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家族
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俺が病院へ辿り着いた頃には、既に母さんの手術は終わっていた。
とりあえず山場は越えたようで、今は病室でこんこんと眠り続けているらしい。俺は杏梨だけに会えれば良かったんだけど、せっかくだから母さんにも会っていってほしいと連絡が来て、仕方なく向かっている最中だ。
ただ、術後の面会は家族のみしか受け付けていないと言われ、狭山とはそこで分かれることになった。本当は物凄く心細かったし、狭山にはもう帰ろうとまで言われたけど、すぐ逃げに走ってしまうのは俺の良くないところだった。狭山への感情だって諦めず考えようとしている中で、両親から逃げ続けているのももう止めたかった。
だから俺は、「なんかあったらすぐ俺を呼んで」という狭山の言葉を頼りに、なんとか今、戻りそうになる足を前へ前へと動かしているのだ。
***
「ここか……?」
教えてもらった病室のネームプレートに、母さんの名前が書かれている。恐らくこの部屋に、杏梨もいるんだろう。
でも、こっそり扉に耳を当ててみても、中から物音は何も聞こえてこない。
「あの、どうかされましたか?」
「えっ……!?」
そんな時。
急に話しかけられて、俺は体を跳ねさせる。不思議そうにこちらを見ているのは、看護師の女性。
多分俺が変な動きをしていたから、不審に感じたのだろう。
「すっ、すみません……。面会に来ただけなんです……」
「ああ……、そうですよね」
目の前の看護師は、俺の首からぶら下げた面会カードを見て納得してくれたようだ。そのまま小さく一礼をすると、忙しそうに通路の先を歩いていった。
とりあえず、不審者だと思われなくてよかった。
だけど、こうやってこっそり様子を窺うより、さっさと中に入ってしまう方が良いのは間違いなかった。
一息ついて、扉をノックする。特に返事はなかったけど、俺は構わず病室へ入った。
「…杏梨……?」
日の暮れを感じさせる夕焼けが、室内を明るく照らしている。中にいたのは、ベッドで点滴に繋がれたまま薄く瞼を開けている母さんと、サイドの椅子に座ってこちらを見ている父さん。
しかし肝心の杏梨の姿だけが、そこにはなかった。
「……もう来たのか」
父さんが一言、僅かに迷惑そうな表情をあらわにして呟く。
でも俺だって来たくて来た訳じゃない。杏梨に頼まれたから、わざわざ仕事を休んでまで来たのに。そんな顔をされると、狭山によって溶かされた心が、ズタズタと引き裂かれていくみたいだった。
「……杏梨は?」
「…………かなり泣き腫らしていたから、今は顔を洗いに行かせている」
「……そうか」
俺が話しかけなければ、途端に静けさが訪れる。まるで場違いだとでも言われているような空気に、今すぐ逃げ出してしまいたい気持ちを押し殺すので精一杯だ。
杏梨は……まだ帰ってこないのだろうか?
