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#85 王子様からの贈り物 ⑴
しおりを挟む朝、いつものようにキッチンで朝食の準備に励んでいると、これまたお決まりのように壁際のサイドテーブルの上の水槽から愛梨さんの声が響き渡った。
【ねぇ、菜々子ちゃん? 創がまだ起きてきてないようだけど、まだ眠ってるのかしら?】
どうやら朝に弱い息子である創さんが、出勤する時間になっても姿を現さないものだから、案じているようだ。
昨日は思いがけず嬉しいことがあって、いつもに輪をかけて元気いっぱいだった私は、頗る元気な声を放っていた。
「あぁ、大丈夫ですよ。なんでも、結婚式が終わったら仕事が忙しくなっちゃうとかで、新婚旅行もすぐには行けそうにないらしいんですけど。その代わり、ご当主の配慮で、今日から一週間、急遽お休みをもらえることになったらしいんです」
説明を終えた私は、ついさっき挽き終えたばかりのコーヒーの粉に、適温に沸かしてあったケトルのお湯をそうっと静かに注ぎながら、鼻歌なんか歌ってしまっている。
ドリップしたばかりのコーヒーのなんともいえない芳ばしい香りが鼻腔を擽り、思わずうっとりと目を細めて。
「あ~、いい香り~」
なんて呟いちゃっている始末。
そんな上機嫌な私をよそに、愛梨さんはどこか寂しそうな声音で。
【……そう。あの子なりにけじめをつけようとしてるのかもしれないわねぇ】
独り言でも呟くようにしてボソボソと小さな声で、何かを口にしていたようだったけれど。
鼻歌を歌いながら独り言ちていた私には、ハッキリ聞き取ることなどできなかった。
気になった私が、すぐに訊きかえしてみても。
「……? 愛梨さん? どうかしましたか?」
【ううん、何でもないのよ。こっちの話】
結局、愛梨さんが何を呟いていたのか分からず終いだった。
けれども、どうやらカメ吉に転生している愛梨さんだからこそ、想うところがあるようで。
【親なんて無力なものよねぇ。こんなに近くに居たって何もしてあげられないんだから】
「……」
いつも底抜けに明るい愛梨さんらしからぬ憂いを孕んだ寂しげな声音に、何かを返したくとも、どういって声をかけていいかが分からない。
急に黙りこくってしまった私に向けて。
【菜々子ちゃんはいつも明るくて優しいし、素直で裏表がなくて、話しやすいものだから、つい、愚痴を零してしまったわ。ごめんなさいね】
謝ってきた愛梨さんの予想外な言葉がなんだか擽ったく感じてしまい。
「……いえ、そんなことは」
すぐに打ち消した私に、いつになく真剣な声音で語り始めた愛梨さんの様子に、私はドリップしていた手を止めて、水槽の置いてある方へと向きあい、愛梨さんの話に耳を傾けていた。
【きっと創もそうだと思うの。あの子は私に似て、引っ込み思案なところがあるから、上手く伝えられないこともあるかもしれないけど。菜々子ちゃんのことをとっても大事に想ってるはずよ。だから、もし何があっても、創のことを信じてあげて欲しいの。お願いね?】
愛梨さんがどうして急にそんなことを言い出したのかは分からないし。
途中、『私に似て、引っ込み思案なところがある』という言葉に、愛梨さんのどこが? と少々引っかかりもしたけれど。
創さんと過ごしたこれまでのことを振り返ってみた。
これまで創さんと一緒に暮らしてきた中で、強引だったり、意地悪だったり、不器用だったり。
そうかと思えば、メチャクチャ優しかったり、頼もしかったり、子供みたいにはしゃいでみたり。
創さんのいいところも悪いところも、全部ひっくるめて、創さんのことを好きになったんだろうと思う。
それは、愛梨さんの言うように、いつだって創さんが私のことを大事に想ってくれていたからに違いない。
だから私は、愛梨さんに向けて頗る元気な声で即答していた。
「はいッ! 勿論ですッ! 任せてくださいッ!」
そしてそれを、いつものようにちょこんと寝癖のついた髪をツンツン弄りつつ。
「……今日も朝から元気だなぁ」
なんて言いながら、トレードマークであるチェック柄のパジャマ姿でキッチンの入り口へと姿を現した、まだ寝ぼけ眼の創さんに、どうやら愛梨さんとの会話を聞かれてしまっていたようだ。
一体、どこから聞かれていたのかとドキドキしまくりの私の元に歩み寄ってきた創さんに、気づけば、いつぞやのように背後から腕に包み込まれてしまっていて。
「////……!? えっ、と、あの」
どう言って説明すればいいのかという焦りと、羞恥のせいで真っ赤になって狼狽えることしかできずに居る私は、
「……で、どこに行くか決まったのか?」
背後から抱き竦めた私の肩に顔を埋めてきた創さんに甘さを孕んだ優しい声音で、耳元でそう尋ねられハッとした。
何故なら、朝からはしゃいでいた理由でもあった、創さんとの”初デート”のことをスッカリ失念してしまっていたからだ。
実は昨日、帰宅早々、創さんに、父親との対面が一週間後に決まったことと、『それまでの一週間休みをもらったから、行きたいところを考えておいてくれ』、そう言われてずっと考えていたのだが……。
なにせ、今まで色恋に縁なんかなく、色々妄想しているだけで、胸がいっぱいで、結局決められずにいたのだった。
――ど、どうしよう。
創さんとの初めての記念すべき初デートなのに、頭が真っ白になって、なんにも思いつかないよ。
「……その様子だと、まだ決められないようだな? まぁ、急なことだったからなぁ。じゃあ、明日からの予定はこれからゆっくり決めるとして。今日は天気もいいし、水族館に行ってみないか?」
たかが初デートにテンパってしまっているところ、創さんからの思わぬ助け船に救われた私は、思いの外大きな声を放ってしまってて。
「はっ、はいッ! 水族館メチャメチャ行きたいですッ!」
「ハハッ、じゃあ、決まりだな」
「はいッ! すぐに準備しますッ!」
「おい、待て待て。その前に朝食だろ?」
「あっ! そうでしたッ!」
「ハハハッ」
創さんとの初デートに意識がトリップしてしまっている私は、いつにも増してうっかり者の本領を発揮し、創さんに朝から何度も笑い飛ばされてばかりいた。
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