久しぶりに地元へ帰ったら、昔いじめてきた男に告白された

髙槻 壬黎

文字の大きさ
28 / 31

家族

しおりを挟む
 俺が病院へ辿り着いた頃には、既に母さんの手術は終わっていた。
 とりあえず山場は越えたようで、今は病室でこんこんと眠り続けているらしい。俺は杏梨だけに会えれば良かったんだけど、せっかくだから母さんにも会っていってほしいと連絡が来て、仕方なく向かっている最中だ。
 ただ、術後の面会は家族のみしか受け付けていないと言われ、狭山とはそこで分かれることになった。本当は物凄く心細かったし、狭山にはもう帰ろうとまで言われたけど、すぐ逃げに走ってしまうのは俺の良くないところだった。狭山への感情だって諦めず考えようとしている中で、両親から逃げ続けているのももう止めたかった。
 だから俺は、「なんかあったらすぐ俺を呼んで」という狭山の言葉を頼りに、なんとか今、戻りそうになる足を前へ前へと動かしているのだ。


***


「ここか……?」

 教えてもらった病室のネームプレートに、母さんの名前が書かれている。恐らくこの部屋に、杏梨もいるんだろう。
 でも、こっそり扉に耳を当ててみても、中から物音は何も聞こえてこない。

「あの、どうかされましたか?」
「えっ……!?」

 そんな時。
 急に話しかけられて、俺は体を跳ねさせる。不思議そうにこちらを見ているのは、看護師の女性。
 多分俺が変な動きをしていたから、不審に感じたのだろう。

「すっ、すみません……。面会に来ただけなんです……」
「ああ……、そうですよね」

 目の前の看護師は、俺の首からぶら下げた面会カードを見て納得してくれたようだ。そのまま小さく一礼をすると、忙しそうに通路の先を歩いていった。
 とりあえず、不審者だと思われなくてよかった。
 だけど、こうやってこっそり様子を窺うより、さっさと中に入ってしまう方が良いのは間違いなかった。

 一息ついて、扉をノックする。特に返事はなかったけど、俺は構わず病室へ入った。

「…杏梨……?」

 日の暮れを感じさせる夕焼けが、室内を明るく照らしている。中にいたのは、ベッドで点滴に繋がれたまま薄く瞼を開けている母さんと、サイドの椅子に座ってこちらを見ている父さん。
 しかし肝心の杏梨の姿だけが、そこにはなかった。

「……もう来たのか」

 父さんが一言、僅かに迷惑そうな表情をあらわにして呟く。
 でも俺だって来たくて来た訳じゃない。杏梨に頼まれたから、わざわざ仕事を休んでまで来たのに。そんな顔をされると、狭山によって溶かされた心が、ズタズタと引き裂かれていくみたいだった。

「……杏梨は?」 
「…………かなり泣き腫らしていたから、今は顔を洗いに行かせている」
「……そうか」

 俺が話しかけなければ、途端に静けさが訪れる。まるで場違いだとでも言われているような空気に、今すぐ逃げ出してしまいたい気持ちを押し殺すので精一杯だ。
 杏梨は……まだ帰ってこないのだろうか?

 そわそわと、俺は椅子に座ることもなく、その場で立ち続けてしまう。
 その時ふと、ベッドの中の母さんと目が合った。母さんは首を少し動かして、俺の方を見ている。

「────めぐ……む……?」

 絞り出すように掠れたその声は、確かに俺を呼んでいた。眠っていると聞いていたけど、俺が来るまでに目が覚めたみたいだ。
 でもこの間帰省したときに会った、退院直後の母さんとは別人のように顔が青ざめていた。

「なん……で、ここ…に…?」
「杏梨が呼んだらしい。俺がなかなか行けなかったから、不安になった杏梨が電話したんだと」
「……そう。……来なくても……、よか…ったのに……」

 父さんが俺の代わりに返事をすれば、興味が失せたように母さんは顔を元に戻す。
 
 ────ああそうだった。忘れかけてたけど、この人たちはいつもこんなんだったな。俺のことなんて微塵も考えてない。いつだって、杏梨のことしか頭になくて……。

 慣れきったはずのその無関心さが、俺の柔くなった心へずっしりと突き刺さる。
 多分この二人は、これからも永遠に変わってくれることはないだろう。俺の胸の内に暗い影を差しているのは、ほとんどがこの人たちによるものだ。
 だけど、いつまでもこのままじゃ俺も変われない。
 もしかすると今日ここまで来たのは、両親と完全に決別するためなのかもしれなかった。
 だから俺は、ずっと聞いてみたかった、あの話を聞くことにしたのだ。

「……母さんも無事だったみたいだし、俺もう帰るよ。……でも最後に一つだけ聞かせてほしい。多分俺はもう暫く、こっちには帰ってこないと思うから」

 帰らない、という言葉を聞いて、父さんが僅かに安堵を滲ませる。母さんも相変わらず天井を見ていたけど、俺は構わず口を開いた。

「……俺に、"恵"って名前付けてくれたの、父さんと母さんなんだよな。……俺、これだけは本当に嬉しかったよ。でも、今さらだけど……どうしてこんな、恵まれる、なんて意味のある名前を付けてくれたんだ……?」