そわそわと、俺は椅子に座ることもなく、その場で立ち続けてしまう。
その時ふと、ベッドの中の母さんと目が合った。母さんは首を少し動かして、俺の方を見ている。
「────めぐ……む……?」
絞り出すように掠れたその声は、確かに俺を呼んでいた。眠っていると聞いていたけど、俺が来るまでに目が覚めたみたいだ。
でもこの間帰省したときに会った、退院直後の母さんとは別人のように顔が青ざめていた。
「なん……で、ここ…に…?」
「杏梨が呼んだらしい。俺がなかなか行けなかったから、不安になった杏梨が電話したんだと」
「……そう。……来なくても……、よか…ったのに……」
父さんが俺の代わりに返事をすれば、興味が失せたように母さんは顔を元に戻す。
────ああそうだった。忘れかけてたけど、この人たちはいつもこんなんだったな。俺のことなんて微塵も考えてない。いつだって、杏梨のことしか頭になくて……。
慣れきったはずのその無関心さが、俺の柔くなった心へずっしりと突き刺さる。
多分この二人は、これからも永遠に変わってくれることはないだろう。俺の胸の内に暗い影を差しているのは、ほとんどがこの人たちによるものだ。
だけど、いつまでもこのままじゃ俺も変われない。
もしかすると今日ここまで来たのは、両親と完全に決別するためなのかもしれなかった。
だから俺は、ずっと聞いてみたかった、あの話を聞くことにしたのだ。
「……母さんも無事だったみたいだし、俺もう帰るよ。……でも最後に一つだけ聞かせてほしい。多分俺はもう暫く、こっちには帰ってこないと思うから」
帰らない、という言葉を聞いて、父さんが僅かに安堵を滲ませる。母さんも相変わらず天井を見ていたけど、俺は構わず口を開いた。
「……俺に、"恵"って名前付けてくれたの、父さんと母さんなんだよな。……俺、これだけは本当に嬉しかったよ。でも、今さらだけど……どうしてこんな、恵まれる、なんて意味のある名前を付けてくれたんだ……?」
ずっと不思議だった。俺に冷たい二人が、何故このような素敵な名前を付けてくれたのか。どう考えたって、今の両親とは結び付かない。
でも確かに、優しく接してくれた時はあった。それこそ養護施設に捨てられた俺を引き取って、杏梨が生まれてくるその僅か数年の間だけは。
だから、もしも何か意味があるなら、是非とも教えてほしかったんだ。
「────その、意味の通りだ」
二人は口をつぐんだまま黙っていたけど、暫くした後、言いづらそうに父さんは告げた。
「……意味の通り、って……。じゃあ恵まれるように、とかそんな意味があったってことか……?」
「…………お前を引き取った頃は、我が子のように愛してやれるって、そう思ってたんだ。だから、そんな願いをこめた名前を付けた……。でも……、」
「……あなたは、私たちの……子じゃ、ない……。杏梨が……生まれて、それを…思い知ったの……」
父さんの途切れさせた話を継ぐように、母さんが付け足す。
静かに、けれど何よりも重たいその言葉は、俺の心臓を握り潰せるくらい、十分な威力があった。
────私たちの子じゃない、か……。分かっていたことだとしても、やっぱり辛いな。俺は結局、他人の子供だから、愛されなかった。ただそれだけだったんだ……。
でも、どこか清々しい気持ちもあるのはどうしてだろう。本音を、聞かせてもらえたからだろうか。
俺はずっと燻っていた両親への不満みたいなものが、この瞬間、完全な諦めに転じたことをなんとなく感じた。
「……教えてくれてありがとう。ずっと気になってたから、聞けてよかったよ」
俺はそう言って、もう病室を後にするつもりだった。
だけど振り返れば、扉を若干開け、目を大きく見開いた杏梨がそこにはいた。
「どっ、どういうこと……? お兄ちゃんが、本当の子じゃない……? なにそれ、冗談……だよね?」
信じられないと言わんばかりに顔を強ばらせた杏梨が、父さんに詰め寄っていく。
当然だけど、俺が実子じゃないことは、杏梨には教えてなかった。だから彼女が知らないのは当たり前のことで、俺のことだってもちろん本当の兄だと思ってくれていただろう。
でもそれだけで、これまでの関係が消える訳じゃない。だから俺は、例え杏梨にバレたとしても、彼女なら変わらずにいてくれると思って、そこまで焦ってはいなかったんだ。
「っね、ねえ……! お父さん顔逸らさないでよ! お兄ちゃんと私、血が繋がってないってこと? お兄ちゃんは、本当のお兄ちゃんじゃないってことなの……?」
「…………そう、だ……」
苦し紛れに父さんが返す。それを聞いた杏梨は、恐ろしいものでも見るかのような顔つきで、俺の方を向いた。
「……嫌だ……っ」
「あ、杏梨……?」
俺は、様子のおかしい杏梨へ手を伸ばそうとした。
「触んないでっ……! 気持ち悪い!!」
しかし、金切り声と共に、その手は叩き落とされる。同時に、ピシリと俺の中で深い亀裂が入ったような音がした。
────嘘だろ……? 俺、今拒絶されたのか?
