宿命の御手

日向 白猫

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 町はすでに寝静まり、店先の多くは明かりを消して、息を潜めている。今夜は暗雲が空を覆い、砂と埃で汚れた街灯の薄明り以外に、町を照らすものはない。
 とっぷりと闇に沈んだ中に一つだけ、ぽつりと灯る明かりがあった。闇を掻き消すほどの力はない。ともすれば、闇に飲まれてしまうほどの弱々しい明かりが、一軒の店の窓からぼんやりと漏れていた。
 Fingersと看板の掛かったその店のカウンターには、五人の男どもが額を寄せ合っていた。
 五人分のコーヒーが丸く並べられ、それらに囲まれて数枚の紙が無造作に置かれていた。その一つを手に取り、長身の中年男が煙草を苦々しく吹かしている。
「……これで、何人目だ?」
 長身のポレックスが誰にともなく訊ねた。
「四人目……かな」
 メディウスはコーヒーの湯気に眼鏡を曇らせながら答えた。インデックスがティースプーンに山盛りの砂糖をカップに注ぎながら、頷く。
「奴も、これでまた精神的にも政治的にも追い詰められることになる」
「そうだな。この数か月で、大臣が四人も死ねば、次は自分かも、なんて言ってビビるだろうなあ」
 そう言って笑ったのはミニムスだ。
「アランに近しい人間をもう一人、ピックアップしてみた」
 そう言いつつ、インデックスは一番下になっていた書類を摘まみ上げ、一同に見せた。詳細なプロフィールに加え、新聞記事の切り抜きが貼り付けてある。その記事の見出しには、「サクソフォン スウィーニーとの不仲を否定」と書かれており、お互いに真顔を向け合うアランとダニエルの写真が掲載されていた。
「……こいつは、お前に任せる」
「わかった」
 ダニエルを指差したポレックスに向かって、アーヌラーリウスはゆっくりと頷いた。そして、インデックスを見遣ると、彼は懐から十数枚はあろうか、と思われる紙の束をアーヌラーリウスに寄越した。
 アーヌラーリウスがそれを受け取り、中身を確認すると、インデックスはにやりと笑んで、
「奴の行動パターンはそこに書いておいた。後は、お前のタイミングでやればいい」
 甘ったるい香りが立ち込めるコーヒーを悠然と啜った。


「何してる人なの?」
 ふわりと灯ったデスクライトの明かりに、ニニムの横顔が照らされていた。彼女の指が、アーヌラーリウスの頬を滑り、止まって、また滑る。
 彼女は面白そうに彼の身体をなぞり続けて、終いには、彼が質問に答える前に眠ってしまった。
 今夜も彼女からは何も聞き出すことはできなかった。隣で寝息を立てるニニムを一瞥して、アーヌラーリウスは小さく息を吐いた。
 行為の後の気怠さが彼を否応なく眠りに誘ってくる。
「焦るな。まだ、時間はある」
 インデックスはそう言って、彼女との接触を続けるよう指示した。ポレックスの読みでは、彼女は必ず、アーヌラーリウスに情報を喋るはずだと言うのだ。その根拠がどこにあるのか、アーヌラーリウスは知らない。恐らく、インデックスも知らないだろう。
 しかし、ポレックスの読みが外れたことは、これまで一度もない。とりわけ、人間の行動に関しては事細かに予言してみせ、そのどれもが的中していた。
 驚異の予知能力と言える。が、ポレックス本人はそれを否定している。
「ただの人間観察の延長だよ」
 そう言って、彼は儚げに笑ったのだった。
 ともあれ、今隣に寝ている女が情報を喋るまで、アーヌラーリウスは頻繁に彼女を抱かなければならない。
 娼婦もただではない。
 店の売り上げから、彼女との交際費は出ている。
 そこらの娼婦とは違って、訳ありの彼女は安くはない。毎回彼女の言い値を支払っているのだ。
 この出費が嵩めば、店の経営の方にも影響してくるだろう。そこまで長期の営業を予定しているわけではないのだが、金はあるに越したことはない。
 できれば、早めに情報を聞き出し、おさらばしたいところだ。
「寝ないの?」
「寝てなかったのか」
 布団からもそりと起き上がり、彼女はベッドに備え付けられたデスクに手を伸ばす。ペットボトルを掴むと、その中の水をちびり、ちびりと飲んだ。
 彼女は最後の一口をこくりと飲み下すと、ちらりとアーヌラーリウスを見た。その目は虚ろで、感情が読めない。
 そのまま、彼女は甘えるように彼の躰に纏わりついて、その腹に貌を埋めた。大きく深呼吸をしたので寝入ったのかと思ったアーヌラーリウスだったが、ニニムはふと貌を上げた。
