異世界宿屋の小さな相談役

月森野菊

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眠れぬ騎士と、やすらぎのレシピ

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 月が高く登ったある夜、宿り木にひとりの騎士が泊まりに来た。

 名前はセドリック・グレンフォード。
 かつてミーム王国の北の国境にある砦で副隊長を務めていた、堅実な剣士だった。

 その背筋はぴんと伸び、身なりも粗はない。
 けれど、その目は暗く深く、眠れぬ夜をいくつも越えてきた者のそれだった。

「部屋は静かなところで。……できれば、人通りのない側を」

 言葉を選ぶような低い声に、母ミーナは気づいていた。
 ――この人は“静けさ”を求めているのではなく、“気配から逃れている”みたいね。

 セドリックはその夜、宿の食堂にも姿を見せなかった。

 しかし、暖炉の火が落ちる直前、誰にも気づかれぬようにひとりで現れ、そっと椅子に腰を下ろした。

 その様子を双子は、黙って見つめていた。

 トウマは、その晩、幽霊の老騎士バルノスに相談する。

「バルノスおじいちゃん。あの人、何かを……こらえてる顔だった」

 バルノスはしばし黙し、やがて静かに答えた。

『彼は、戦の中で仲間を失った者の目をしておる。……しかも、それが自らの判断に関わるものであったなら、なおさらじゃ』

 

 セドリックは――かつて王都の命令で、無理のある斥候作戦に部隊を率いた。

 その任務は、国境沿いの村での異変を調査するもので、王都の机上では“危険性は低い”とされていた。

 だが、実際には魔物が潜み、待ち伏せを受けた。

 撤退の判断をわずかに遅らせたことが、仲間数名の命を奪った。

 その日以来、セドリックは眠れなくなった。

 眠りに落ちると、亡くなった仲間たちの声が耳に響くような気がした。

 ――「なぜ引かなかった」
 ――「俺たちは死なずに済んだはずだ」

 それが幻か、自分の心の声かも分からなかったが、
 夜を重ねるごとに、彼は枕元に剣を置くようになっていった。

 

 双子のささやかな「おやすみ大作戦」は動き出す。

 ユウマはラベンダーとカモミールで香りの枕飾りを作り、トウマはアベル特製の“心をほどくホットミルク”を用意。
 クロミとリンリンが、こっそりセドリックの部屋前に置いてきたトレイの上には、メモが添えられていた。

「ねむることは、つよいこと。
 こわくても、つかれてても、ねむると、すこしらくになるよ。
 よかったら、ちょっとだけ、おやすみしてみてね。」

 

 その夜、セドリックは小さな物音に気付きドアを開けると湯気がふわりと上るコップが置いてあった。
 
 拙い文字のメモを読みながらミルクを一口含み、ふとベッドに腰を下ろした。

 ――香りがやさしい。
 ――心が、まるで遠いどこかに帰るような……

 ゆっくりとまぶたが重くなり、 彼は久しぶりに、自然な眠りへと落ちていった。

 

 ──そして夢を見た。

 

 霧の立ちこめる草原。
 目の前には、仲間だった者たちがいた。
 もういないはずの、あの戦で命を落とした者たち。

「お久しぶりです、セドリック様」

 最初に声をかけてきたのは、若い斥候隊員だった男。笑顔を浮かべていた。

「責めてないさ。お前のせいじゃなかった」
 
 別の仲間が、そっと肩に手を置いた。

「……でも、俺は……俺が、命じたせいで……!」

「そうかもしれない。でも、お前がいたから、俺たちは最後まで“戦士”でいられた」

 また別の仲間が、ぽんとセドリックの肩を叩いた。

「最後まで一緒にいられたこと、俺たちは誇りに思ってる。……だから、な?」

 その声に重なるように、風の中で誰かが言った。

「ありがとう」

 

 目が覚めたとき、セドリックの目からは涙が流れていた。
 胸の奥で、長く固く結ばれていた糸が、少しほどけていた。

 

 翌朝、彼はゆっくりと部屋を出てきた。
 少し目が赤く、そして、どこか表情がやわらかかった。

 ミーナが声をかけた。

「よく眠れました?」

 セドリックは、少し驚いたように目を瞬き、それから小さく微笑んだ。

「……はい。……誰かが、夢の中で“ありがとう”と言ってくれました」

 その言葉を聞いて、陰から見ていたトウマとユウマが、お互いの両手でパチンと音を鳴らした。

 クロミが「にゃっ」と鳴いて、リンリンがしっぽでリズムを刻んだ。

 梁の上では、バルノスがまぶしそうに目を細めてつぶやいた。

『眠ることは、癒やしではない。再び立ち上がる準備じゃ。……この者は、また進めるようになる』

 

 こうして、「宿り木」ではまたひとつ、誰にも気づかれずに、心の傷が癒された。

 小さな双子の“相談役”は今日も、笑顔で見送る。

「また、疲れたら……ここに来てね」

 セドリックは、振り返り、静かにうなずいた。

「……そのときは、またあのミルクを頼もうか」

 

 今、彼の歩みに、少しだけ“軽さ”が戻っていた。


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