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第三章「京の夜の虎鶫捕物帳」

第87話 虎鶫の断末魔

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 ”ぬえ”とは『平家物語』や『源平げんぺい盛衰記じょうすいき』に名が残る妖怪であり、”鵼”とも表される。

 平安末期、時の帝である近衛このえ帝の御殿の上に夜な夜な、黒煙を身に纏って現れ。その不気味な声で帝を怯えさせ、瘴気で衰弱させようとした妖である。

 当時、随一の弓使いであり、”童子切安綱どうじぎりやすつな”の初代契約者である源頼光の五代の子孫であった源頼政とその郎党、猪早太いのはやたが公卿たちの要請を受けて討伐した。

 頼政と早太、鵺の攻防その場にいた当人たちの他に目撃したものはおらず、討伐を果たした頼政は多くを語らなかったため、簡素な記録しか残ってはいない。

 しかし、早太が止めに使用され後に遺物へと昇華された短刀”骨喰こつしょく”は戦いの凄まじさを次のように語っている。

 『かの鵺と一戦を交える際、頼政公と早太殿は万全の準備を万全にして臨んだ。お二人は飾らぬお人柄であった故おっしゃらなかったが鵺とは恐ろしい妖であった。一鳴きすれば築地ついじはひび割れ崩れ落ち、その爪は風の刃を放つ。くちなわの尾は掠っただけの早太殿を吹き飛ばした。そして何より恐ろしいのはそのしぶとさ。神気を纏わせた頼政公の必中の矢を数十、数百本受けて山嵐のようになってもまだ生きていた』

