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第四章「物狂の刀鍛冶」
第88話 川に潜む影
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目の前に突然現れたのは見覚えのある人物であった。
「アンタ、どうしてこんなところにいるんだ?」
くたびれた上下ベージュのスーツ、白髪混じりの頭、そして無造作に生えた無精髭。
「いやいや、その節はお世話になりやした」
頭を掻きながら軽く頭を下げる男。
つい昨日の出来事だ。その顔を忘れるはずもない。目の前に立っているのは昨日、双魔が蕎麦屋で代金を払ってやった男だった。
「そのことはもういい……何故こんなところにいるのかと聞いている」
「へへへ、お若いの。そんなことわざわざ聞くもんじゃありやせんぜ?分かっているでしょう?あっしがそいつを復活させたからに決まってるじゃあないですか」
「っ!?」
飄々とした雰囲気を全く崩さずに、男はとんでもないことを宣った。目の前に立つ男は、今、京で起きている怪異の片方が自分の所業だとはっきりと、自分の口で明言したのだ。
『…………』
端末の向こうの檀たちは沈黙を保っている。状況が詳らかになっていない現在の最善手を取って、すぐに対応できるように態勢を整えているのだろう。
その意を汲んで双魔は無精髭の男と対峙する。
「……どうやって鵺を蘇らせたのか知らんが……怨霊鬼もアンタの仕業か?」
「…………おん、りょうき?」
男が髭を撫でながら、「はて」といった風に首を傾げる。
「……仮面を着けた大男のことだ」
「ああ、ああ、そっちも知ってるんですかい?そりゃあ、勿論。あっしがやりやしたよ。それにしても”怨霊鬼”ですか、そいつは中々いい呼び名だ!」
男がいかにも愉快と言いたげにニヤリと笑って見せる。
「目的は?」
「へへへ、売り込みでさぁ。いや、試用期間っていうんですかね?兎に角、とあるお方に雇われてるんですよ」
「そうか……分かった。これ以上は話したくないだろうからな……」
「おっと、お若いの。やっぱり、話が分かる御仁ですな!それでは、あっしはこれにて……っとっとっと!?……お若いの?」
そのまま背を向けてこの場を去ろうとした男の前に紅氷の壁が出現し、その行く手を遮った。
「ここで逃がすと面倒だ。陰陽寮の協力を快諾した以上俺にもこの件を解決する責任がある…………それに、アンタが首謀者なら許せない理由もある」
脳裡に浮かぶのは痛々しい姿の剣兎だ。部下を守って負傷を負った友を誇りに思うと共に、犯人を許しては置けないという強い思いが双魔の瞳に灯った。
「あらぁ……あんはん……」
羞恥心から復活を遂げたのか鏡華が双魔の傍まで戻ってきた。何やら無精髭の男のことを知っているような口ぶりだ。
「……?お嬢さん、あっしと何処かでお会いしやしたかね?」
「ううん、うちはあんはんと会ったことないよ……でも」
「……でも、何です?」
「双魔」
無精髭の男との会話を打ち切って鏡華は双魔に声を掛けた。
「ん?なんだ?」
男の一挙手一投足から意識を逸らすことなく、耳だけを貸す。
「うちな、昔、おじじさまに面白い話聞いたんよ。禁裏にお仕えしたっていう刀鍛冶の話」
「……刀鍛冶?」
鏡華は突然何の話を始める気なのだろうか。双魔が怪訝に思ったその時だった。目の前の男の雰囲気が明らかに変わった。
「……」
それまでは飄々とした態度を一切崩さずに、仮面が張り付いたかのようにへらへらと笑顔を浮かべていたのが、一変、上がっていた口角は引き締まり、眼光鋭く、陽炎のようにゆらゆらと殺気が漏れ出しはじめた。
「…………」
双魔は男がいつ仕掛けてきてもいいように左腕で鏡華を抱き寄せる。
