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今という幸せの価値【挿絵付】
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今まで生きてきた中で、沢山の分岐点があったと思う。
人間関係、学業関係、もっと言ってしまえばその日の帰り方、食べたものでさえ。
あの時、こうしていたらより良くなっていたかもしれない、変わっていたかもしれない、ダメになっていたかもしれない、死んでいたかもしれない。
色んな可能性の中、日々選択肢を迫られ選び、生きている。ただ歩く、それですら迫られた選択肢であると思う。
私は常に後悔している。むしろ後悔は人間の性であるとすら感じている。
夢を描いていた日があった。理想を夢見た日があった。
かつて小さい頃は、自分の二十歳頃に夢を馳せ、タイムカプセルなどといって未来まで埋めておくなんて事もあった。
――あの頃描いていた理想とは程遠く、自己の弱さ、怠惰から招いた辛辣な現実が今、あるだけである。
あの時、真剣に考えていた夢も今は儚く消え、ただ流れる時間に身を任せ、生きていくだけの今。
だからと言って、絶望し死ぬ事も叶わない。
堕落した、希望の無い毎日を、ただ生きている、その事実だけ……。
「――あれ。ここは……」
ぼやけた視界、次第に覚醒していく意識。
窓から吹き込む心地よい風、ふかふかなベッド。
私は椅子に座ったまま、ベッドに上半身を委ね、そのまま寝てしまっていたらしい。
「ふふ、起きた? よっぽど気持ちよかったんだね」
「……少し、寝不足だったのよ」
私は、そんな事を呟いて誤魔化してみせた。どこかまだ夢朧な頭をなんとか覚醒させようと試みる。
「……どうしたの?」
「いえ、ちょっとまだ頭が覚めきってないみたい。 少し、顔を洗ってくるわ」
私は、美紀からの答えも聞かず、そのままその場を後にする。
――ここは、桜崎病院。先程の病室の外には『七瀬 美紀』と書かれたプレートが一枚、入れてある。
「……よう、姫華。今日も、見舞いか?」
外の廊下に居た崎村先生に話しかけられ、私は立ち止まる。
「……少し、屋上で風にでもあたりに行こうか」
私は小さく頷いて、屋上へと一緒に向かう。
白いシーツ等が沢山干された屋上。どこにでもありそうな、病院の風景。
「……聴取、終わったよ」
「……そう」
「運転手曰く、飛び込んできた……そうだ。本当かは知らないが」
「そんなわけないわ。美紀が……自殺をしようとしていたなんて、有り得ない」
そんな事をするはずがない、動機だってない。無闇に飛び出すような人間でもない。
「……後、美紀の容態だが。重度の記憶障害、両足の切断、上半身の麻痺。長くはない……そういわれたよ」
「……そう」
答える余力なんてなかった。そんな結果、信じたくもない。
「……あんただけは、最期まで美紀の傍に居てあげてやれ。きっとあいつも、それを望んでる」
「私の記憶がないのだから、そんな事はないわ。きっと、見知らぬ他人が居て怖いとすら思ってるはずよ」
それだけ言って、私は屋上を去る。これ以上ここに居たら、自殺でも考えてしまうんじゃないかとさえ思えて。
私は、また美紀の病室に訪れていた。本当は見たくない、会話を交わす事すら辛いのに。
「……あ、さっきの人だね。また来てくれたの?」
「ええ。さっきベッドを借りたお詫びに、プリンを買ってきたのよ」
ベッドの隣に座り、袋から一つのプリンを取り出してみせる。
「そんな良いのに! 私のベッドってわけじゃないんだし……でもありがとう、丁度甘いものが食べたかったんだよね」