「で、何屋さん?」
「何屋さん?」
「殺し屋さん?」
「どうしてそうなるんだ。何々屋、なんて他にもいくらでもあるだろうに」
「肉屋、魚屋、パン屋、花屋。……私、お花屋さんになりたかったな」
 ニニムはそう言って、再びアーヌラーリウスの躰に貌を伏せた。回された腕に、僅かに力が籠った気がした。
「意味がわからない。もう寝た方がいいんじゃないか?」
「まだ答え、聞いてないよ」
「……はあ。どうしてそこに拘るんだ」
「自分の躰を堪能した輩が何者なのか、知りたいでしょ。ていうか、誰に抱かれた、っていうのは娼婦のステータスだよ」
 彼女の言葉に、アーヌラーリウスは納得する。彼女達は、仲間内で自分を抱いた男を嘲るが、同時に自分を抱いた男のステータスを着て、己の地位を固めていく。
 娼婦に夢見せられた男は、自分の知らないところで値踏みされ、篩に掛けられ、客として選ばれているのだ。
 アーヌラーリウスにとっては、それは些細なことのように思えるが、現状無視できない事柄でもあった。彼女もまた、客を選ぶ立場にあるのだ。彼女がアーヌラーリウスを拒否すれば、彼の目的は果たし難くなってしまう。それだけは避けなければならない。
 凡その男であれば、ここで多少の見栄を張るだろう。
「……ただの給仕だ。面白くもなんともない。悪いな、こんな男に毎晩付き合わせてしまって」
「そうなんだ。何か、もっと凄い人なのかと思った。お金持ってるし」
「貯金はしてるからな」
「……ふーん」
 ニニムは大して興味もなさそうにそう返事をするだけだった。
 見栄はいつか、悟られてしまうものだ。自分の期待していたものよりも劣っているとわかった時の失望は、初めから劣っているのだとわかっている時よりも大きい。
 彼女とはできるだけ長く、繋がっておく必要があった。つまらない見栄のために、それを切ることはできない。
 アーヌラーリウスは彼女に布団を掛けてやり、自分も布団の中へ潜り込んだ。
「え? もう寝るの?」
「お前も寝てただろう」
「寝てないよ」
 彼女は眉間に皺を寄せ、心外だ、というふうな貌をした。アーヌラーリウスは怪訝な貌をして、
「寝てただろう?」
 もう一度訊ねた。
「考え事してただけだ」
「どんな?」
 訊かれた彼女はしばらく考え込んで、アーヌラーリウスの貌をまじまじと見た。
「不全なのかな? なんて」
「それならお前を買う意味がない」
「だから考え事! 今日は全然盛り上がらないんだもん」
 ニニムは唇を尖らせて、彼に詰め寄る。そんな彼女を、アーヌラーリウスは不思議な面持ちで眺めていた。
 その視線に気づいた彼女が困惑の表情を浮かべ、首を傾げる。
「何だよ」
「いや……何もせずに金をもらえるんだ。悪いことではない」
「悪いよ。何だか……気持ち悪いじゃない」
「気持ち悪い?」
「そう。だってさ、あなたはお金を私に渡すわけだろう? なのに、私はあなたに何もできてない。もらった分の見返りを何もしないわけだ。これって、気持ち悪いよ。私だったら怒るよ。お金払った分の見返りが返ってこないなんて」
「……そうでもない」
 そう言って小さく笑ったアーヌラーリウスの貌を、ニニムは穴が開くかと思われるくらいに見つめた。
 その表情は、アーヌラーリウスの言うことに全くと言っていいほど納得していない。それもそうだろう。金を払えば、それなりの対価を得られる。それが彼女の生きている世界であり、法則だ。
 彼は笑んだまま、ニニムの疑問を晴らそうと試みた。
「俺は、お前の躰と時間を買っているんだ。何をするのも、しないのも、俺の自由だ」
「んん?」
 ニニムは彼の言葉に首を捻って難しい貌をした。
 仄かな照明が彼女の貌に美しい陰影を作り出している。その陰影は、彼女が首を捻るたびにその面積を拡げたり、縮めたりしている。
「……ああ……そういうこと、か」
 数分間考えた末に、彼女はやっとそう声を上げた。
 しかし、その顔は冴えない。
「でも、商品として私、納得できない」
「え?」
「酒は飲まれて、食事は食べてもらえて、アクセサリーは着飾られて、その価値が認められるんじゃないの?」
 ニニムはそう言って、眉間に皺を寄せた。
「ううん」
「娼婦は抱かれて、その価値を自覚するの」
「そんなものか」
「そんなものよ」
 アーヌラーリウスの躰に乗ったニニムは、彼の鼻先にキスを落とした。そこから始まり、頬に、首筋に、肩に、胸に。