「その刀鍛冶の腕はまるで天奇眼一箇条命のように素晴らしく、大岩や鉄の塊を易々と両断する刀を幾振も作った。やがて、帝にも認められるその刀は熱田の社に奉納されるまでにもなった。刀鍛冶はまさに栄華を極めた」
”天奇目一箇命”は天岩戸に籠った天照大御神を誘き出す儀式の際に、斧などを作った鍛冶の神の名だ。いかに刀鍛冶の腕が高かったかが分かる。
鏡華が話を進めるにつれて男の殺気は鋭くなっていく。
「でも、ある日から、刀鍛冶に影が差すようになった。生み出す刀は段々と邪気を放つようになり、ついには呪刀、当代における御伽噺級遺物まで作れるようになった。それでも、まだ、禁裏の、特に先帝はいずれ元に戻って素晴らしい刀を打つだろうと信じた」
鏡華は感情のない機械のように淡々と話を続ける。暗褐色の瞳はただ、無精髭の男を映している。
「先帝の判断は間違っていた。何故なら、その頃の京を騒がせていた連続殺人鬼の正体はその刀鍛冶だったのだから。目的は一切不明。その身を捕縛される前に刀鍛冶は姿を消した。その後、行方を知る者は一人もいない……その刀鍛冶の名は千子……」
「…………!」
「ッ!?シッ!」
鏡華が刀鍛冶の名を告げようとしたその瞬間、無精髭の男が目にもとまらぬ速さで腕を動かした。
双魔はそれに瞬時に対応。剣気で生み出した紅氷の刃を飛ばして鏡華が目掛けて投擲された何かを打ち落とす。
パキッ!パキッ!カランッ!カランッ!
氷に弾かれて地面に落ちたのはそれぞれ黄色と赤黒い刃の二振りの小刀だった。
「お嬢さん、それ以上はいけねえや…………まあ、今夜はもう一つ、実験に付き合ってもらうとしやしょう。それで、手打ちでさぁ」
そう言うや否や男は懐から一枚の符を取り出すとそれを真っ二つに破いた。
「……なんだ?」
『ソーマ!川だ!川から何か来る!』
空気を読んでいたのかずっと口を結んでいたティルフィングがそう叫んだ。
「ん、川だと?」
川の流れの中には双魔たちの予想の外にいた者たちが彷徨う亡霊のように立っていた。
「アンタ、どうしてこんなところにいるんだ?」
くたびれた上下ベージュのスーツ、白髪混じりの頭、そして無造作に生えた無精髭。
「いやいや、その節はお世話になりやした」
頭を掻きながら軽く頭を下げる男。
つい昨日の出来事だ。その顔を忘れるはずもない。目の前に立っているのは昨日、双魔が蕎麦屋で代金を払ってやった男だった。
「そのことはもういい……何故こんなところにいるのかと聞いている」
「へへへ、お若いの。そんなことわざわざ聞くもんじゃありやせんぜ?分かっているでしょう?あっしがそいつを復活させたからに決まってるじゃあないですか」
「っ!?」
飄々とした雰囲気を全く崩さずに、男はとんでもないことを宣った。目の前に立つ男は、今、京で起きている怪異の片方が自分の所業だとはっきりと、自分の口で明言したのだ。
『…………』
端末の向こうの檀たちは沈黙を保っている。状況が詳らかになっていない現在の最善手を取って、すぐに対応できるように態勢を整えているのだろう。
その意を汲んで双魔は無精髭の男と対峙する。
「……どうやって鵺を蘇らせたのか知らんが……怨霊鬼もアンタの仕業か?」
「…………おん、りょうき?」
男が髭を撫でながら、「はて」といった風に首を傾げる。
「……仮面を着けた大男のことだ」
「ああ、ああ、そっちも知ってるんですかい?そりゃあ、勿論。あっしがやりやしたよ。それにしても”怨霊鬼”ですか、そいつは中々いい呼び名だ!」
男がいかにも愉快と言いたげにニヤリと笑って見せる。
「目的は?」
「へへへ、売り込みでさぁ。いや、試用期間っていうんですかね?兎に角、とあるお方に雇われてるんですよ」
「そうか……分かった。これ以上は話したくないだろうからな……」
