上 下
93 / 111

#92 父として ⑴

しおりを挟む

 いつしか朝を迎えてしまっていたようで、いつも通りスマートフォンのアラーム音が『早く起きろ』と容赦なく急かしていたようだったけれど。

 創さんと過ごした極甘のひと時のお陰で、身体は怠くて重いし眠いわで、どうやら寝惚けていたらしい私は無意識にアラームを解除し、創さんのあたたかな腕の中でふたたび深い眠りの世界へ誘《いざな》われていたようだ。

 今度こそ目を覚ました私がまだ気怠さの残る身体で、のろのろと起き上がった時には、もう既に創さんの姿どころか、ぬくもりさえも残ってはいなかった。

 微睡みのなかで、創さんが、

『じゃあ、行ってくる。元気でな』

そう言って私の額にそうっと触れるだけのキスを降らせてくれたような記憶がまだ微かに残っている。

 けれどあまりに曖昧で、あれは夢だったのか現実だったのか……。

 シーンと静まりかえった広い寝室の中をぼんやりと見渡しているところに、枕元に置いてあったスマートフォンの電子音が鳴り響いて、その音にビクッと肩を跳ね上げた私の意識はそこで瞬時に覚醒し。

――ど、どうしよう。

 朝食の準備どころか、しばらく逢えなくなっちゃうのに、創さんを見送ることもできなかったなんて、もう最悪だ。

 目覚めると同時、自分のやらかしに落胆し、あんなに幸せモード全開でピンク一色だったのに、朝から気分は灰色一色だった。

 そんな私のことなど知ったことかというように、着信を知らせるスマートフォンの電子音はやけにしつこく鳴り響いている。

――あっ、もしかして創さんかも。

 慌てて引き寄せたスマホの画面に、自分で登録してあった『死神』という文字が見て取れた途端。

「なんだ菱沼さんかぁ」

 ガッカリしてしまった私が悪態をつきつつも着信に応じたところ。

『やっと目を覚ましたようだな。一〇時に迎えに行く。それまでに準備しておけ』

 腹の立つくらい落ち着き払った冷たい声で監視カメラでも仕込んであるのかと思うような菱沼さんの鋭い指摘に動揺しつつも時計を確認すると、菱沼さんに告げられた時間までもう三十分もない。

 慌てて飛び起きて準備に奔走したのが功を奏し、五分ほど前にお馴染みの黒塗りの高級車の後部座席に乗り込むことができ、なんとか間に合ったと、ふうと息を吐いて菱沼さんの声に耳を傾けていた。

 菱沼さんの話によると、創さんは会社で諸々の用事を済ませてから、その脚で空港に向かうため、私には同行できないということで、菱沼さんに託してくれていたらしい。

 『パティスリー藤倉』での父親との対面には、創さんの代わりに、伯母夫婦と恭平兄ちゃんが立ち会ってくれることになっているらしかった。

 そうして今、『パティスリー藤倉』の自宅の客間である和室にて、父親との対面を果たしているのだけれど。

 どういう訳か、そこには桜小路家のご当主であり創さんの父親でもある、創一郎さんの姿もあった。

 それだけでも吃驚なのに、私が到着してからずっと沈痛な面持ちで背筋を正していた創一郎さんは、全員が揃うと同時、私の眼前で土下座すると。

「今日は創の父として、愚息の不始末を詫びに参りました。創から聞きました。まさか、菜々子ちゃんのことを人質にしていたなんて。その上、身代わりにしようとしていたなんて、つい先程義兄からその旨を聞き、大変驚きました。呆れ果てて返す言葉もございません。この度は本当に申し訳ございませんでした」