 最後に唇を奪って、にこりと笑った。その妖艶な笑みは、見る者を惹き込んでしまいそうなほどに魅惑的なのだが、アーヌラーリウスは彼女が期待した反応を見せることはなかった。
「あなたって、海みたいだね」
「海?」
「そう……。穏やかで、嫋やかで、静か……。いつまでも、浸っていたいよ」
 そう言いながら、彼女は彼を誘うことを諦めたのか、彼の腰に手を回して、目を閉じた。
「これ、見てよ」
 そう言ってニニムが新聞を寄越したのは、翌朝。ホテルを出てしばらく行ったところにある、ファストフードの中だ。
 彼女はその小さな口一杯にハンバーガーを頬張り、口の端にはしっかりとケチャップを付けていた。アーヌラーリウスは彼女の貌を引き寄せ、口元のケチャップを拭き取ってやる。
「キスかと思った」
 ニニムはそう言って笑むと、彼の真向かいに腰を下ろした。アーヌラーリウスが買った新聞を横取りし、彼より早く情報を仕入れた彼女であったが、興味を引いたのは一面に大きく報道されたニュースと星座占いらしい。
 ポテトを咥えながら、彼女はその一面の記事に目を落とす。しかし、それに対しての興味も薄れてしまったのか、すぐに窓の外へと視線を遣った。
「これで、四人目ね」
 ぽそりと溢した彼女に、アーヌラーリウスは感心する。
 それを気取ったのか、不服そうに彼を睨み返すと、ニニムは、
「何なの? あのね、こう見えても世間の動きには敏感なのよ?」
「そうなのか?」
「当たり前でしょう。いつ自分の商売が触法行為になるか……」
「すでに触法行為だけどな」
 そうなの? と恍ける彼女を他所に、アーヌラーリウスはその記事を詳しく読んだ。
 被害者は、財務大臣。大統領の秘書を務めた経験もある、政界の大ベテラン。現大統領であるアラン・サクソフォンとも親密な仲で、彼の大統領選出時にも密かに裏で暗躍していた、という噂もある。
 その財務大臣が昨夜、自宅にて何者かに襲撃され、死亡した。自宅周辺とその敷地内の警備員は残らず殺害されており、家族も全員死亡。
 警備員の死体には共通して狙撃による銃創があり、全て急所を撃ち抜かれ即死。
 本人とその家族に関しては、大型の獣を思わせる歯形があり、肩や腹、首に喰い散らかされたような損傷が目立つ。死因は全員、失血性ショック死。
 記事を一読して、アーヌラーリウスはそっと新聞を閉じ、懐に仕舞った。ニニムは相変わらずポテトを貪り、コーラを飲んでいた。
 店内のテレビでは、アナウンサーが声高にそのニュースを読み上げていた。


「あんた、昼間から贅沢だねえ……」
 アーヌラーリウスの前にウィスキーのグラスを置いた店主は、呆れ顔でそう言った。
 真昼の酒場。置かれたグラスは太陽の光に透かされて、琥珀色の光をテーブルの上に躍らせた。
 彼はそれを一気に飲み干すと、店主に同じものを頼んだ。店主は呆れた溜息を漏らすと、カウンターの奥へと消えた。
 ニニムと最後に会ってから、数日が過ぎていた。にもかかわらず、大臣の暗殺のニュースは毎日、様々なメディアで報道されていた。そして、その異様な死に様から、様々な憶測を呼んだ。
 テロリストの暗殺というのが噂の主流であったが、中には、大臣は悪魔信仰で、悪魔に呪い殺された、などという噂も流れた。全くの出鱈目に、ニニムと一緒に嗤ったのを思い出し、アーヌラーリウスはそっと口元を綻ばせた。
「お客さん、相当酔ってるね……。昼間から潰れないでよ?」
 店主がもう一杯ウィスキーを彼の前に置いた。グラスの中で氷が揺れる。それを眺めて、今度は舐めるように時間を掛けて飲んだ。
「こんな時間に開いているんだな」
「まあ、うちは酒も出すけど、この時間はランチも出してるからね」
「なるほど。どっかも似たような感じだな……」
 アーヌラーリウスの脳裏Fingersの看板がちらついた。店主が気を利かせて出してくれた、フィッシュ・アンド・チップスを摘まみながら、ウィスキーを減らしていく。
 溶けた氷で薄まっているとはいえ、きつめのアルコールで喉が灼ける。
「ここには、どんな客が来るんだ?」
「へ?」
「いや……。どんな客が来るのか、と」
「ああ……まあ、いろいろだよ。変に金持ちな奴がフラッと立ち寄ってくれる時もあるよ。そこから常連になったりね」
「へえ……なかなか旨いものを出すんだな」
 アーヌラーリウスがそう褒めると、店主は口元をだらしなく歪ませて、笑んだ。彼はその、店主の心の隙間を見逃さなかった。
「それなら、たいそうな客も来るんじゃないか?」