「そう言ってくれると嬉しいわ。安心しなさい、私が食べさせてあげるから」
「ごめんね、手が動いたら良かったんだけど……」
申し訳なさそうに、美紀がそう呟く。
私は目頭が熱くなりながらも、平静を必死に装い私は答える。
「大丈夫よ、あなたは……寝たままで」
少しずつ、プリンを口に含ませ、食べさせる。
幸い、肩から上は軽度で、飲食は可能なレベルだった。
「なんだか、恥ずかしいな……知り合って間もない人に、こんなことされるなんて」
「……そう、案外恥ずかしがり屋なのね」
「ねえ、私そういえば君の名前を聞いてないよ? 私は美紀」
「私は……そう、篠崎。篠崎って呼んでくれて構わないわ」
私は決して名前は答えず……その代わり、思い入れの強い旧姓を名乗ることにした。
「篠崎さん……っていうんだ。なんかかっこいいなぁ」
「それは……褒め言葉なのかしら」
「褒め言葉だよ、もちろん!」
精一杯の、明るい声。どこか弱々しい、そんな声。
プリンを食べさせ終わった後、私は病室を去る事にした。
これ以上、長くいると涙が零れてしまいそうで。心配をかけてしまいそうで。耐えられなくて。
「もう……帰っちゃうの?」
「ええ、そろそろ帰るわ」
「もうちょっと居ない? いつも一人だから……私寂しいんだよね」
「ごめんね……今度は、もうちょっと一緒に居てあげるから」
必死に取り繕った笑顔で、私はそう答える。
「ありがとう……こんな会ったばかりの私の為に」
「気にしないで。それじゃ……また」
「……うん。またね」
病室を去り、しばらく廊下で立ちつくし私は放心状態だった。
耐えられない、心の中の自分がそう言っているようで。
我に返った頃、私は静かに病室を覗いてみた。
窓の外をただ茫然と眺める、美紀の孤独な姿がそこにはあって。
私は聞こえないよう、気付かれないよう――ドアにもたれる様にして、泣き崩れた。
しばらく経ち、事故から一か月が経った頃だった。
私の精神は半ば壊れ、それでも毎日美紀の見舞いに行き、時間の許す限り一緒の時を過ごし、話をしていた。
ただ美紀と一緒に居たい、そんな感情だけが今の私を動かしている力かも知れない。
「――ねえ篠崎さん」
美紀が徐に口を開く。
症状が悪化し、視力すら奪われ、飲食をする事も叶わない。
「どうしたの?」
私は美紀の手を握ったまま、そう答える。
ここに居る時は、いつも手を握ってあげている。そうする事で、美紀の表情が和らぐのだ。
「ううん、何でもない」
普通は家族の事とか気にするのが普通なのだけど、美紀は入院して以来、一切自分の家族は来ないのか等聞いてきた事はなかった。
「篠崎さんの手、温かい」
どこか嬉しそうにそう言うものの、今の美紀には感じる事が精一杯で、握り返す力は無くて。
「そうかしら。自分では、分からないものね」
「私ね、思ったんだ。きっと、私の家族は篠崎さんなんだろうなって」
突然、そんな事を言い出した。今まで、一言たりとも家族の事なんて言った事がなかったのに。
「どうして、そう思うのかしら」
「……勘、なんだけどね。なんだか篠崎さんといると凄く心が安らぐんだ」
「……そう……それは、嬉しいわ」
「不思議なの、凄く涙が出そうになる。 凄く心が痛くなるの」
動揺を隠しきれず、私の手は小さく震えていた。
――しばらく沈黙が続いた後、美紀が、消え入るような声で呟いた。
「……私、死にたくないよ」
美紀の瞳からは、一縷の涙が零れていて。
「……大丈夫、私が居るわ。だから……大丈夫よ」
強く握り締め、私は声を押し殺すように涙を拭いた。
「怖いよ……暗いのが……怖い……苦しいよ……」
一ヶ月半が経ち、美紀はとうとう意識すら戻らず、もはや植物人間に近い存在となっていた。