信じられず、思わず自分の手元を見やる。そうすれば、今起きた出来事が段々と実感を帯びてしまって。
気づけば、目の奥から溢れ出した大量の雫が頬を濡らしていた。
「あ……」
誰が呟いたのかも分からない。
ただただ堰を切ったように、嗚咽が止まらなくて。
俺は、杏梨のことを愛していた。もちろんそれは、家族として。だから戻ってきたくないこの場所にも彼女のためを思えば帰ってこれたし、泣いてる杏梨の電話一つで、俺はここまで来てしまえた。杏梨は、誰からも必要とされなかった俺にとって、心の安寧だったから。俺がここにいてもいいと、そう思える支えだったんだ。
それなのに……、杏梨から拒絶されて、まるでこれまでの全てを否定されているみたいだ。こんなの、存在すら、いらないと言われているようなものじゃないか?
────ああ……今すぐ叫びだして、消えてしまいたい。
強烈な虚無感で、押し潰されそうだった。視界がぼやけて、誰の表情も分からない。
だけど足も鉛のように重たくて、ここから逃げることもままならなかった。
そんな異様な緊張感が漂う部屋の中。
急に開かれた扉の音が、それを打ち消した。
「ちょっと……! ここは親族以外の面会は禁止ですよ……っ!!」
「うるせえな……邪魔だって言ってんだろ……」
「っひ……!」
今にも人を殺してしまいそうなほど、鋭い目つきをした狭山が立っていた。腕を引っ張って押さえていた看護師も、間近でその眼光に当てられ、顔を引きつらせている。
だけど狭山は、それに気にする様子もなく中まで歩いてくると、父さんの襟を掴んで締め上げた。
「……なっ、急に、なに、を……!」
「……さっきから黙って聞いてりゃ、お前ら何様だよ……。勝手に引き取って、勝手に愛せなくなって、全部お前らが悪いんだろうが……!」
「ぐ……っ、ぅ……」
父さんが顔を真っ赤にして、苦しんでいる。俺はそれを呆然と眺めているだけで、動くことができない。
「ずっと気にくわなかったんだ。自分の都合、恵に押し付けてばっかのお前らが。そのせいでどんだけ恵が傷ついたのかも知らねえ癖にさあ! 気づかねえフリしとけば、全部なかったことにできるとでも思ったのかよ……!?」
狭山の怒号に、杏梨が悲鳴を上げる。俺はその声で、ようやく我に返ることができた。
────まずい、こんなところで暴れたら取り返しのつかないことになる。それに狭山を早く止めないと、父さんをどうにかしてしまうかもしれない……!
狭山に罪を負わせたくない。その一心で、俺は狭山の胴へと飛び付いていた。
「狭山……! やめてくれっ、もういいんだ……!!」
「離して広崎……、俺はコイツらを消さないと気が済まねえんだ……」
「嫌だ……っ、俺は望んでない! 俺は……俺は、ただ狭山が傍にいてくれるだけでいいんだっ……。だからもうやめてくれ……! こんなことして狭山に会えなくなる方が、俺はもっと嫌だ……ッッ!!」
ぎゅうっと、想いが伝わるように、胴へ回した腕を強めた。吐き出した言葉は全て、俺の本心だったから、ちゃんと聞いてほしかったんだ。
「…………クソが……!」
「………うっ、ゲホッゲホッ……」
暫くして、ドサッという音の後に、父さんがようやく解放されたことが分かった。頻りに咳き込んでいることから、かなり強く絞められていたようだ。
でも俺は父さんの安否よりも、狭山が罪を犯さなくて済んだことの方に、ほっと心の底から安堵していた。
「広崎……」
堪えるように、震える狭山の腕が背中に回される。そのままきつくきつく抱き締められれば、どれだけ狭山が我慢しているのか、易々と分かってしまって。
それだけで、俺はもう十分だった。俺の代わりに、こうして怒ってくれる存在がいるだけで、他にはもう何もいらなかった。
「帰ろう、狭山」
首元で、僅かに狭山が頷いてくれた気がした。
病室の外から複数の足音が聞こえてきて、狭山を取り囲もうと入ってこられたけど、俺達は逃げるようにして、病院を後にした。