 店主は得意になったのか、胸を張って言った。
「まあな。議員のダニエル・スウィーニーなんかも顔を出すな」
 その言葉を待っていたかのように、アーヌラーリウスは口を開く。
「それは凄いな。今、時の人じゃないか」
「そうだね。奴も大変だね。大統領とやり合ってるらしいよ。いつもそこのカウンターで愚痴ってるよ」
「そんな頻繁に来るのか?」
「ああ……」
 アーヌラーリウスがそこまで追及した時、店主の貌が一瞬曇ったように見えた。彼の質問には答えず、店主は何か別の言葉を探しているのか、黙り込んだまま視線を宙に彷徨わせていた。
 アーヌラーリウスはそこで焦らず、ウィスキーを傾けながら、彼の返事を待った。
「そう……だね……」
「決まった日に来るのか?」
「いや……。でも、来る前に必ず連絡が入る」
「連絡が?」
「あ、ああ」
 アーヌラーリウスはそこで眉を寄せ、思案顔で黙り込んだ。彼の畳み掛けるような問い質し方に、店主は何やら鬼気迫るものを感じたのか、胸を張る、というよりも後ろへ仰け反って、彼の言葉に返していた。
「どうして、連絡が?」
「それは……あれだよ。貸し切りにしてほしいって……。人がいると、落ち着いて飲めないって言うから」
「で、連絡が入ると……。スウィーニーは貸し切りにしても、飲んだ分に僅かに上乗せしただけの代金しか払わないそうだな」
「えっ!」
 店主はアーヌラーリウスの言葉に、驚きを隠せない様子らしい。目を大きく見開き、それ以上の言葉を発せずにいた。
 アーヌラーリウスの手元で、氷が踊り、グラスが涼しげに鳴いた。


 酒屋の立ち並ぶその通りは、昼間とは打って変わって、日が沈むと鬱憤を酒と共に飲み下してしまおうと考える人々で賑わっていた。芳醇な酒の匂いと気だるげな人々の表情と、そして、黄色い街灯が、その通りにノスタルジックなフィルターを掛けていた。
 アーヌラーリウスはその通りに突っ立ち、人と落ち合う予定でもあるのように、頻りに腕時計に目を遣り、通りを見渡したりした。
 もちろん、彼に待ち人などいない。
 ニニムは今日も、違う男に抱かれているはずだし、Fingersの面々も今頃、客でごった返しになっている店内で忙しく動き回っているはずだ。彼ら以外に、アーヌラーリウスが店の外で会う人間はいない。
「……」
 彼は沈黙を保ったまま、道行く人の貌を一人一人目で追った。
 この中に、今夜の標的がいる。

 ダニエル・スウィーニーは、表向きには大統領とも公私にわたって交流のある人物であるとされている。世間一般の認識でも、大方の人間はそう見ている。
 しかし、その公私ともに親交のある大統領と不仲だ、とする噂も、巷では流れているのだ。
 かくいうダニエル・スウィーニーは、少子化や教育に関して造詣が深く、党の中でも様々な法案を提案している敏腕議員である。対して、大統領は国民の老後政策を進めているため、財源の確保など、あらゆる面でスウィーニー氏とは対立していることになる。
 そのため、スウィーニーと大統領の不仲説が、まことしやかに噂されているのだ。
 しかし、それはあくまで噂の域を出ず、各メディアが真相を追っているものの、確かな証拠は出てこない。
 スウィーニーが党首を務めている党は、大統領の所属する政党と連立を組んでおり、表向きは友好を示しておく必要がある。
 仮に不仲が事実だとしても、互いが互いを憎み合っているなどと分かれば、たちまち連立体制にも影響が出てくるのだ。
 両者には様々な政治的な思惑がある以上、この連立を崩すわけにはいかない、というわけだ。しかし、この不仲が事実であれば、両者には確実に吐き出さねばならない不満があり、それを安心して吐き出す場も、必要となってくるのも、必然である。


 アーヌラーリウスが人混みに目を凝らしていると、一際目を引く一団があった。紺の真新しいスーツに袖を通した中年の男と、その周囲を固める漆黒のスーツで統一された男達だ。
 彼らは別々の行動を取っているようで、絶妙な間合いを取って動いている。素人目で見れば、彼らが同一の集団で動いているなどとは到底察し得ることはできないだろう。しかし、アーヌラーリウスの眼にははっきりと、彼らが見事に決められたパターンで動いているのがわかった。
 紺色のスーツに身を包んだ男が動くと、数人いるうちの三人が、彼を三角形に取り囲む。そして、彼の死角になる場所がよく見える位置に、それぞれが立ち、そして、通行人を装うのだ。