私の精神は完全に壊れてしまったのか、まともに飲食すらせず睡眠もとらず、いつも寝たきりの美紀に話しかけていた。
人間の精神はいとも容易く、簡単に崩れ落ちてしまうものだ。
そんな生活がしばらく続いたが、とうとう美紀の容態が急変した。
私は混濁した意識の中、しきりに美紀の名前を呼ぶ。
返ってくるはずないのに、ひたすら叫んでいた。もう一度、もう一度だけでいい……声を、聴かせて。私を、一人にしないで……。
美紀の手を握りしめながら、ずっと呼び続ける。
すると、一瞬……美紀が握り返してくれた錯覚を感じた。
「み、美紀!?」
意識はなく、動くはずのない口が……かすかな声で、確かに一言呟いたのだ。
「ありがとう……」
その言葉を最期に、心拍数は止まり……甲高い機械音が、心臓が止まった事をしきりに伝える。
私は泣き叫び、狼狽し、その場に崩れ落ちる。
「美紀ー!!」
「ぃぃぃー……い?」
……ふと、我に返る。
今この状況は……? いや、さっき確かに美紀が死んだはずじゃ……ってあれ? 目の前で顔を真っ赤にしている。
「美紀!! 良かった!! 無事だったのね!!」
「――コホンッ!」
……はっ。
冷静に辺りを見回してみる。さっきまで病室に居たはずなのに、ここは教室……?
目の前には不機嫌そうな美冬先生、一人立ち上がっている私。もしかして、全部夢……?
「えー……そろそろ、夢は覚めましたかな?」
「……はい。申し訳ありません」
全身真っ赤になるレベルの恥ずかしさに気絶しそうになるも、私はそう先生に答え、そして一言呟いた。
「早退しても、いいですか?」
「ダメです。早く座りなさい」
その瞬間、教室は笑いの渦に巻き込まれ、おそらく今までで一番死にたいと思った瞬間を味わう事に。
「姫華の馬鹿っ! 私までめっちゃ恥ずかしかったじゃん!!」
昼休み、教室から逃げるように屋上へ行き、ひっそりとご飯を食べていた私達。
「え、ええ……こればかりは、謝る事しか出来ないわ」
「いきなり美紀ィィとか叫ぶし! 一番酷いのは、私が死んだことになってるとこだよね! 私を勝手に殺すんじゃないよ全く!!」
「昨日、夜中まで感動小説を読んでいたせいだわ……。いっそ転校しようかしら……ふふふふ……」
いつもは滅多に話しかけられないのに、色んな人が私をからかってきて、正直私が死にたいわ。
「だからって、私を殺さないでよ……縁起が悪いよ、もう」
「――でも、良かったわ夢で」
気づいたら、そんな事を呟いていた私。
「美紀、今の何でもない平和のありがたみを、凄く理解出来た気がするわ。ただこうして日常を送れる事が、何よりの幸せであるって」
「ど、どうしたの……そんなに夢が辛かったの……? まあ、言いたい事は良くわかるけどさ」
今という平和が、いつまで続くかわからない。そしてそんな日々が、実は凄く尊いものだという事を夢のおかげで感じることが出来た。
「ありふれた平和が、こんなにも貴重だったなんてね。私はこれからも、今この一瞬すら、大切にして生きていくわ」
度々頭の上に疑問符を浮かべていた様子の美紀だが、最後の言葉に対しては同意し、納得してくれた。
そう心に誓い、私はさりげなく美紀のスカートに手を入れ、躊躇いなくぱんつを触る。
「うひゃーっ!! どこに手突っ込んでんの!! さっきの台詞が全部台無しだよっ!! 止めるんだ変態!! お、おまわりさーん!!」
「変態じゃないわ美紀っ! 私はこの一瞬さえも後悔なく生きた……って痛い! 殴るのは反則よ!!」
一瞬の人生であるのだから、たった一瞬も後悔のないように生きて、今ある幸せが尊いものだと気付き、そして生きていくべきだと思う。
