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19 アカデミー
しおりを挟むエミールは指で顎を触る。
「それは何とも言えませんね……。そもそも情報が少ないので。本当に匂いで凶暴化するかもわかりません」
その可能性はエルンも考えていた。
「確かにね……。昔聞いた話だけど、遠く南の島には人と会話できる木も存在するというし、植物に意思があると主張する人もいる」
「木の精霊の話ですかね。まぁ、考えられないこともありませんが……。その精霊が魔獣に命令をして人間を襲わせているということでしょうか?」
エミールの言葉に、エルンは首を横に振った。
「もちろん、その線も考えられると思うんだけど、僕としてはもっと自動的な気がするんだ。植物の意思というよりは、一定の条件が揃ったら発動する罠のような……」
唇に指先を当てながら、己の考えを整理しつつ、慎重に続ける。
「……だから、匂いかもしれないと思ったんだけどさ。だって、ルーヴェル君は外見は魔獣でも、心はきちんとルーヴェル君なんだ。意思の疎通もできる。そんな彼が精霊の言うことを聞くかな?」
「なるほど……。罠魔法や催眠魔法かもしれないのですね」
エルンは顎に手を当てた。
「だとしたら、解明をするのに催眠魔法のスペシャリストも連れて行ったほうがいいのかな」
エミールは途端に困った顔をした。
「正直、そんな人はこのアカデミーには思い当たりませんけれどね」
エルンは上目遣いにかつての戦友を見つめた。
「……エミール君はどうだい? もしダンジョンに行くとしたら、来てくれるかい?」
内心、諦念を感じてもいた。子持ちの彼を誘うのには勇気がいる。
「そうですね……。行ってみたい気持ちはあります」
けれど、エミールの反応が悪くなかったのでエルンは目を瞬かせた。
「子どもがもうすぐ初等教育学校に入学し、寮生活になります。そうすれば、私も妻も時短勤務ではなくなり、働ける時間が増えますので……」
この国では、五歳になると初等教育が始まり、入寮することは特別なことではなかった。
エルンもまた、五歳から十八歳までの長い年月を寮で過ごしていた。もちろん、すべての子どもが寮に入るわけではなく、家庭の事情によって親と共に暮らす者もいた。
特に貴族階級の子どもたちは、乳母を雇うことができるため、一度も寮生活を経験せずに育つことが珍しくなかった。
「……そうなんだ」
「とはいえ、それは三ヶ月後になりそうですが……。行くなら早く行ったほうがいいんでしょうね」
エミールはバタンとノートを閉じた。
「これは、確かな筋からの情報ですが、複数の魔獣が出現したことで討伐隊が編成され、今度こそ魔獣の息の根を止め、人間の姿に戻すという話が持ち上がっています」
エルンは眉間にシワを寄せた。
ルーヴェルの時に編成されていればよかったのに。
しかし、当時は犠牲者が一人だけだった。なので、不幸な出来事として片付けられていた。
何より、騎士団長の息子が被害に遭ったという理由だけで討伐隊を編成すれば、リチャードによる騎士団の私物化と受け取られかねなかった。
だが、今は事情が違う。新たな被害者が出る可能性が生じたことで、騎士団もようやく動き出すことが許されたのだろう。
「討伐隊が組まれると、ダンジョンが閉鎖されることも考えられます。ですので、自分で調査したいというのであれば、その前に入ったほうが自由に動けるでしょうね」
エルンは唇を引き結ぶ。
今のルーヴェルは討伐対象の姿をしているのだ。運が悪ければ、傷つけられてしまうかもしれない。
「……そうだね。わかった。まずは僕とルーヴェル君でもう一度入ってみて、その記録を元に次回エミール君も、できれば一緒に行こうよ」
誘うと、エミールはコクリと頷いた。
「そうですね。……くれぐれも、怪我がないように」
ちょうどお茶を飲みきったので、そこで会話を切り上げ、エルンは当初の目的通り、他にも情報がないかをエミールに聞いたが、これ以上の情報は出てこず、アカデミーの図書館にもめぼしい本が入荷していなかったのでそのままアカデミーから出たのだった。
必要な機材を買い込み、カバンに詰め込む。そうして半日かけて家に帰った。
「ただいま、ルーヴェル君」
たまたま外に出ていたのか、彼は玄関の前で待ってくれていた。
エルンは丁度いいとばかりにエミールから聞いた最近の事例について話す。
「……だから、入場制限がかけられるまえに一度行こうかなって思うんだけど、どうかな?」
『もちろん。元の姿に戻れる情報は少しでも得たい』
「……うん」
顔が曇る。ソフィアとの結婚をまだ諦めていないのだろうか。だとすると、余計に彼女の結婚のことは言えない。
結婚式でのことが思い出され、エルンは顔を曇らせた。
『どうした? 元気がないな』
「……そんなことないよ。……その、早く、元の姿に戻れるといいね。僕も協力するから!」
頑張って元気よく返すが、ルーヴェルは首を傾げたままだった。
『ありがとう。……帰ってきて疲れたか? しっぽもふもふするか?』
心配してくれているのだろう。
ありがとう、と返してから彼のしっぽに抱きつく。おひさまの優しい香りがした。
そうして諸々の準備を整え、エルンとルーヴェルは大量の実験器具を持って再びダンジョンへと入ることにしたのだった。
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