 それでも、頼政たちは何とか鵺を討滅した。そう、討滅したのだ。つまり、双魔たちの目の前に鵺が存在しているのはあり得ないことなのだ。

 「ヒョーーー!!」

 突如鵺が咆哮を放つ。結界に遮られているが、一瞬障壁の一部がグニャリと歪んだ。

 双魔は咄嗟に鏡華の前に立ちふさがった。そして、膨大な魔力を送って結界を修復する。

 双魔が発動した”封魔四樹結界”は土御門宗家の術式に双魔が独自の技術を組み込んだものでかなり強力な術だ。

 それを歪めたその妖力は目の前の敵が紛れもない本物だということを示している。

 「鵺はん、まだまだ元気そうやねぇ……双魔、どうするの?」

 鏡華の言う通り、鵺は咆哮を放ち、爪から真空波を出して結界の中で暴れまわっている。四方の障壁は所々形を保てなくなり、このままだと崩壊するだろう。

 今も尾による一撃で榲桲の木がなぎ倒される。

 そんな状況を目にしても、鏡華は一切取り乱すことなく落ち着いていた。双魔の背中を見据えるその目は信頼に満ちている。

 「ん、ここに鵺が復活した原因は分からないが……まあ……」

 刀印を解いた左手で、片目を閉じていつものように親指でこめかみをグリグリと刺激する。

 「せっかく起きてきたところ悪いが、すぐに封印させて貰う。配置!」

 鏡華の、そしてこの場にはいない剣兎の期待に応えんがため、双魔は左手を前にかざす。

 「汝、冠するは最上の狩人、あらゆる獣を討ちし者、咲き誇れ”|万獣殺しのオリオン・覇王花ラフレシア”!」

 結界の中で倒された榲桲まるめろの木の幹に小さな魔法円が浮かぶ。そして、倒れた直後で生気に満ちていた木が急速に枯れはじめた。

 それと同時に魔法円が徐々に大きくなり、直径が三メートル弱まで拡大した時、その花は姿を現した。

 根も、葉も、茎もなく、ただただ巨大な花が咲くのみ。七つの花弁は血のように赤く、白い斑点が無数についている。

 ぽっかりと、花の中央に空いた穴の奥には二十ほどの突起が生え、それぞれが微かに蠢いている。

 「……ヒーー」

 暴れていた鵺が動きを止めて、不気味に咲き誇った巨大な花に意識を向ける。

 身体を翻してゆっくりと頭を花に近づけたつぎの瞬間。

 「ヒーーーーーーーーーーヒョーーーーーーーーー!」

 鵺は凄まじい大音声を上げた。その超音波でついに結界が崩壊する。

 「っ!?」

 鏡華は思わず身構えた。解き放たれた鵺がこちらに向かってくるかもしれない。浄玻璃鏡を抱える腕に力が入る。

 しかし、そうはならなかった。鵺はその巨体をふらつかせると、そのまま倒れてピクリとも動かなくなってしまったのだ。

 結界を打ち破った大咆哮は無情にも鵺の断末魔となったのだ。

 「…………え?」

 口を開けて呆ける鏡華をよそに、双魔はティルフィングの剣身に膨大な剣気を溜め込んでいた。

 「フッ!」

 倒れる鵺に向かって両の手でしっかりと握ったティルフィングを大上段から振り下ろす。

 放たれた剣気は月光に紅氷の欠片を煌めかせながら鵺の巨体を包み込み、川の流れの一部と共に凍てつき、巨大な紅のオブジェが出来上がった。

 「ん、これで終わりだな」

 身体から力を抜いて左手の親指でこめかみをグリグリと刺激する。

 「鏡華もお疲れさん……ってどうしたんだ?その顔は……」

 振り返ってみると、鏡華は目と口を大きく開いて硬直していた。

 「いや、びっくりしたわぁ……双魔、何したん?鵺はん、動かなくなったんはどうして?」
 「ああ、氷の中に馬鹿でかい花があるだろ?”万獣殺しの覇王花”と言って獣を死に至らしめるほどの強烈な臭いを放つんだ。まあ、鵺は死ななかったみたいだけどな」

 ラフレシアは言わずと知れたジャングルで極まれに咲く巨大な花だ。その直径は一メートルほどで、死肉のような臭いを発すると言われる。

 そして、双魔が召喚した”万獣殺しの覇王花”だが、その大きさは通常のラフレシアの三倍、臭いの凶悪さは比べる余地もない。

 名に冠する”オリオン”とは、これまた言わずと知れた、星の座に上げられたギリシャ神話において最高の狩人である。

 その実力は地上のあらゆる獣を狩り尽くして、大地母神ガイアの怒りに触れた唯一の存在だ。

 ”万獣殺しの覇王花”は獣のみに効く致死性の臭いを放つ、まさに”オリオン”の如き花なのだ。

 「氷は……ティルフィングはんの力?」
 「ん、そうだな……加減が難しいんだ。まだ慣れてないからな」

 先日、闘技場で氷塊を発現させた時の目を吊り上げたアッシュの顔を思い出して双魔は苦笑を浮かべた。

 それを見て鏡華の表情は元の澄ました表情にいったん戻った。

 そして、すぐに口元に手を当ててころころと笑う。そのまま、双魔に近づいてきた。

 「フフフ、良かったなぁ……こない、えらい強い遺物はんと契約出来て……」

 双魔の前で立ち止まった鏡華は背伸びをして双魔の頭へと手を伸ばした。

 「フフフフ……えらいえらい」

 ゆっくりと、優しく頭を撫でられる。

 「……なんだよ」

 この歳になって人に頭を撫でられることなどそうない。照れているのを隠すために、ぶっきらぼうにして見せる双魔を見て、鏡華はさらに楽しそうに頭を撫でる。

 「ほほほ、照れてるん?可愛いなぁ……旦那はん」

 耳元で囁かれる。身体中の血が沸々と温度を上げているのが分かる。

 「あのな……」
 『……ゴホン!……双魔さん、鏡華さん、聞こえますでしょうか?』

 双魔が妙になってきた雰囲気を払拭しようとした時、先手を打つかのようにポケットに突っ込んであった端末から檀の声が聞こえてきた。

 「あ……」
 「…………」

 二人とも忘れていたが檀は「こちらの音声は拾えるようにしてある」と言っていた。つまり、今までの会話は向こうに筒抜けだったということになる。

 『アッハッハッハ!あの!六道が!アッハッハッハ!』

 端末からはその姿を見るまでもなく抱腹絶倒の様子が分かる鈴鹿の大笑いも聞こえてくる。

 「…………」

 鏡華の顔がボッと火のついたように赤く染まる。恥ずかしさが暴走したのか、そのまま一言も発さずに双魔から離れると顔を背けて地蔵のように固まってしまった。

 『鈴鹿さん、笑いすぎですよ…………双魔さん、そちらの決着は着いたようですが……』
 「あ、ああ。正体は予想通り鵺だった。丸っと冷凍封印したから後の処理は任せる」
 『冷凍……?詳しいことは分かりませんが承知しました。今、そちらに部下たちと向かいますね』
 「ああ、よろしく……」

 頼む、そう言って会話を終わろうとした時だった。さくさく、じゃりじゃりとわざとらしい足音を鳴らして何者かがこちらに近づいてきた。

 「へへへ……鵺がやられたと思って見に来てみれば……聞いてた魔術師ってのはあんたのことだったんですね、お若いの」
 「……アンタは」
 予想だにしなかった人物の登場、今宵の化物退治はまだ、終幕とはいかないようだ。
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