 並の訓練を受けている人間ではないことが、漆黒のスーツ達の動きからわかる。
 ――あれ、か。
 アーヌラーリウスは胸の内でそっと呟く。
 彼こそが、ダニエル・スウィーニーその人である。
 通りを行きつ戻りつしながら、店先を物色し、どの店に入るか迷っている。何も知らない者から見れば、彼の行動はそう映るだろう。しかし、彼の行く先はすでに決まっている。
 しばらく店の前をぶらついていたスウィーニーであったが、彼はやっと足を止めて、一軒の店に入っていった。その店から、アーヌラーリウスの見知った顔が出てくる。
「やあ、いらっしゃい」
「ああ」
 スウィーニーはやけに暗い声でそう返す。店主は困惑の表情を浮かべていたが、彼を店内へ招き入れた。それに続いて、黒スーツの男が二人、店内へと入ろうとした。
「ち、ちょっと……今夜は貸し切り――」
「退け」
 店主が止めるのも聞かず、彼らは店内へと押し入っていく。アーヌラーリウスはスマートフォンの画面を眺めながらも、その様子をしっかりと見ていた。
 二人と、そして何より店主の様子から見ると、いつもああいう形で迎えているらしいことが窺えた。
 アーヌラーリウスはジャケットの中へと手を入れ、冷たい鉄の感触を確かめた。彼が動き出すのは、まだ先である。夜が街の隅々にまで浸透し、アルコールが身体の隅々にまで行き渡るまで、彼はじっと待つのだ。
 陰鬱と高揚の狭間にあった大通りも、日付が変わるころにはすっかり人通りも少なくなる。気だるげな街灯を頼りに、人々は覚束ない足で家路を急いでいた。大通りの先に駅があり、終電が近いのだろう。
 その人々の中を逆行する影が一つあった。足早な人達は彼を迷惑そうな表情で避けていく。中には口汚く罵る酔っ払いもいたが、彼は構わず歩いていく。
 彼は細い路地を曲がると、そこでまた、懐に手を入れて鉄の感触を確かめた。
 目線は小さく明かりの灯る酒場に向けられている。他の店の出入り口は、帰路につく客がひっきりなしに出てくるにも関わらず、その店からは誰一人出てこなかった。
「……」
 アーヌラーリウスは店先から目を離さず、人通りが途絶えるのをじっと待った。
 スウィーニーが出てきたのは、それから一時間後のことだった。その頃になると、人影すら見当たらなくなっていた。大通りには、スウィーニーとその後ろを絶妙な距離感で歩く、黒スーツに身を包んだ二人組だった。
 アーヌラーリウスが路地の陰から三人の様子を窺うが、スウィーニーの背後には二人組がいて、なかなかスウィーニー本人を射程に収めることができなかった。
 二人組はスウィーニーに密着しながら、アーヌラーリウスとスウィーニーの間を阻んでいた。
「……」
 アーヌラーリウスは路地へと入り込んだ。
 予定通りに事は運んでいた。アーヌラーリウスは頭に叩き込んだ路地の地図を頭に思い描いた。自分の現在地が頭の中で、赤く光りつつ移動している。そして、予定経路が示され、標的が緑の光で動いていた。
 薄暗い路地を足音一つ立てず疾走した。生臭いごみを漁る猫の傍を駆け抜けたが、猫は全く反応せず、今晩の食事を堪能していた。
 暗い路地の先に、薄暗い街灯の光が見えてくる。道の上には黒く長い、三つの影が蠢いていた。アーヌラーリウスは懐に手を入れ、グリップを握った。安全装置を外し、遊底を引いた。
 同時に、彼は三人の前に躍り出て、真ん中に立つスウィーニーにその銃口を向けた。
 暗夜に悲しげな銃声が響いた。


 引き金を引いたアーヌラーリウスの眼前で何かが光った。その円筒の正体に気づくと、咄嗟に身を捩った。固いアスファルトが乾いた鳴き声を上げる。
 スウィーニーと彼との間には黒い影が立ちはだかり、彼が放った銃弾をその身で受けていた。
 こふっ。
 その影に街灯の明かりが落ちる。貌が照らされ、同時にその口から吐血した。アーヌラーリウスの銃弾が命中したのだろう。サングラスが光を反射させ、その向こうからの視線が真っ直ぐにアーヌラーリウスを射抜いた。
 銃弾を受けて倒れないところを見るに、その男は防弾チョッキを着こんでいるはずだ。大柄な躰の後ろに、スウィーニーをすっぽりと隠して、その男はさらに引き金を引いた。
「――――っ!」
 一歩引き下がったアーヌラーリウスは、背後の気配にも気づく。目の前の大男に気を取られていた隙に、もう一人が彼の背後へ回り込んだらしい。背後を映した視界の端で、円状に並んだいくつもの銃口が向けられているのがわかった。
 ――マシンガン!
