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第7話「過去を暴く修道院」
しおりを挟む「修道院跡地、ですって?」
ティナの声には、あからさまな疑念が混じっていた。
それも無理はない。貴族の出身として名乗る者が、幼少期に身を寄せていた場所としては、あまりに不自然すぎる。
「けれど、エミリアが言ってたの。『あの子の過去には、必ずヴァルメラ修道院が関係している』って」
私は王都北方の古地図を机に広げ、指先で赤い印を示す。
「この廃修道院。十年前までは孤児の一時保護施設としても使われていたけれど、ある火災事故を機に閉鎖された」
「それがアリシアと、どう繋がるの?」
クロエが静かに問う。
「その火災事故の後、なぜか保護されていた少女たちの名簿が消えているの。修道会の記録だけじゃなく、役所の写しも。しかもその直後に、侯爵家の長女アリシアが登場している」
私は地図の上に、アリシアの記録が出現した年と照らし合わせた紙を置いた。
「火災の直後。数日差。あまりにも、出来すぎてるわ」
数日後。私たちは屋敷を抜け、使用人の協力を得て王都北へ向かう旅に出た。
目指すは、かつてのヴァルメラ修道院跡地――
信仰と静穏の場であったはずのその地は、今や訪れる者もなく、風に晒され、時間に蝕まれた石造りの建物が静かに崩れを待っていた。
白い外壁は煤け、ところどころ瓦礫が散乱し、苔に覆われた中庭は、かつて子どもたちの笑い声が響いていたとは到底思えないほど荒れていた。
折れた鐘楼の影が、まるで口を閉ざす者のように沈黙を守っている。
唯一、その存在を今に伝えるのは、門柱にかすかに残された文字――
ヴァルメラ修道院の刻印だけだった。
その石文字もすでに風雨で削れかけており、まるでこの場所の記憶ごと忘れ去られることを望んでいるかのように見えた。
私は思わず立ち止まり、息を呑んだ。
冷たい風が吹く中、崩れかけた回廊の奥を進んだ。
「……ここ、使われなくなってどれくらい経つのかしら」
ティナが呟いた。土埃と古い花の香りが、どこか哀しい。
クロエが静かに、祈りの間へと足を踏み入れる。
「……こっち。ここだけ、床の石が違う」
彼女の声に私たちは足を止めた。
確かに、一枚だけ不自然に新しい石が埋め込まれている。
ティナが短剣で縁をこじ開けると、下からは古い木箱が現れた。
「……まさか、本当に……」
箱の中には、数冊の古びたノートが収められていた。
日記。子供の手で綴られた、稚拙な文字で。
私はページをめくる。
『アリス』という少女の名が、何度も繰り返されていた。
きょう、アリスはおかあさんににてるっていわれた。
アリスは、おとなのひとのおきにいりよ。
「……アリス?」
「アリシアではない。でも、綴りが似ている」
クロエがぽつりと言う。
「きっと、これが本当の名前。ここで育った、あの子の」
ティナが顔をしかめる。
「つまり、アリシア・ミルフォードは作られた名前。侯爵家の長女という立場も、アリスという身元も、上書きされた」
私は黙って、日記の最後のページを開いた。
つぎのひ、おおきなおうちにいくっていわれた。
きれいなおふだと、きらきらのドレスがあるって。
でも、ほんとうのなまえは、もうつかっちゃいけない。
きょうから、わたしは……アリシア。
――すべての始まりが、そこに記されていた。
ここで、アリシアの物語が始まったのだ。
けれどそれは、誰かに望まれて書かれた序章だったのかもしれない。
その夜、宿へ戻った私たちは、ノートを前に沈黙していた。
「……彼女は、ただの悪女じゃない」
ティナがぼそりと呟く。
「そう。たぶん彼女も駒だったのよ。どこかの誰かにとっての、都合のいいヒロインとして」
クロエが小さく震える声で言った。
「でも……その駒が、今は人を切り捨てて、偽りを築いて、王宮の中心に立ってる」
「私たちが暴くべきなのは、アリシアという仮面の下だけじゃない」
私は日記を胸元に抱きしめるようにして言った。
「彼女をアリシアにした、この国の歪みそのものを──見極めないといけない」