 畳に額をこれでもかというように擦りつけたままで謝罪の言葉を並べ立てた。

 土下座なんてするものだから、一体何事だろうかと慄いていたのだけれど、どうやら創さんが私のことを人質にした件で謝ってくれているらしい。

 けれども、どうやらそれだけではないようで、『身代わり』なんて言葉がご当主の口から飛び出してきた。

 確かに、人質にされてはいたけれど、『身代わり』にされた覚えは一切ない。

「あのう、『身代わり』ってどういうことですか?」

 疑問を口にした私の言葉に応えてくれたのは、これまで静観を貫いていた父親の方だった。

「創くんは誤解していたようだが。実は、君は僕の娘ではないんだよ。君の父親は、十五年前に亡くなった僕の弟でね。そのせいか、僕の娘の子供の頃に君がよく似ているんだよ。けどまさか、本当に身代わりにしようとしていたなんてね」

 父親だったと思っていた人が実は父親のお兄さんで、父親は既に亡くなっているのだという。

 それから、人質だけでなく、道隆さんの娘である『咲姫』さんの身代わりにまでされていたなんて……。

 ちょうどそこへ、桜小路家へ挨拶に行った折、創さんの部屋で目にした道隆さんの娘さんである咲姫さんだと思われる、私によく似た女の子の写真が脳裏に浮かび上がってくるのだった。

 いっぺんに色んな情報が激流の如く流れ込んできて、ただでさえ収集がつかないのに、ショックを隠せないでいる私の頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私が、スパイに間違われた理由をさぐる 

鏡子 (きょうこ)
エッセイ・ノンフィクション
何故、スパイに間違えられたんでしょう?

妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――

北の屍王

伊賀谷
歴史・時代
新選組の山野八十八が蝦夷地で死なざる者――屍士と戦う! 鳥羽伏見の戦いから敗走してきた旧幕府軍は北の果て蝦夷地にあった。 山野八十八は蝦夷島政府の土方歳三から、遊郭での殺しの探索を命じられる。 そこで八十八は死してなお動く亡骸に遭遇する。 新政府軍の総攻撃を受ける蝦夷地で八十八と屍士との死闘が始まる。

1333

干支ピリカ
歴史・時代
 鎌倉幕府末期のエンターテイメントです。 (現在の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』から、100年ちょい後の話です)  鎌倉や京都が舞台となります。心躍る激しい合戦や、ぞくぞくするようなオドロオドロしい話を目指そうと思いましたが、結局政治や謀略の話が多くなりました。  主役は足利尊氏の弟、直義です。エキセントリックな兄と、サイケデリックな執事に振り回される、苦労性のイケメンです。  ご興味を持たれた方は是非どうぞ!

最強魔剣士が今更だけど魔法学校に通います

うずら
ファンタジー
人類最強の魔剣士アルス・マグナは、長年続いていた魔族対人類の戦争をたった一人で終わらせてしまう。 そんな彼には、学校に通って人並みの青春を謳歌したいというささやかな夢があった。 これは魔導を極めし少年アルスと、そんな彼に振り回されるクラスメイト達(主に委員長)の日常青春物語。

冴えない女になぜか美男子が言い寄ってきます。

ぽぽ
恋愛
30歳でありながら恋愛経験がなく、見た目も冴えない女、佐藤ユイに突然告白をしたのは、有名大学に通いモデルまでつとめる、ハイスペック大学生の伊藤環。 最初は冗談かと感じていたが、彼の態度に心が突き動かされる。 「一目惚れしました」 「本当に可愛い」 甘い言葉を吐き、ユイとの距離を縮めていく そんな彼には大きな秘密があった。 「騙される方が悪いから」 R18要素がある場合は※をつけます。

ざまぁから始まるモブの成り上がり!〜現実とゲームは違うのだよ!〜

KeyBow
ファンタジー
カクヨムで異世界もの週間ランク70位! VRMMORゲームの大会のネタ副賞の異世界転生は本物だった!しかもモブスタート!? 副賞は異世界転移権。ネタ特典だと思ったが、何故かリアル異世界に転移した。これは無双の予感?いえ一般人のモブとしてスタートでした!! ある女神の妨害工作により本来出会える仲間は冒頭で死亡・・・ ゲームとリアルの違いに戸惑いつつも、メインヒロインとの出会いがあるのか?あるよね?と主人公は思うのだが・・・ しかし主人公はそんな妨害をゲーム知識で切り抜け、無双していく!

処理中です...