とりあえず山場は越えたようで、今は病室でこんこんと眠り続けているらしい。俺は杏梨だけに会えれば良かったんだけど、せっかくだから母さんにも会っていってほしいと連絡が来て、仕方なく向かっている最中だ。
ただ、術後の面会は家族のみしか受け付けていないと言われ、狭山とはそこで分かれることになった。本当は物凄く心細かったし、狭山にはもう帰ろうとまで言われたけど、すぐ逃げに走ってしまうのは俺の良くないところだった。狭山への感情だって諦めず考えようとしている中で、両親から逃げ続けているのももう止めたかった。
だから俺は、「なんかあったらすぐ俺を呼んで」という狭山の言葉を頼りに、なんとか今、戻りそうになる足を前へ前へと動かしているのだ。
***
「ここか……?」
教えてもらった病室のネームプレートに、母さんの名前が書かれている。恐らくこの部屋に、杏梨もいるんだろう。
でも、こっそり扉に耳を当ててみても、中から物音は何も聞こえてこない。
「あの、どうかされましたか?」
「えっ……!?」
そんな時。
急に話しかけられて、俺は体を跳ねさせる。不思議そうにこちらを見ているのは、看護師の女性。
多分俺が変な動きをしていたから、不審に感じたのだろう。
「すっ、すみません……。面会に来ただけなんです……」
「ああ……、そうですよね」
目の前の看護師は、俺の首からぶら下げた面会カードを見て納得してくれたようだ。そのまま小さく一礼をすると、忙しそうに通路の先を歩いていった。
とりあえず、不審者だと思われなくてよかった。
だけど、こうやってこっそり様子を窺うより、さっさと中に入ってしまう方が良いのは間違いなかった。
一息ついて、扉をノックする。特に返事はなかったけど、俺は構わず病室へ入った。
「…杏梨……?」
日の暮れを感じさせる夕焼けが、室内を明るく照らしている。中にいたのは、ベッドで点滴に繋がれたまま薄く瞼を開けている母さんと、サイドの椅子に座ってこちらを見ている父さん。
しかし肝心の杏梨の姿だけが、そこにはなかった。
「……もう来たのか」
父さんが一言、僅かに迷惑そうな表情をあらわにして呟く。
でも俺だって来たくて来た訳じゃない。杏梨に頼まれたから、わざわざ仕事を休んでまで来たのに。そんな顔をされると、狭山によって溶かされた心が、ズタズタと引き裂かれていくみたいだった。
「……杏梨は?」
「…………かなり泣き腫らしていたから、今は顔を洗いに行かせている」
「……そうか」
俺が話しかけなければ、途端に静けさが訪れる。まるで場違いだとでも言われているような空気に、今すぐ逃げ出してしまいたい気持ちを押し殺すので精一杯だ。
杏梨は……まだ帰ってこないのだろうか?
そわそわと、俺は椅子に座ることもなく、その場で立ち続けてしまう。
その時ふと、ベッドの中の母さんと目が合った。母さんは首を少し動かして、俺の方を見ている。
「────めぐ……む……?」
絞り出すように掠れたその声は、確かに俺を呼んでいた。眠っていると聞いていたけど、俺が来るまでに目が覚めたみたいだ。
でもこの間帰省したときに会った、退院直後の母さんとは別人のように顔が青ざめていた。
「なん……で、ここ…に…?」
「杏梨が呼んだらしい。俺がなかなか行けなかったから、不安になった杏梨が電話したんだと」
「……そう。……来なくても……、よか…ったのに……」
父さんが俺の代わりに返事をすれば、興味が失せたように母さんは顔を元に戻す。
────ああそうだった。忘れかけてたけど、この人たちはいつもこんなんだったな。俺のことなんて微塵も考えてない。いつだって、杏梨のことしか頭になくて……。
慣れきったはずのその無関心さが、俺の柔くなった心へずっしりと突き刺さる。
多分この二人は、これからも永遠に変わってくれることはないだろう。俺の胸の内に暗い影を差しているのは、ほとんどがこの人たちによるものだ。
だけど、いつまでもこのままじゃ俺も変われない。