 ずっと不思議だった。俺に冷たい二人が、何故このような素敵な名前を付けてくれたのか。どう考えたって、今の両親とは結び付かない。
 でも確かに、優しく接してくれた時はあった。それこそ養護施設に捨てられた俺を引き取って、杏梨が生まれてくるその僅か数年の間だけは。
 だから、もしも何か意味があるなら、是非とも教えてほしかったんだ。
 
「────その、意味の通りだ」

 二人は口をつぐんだまま黙っていたけど、暫くした後、言いづらそうに父さんは告げた。

「……意味の通り、って……。じゃあ恵まれるように、とかそんな意味があったってことか……?」
「…………お前を引き取った頃は、我が子のように愛してやれるって、そう思ってたんだ。だから、そんな願いをこめた名前を付けた……。でも……、」
「……あなたは、私たちの……子じゃ、ない……。杏梨が……生まれて、それを…思い知ったの……」

 父さんの途切れさせた話を継ぐように、母さんが付け足す。
 静かに、けれど何よりも重たいその言葉は、俺の心臓を握り潰せるくらい、十分な威力があった。
 
 ────私たちの子じゃない、か……。分かっていたことだとしても、やっぱり辛いな。俺は結局、他人の子供だから、愛されなかった。ただそれだけだったんだ……。

 でも、どこか清々しい気持ちもあるのはどうしてだろう。本音を、聞かせてもらえたからだろうか。
 俺はずっと燻っていた両親への不満みたいなものが、この瞬間、完全な諦めに転じたことをなんとなく感じた。

「……教えてくれてありがとう。ずっと気になってたから、聞けてよかったよ」

 俺はそう言って、もう病室を後にするつもりだった。
 だけど振り返れば、扉を若干開け、目を大きく見開いた杏梨がそこにはいた。

「どっ、どういうこと……? お兄ちゃんが、本当の子じゃない……? なにそれ、冗談……だよね?」

 信じられないと言わんばかりに顔を強ばらせた杏梨が、父さんに詰め寄っていく。
 当然だけど、俺が実子じゃないことは、杏梨には教えてなかった。だから彼女が知らないのは当たり前のことで、俺のことだってもちろん本当の兄だと思ってくれていただろう。
 でもそれだけで、これまでの関係が消える訳じゃない。だから俺は、例え杏梨にバレたとしても、彼女なら変わらずにいてくれると思って、そこまで焦ってはいなかったんだ。

「っね、ねえ……! お父さん顔逸らさないでよ! お兄ちゃんと私、血が繋がってないってこと? お兄ちゃんは、本当のお兄ちゃんじゃないってことなの……?」
「…………そう、だ……」

 苦し紛れに父さんが返す。それを聞いた杏梨は、恐ろしいものでも見るかのような顔つきで、俺の方を向いた。

「……嫌だ……っ」
「あ、杏梨……?」

 俺は、様子のおかしい杏梨へ手を伸ばそうとした。

「触んないでっ……! 気持ち悪い!!」

 しかし、金切り声と共に、その手は叩き落とされる。同時に、ピシリと俺の中で深い亀裂が入ったような音がした。

 ────嘘だろ……? 俺、今拒絶されたのか? 
 
 信じられず、思わず自分の手元を見やる。そうすれば、今起きた出来事が段々と実感を帯びてしまって。
 気づけば、目の奥から溢れ出した大量の雫が頬を濡らしていた。

「あ……」

 誰が呟いたのかも分からない。
 ただただ堰を切ったように、嗚咽が止まらなくて。

 俺は、杏梨のことを愛していた。もちろんそれは、家族として。だから戻ってきたくないこの場所にも彼女のためを思えば帰ってこれたし、泣いてる杏梨の電話一つで、俺はここまで来てしまえた。杏梨は、誰からも必要とされなかった俺にとって、心の安寧だったから。俺がここにいてもいいと、そう思える支えだったんだ。
 それなのに……、杏梨から拒絶されて、まるでこれまでの全てを否定されているみたいだ。こんなの、存在すら、いらないと言われているようなものじゃないか?

 ────ああ……今すぐ叫びだして、消えてしまいたい。

 強烈な虚無感で、押し潰されそうだった。視界がぼやけて、誰の表情も分からない。
 だけど足も鉛のように重たくて、ここから逃げることもままならなかった。

 そんな異様な緊張感が漂う部屋の中。
 急に開かれた扉の音が、それを打ち消した。

「ちょっと……! ここは親族以外の面会は禁止ですよ……っ!!」
「うるせえな……邪魔だって言ってんだろ……」
「っひ……!」

 今にも人を殺してしまいそうなほど、鋭い目つきをした狭山が立っていた。腕を引っ張って押さえていた看護師も、間近でその眼光に当てられ、顔を引きつらせている。
 だけど狭山は、それに気にする様子もなく中まで歩いてくると、父さんの襟を掴んで締め上げた。

