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#35 優しい甘さのコンポート ⑴
しおりを挟む【どうしちゃったの? 菜々子ちゃん。今日はなんだかご機嫌斜めのようねぇ】
「べ、別に、そんなことないですよ。いつもと一緒です」
【ん~。そうは見えないわぁ。あっ! もしかして。昨夜、創とケンカでもしちゃったのかしらぁ】
「違いますッ! 私は愛梨さんと違って忙しいので、部屋の掃除に行ってきます。それじゃあ」
【あらあら、つれないのねぇ】
翌朝、いつものように桜小路さんが出勤してからキッチンで食器の片付けをしていた私は、壁際のサイドボード上の水槽から話しかけてくる愛梨さんの言葉をのらりくらりとかわしていた。
……のだが、鋭い突っ込みにとうとう堪りかね、私は愛梨さんをキッチンに残して部屋の掃除に逃げることにしたところだ。
相変わらず空気の読めない愛梨さんだったけれど、妙に勘だけはいいので参ってしまっていたのだ。
昨夜は、桜小路さんがどんなことを仕掛けてくるか心配だったため、愛梨さんをカメ吉ルームに丁重にお連れしていたため、幸いにも愛梨さんには、あの場面は目撃されてはいない。
でも勘が鋭い愛梨さんのことだ。いつ何時《なんどき》、ズバリ言い当てられないとも限らない。用心しなきゃ。
ーーそうでなくとも、あの桜小路さんのお母様なんだから。
何かあっても絶対息子である桜小路さんの味方に付くはずだ。
そう思ったら、すっかり引っ込んで燻っていたはずの怒りが腹の底からぶわっとこみ上げてくる。
それと一緒に、昨夜見た桜小路さんの超どアップのイケメンフェイスが脳裏に鮮明に浮かび上がってきてしまう。
たちまち私の顔から全身にかけてが火を噴くように熱くなってきた。
原因は、昨夜の桜小路さんの自意識過剰な台詞にもあるけど、その直後から、それを有言実行してきた桜小路さんの暴挙のせいだ。
昨夜、私が食事を摂っている間、桜小路さんはバスルームにいた。それからおおよそ二時間は別行動だったので顔を合わさずに済んだ。
けれど私が食事とお風呂も済ませて寝室に戻ると、待ち構えていた桜小路さんは赤子の手をひねるように私のことを捕獲するとベッドへと引きずり込んだ。
何かされるかもとは思ってはいたが、まさかそんなにすぐに行動に移してくるとは思いもしなかったのだ。
寝室に戻った早々、ベッドで組み敷かれて呆気にとられて為す術なく見つめているところへ、あの黒い微笑を湛えた桜小路さんに耳たぶを擽るようにして寄せられた唇が鼓膜に熱い吐息を吹きかけてきた。
そして私が背筋をゾクゾク戦慄させている間にも、
『免疫を付けるにはまずはスキンシップが重要だからなぁ。それに、いつもくっついていたら親近感も増すだろうし、免疫のないお前が俺のことを意識するにはもってこいの方法だ。おまけにお前の抱き心地は格別だから、抱き枕に丁度いい』
好き勝手に囁いてきた桜小路さんに何か言い返したくとも、耳に熱い息が掛かるせいか身体に力が入らない。
それを知ってか知らずか、続けざまに、やっぱり耳に熱い吐息をかけつつ、
『なにより、お前からは仄かに甘い香りがするから癒やされる。でも、いくら甘い香りがするからって寝込みを襲わないようにしないとなぁ』
わざとらしく、なんとも意地の悪いことを囁かれ、どういうわけか下腹部の辺りがそわそわとするような妙な感覚がして、知らず私は身体をゾクゾクッと小刻みに打ち震わせた。
そんな私の様子に満足げな表情を浮かべた桜小路さんは、耳元に顔を埋めたまま私のことを腕に包み込んで穏やかな寝息を立ててしまったのだった。
お陰ですっかり目が冴えてしまいなかなか寝付くことができなかったのだ。
……といっても、寝付けなかったのは最初のうちだけで、おそらく一時間もしないうちに熟睡していたらしい。
別に桜小路さんの腕の中の居心地が良かったからじゃなく、ただ人肌が心地良かったからに違いない。
少々複雑だが、そのせいか意外にも朝の目覚めは頗る良かった。
けれども桜小路さんにすっぽりと包み込まれている状態だったため、私は朝からあるアクシデントに見舞われてしまったために、前日の朝以上の羞恥に身悶えさせられてしまったのだ。
それは、どうやら朝に弱いらしい桜小路さんに前日のように起きるのを阻止されてしまった時のこと。
「いいからもう少しだけ寝かせろ」
「いや、でも、朝食の準備に取りかからないと」
「別に、毎回朝から手の込んだモノを作らなくても、トーストだけで充分だ」
「ダメですッ! 菱沼さんに怒られちゃいますってばッ!」
「ーーッ!?」
桜小路さんと押し問答しているうちに、手足をばたつかせていた私の身体を足に挟んで阻止しようとした桜小路さんの大事な部分を私が蹴り上げてしまい。桜小路さんは悶絶。私は真っ赤になって固まってしまっていた。
男の人のアレが、朝はそういう風になるモノだという認識はあったものの、実際に触れたことなどなかったのだから無理もない。
けれどもそれをしばらくして悶絶状態から脱した桜小路さんに、
「これくらいのことでそんなに真っ赤になってるようじゃ、まだまだだなぁ。でも、俺のことを意識するには効果は絶大だったかもなぁ。と言っても毎朝は勘弁してほしいがな」
はははっなんてえらく楽しそうに笑い飛ばしながら、面白おかしく揶揄われたもんだから、口からマグマでも噴いちゃうんじゃないかってほど、真っ赤かにさせられて、私は鼻血を噴いてしまったのだ。
そりゃ機嫌も悪くなるってもんだ。
とはいえ、こんなこと愛梨さんに話せないし、鬱憤は募っていくばかりだ。
「あーもう、ヤダー! 思い出したじゃんかー! あの、クソ御曹司ッ!」
朝一の大失態を思い出してしまった私は、鬱憤をぶつけるようにして廊下をドスドスと音を立てつつ、進んでいったのだった。
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