少なくとも……私はそう思うわ。
……最後の行動で全部台無しだって? ふふ、反省はしていない、後悔もしていないわ。むしろ幸せよ。
人間関係、学業関係、もっと言ってしまえばその日の帰り方、食べたものでさえ。
あの時、こうしていたらより良くなっていたかもしれない、変わっていたかもしれない、ダメになっていたかもしれない、死んでいたかもしれない。
色んな可能性の中、日々選択肢を迫られ選び、生きている。ただ歩く、それですら迫られた選択肢であると思う。
私は常に後悔している。むしろ後悔は人間の性であるとすら感じている。
夢を描いていた日があった。理想を夢見た日があった。
かつて小さい頃は、自分の二十歳頃に夢を馳せ、タイムカプセルなどといって未来まで埋めておくなんて事もあった。
――あの頃描いていた理想とは程遠く、自己の弱さ、怠惰から招いた辛辣な現実が今、あるだけである。
あの時、真剣に考えていた夢も今は儚く消え、ただ流れる時間に身を任せ、生きていくだけの今。
だからと言って、絶望し死ぬ事も叶わない。
堕落した、希望の無い毎日を、ただ生きている、その事実だけ……。
「――あれ。ここは……」
ぼやけた視界、次第に覚醒していく意識。
窓から吹き込む心地よい風、ふかふかなベッド。
私は椅子に座ったまま、ベッドに上半身を委ね、そのまま寝てしまっていたらしい。
「ふふ、起きた? よっぽど気持ちよかったんだね」
「……少し、寝不足だったのよ」
私は、そんな事を呟いて誤魔化してみせた。どこかまだ夢朧な頭をなんとか覚醒させようと試みる。
「……どうしたの?」
「いえ、ちょっとまだ頭が覚めきってないみたい。 少し、顔を洗ってくるわ」
私は、美紀からの答えも聞かず、そのままその場を後にする。
――ここは、桜崎病院。先程の病室の外には『七瀬 美紀』と書かれたプレートが一枚、入れてある。
「……よう、姫華。今日も、見舞いか?」
外の廊下に居た崎村先生に話しかけられ、私は立ち止まる。
「……少し、屋上で風にでもあたりに行こうか」
私は小さく頷いて、屋上へと一緒に向かう。
白いシーツ等が沢山干された屋上。どこにでもありそうな、病院の風景。
「……聴取、終わったよ」
「……そう」
「運転手曰く、飛び込んできた……そうだ。本当かは知らないが」
「そんなわけないわ。美紀が……自殺をしようとしていたなんて、有り得ない」
そんな事をするはずがない、動機だってない。無闇に飛び出すような人間でもない。
「……後、美紀の容態だが。重度の記憶障害、両足の切断、上半身の麻痺。長くはない……そういわれたよ」
「……そう」
答える余力なんてなかった。そんな結果、信じたくもない。
「……あんただけは、最期まで美紀の傍に居てあげてやれ。きっとあいつも、それを望んでる」
「私の記憶がないのだから、そんな事はないわ。きっと、見知らぬ他人が居て怖いとすら思ってるはずよ」
それだけ言って、私は屋上を去る。これ以上ここに居たら、自殺でも考えてしまうんじゃないかとさえ思えて。
私は、また美紀の病室に訪れていた。本当は見たくない、会話を交わす事すら辛いのに。
「……あ、さっきの人だね。また来てくれたの?」
「ええ。さっきベッドを借りたお詫びに、プリンを買ってきたのよ」
ベッドの隣に座り、袋から一つのプリンを取り出してみせる。
「そんな良いのに! 私のベッドってわけじゃないんだし……でもありがとう、丁度甘いものが食べたかったんだよね」
「そう言ってくれると嬉しいわ。安心しなさい、私が食べさせてあげるから」
「ごめんね、手が動いたら良かったんだけど……」
申し訳なさそうに、美紀がそう呟く。
