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第9話「王宮と偽りの血統」
しおりを挟む「王宮に出入りしていた、古い記録係がいるらしいの」
ティナがそう告げたのは、舞踏会から二日後のことだった。
仮面の宴から戻って以降、私たちは情報の断片を整理し、図書室に籠もって調査を続けていた。
記憶、記録、証言。どれも確かにアリシアを取り巻く脚本の存在を指し示していたが、決定打には至らない。
だからこそ、この一言は、私たちの中に緊張と希望を同時に走らせた。
「その人、今は王宮にはいないのよね?」
クロエが顔を上げて問うと、ティナは手元の紙片をひらりと見せた。
「ええ。退官とされてるけど、実際には左遷に近い形。表には出せない理由で、急に消息を絶った文書官。……アリシアが公的に存在し始めた時期と、奇妙に一致してる」
私は紙片を受け取りながら、その名前に目を落とした。
ギルバート・エストリン。
かつて王妃付きの書記として、数多くの非公式な記録を手掛けていた男。
「……彼が、その人物がアリシアの記録を知っている……もしくは、本来の記録を残している鍵になる可能性があるのね」
「ええ。王妃の密命を文字に変えていたのなら、今もどこかに裏の記録を残しているかもしれないわ」
「問題は、まだ生きているかどうか。そして、口を開いてくれるかどうか」
ティナは静かに頷いた。
「だから急がなきゃ。私たちが手遅れになる前に」
数日後、クロエが静かに地図を広げた。
その指先は迷いなく、北方の山岳地帯をなぞる。
「……探したわ。彼、今は北の聖務官修道院に匿われてる。静養の名目で。けれど実際には、誰にも接触されないように隔離されてるわ」
彼女の声にはいつになく硬さがあった。
その響きが、ただの情報提供ではなく警鐘であることを、私たちは直感的に感じ取った。
「……つまり、王宮が彼の口を恐れているということね」
ティナが呟く。
焚き火の灯りが、彼女の横顔に淡い影を落とした。
「ええ。それも、今でも。それだけ残されているものがあるってこと」
私は地図を見つめた。
静養という名の監視。記録係という立場のまま、語られることなく今も生きている男。
ならば、彼こそが──アリシアの存在を捏造した、その瞬間を見た人間だ。
私は、躊躇なく椅子から立ち上がった。
「行きましょう。今ならまだ、間に合う」
その言葉に、自分でも少し驚くほどの熱がこもっていた。
だが、迷いはなかった。
この真実を知らなければ、私たちはずっと、他人の物語の脇役で終わってしまう。
そう感じたのだ。
修道院へ向かう道は、王都から二日。
私たちは目立たぬよう、少人数で馬車を走らせていた。
夜明けとともに出立し、今はもう夕暮れの入り口。
街道は霧に包まれ、車輪の音だけが乾いた土を打っている。
「……静かすぎるわね」
ティナが窓から外を見ながら低く言った。
「このあたり、交易路だから本来はもっと人の気配があるはず」
「でも、今日は馬車も旅人もほとんど見かけてない」
私がそう返した瞬間、クロエが眉をひそめて前方を指さした。
「止めて。前の道、土が不自然に盛り上がってる」
御者に合図を送り、馬車が止まる。
私たちは外に出て、その場所を確認した。
「……わざと土を掘り返してある。馬車が通れば傾いて転覆する可能性があるわ」
ティナが短剣で土を崩しながら言う。
その表情は冷静だが、目の奥には警戒の光が宿っていた。
「痕跡が新しい。数時間以内ね。私たちの行き先が漏れてる」
「誰かが、道を塞ごうとした……?」
私は背筋に冷たいものを感じながら辺りを見回した。
霧の中に、人影はない。けれど、気配だけが残っている。
「尾行されていた可能性があるわ。途中でまかれたように見えて、逆にこの場所に誘導されたのかも」
クロエの手が無意識に護身用の細剣へ伸びていた。
「追ってこなかったとしても、監視されていたのは確か。王妃陣営……あるいはアリシアの後見人の仕業かもしれない」
「どこかで……私たち、もう名前じゃなく存在で警戒されてるのよ」
私はそっと馬車の扉を見つめる。
このまま進めば、真実に届く。
けれど、その代償はもう、見逃される余地では済まない段階に来ていた。
私たちは山間に佇むその修道院を訪れた。
重厚な扉の奥に通された小部屋で、老人は一人、黙って窓の外を見つめていた。
「……ギルバート様」
私が声をかけると、彼はゆっくりとこちらを振り返った。
その瞳は年老いてなお曇りなく、どこか覚悟を秘めたものだった。
「お前たちは……彼女の真実を知ろうとする者か」
彼の第一声に、私たちは言葉を失った。
「知っていて……ずっと黙っていたのですか?」
ティナが問うと、ギルバートはうっすらと笑った。
「王妃陛下はね、優しく見えて、実に恐ろしい方だ。真実を記すことが、いかに脅威となるか、私はよく思い知ったよ。だから書かなかった。いや、表の帳簿には、ね」
「では、裏がある……?」
クロエの声に、ギルバートは小さく頷いた。
「火災で焼けたはずの修道院。だが、その数日前、ひとりの少女が王妃により引き取られた。正式な養子縁組ではない。ただ、その子を貴族の器に作り変えるという密命が下った」
「……アリシア」
「本名は、アリス・ミーレン。血筋はない。だが、容姿と素質が演じるのに適していた。王妃は、彼女を支配下にある理想の後継者に育てようとした」
「だから、侯爵家の令嬢として記録を書いた。本当は存在しなかった娘を――」
ギルバートはゆっくりと懐から、一冊の古びた手帳を取り出した。
「これが、私が密かに記していた真の血統記録だ。王家の監査官にも見せたことはない。命を守るために、ずっと黙っていた」
私はそれを両手で受け取った。震える手を隠しながら。
「……この一冊があれば、アリシアが創られた存在であることを、証明できる」
ギルバートは静かにうなずいた。
彼はふと、視線を扉のほうへと流し、低く言った。
「……お前たちがここまで辿り着けたことに、少し驚いているよ。近頃、王妃陛下は妙に神経を尖らせていてね」
「神経を……?」
クロエが訊ねると、老人は小さく頷いた。
「古い記録に興味を持つ者がいると風の噂が届いたらしい。修道院への王室監察局の視察も、この数年では異例の多さだった。……あれは、無言の圧力というやつだ」
ティナが苦笑を浮かべる。
「まさかその興味を持った者が、わたしたちのことだとは思わないでしょうね」
「思っていない方が、ずっと怖いのではないか?」
ギルバートの声には、長年の沈黙を破る者だけが持つ静かな諦観が滲んでいた。
「――だが、もう遅い。貴女たちが来たということは、誰かに仕立てられた物語が、終わりを迎える兆しだ。気をつけなさい。彼女を暴けば、王妃が黙っているはずがない。次に狙われるのは、君たち自身だ」
「それでも」
私は静かに言った。
「誰かが、真実を語らなければ。奪われたままの名誉も、記録も、誰かの物語のために消された生も、取り戻せないから」
老人はしばらく黙っていた。
やがて、重く、深く、うなずいた。
その夜。屋敷に戻った私たちは、ようやく手にした一冊の帳簿を、そっとテーブルに置いた。
「これで、物語の構造が証明される」
ティナが呟く。
「アリシアは悪ではない。でも、真実のヒロインでもない」
クロエが言う。
「じゃあ、私たちは――?」
「……私たちが、本当の主役になるのよ」
私はそう言って、手帳の表紙を静かに撫でた。
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