悪役令嬢にされた私たちで、同盟を組みました

月森野菊

文字の大きさ
7 / 12

第7話「過去を暴く修道院」

しおりを挟む



「修道院跡地、ですって?」

 ティナの声には、あからさまな疑念が混じっていた。
 それも無理はない。貴族の出身として名乗る者が、幼少期に身を寄せていた場所としては、あまりに不自然すぎる。

「けれど、エミリアが言ってたの。『あの子の過去には、必ずヴァルメラ修道院が関係している』って」

 私は王都北方の古地図を机に広げ、指先で赤い印を示す。

「この廃修道院。十年前までは孤児の一時保護施設としても使われていたけれど、ある火災事故を機に閉鎖された」

「それがアリシアと、どう繋がるの?」

 クロエが静かに問う。

「その火災事故の後、なぜか保護されていた少女たちの名簿が消えているの。修道会の記録だけじゃなく、役所の写しも。しかもその直後に、侯爵家の長女アリシアが登場している」

 私は地図の上に、アリシアの記録が出現した年と照らし合わせた紙を置いた。

「火災の直後。数日差。あまりにも、出来すぎてるわ」

 

 数日後。私たちは屋敷を抜け、使用人の協力を得て王都北へ向かう旅に出た。

 目指すは、かつてのヴァルメラ修道院跡地――
 信仰と静穏の場であったはずのその地は、今や訪れる者もなく、風に晒され、時間に蝕まれた石造りの建物が静かに崩れを待っていた。

 白い外壁は煤け、ところどころ瓦礫が散乱し、苔に覆われた中庭は、かつて子どもたちの笑い声が響いていたとは到底思えないほど荒れていた。
 折れた鐘楼の影が、まるで口を閉ざす者のように沈黙を守っている。

 唯一、その存在を今に伝えるのは、門柱にかすかに残された文字――
 ヴァルメラ修道院の刻印だけだった。

 その石文字もすでに風雨で削れかけており、まるでこの場所の記憶ごと忘れ去られることを望んでいるかのように見えた。

 私は思わず立ち止まり、息を呑んだ。





 冷たい風が吹く中、崩れかけた回廊の奥を進んだ。

「……ここ、使われなくなってどれくらい経つのかしら」

 ティナが呟いた。土埃と古い花の香りが、どこか哀しい。

 クロエが静かに、祈りの間へと足を踏み入れる。

「……こっち。ここだけ、床の石が違う」

 彼女の声に私たちは足を止めた。
 確かに、一枚だけ不自然に新しい石が埋め込まれている。

 ティナが短剣で縁をこじ開けると、下からは古い木箱が現れた。

「……まさか、本当に……」

 箱の中には、数冊の古びたノートが収められていた。
 日記。子供の手で綴られた、稚拙な文字で。

 私はページをめくる。
『アリス』という少女の名が、何度も繰り返されていた。

 きょう、アリスはおかあさんににてるっていわれた。
 アリスは、おとなのひとのおきにいりよ。

「……アリス?」

「アリシアではない。でも、綴りが似ている」

 クロエがぽつりと言う。

「きっと、これが本当の名前。ここで育った、あの子の」

 ティナが顔をしかめる。

「つまり、アリシア・ミルフォードは作られた名前。侯爵家の長女という立場も、アリスという身元も、上書きされた」

 私は黙って、日記の最後のページを開いた。



 つぎのひ、おおきなおうちにいくっていわれた。
 きれいなおふだと、きらきらのドレスがあるって。
 でも、ほんとうのなまえは、もうつかっちゃいけない。
 きょうから、わたしは……アリシア。



 ――すべての始まりが、そこに記されていた。

 ここで、アリシアの物語が始まったのだ。

 けれどそれは、誰かに望まれて書かれた序章だったのかもしれない。








 その夜、宿へ戻った私たちは、ノートを前に沈黙していた。

「……彼女は、ただの悪女じゃない」

 ティナがぼそりと呟く。

「そう。たぶん彼女も駒だったのよ。どこかの誰かにとっての、都合のいいヒロインとして」

 クロエが小さく震える声で言った。

「でも……その駒が、今は人を切り捨てて、偽りを築いて、王宮の中心に立ってる」

「私たちが暴くべきなのは、アリシアという仮面の下だけじゃない」

 私は日記を胸元に抱きしめるようにして言った。

「彼女をアリシアにした、この国の歪みそのものを──見極めないといけない」







 夜明けと同時に、私たちは再び修道院跡地へと向かった。
 空はうっすらと雲がかかり、朝靄が瓦礫の隙間を這うように漂っていた。
 昨日とは違う冷たさが空気に宿り、吐く息が白く揺れる。