私は目頭が熱くなりながらも、平静を必死に装い私は答える。
「大丈夫よ、あなたは……寝たままで」
少しずつ、プリンを口に含ませ、食べさせる。
幸い、肩から上は軽度で、飲食は可能なレベルだった。
「なんだか、恥ずかしいな……知り合って間もない人に、こんなことされるなんて」
「……そう、案外恥ずかしがり屋なのね」
「ねえ、私そういえば君の名前を聞いてないよ? 私は美紀」
「私は……そう、篠崎。篠崎って呼んでくれて構わないわ」
私は決して名前は答えず……その代わり、思い入れの強い旧姓を名乗ることにした。
「篠崎さん……っていうんだ。なんかかっこいいなぁ」
「それは……褒め言葉なのかしら」
「褒め言葉だよ、もちろん!」
精一杯の、明るい声。どこか弱々しい、そんな声。
プリンを食べさせ終わった後、私は病室を去る事にした。
これ以上、長くいると涙が零れてしまいそうで。心配をかけてしまいそうで。耐えられなくて。
「もう……帰っちゃうの?」
「ええ、そろそろ帰るわ」
「もうちょっと居ない? いつも一人だから……私寂しいんだよね」
「ごめんね……今度は、もうちょっと一緒に居てあげるから」
必死に取り繕った笑顔で、私はそう答える。
「ありがとう……こんな会ったばかりの私の為に」
「気にしないで。それじゃ……また」
「……うん。またね」
病室を去り、しばらく廊下で立ちつくし私は放心状態だった。
耐えられない、心の中の自分がそう言っているようで。
我に返った頃、私は静かに病室を覗いてみた。
窓の外をただ茫然と眺める、美紀の孤独な姿がそこにはあって。
私は聞こえないよう、気付かれないよう――ドアにもたれる様にして、泣き崩れた。
しばらく経ち、事故から一か月が経った頃だった。
私の精神は半ば壊れ、それでも毎日美紀の見舞いに行き、時間の許す限り一緒の時を過ごし、話をしていた。
ただ美紀と一緒に居たい、そんな感情だけが今の私を動かしている力かも知れない。
「――ねえ篠崎さん」
美紀が徐に口を開く。
症状が悪化し、視力すら奪われ、飲食をする事も叶わない。
「どうしたの?」
私は美紀の手を握ったまま、そう答える。
ここに居る時は、いつも手を握ってあげている。そうする事で、美紀の表情が和らぐのだ。
「ううん、何でもない」
普通は家族の事とか気にするのが普通なのだけど、美紀は入院して以来、一切自分の家族は来ないのか等聞いてきた事はなかった。
「篠崎さんの手、温かい」
どこか嬉しそうにそう言うものの、今の美紀には感じる事が精一杯で、握り返す力は無くて。
「そうかしら。自分では、分からないものね」
「私ね、思ったんだ。きっと、私の家族は篠崎さんなんだろうなって」
突然、そんな事を言い出した。今まで、一言たりとも家族の事なんて言った事がなかったのに。
「どうして、そう思うのかしら」
「……勘、なんだけどね。なんだか篠崎さんといると凄く心が安らぐんだ」
「……そう……それは、嬉しいわ」
「不思議なの、凄く涙が出そうになる。 凄く心が痛くなるの」
動揺を隠しきれず、私の手は小さく震えていた。
――しばらく沈黙が続いた後、美紀が、消え入るような声で呟いた。
「……私、死にたくないよ」
美紀の瞳からは、一縷の涙が零れていて。
「……大丈夫、私が居るわ。だから……大丈夫よ」
強く握り締め、私は声を押し殺すように涙を拭いた。
「怖いよ……暗いのが……怖い……苦しいよ……」
一ヶ月半が経ち、美紀はとうとう意識すら戻らず、もはや植物人間に近い存在となっていた。
私の精神は完全に壊れてしまったのか、まともに飲食すらせず睡眠もとらず、いつも寝たきりの美紀に話しかけていた。