 その言葉が脳裏を掠めた時、アーヌラーリウスは後方へと飛び上がった。マシンガンを構えた女の頭上を飛び越え、逆に彼女の背後を取った。
 狭い路地裏に入り込んだために、マシンガンの長大な銃身では小回りが利かず、アーヌラーリウスの反撃を許すかと思われた。
 じっ――。
 彼女に銃口を向けたアーヌラーリウスの肩を、銃弾が掠めた。
 大男の方が先に引き金を引き、女を援護したのだ。女はその隙に拳銃を取り出し、アーヌラーリウスに応戦を始めた。
 彼は踵を返して、路地の奥へと走った。
「な、何をしてるっっ! 追うんだよっ!」
 スウィーニーの叫び声と共に、二人の護衛はアーヌラーリウスを追いかけた。あっという間に闇に紛れたアーヌラーリウスであったが、仕留め損ねたことで焦りが生じたのか、路地の深い闇の中に彼の足音と、猫の狼狽した鳴き声が響き渡った。
 二人の黒スーツは足を止め、顔を見合わせると、慎重に奥へと進んでいった。
 細く入り組んだ路地は二人を辟易させた。角を曲がった矢先から、反対方向で足音がして、二人は先へ進むのを躊躇せざるを得なかった。
「サイサリス……」
 女が男を呼んだ。
「ここは……二手に分かれてはどうだろう?」
「ロゼ、この界隈の地図は頭にぶち込んであるんだろうな?」
「あなたよりペーパーテストは優秀だったわよ」
 二人は目の前の暗闇に目を向けたまま、不敵に笑んだ。
 左右に分かれてアーヌラーリウスの行く先を探る。先程から鳴りやまない足音を追って、二人はアーヌラーリウスがいるであろう通路をしらみつぶしに踏破する。
 しかし、彼の影すら見つけることができず、二人の焦りは募る一方だった。
「――っ!」
 サイサリスが角を曲がる人影を見た。ロゼにしては体格のある影に、彼は足を止め、壁に背中をつけた。足音と息を殺して、角へと近づく。銃を構え、角の向こう側へと銃口を向けた。
 夜の闇がすっぽりと飲み込んだ通路は、彼の眼に何も映しはしなかった。
 気配すら消えたことに気づき、サイサリスは一気に角を曲がった。正面に銃口を向けたまま、左右を見渡す。
 彼の頬に、一筋の汗が流れていく。それが顎を伝って、足元に落ちた。
 その時、彼は気づく。
 先ほどまで聞こえていた足音が、ぴたりと止んでいることに。
「……」
 耳が痛くなるほどの静寂が彼を襲った。これまで経験したことのない寒気が彼の躰を這い上がった。不気味な静寂の中、彼は銃を握り締めたまま固まった。
 ――後ろっ。
 反射的に振り返った彼の眼前に、不気味に光る刃が迫っていた。咄嗟に屈んで躱すも、その顔面を痛烈な蹴りが襲った。
「ぐ……ふっ……」
 二メートルはあろう彼の巨体が容易く浮き上がり、背後へ飛ばされる。
 固い地面に這い蹲る彼を、黒い影が見下ろしていた。
「なかなか素早い身のこなしだ。その服の下、相当の筋肉量と見た」
 そう言いつつ、アーヌラーリウスはサイサリスに向かって近づく。サイサリスは蹴られた頭をすさまじい勢いで振り乱し、揺れる視界に耐えた。
 その間にも、彼とアーヌラーリウスの距離は徐々に縮まっていく。
「――っ!」
 サイサリスは彼の接近に気づき、拳銃を数発撃った。しかし、銃弾は一つも彼に当たりはしなかった。
「くそっ」
 続けざまに三発の銃弾が撃ち込まれるものの、彼の躰を掠めもしなかった。
「な、何故だ」
 何故。
 彼の口を衝いて出た疑問は、至極当然のものだった。およそ人が躱すことなどできない速さで、銃弾は射出される。これは世の常識であり、サイサリスもまた、当然のことだと思っていた。
 常識が通用しない人間が現れた時、人は自ずと疑問を持つ。
 どうして。
 こうなった時、人の心を次に支配するもの。それは――。

「何を震えている」

 サイサリスが最後に聞いたのは、そんな平坦な声だった。


 続けざまに響いた銃声は、暗い夜空に吸い込まれていった。
「サイサリス……」
 ロゼは夜空を見上げながら、相棒の無事を祈った。長大な銃身を持つガトリングはすでに捨て、その手にはサブマシンガンが握られていた。
 想定外の身のこなしをする敵と遭遇した。
 そして敵は、すでに銃を捨てていると想定した。サイサリスに銃弾が通じなかったことで、敵は得物を刃物に変えている。
 そう予測したロゼは、間合いに入り込まれないために小型の連射式の銃を選択したのだ。弾幕を張れば、容易には接近できまい。そう踏んでの選択だった。
「……」
 足音は止んでいた。そして、銃声もない。
 ――もう、片付けたのかしら……。
 淡い期待を抱いて、相棒の連絡を待った。
 しかし、銃声が止んでから十数分経っても、相棒からの連絡はなかった。
 戦闘中だ、と言い聞かせる。常に平常心を保つよう、彼女は訓練を受けてきた。どんな状況下においても、彼女は我を失うことはない。が、今回は違った。異様な緊張感が彼女を襲っていた。
 得体の知れない敵が、目の前に現れたせいだ。サイサリスを撃った黒い影。その身のこなし。殺気。沈黙。
 それら全てが、彼女の未知だった。
 ――あんなモノ、私は知らない。
 冷や汗が、また流れた。
 不気味な沈黙が鼓動を早める。
 敵に聞こえてしまうんじゃないか。そう思われるほどに、彼女の心臓は暴れていた。
 じゃり……。
 動いた足が、砂を踏んだらしい。静寂の中に、その音だけが響き渡り、彼女はびくりと躰を震わせた。
「ふっ……」
 緊張のあまり、呼吸すら震えてくる。プロとして、あるまじき姿であることは自覚していた。だが、この震えはどうにもならなかった。
 ――どこにいるの……。
 気配も感じない。しかし、路地裏に充満する、「お前は狙われているんだ」とはっきりと物語っている殺気をひしひしと感じる。ふと気を抜けば、首を掻き切られているのではないか。そんな恐怖がロゼの心を満たしていた。
 ごくり……。
 生唾を呑む音さえ聞き拾われている気がする。
 風が、不気味な鳴き声を上げて路地を抜けていった。
「――っ!」
 ロゼが振り返った先に、アーヌラーリウスの煌く瞳があった。金色に光る、不気味な眼。そこに映る自分の表情に、ロゼは目を疑う。
 ――この私が……あんな顔を……?