「……なっ、急に、なに、を……!」
「……さっきから黙って聞いてりゃ、お前ら何様だよ……。勝手に引き取って、勝手に愛せなくなって、全部お前らが悪いんだろうが……!」
「ぐ……っ、ぅ……」

 父さんが顔を真っ赤にして、苦しんでいる。俺はそれを呆然と眺めているだけで、動くことができない。

「ずっと気にくわなかったんだ。自分の都合、恵に押し付けてばっかのお前らが。そのせいでどんだけ恵が傷ついたのかも知らねえ癖にさあ! 気づかねえフリしとけば、全部なかったことにできるとでも思ったのかよ……!?」

 狭山の怒号に、杏梨が悲鳴を上げる。俺はその声で、ようやく我に返ることができた。

 ────まずい、こんなところで暴れたら取り返しのつかないことになる。それに狭山を早く止めないと、父さんをどうにかしてしまうかもしれない……!

 狭山に罪を負わせたくない。その一心で、俺は狭山の胴へと飛び付いていた。

「狭山……! やめてくれっ、もういいんだ……!!」
「離して広崎……、俺はコイツらを消さないと気が済まねえんだ……」
「嫌だ……っ、俺は望んでない! 俺は……俺は、ただ狭山が傍にいてくれるだけでいいんだっ……。だからもうやめてくれ……! こんなことして狭山に会えなくなる方が、俺はもっと嫌だ……ッッ!!」

 ぎゅうっと、想いが伝わるように、胴へ回した腕を強めた。吐き出した言葉は全て、俺の本心だったから、ちゃんと聞いてほしかったんだ。

「…………クソが……!」
「………うっ、ゲホッゲホッ……」

 暫くして、ドサッという音の後に、父さんがようやく解放されたことが分かった。頻りに咳き込んでいることから、かなり強く絞められていたようだ。
 でも俺は父さんの安否よりも、狭山が罪を犯さなくて済んだことの方に、ほっと心の底から安堵していた。

「広崎……」

 堪えるように、震える狭山の腕が背中に回される。そのままきつくきつく抱き締められれば、どれだけ狭山が我慢しているのか、易々と分かってしまって。
 それだけで、俺はもう十分だった。俺の代わりに、こうして怒ってくれる存在がいるだけで、他にはもう何もいらなかった。

「帰ろう、狭山」

 首元で、僅かに狭山が頷いてくれた気がした。
 病室の外から複数の足音が聞こえてきて、狭山を取り囲もうと入ってこられたけど、俺達は逃げるようにして、病院を後にした。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

「これからも応援してます」と言おう思ったら誘拐された

あまさき
BL
国民的アイドル×リアコファン社会人 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 学生時代からずっと大好きな国民的アイドルのシャロンくん。デビューから一度たりともファンと直接交流してこなかった彼が、初めて握手会を開くことになったらしい。一名様限定の激レアチケットを手に入れてしまった僕は、感動の対面に胸を躍らせていると… 「あぁ、ずっと会いたかった俺の天使」 気付けば、僕の世界は180°変わってしまっていた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 初めましてです。お手柔らかにお願いします。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

俺がこんなにモテるのはおかしいだろ!? 〜魔法と弟を愛でたいだけなのに、なぜそんなに執着してくるんだ!!!〜

小屋瀬
BL
「兄さんは僕に守られてればいい。ずっと、僕の側にいたらいい。」 魔法高等学校入学式。自覚ありのブラコン、レイ−クレシスは、今日入学してくる大好きな弟との再会に心を踊らせていた。“これからは毎日弟を愛でながら、大好きな魔法制作に明け暮れる日々を過ごせる”そう思っていたレイに待ち受けていたのは、波乱万丈な毎日で――― 義弟からの激しい束縛、王子からの謎の執着、親友からの重い愛⋯俺はただ、普通に過ごしたいだけなのにーーー!!!

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。顔立ちは悪くないが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…? 2025/09/12 1000 Thank_You!!

【BL】SNSで出会ったイケメンに捕まるまで

久遠院 純
BL
タイトル通りの内容です。 自称平凡モブ顔の主人公が、イケメンに捕まるまでのお話。 他サイトでも公開しています。

「ねぇ、俺以外に触れられないように閉じ込めるしかないよね」最強不良美男子に平凡な僕が執着されてラブラブになる話

ちゃこ
BL
見た目も頭も平凡な男子高校生 佐藤夏樹。 運動神経は平凡以下。 考えていることが口に先に出ちゃったり、ぼうっとしてたりと天然な性格。 ひょんなことから、学校一、他校からも恐れられている不良でスパダリの美少年 御堂蓮と出会い、 なぜか気に入られ、なぜか執着され、あれよあれよのうちに両思い・・・ ヤンデレ攻めですが、受けは天然でヤンデレをするっと受け入れ、むしろラブラブモードで振り回します♡ 超絶美形不良スパダリ✖️少し天然平凡男子

処理中です...