後悔してたのよ。恥ずかしながら、ね」
 私の話を聞いて、美紀が体を少し離し、肩を掴みながらこちらを見て答える。
「そっか……ありがと姫華。そこまで私の事考えてくれてたんだね」
「私はあなたに助けられてばかりだったわ。なのに私は、何も力になってあげられなかった……!」
「そんな事ないよ。私はね、あの時姫華が傍に居て、一緒にふざけあったり何気ない事で笑いあったりしてくれたのが、本当に何よりも救いだったんだよ」
 満面の笑みで、私にそう答える美紀。その笑顔には、一点の嘘もある様には見えなくて。
「姫華のおかげで乗り越えられたんだよ。姫華が居なかったら、私はずっと引きずっていたと思う」

「こう言うのも、お母さん達に申し訳ないんだけど……こういう事があったから、姫華に出会えたんだよね。そう思うとさ、悪くないかなって思えちゃうんだ。酷い娘だよね、私って」

 平然と、笑顔で、そう言い切って見せる美紀に……私は思わず涙を零す。
「反則よ……本当……」
「あれっもしかして姫華、泣いてるー?!」
「違うわ、これは……そう、雨よ……ふふ、この私が泣いているわけないでしょう」
 そう強がって見せるも、涙は止まることはなく、溢れてくるばかりで。
「全く泣き虫さんだなー姫華は! あっ……」
 通り雨だったようで、次第に止み、やがて遠くに見える風景には虹がかかっていた。
「何というか……ベタね、本当……」
「でも、綺麗だよ……凄く」
「そうね……こういうのも、悪くはないわ」
「苦しい時の友は真の友……か。 あながち間違いじゃないわね」
 結局……全部私の杞憂、ってことだったみたいね。

 変に意識して、勝手に自己嫌悪して、本当……馬鹿みたい。
 でも、おかげで美紀の事をもっとよく知る事が出来た。
 その事には……感謝するべきかもしれないわ。

「……行こっか、姫華」

 どちらからともなく手を繋いで、私達は歩き出す。
 いつだって、人生苦しい時があるけれど、私はこれからも乗り越えていこう、美紀と共に。

 私達の物語は、まだ始まったばかりなのだから。
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