「……昨日は、ざっとしか見ていない場所もあるわ」

 ティナが地図の写しを広げ、かつての修道院の間取りを照らし合わせながら言う。
 クロエは祈りの間の隅にある、古びた木扉を開き、ランタンを灯した。

「この奥、書庫だったはず。今は崩れて通れないと思ってたけど……ここ、少し隙間がある」

 私たちは互いにうなずき合いながら、身をかがめてその暗い通路へと足を踏み入れる。
 湿った空気と、古い紙の腐りかけた匂い。誰も足を踏み入れなくなって久しい空間だった。

「……ねえ、これ」

 クロエが壁際の棚を指差す。
 崩れかけた木枠の奥、埃まみれの帳簿やノートの間に、違和感のある空白があった。

「ここの一段だけ、他と色が違う……後から手を加えられた?」

 ティナが短剣の柄で叩いてみると、鈍く響いた。

「空洞……中に何かある」

 その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
 崩れた時間の下に、誰かが隠した何かがある。

 私たちは慎重に、埃を払いつつ板を剥がしていく。
 やがて現れたのは、古びた木箱。小さな錠前がかかっていたが、時の経過で脆くなっていたそれは、少し力を加えるだけで音を立てて外れた。

 中には、革張りの小さな日記帳と、名前のない銀のロケット、そして小さな布の切れ端。
 どれも、時間に忘れられるにはあまりにも、個人的で、あまりにも――哀しかった。

「これは……」

 私はそっと日記帳を開き、最初のページに書かれた名前を見て、目を見開く。

 アリス・M

 アリシアの、もう一つの名前。
 ここにあったのは、侯爵家の令嬢ではない、ひとりの少女の生活の記録だった。

 私は、そっと日記のページを開いた。
 中の文字は不揃いで拙いが、それだけに筆者の息遣いが生きているようだった。

 きょう、あたらしいドレスをもらった。
 でも、いちばんきれいなやつは、おともだちのユリアちゃんがつれていかれたあとにもらった。
 せんせいは「アリスはかわいいから、つぎはおまえのばんよ」っていった。

 ひるま、へんなおきゃくさんがきた。おとなのひとたちと、しばらくおへやでおはなししてた。
 わたしは、あしがいたいっていったけど、みんなわらってた。

 きょうから、わたしのなまえはアリシアになるって。
 ほんとうのなまえは、だれにもいっちゃだめっていわれた。
 なんでかきいたら、「神さまがくれた、あたらしいいのち」って。
 でも、わたし、かみさまにたのんでない。

「……これは、育てられた記録ね」

 ティナが小声で言う。

「ただの孤児じゃない。選別されて、演じさせられたのよ。誰かの思い描いた理想のヒロインとして」

 クロエが、箱の中から取り出したもう一つの品――薄桃色の小さな布の切れ端を手に取った。

「……この色、どこかで見たことある」

「刺繍が入ってるわ。花……いや、これは紋章?」

 私は覗き込んだ。
 それは、小さな花の中に羽根と星を組み合わせた、見慣れない意匠だった。

「家の紋章……じゃない。これは、個人の刺繍かしら?」

 クロエが目を細めて言った。

「もし、これが服の一部なら、他にも同じ紋を持つ子がいたかもしれないわ。つまり同じ目的で育てられていた少女が他にもいた可能性がある」

「失踪した名もなき元悪役令嬢たち……?」

「もしくは、表に出られなかった子たち」

 ティナの声は低い。

 ロケットの蓋をそっと開くと、そこには淡い色の髪をした幼い少女と、黒髪の少女が寄り添うように笑っている小さな絵が収められていた。

「……これは、アリスと、もう一人?」

 私たちは顔を見合わせた。

「誰なの、この子」

「まだわからない。でもこの笑顔……これが、仮面じゃない彼女だったのかもしれない」

 私はロケットをそっと閉じる。
 中に残るわずかな香油の香りが、どこか懐かしく、胸を締めつけた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

「俺が勇者一行に?嫌です」

東稔 雨紗霧
ファンタジー
異世界に転生したけれども特にチートも無く前世の知識を生かせる訳でも無く凡庸な人間として過ごしていたある日、魔王が現れたらしい。 物見遊山がてら勇者のお披露目式に行ってみると勇者と目が合った。 は?無理

処理中です...