 はっきりとした怯えを、その顔に張りつけていた。その認めがたい事実に、かっと頭に血が上る。
「私は! 私はぁ!」
 銃口を向け、引き金を引く。絶え間ない振動が躰を揺さぶる。弾丸が唸りと共に吐き出され、目の前の狂気を打ち消さんばかりに穿った。
 路地に満ちていく火薬の匂い。打ち終わると、きーん、と耳鳴りがした。
 アーヌラーリウスの姿は、影も形もない。乱射された銃弾の雨に、木っ端微塵に吹き飛んだのだろうか。
 常人であれば確実に仕留めているはずなのに、ロゼには彼を仕留めたという確信が持てなかった。
「……」
 ――まだ、だ。まだ油断は……。」
「そう。まだ油断はできない。何故なら、お前は……プロだからだ」
「っっっそおおおおおおおおおおおお!」
 再び銃弾の雨がアーヌラーリウスに襲い掛かる。路地裏に立ち並ぶ建物の壁が、度重なる銃撃でぼろぼろと崩れていき、家々に明かりが灯り始めた。
 ――これ以上は……。
 ロゼは構えを解き、元来た道を戻るために踵を返した。その時だ。
「そう……。そろそろ、時間だな」
 首筋を舐めたその声に、ロゼは脱兎の如く走り出した。彼女の結われた長い後ろ髪は、鋭い何かにばっさりと斬り落とされ、路地裏に舞い散った。
 声を聞いた彼女の背筋を、身も凍るほどの寒気が襲う。全身が粟立ち、夜風が彼女の汗を冷やした。彼女は絞り出すことすらままならない声の代わりに、心の中で絶叫した。
「――――ひ……――――っ――」
 ――人じゃない。
 彼女は目に涙を溜め、ありとあらゆる神に祈った。
 救ってくれるなら、異教の神でも構わない。何より今は、自分の命が惜しい。
 今は自分がプロとか、護衛の任に就いているとか、そんなことを考えている場合ではなかった。それは、敵が人間であることが前提とされているのだから。
 今、自分は人間ではない何かと対峙している。
 本能が叫ぶのだ。
 ただ、ひたすらに逃げろ、と。
 それに従って、ロゼは走った。入り組んだ路地をめちゃくちゃに、背後に迫っている気配を撒くために、ひたすらに走った。
 先ほどの銃声を聞きつけて、警察が出動したのだろうか。遠くでサイレンの寒々しい音が鳴り響いている。近隣の住民が何事かと道に出てくる気配もある。こんなところを見られてはならない。
 不意に、ロゼの頭の中にそんな考えが浮かんだ。
 こんな必死の形相で走っていれば、関係者だと言っているようなものだ。
 警察の聴取を受けている間に、スウィーニーが殺されてしまう。ロゼは何とかここを、人目につかず抜け出すルートを頭の中で思い描いた。
「次を右に曲がれば、空き家に挟まれたところに出るっ」
 不安を払拭するために独りごちる。
 右に曲がると、脳内の地図通り、廃屋に挟まれた道だった。その先に、切れかかった街灯の光が瞬いていた。
 その光が、ロゼには救いの光に見えた。
 その時だ。
 ぶつ――――。
 ロゼの視界が一瞬にして暗転した。遅れて聞こえたのは、何かが地面に倒れる、ざらついた音だった。

 はあ――――はっ……――は……はぁっ――――。
 駅へ通じる長い通路を、スウィーニーは疾走していた。凄まじい速度で喉を行き来する酸素で気管は焼け爛れたように痛み始めていた。血の匂いが口に上がってくる。
 紺色の質のいいジャケットは道すがら捨ててきた。ネクタイも外し、捨てそびれて腕に引っ掛かったままだ。
 広い額には汗の玉が無数に滲み出し、それが通路の電燈に照らされて、煌いていた。
「はっ……はあ……何なんだ……あいつは……」
 目の前を遮るサイサリスの向こう側に、黒いスーツパンツに黒いジャケット、その下には薄青のストライプのシャツ。貌は窺い知ることはできなかったが、その男が持った拳銃の銃口がはっきりと自分に向けられていたのはわかった。
 銃声が上がった瞬間に走り出したが、二人の護衛は姿を消していた。
 最後の店に入る前に、残りの護衛を帰らせたのがいけなかった。
 今日はプライベートな休日だった。いつもならサイサリスとロゼを傍に置いておくだけだったのだが、大統領の周囲の人間が相次いで殺されていることもあって、念には念を、と人員を増やしたのだ。
 優秀な人間を雇うと金も掛かる。サイサリスとロゼだけでも、膨大な契約金が消し飛ぶというのに、これ以上の金は掛けられない。そういうこともあって、彼ら二人に指揮を執らせる形で、用心棒程度の人間を雇ったのだ。しかし、それでも金が掛かるため、夜も更け始めた頃に全員返してしまった。
 まさか、この時機を狙われるとは思いもよらなかった。
「ロゼ……サイサリス……」
 ――戻ってこい! 雇い主の身が、危険に晒されているんだぞ!