人間の精神はいとも容易く、簡単に崩れ落ちてしまうものだ。
そんな生活がしばらく続いたが、とうとう美紀の容態が急変した。
私は混濁した意識の中、しきりに美紀の名前を呼ぶ。
返ってくるはずないのに、ひたすら叫んでいた。もう一度、もう一度だけでいい……声を、聴かせて。私を、一人にしないで……。
美紀の手を握りしめながら、ずっと呼び続ける。
すると、一瞬……美紀が握り返してくれた錯覚を感じた。
「み、美紀!?」
意識はなく、動くはずのない口が……かすかな声で、確かに一言呟いたのだ。
「ありがとう……」
その言葉を最期に、心拍数は止まり……甲高い機械音が、心臓が止まった事をしきりに伝える。
私は泣き叫び、狼狽し、その場に崩れ落ちる。
「美紀ー!!」
「ぃぃぃー……い?」
……ふと、我に返る。
今この状況は……? いや、さっき確かに美紀が死んだはずじゃ……ってあれ? 目の前で顔を真っ赤にしている。
「美紀!! 良かった!! 無事だったのね!!」
「――コホンッ!」
……はっ。
冷静に辺りを見回してみる。さっきまで病室に居たはずなのに、ここは教室……?
目の前には不機嫌そうな美冬先生、一人立ち上がっている私。もしかして、全部夢……?
「えー……そろそろ、夢は覚めましたかな?」
「……はい。申し訳ありません」
全身真っ赤になるレベルの恥ずかしさに気絶しそうになるも、私はそう先生に答え、そして一言呟いた。
「早退しても、いいですか?」
「ダメです。早く座りなさい」
その瞬間、教室は笑いの渦に巻き込まれ、おそらく今までで一番死にたいと思った瞬間を味わう事に。
「姫華の馬鹿っ! 私までめっちゃ恥ずかしかったじゃん!!」
昼休み、教室から逃げるように屋上へ行き、ひっそりとご飯を食べていた私達。
「え、ええ……こればかりは、謝る事しか出来ないわ」
「いきなり美紀ィィとか叫ぶし! 一番酷いのは、私が死んだことになってるとこだよね! 私を勝手に殺すんじゃないよ全く!!」
「昨日、夜中まで感動小説を読んでいたせいだわ……。いっそ転校しようかしら……ふふふふ……」
いつもは滅多に話しかけられないのに、色んな人が私をからかってきて、正直私が死にたいわ。
「だからって、私を殺さないでよ……縁起が悪いよ、もう」
「――でも、良かったわ夢で」
気づいたら、そんな事を呟いていた私。
「美紀、今の何でもない平和のありがたみを、凄く理解出来た気がするわ。ただこうして日常を送れる事が、何よりの幸せであるって」
「ど、どうしたの……そんなに夢が辛かったの……? まあ、言いたい事は良くわかるけどさ」
今という平和が、いつまで続くかわからない。そしてそんな日々が、実は凄く尊いものだという事を夢のおかげで感じることが出来た。
「ありふれた平和が、こんなにも貴重だったなんてね。私はこれからも、今この一瞬すら、大切にして生きていくわ」
度々頭の上に疑問符を浮かべていた様子の美紀だが、最後の言葉に対しては同意し、納得してくれた。
そう心に誓い、私はさりげなく美紀のスカートに手を入れ、躊躇いなくぱんつを触る。
「うひゃーっ!! どこに手突っ込んでんの!! さっきの台詞が全部台無しだよっ!! 止めるんだ変態!! お、おまわりさーん!!」
「変態じゃないわ美紀っ! 私はこの一瞬さえも後悔なく生きた……って痛い! 殴るのは反則よ!!」
一瞬の人生であるのだから、たった一瞬も後悔のないように生きて、今ある幸せが尊いものだと気付き、そして生きていくべきだと思う。
少なくとも……私はそう思うわ。
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