夜明けと同時に、私たちは再び修道院跡地へと向かった。
空はうっすらと雲がかかり、朝靄が瓦礫の隙間を這うように漂っていた。
昨日とは違う冷たさが空気に宿り、吐く息が白く揺れる。
「……昨日は、ざっとしか見ていない場所もあるわ」
ティナが地図の写しを広げ、かつての修道院の間取りを照らし合わせながら言う。
クロエは祈りの間の隅にある、古びた木扉を開き、ランタンを灯した。
「この奥、書庫だったはず。今は崩れて通れないと思ってたけど……ここ、少し隙間がある」
私たちは互いにうなずき合いながら、身をかがめてその暗い通路へと足を踏み入れる。
湿った空気と、古い紙の腐りかけた匂い。誰も足を踏み入れなくなって久しい空間だった。
「……ねえ、これ」
クロエが壁際の棚を指差す。
崩れかけた木枠の奥、埃まみれの帳簿やノートの間に、違和感のある空白があった。
「ここの一段だけ、他と色が違う……後から手を加えられた?」
ティナが短剣の柄で叩いてみると、鈍く響いた。
「空洞……中に何かある」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
崩れた時間の下に、誰かが隠した何かがある。
私たちは慎重に、埃を払いつつ板を剥がしていく。
やがて現れたのは、古びた木箱。小さな錠前がかかっていたが、時の経過で脆くなっていたそれは、少し力を加えるだけで音を立てて外れた。
中には、革張りの小さな日記帳と、名前のない銀のロケット、そして小さな布の切れ端。
どれも、時間に忘れられるにはあまりにも、個人的で、あまりにも――哀しかった。
「これは……」
私はそっと日記帳を開き、最初のページに書かれた名前を見て、目を見開く。
アリス・M
アリシアの、もう一つの名前。
ここにあったのは、侯爵家の令嬢ではない、ひとりの少女の生活の記録だった。
私は、そっと日記のページを開いた。
中の文字は不揃いで拙いが、それだけに筆者の息遣いが生きているようだった。
きょう、あたらしいドレスをもらった。
でも、いちばんきれいなやつは、おともだちのユリアちゃんがつれていかれたあとにもらった。
せんせいは「アリスはかわいいから、つぎはおまえのばんよ」っていった。
ひるま、へんなおきゃくさんがきた。おとなのひとたちと、しばらくおへやでおはなししてた。
わたしは、あしがいたいっていったけど、みんなわらってた。
きょうから、わたしのなまえはアリシアになるって。
ほんとうのなまえは、だれにもいっちゃだめっていわれた。
なんでかきいたら、「神さまがくれた、あたらしいいのち」って。
でも、わたし、かみさまにたのんでない。
「……これは、育てられた記録ね」
ティナが小声で言う。
「ただの孤児じゃない。選別されて、演じさせられたのよ。誰かの思い描いた理想のヒロインとして」
クロエが、箱の中から取り出したもう一つの品――薄桃色の小さな布の切れ端を手に取った。
「……この色、どこかで見たことある」
「刺繍が入ってるわ。花……いや、これは紋章?」
私は覗き込んだ。
それは、小さな花の中に羽根と星を組み合わせた、見慣れない意匠だった。
「家の紋章……じゃない。これは、個人の刺繍かしら?」
クロエが目を細めて言った。
「もし、これが服の一部なら、他にも同じ紋を持つ子がいたかもしれないわ。つまり同じ目的で育てられていた少女が他にもいた可能性がある」
「失踪した名もなき元悪役令嬢たち……?」
「もしくは、表に出られなかった子たち」
ティナの声は低い。
ロケットの蓋をそっと開くと、そこには淡い色の髪をした幼い少女と、黒髪の少女が寄り添うように笑っている小さな絵が収められていた。
「……これは、アリスと、もう一人?」
私たちは顔を見合わせた。
「誰なの、この子」
「まだわからない。でもこの笑顔……これが、仮面じゃない彼女だったのかもしれない」
私はロケットをそっと閉じる。
中に残るわずかな香油の香りが、どこか懐かしく、胸を締めつけた。
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