 心の中で叫ぶが、二人の姿は現れなかった。
 駅舎内に終電の到着を伝えるアナウンスが響き渡った。
 スウィーニーの脚が、それにつられて加速する。これに乗ってしまえば、こっちのものだ。二人は未だ戻ってこないが、仕方がない。
 ――あいつらの仕事は、私の命を守ることだ。私が逃げ果せれば、それでいい。
 滲む汗を拭いつつ、ホームへ続く最後の曲がり角を曲がった。
「う……」
 曲がった先で何者かとぶつかり、スウィーニーは大きく尻餅をついた。
 不注意な何者かを睨みつけた瞬間、スウィーニーの表情が恐怖に染め上げられた。目は驚きに見開かれ、唇は真っ青になりふるふると小刻みに戦慄き始める。
 きっちりと着こなされた、バーテンダーの衣装を、彼は隅々まで見渡した。
「あ……ああ……」
 アーヌラーリウスは表情一つ変えず、ジャケットの下から拳銃を取り出した。遊底を引き、銃口をスウィーニーに向けた。その瞳には、怒りも憎しみも、悲しみすら宿っていない。
 殺すべくして、殺す。
 ただ、そんな機械的な思考の元に動く人形だ。
 そのあまりにも非人間的な雰囲気に、スウィーニーは息をするのも忘れてしまう。
「――――っはあ! き、き、き、きさ……何だぁ! 貴様ぁ!」
 コンクリートに囲まれた通路に、スウィーニーの狂乱した叫びが反響する。冷たい壁や床は、その叫びを無情にも吸収し、沈黙を生む。
 スウィーニーの乱れた呼吸だけが音として残った。
「お、おれが何をしたあ!」
 唾を撒き散らしながら、スウィーニーは叫びまくる。目の前の不気味な男に、狂った視線を向けながら、彼はにやりと笑んだ。
「わかった」
 何か合点がいったように、彼は乱れた髪を掻き上げた。
「アランか。そうだろう?」
「……」
 大統領の名が口から出ても、アーヌラーリウスの表情はピクリとも反応を見せなかった。その視線は、スウィーニーの急所を探すために頻りに彼の躰の上を這いまわっていた。
「あいつの命令で動いているんだろう? わかってるさ。あいつにとって、俺は目の上のたんこぶも同じだ! だがな、早まるのはよくないぜ? あいつは、俺もあいつのことを疎ましく思ってると勘違いしてやがる! きっと、今回のスキャンダルを口実に、俺を消しに来たんだろうが、それは誤解だ」
 遠くで、電車の走る音がする。もう間もなく、それはホームに滑り込んでくるのだろう。
 ――当駅をご利用のお客様に連絡いたします。次に参ります列車は――。
 アナウンスが電車の接近を知らせる。
 それに合わせて、アーヌラーリウスが銃口を固定し、狙いを定めた。
「ひっ――――。や、やめろぉ! 後悔するぞ! 俺を殺せば、どうなるか……わかってその銃口、向けてんのか!」
 通路に、スウィーニーの悲痛な叫びが響き、その残響も消えた。足元が揺れ、電車がすぐそこまで近づいていることがわかる。
 冷たい視線に見下ろされ、スウィーニーは目に涙を溜めながら、
「ろ、ろぜ……さいさ……サイサリス! どこにいるんだ。……俺を、守れ……」
 と呟く。
 チャッ――――。
「うう……!」
 アーヌラーリウスが銃のグリップを握り直した。その音の反応して、スウィーニーは身を縮めて怯えた。
 その震える彼に、アーウラーリウスは無表情な視線を送り続けた。彼に対して、アーヌラーリウスは特別憎しみを抱いているわけではなかった。恐らく、Fingersの面々も、彼に対して直接的な憎しみや怒りを持つ者はいないだろう。
 大統領に近しい人間を消す。
 ただ、その「近しい人間」の中に、彼がいただけだ。
「ど、ど、どうして、俺が……俺が殺されなきゃな――――――」
 最後の抵抗とでも言わんばかりに、スウィーニーが叫んだ。しかし、それも電車の到着の轟音が通路に流れ込んだことによって途切れた。
 轟音に紛れ、乾いた破裂音が二つ。
 電車が金切り声を上げて止まった。空気が抜けるような音と共にドアが開き、平坦なアナウンスが人々に足元と忘れ物の注意を促した。
 直後、通路に大きな悲鳴が一つ。そして、まだ生暖かい死体が一つ。
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