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第三章「京の夜の虎鶫捕物帳」

第86話 化け物の正体

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 雲一つない空に煌々と浮かぶ月に照らされる川原。

 双魔は手を前にかざした。

 「配置セット

 流れる川のすぐそばに緑色の魔法円が一つ浮かび上がる。大きさは直径二メートルほどでそれほど大きいものではない。

 「惹きつけしは邪悪なる獣、魔性たる獣”魅惑の魔チャーム・イビル・榲桲クウィンス”!」

 魔法円の中に葉の茂った一本の樹木が出現する。

 「花咲け、実れ」

 双魔が唱えると一瞬、枝葉がざわざわと揺れる。そして、枝に幾つものと蕾が現れて、次々と開花する。白と薄桃色のグラデーションが綺麗な花だ。

 しかし、それもすぐに枯れて小さな緑色の実が実る。実はぶくぶくと大きく、歪な形になり、色は黄色に染まった。

 その場に蠱惑的で甘露な匂いが立ち込める。

 「あらぁ、えらい甘い匂いやね……双魔、それは?」
 「ん、魔性の獣を引き寄せる榲桲の木だ。本来ならその辺の動物型の付喪神もホイホイ釣られてくるが……今なら大丈夫だろ」

 榲桲まるめろとは日本では晩秋によく目にする花梨、それに似た果物だ。各神話体系に存在する”黄金の果実”の近似種とされることが多く、多くの者を引き寄せる魅惑の果実だ。

 双魔が召喚したものはその中でも魔獣や魔物、妖怪などをよく惹きつける種類である。

 「匂いも順調に拡がっているはずだ…………そろそろ来るはずだ。準備をしてくれ」

 双魔が振り返って鏡華を見た直後だった。

 「ヒョーーーーーーーーー!!」

 何処からか不気味な咆哮が上がった。そして、強力な瘴気の塊が猛スピードで近づいてくる。

 「…………来たな」


 「双魔!四条大橋の方見て!」

 鏡華に言われて北の方角を見ると黒煙を纏った巨大な何かが宙を駆けてこちらにやってくるのが見えた。
 「ん、思ったより俊敏そうだな!」

 双魔は後退して鏡華を庇うようにして右手に握ったティルフィングを前にして半身で構えた。

 ズシャーーーーー!!

 「ヒョーーーーーーーーー!!ヒョーーーーーー!!」

 次の瞬間、黒煙の塊が川原に積もった雪と大量の小石をまき散らしながら榲桲の木のすぐ傍に落ちてきた。

 「チッ!ハッ!」

 構えていたティルフィングから剣気を放出させて逆袈裟懸けに振り抜く。

 剣気は双魔たちの前に紅のヴェールの如く、ふわりと柔らかく舞い、飛んできた雪や小石を阻むと霧のように空気に溶けて消えた。

 じゃらじゃらと音を立てて紅玉と化した小石が川原に転がる。

 一方、黒煙の塊はそんなことなど全く気にしない様子で榲桲に興味津々と言った風にぼんやりと眼を赤く光らせている。

 「…………」

 ゆっくりと榲桲の果実に顔と思われる部位を近づける。どうやら匂いを確かめているようだ。

 やがて、我慢が効かなくなったのか木に突っ込んだ。ガサガサと音をたてて果実をもぎ取り咀嚼しているようだ。

 やはり、あそこが頭なのだろう。しかし、面妖なことに頭の上部からも果実が消えていく。口が二つあるのだろうか。

 何はともあれ、謎の怪物は魅惑の果実に夢中だ。脇目もふらずに榲桲の実を食べている。

 双魔は空いている左手で刀印を組み、人差し指の先端が軽く鼻先に当たるように構えて呪文の詠唱を始めた。
 「榊、その神気満ちたる聖木を持って起点と為す!」

 先ほど双魔とティルフィングで蒔いた種の内の一つがぴょこりと発芽し、瞬く間に葉の青々と茂る榊の成木が川原に根を下ろした。

 「あずさ、その清廉なる白き花は魔を除かん!」

 榊の対角の位置が緑色に発光し、同じように梓の木が生えて、白い花が満開となる。

 「御酒草みきくさ、その実に宿りしは天下に聞こえし鬼滅の気勢!」

 三点目が発光。”御酒草”とは桃の木の別称である。成木した枝には桃色の花が咲き誇り、所々にある青葉の枝には丸々とした実なっている。

 「柏木、その葉守の神力は木々の力を盤石にせん!」

 最後の四点目には柏の木がその幹を表し、生命力溢れる大きな葉を幾枚も茂らせた。柏の木には葉守の神、すなわち”樹木の守り神”が宿る。その力は榊、梓、桃の祓魔の力を増幅させる効力あお発揮するのだ。

 「”封魔四樹結界ふうましじゅけっかい”!」

 詠唱を完成させると四本の木が線で結ばれ、その線上に半透明の緑色障壁が形成される。

 これにより、正体不明の化物は閉じ込められてしまったわけだが、そんなことにも気づかずに黒煙の塊は榲桲の実を貪っている。

 「鏡華、頼む」
 「はいはい、ほな」

 鏡華が前に進み出て抱えた浄玻璃鏡を結界の中の獣へと向ける。

 「みかがみにうつりしかげはうつしよのそらごとなしぞまことなりける」

 詠唱と共に水晶が光を徐々に強めていき、終わりと共に収束する。束ねられた光は鏡面の中で水面に浮かぶ泡のように揺らめいている。

 「”照魔の射光”」

 静かに、鏡華が呟くと、浄玻璃鏡鏡から紫色の光線が放たれた。

 「ッ!?ヒーーーー!!」

 果実に夢中になっていた怪物も今度は反応した。浄玻璃鏡の剣気を察知し、地を蹴って回避行動をとるが既に手遅れ。怪物は紫光に包まれる。

 「ヒョーーー!!」

 紫光は怪物の纏った黒煙を剥ぎ取っていく。段々と怪物の姿が露になっていく。

 その四肢は虎柄の毛に包まれ、獰猛な爪がぬらりと不気味な光を放つ。

 長い長い鞭のような尾は鱗を持ち、先端では蛇頭がチロチロと舌を出し、無機質な眼が双魔たちを捕える。

 身体は茶、白、黒の長い毛に覆われてずんぐりとしている。

 そして、頭部。毛に覆われた頭に真っ赤な顔、剥きだした鋭い犬歯、爛々と赤く光る眼が尾の蛇と同じようにこちらを見ている。その表情は警戒と憤怒に染まっているようにも見える。

 「双魔…………あれ……なんで?あれは……討たれたはずと違うの!?」

 「ん、剣兎と俺の予想通りだな……その頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇。トラツグミの声を持ち、京の夜を飛び回る。源三位入道こと源頼政に討滅された妖……その名は”ぬえ”!」

 「ヒーーーーーヒョーーーーーーー!!!」

 古の京を跋扈した異形の怪物は耳をつんざき、夜闇を震わせる大咆哮を上げ、双魔と鏡華の二人と対峙した。
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