「おっと、お若いの。やっぱり、話が分かる御仁ですな!それでは、あっしはこれにて……っとっとっと!?……お若いの?」
そのまま背を向けてこの場を去ろうとした男の前に紅氷の壁が出現し、その行く手を遮った。
「ここで逃がすと面倒だ。陰陽寮の協力を快諾した以上俺にもこの件を解決する責任がある…………それに、アンタが首謀者なら許せない理由もある」
脳裡に浮かぶのは痛々しい姿の剣兎だ。部下を守って負傷を負った友を誇りに思うと共に、犯人を許しては置けないという強い思いが双魔の瞳に灯った。
「あらぁ……あんはん……」
羞恥心から復活を遂げたのか鏡華が双魔の傍まで戻ってきた。何やら無精髭の男のことを知っているような口ぶりだ。
「……?お嬢さん、あっしと何処かでお会いしやしたかね?」
「ううん、うちはあんはんと会ったことないよ……でも」
「……でも、何です?」
「双魔」
無精髭の男との会話を打ち切って鏡華は双魔に声を掛けた。
「ん?なんだ?」
男の一挙手一投足から意識を逸らすことなく、耳だけを貸す。
「うちな、昔、おじじさまに面白い話聞いたんよ。禁裏にお仕えしたっていう刀鍛冶の話」
「……刀鍛冶?」
鏡華は突然何の話を始める気なのだろうか。双魔が怪訝に思ったその時だった。目の前の男の雰囲気が明らかに変わった。
「……」
それまでは飄々とした態度を一切崩さずに、仮面が張り付いたかのようにへらへらと笑顔を浮かべていたのが、一変、上がっていた口角は引き締まり、眼光鋭く、陽炎のようにゆらゆらと殺気が漏れ出しはじめた。
「…………」
双魔は男がいつ仕掛けてきてもいいように左腕で鏡華を抱き寄せる。
「その刀鍛冶の腕はまるで天奇眼一箇条命のように素晴らしく、大岩や鉄の塊を易々と両断する刀を幾振も作った。やがて、帝にも認められるその刀は熱田の社に奉納されるまでにもなった。刀鍛冶はまさに栄華を極めた」
”天奇目一箇命”は天岩戸に籠った天照大御神を誘き出す儀式の際に、斧などを作った鍛冶の神の名だ。いかに刀鍛冶の腕が高かったかが分かる。
鏡華が話を進めるにつれて男の殺気は鋭くなっていく。
「でも、ある日から、刀鍛冶に影が差すようになった。生み出す刀は段々と邪気を放つようになり、ついには呪刀、当代における御伽噺級遺物まで作れるようになった。それでも、まだ、禁裏の、特に先帝はいずれ元に戻って素晴らしい刀を打つだろうと信じた」
鏡華は感情のない機械のように淡々と話を続ける。暗褐色の瞳はただ、無精髭の男を映している。
「先帝の判断は間違っていた。何故なら、その頃の京を騒がせていた連続殺人鬼の正体はその刀鍛冶だったのだから。目的は一切不明。その身を捕縛される前に刀鍛冶は姿を消した。その後、行方を知る者は一人もいない……その刀鍛冶の名は千子……」
「…………!」
「ッ!?シッ!」
鏡華が刀鍛冶の名を告げようとしたその瞬間、無精髭の男が目にもとまらぬ速さで腕を動かした。
双魔はそれに瞬時に対応。剣気で生み出した紅氷の刃を飛ばして鏡華が目掛けて投擲された何かを打ち落とす。
パキッ!パキッ!カランッ!カランッ!
氷に弾かれて地面に落ちたのはそれぞれ黄色と赤黒い刃の二振りの小刀だった。
「お嬢さん、それ以上はいけねえや…………まあ、今夜はもう一つ、実験に付き合ってもらうとしやしょう。それで、手打ちでさぁ」
そう言うや否や男は懐から一枚の符を取り出すとそれを真っ二つに破いた。
「……なんだ?」
『ソーマ!川だ!川から何か来る!』
空気を読んでいたのかずっと口を結んでいたティルフィングがそう叫んだ。
「ん、川だと?」
川の流れの中には双魔たちの予想の外にいた者たちが彷徨う亡霊のように立っていた。
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