もしかすると今日ここまで来たのは、両親と完全に決別するためなのかもしれなかった。
だから俺は、ずっと聞いてみたかった、あの話を聞くことにしたのだ。
「……母さんも無事だったみたいだし、俺もう帰るよ。……でも最後に一つだけ聞かせてほしい。多分俺はもう暫く、こっちには帰ってこないと思うから」
帰らない、という言葉を聞いて、父さんが僅かに安堵を滲ませる。母さんも相変わらず天井を見ていたけど、俺は構わず口を開いた。
「……俺に、"恵"って名前付けてくれたの、父さんと母さんなんだよな。……俺、これだけは本当に嬉しかったよ。でも、今さらだけど……どうしてこんな、恵まれる、なんて意味のある名前を付けてくれたんだ……?」
ずっと不思議だった。俺に冷たい二人が、何故このような素敵な名前を付けてくれたのか。どう考えたって、今の両親とは結び付かない。
でも確かに、優しく接してくれた時はあった。それこそ養護施設に捨てられた俺を引き取って、杏梨が生まれてくるその僅か数年の間だけは。
だから、もしも何か意味があるなら、是非とも教えてほしかったんだ。
「────その、意味の通りだ」
二人は口をつぐんだまま黙っていたけど、暫くした後、言いづらそうに父さんは告げた。
「……意味の通り、って……。じゃあ恵まれるように、とかそんな意味があったってことか……?」
「…………お前を引き取った頃は、我が子のように愛してやれるって、そう思ってたんだ。だから、そんな願いをこめた名前を付けた……。でも……、」
「……あなたは、私たちの……子じゃ、ない……。杏梨が……生まれて、それを…思い知ったの……」
父さんの途切れさせた話を継ぐように、母さんが付け足す。
静かに、けれど何よりも重たいその言葉は、俺の心臓を握り潰せるくらい、十分な威力があった。
────私たちの子じゃない、か……。分かっていたことだとしても、やっぱり辛いな。俺は結局、他人の子供だから、愛されなかった。ただそれだけだったんだ……。
でも、どこか清々しい気持ちもあるのはどうしてだろう。本音を、聞かせてもらえたからだろうか。
俺はずっと燻っていた両親への不満みたいなものが、この瞬間、完全な諦めに転じたことをなんとなく感じた。
「……教えてくれてありがとう。ずっと気になってたから、聞けてよかったよ」
俺はそう言って、もう病室を後にするつもりだった。
だけど振り返れば、扉を若干開け、目を大きく見開いた杏梨がそこにはいた。
「どっ、どういうこと……? お兄ちゃんが、本当の子じゃない……? なにそれ、冗談……だよね?」
信じられないと言わんばかりに顔を強ばらせた杏梨が、父さんに詰め寄っていく。
当然だけど、俺が実子じゃないことは、杏梨には教えてなかった。だから彼女が知らないのは当たり前のことで、俺のことだってもちろん本当の兄だと思ってくれていただろう。
でもそれだけで、これまでの関係が消える訳じゃない。だから俺は、例え杏梨にバレたとしても、彼女なら変わらずにいてくれると思って、そこまで焦ってはいなかったんだ。
「っね、ねえ……! お父さん顔逸らさないでよ! お兄ちゃんと私、血が繋がってないってこと? お兄ちゃんは、本当のお兄ちゃんじゃないってことなの……?」
「…………そう、だ……」
苦し紛れに父さんが返す。それを聞いた杏梨は、恐ろしいものでも見るかのような顔つきで、俺の方を向いた。
「……嫌だ……っ」
「あ、杏梨……?」
俺は、様子のおかしい杏梨へ手を伸ばそうとした。
「触んないでっ……! 気持ち悪い!!」
しかし、金切り声と共に、その手は叩き落とされる。同時に、ピシリと俺の中で深い亀裂が入ったような音がした。
────嘘だろ……? 俺、今拒絶されたのか?
信じられず、思わず自分の手元を見やる。そうすれば、今起きた出来事が段々と実感を帯びてしまって。
気づけば、目の奥から溢れ出した大量の雫が頬を濡らしていた。
「あ……」
誰が呟いたのかも分からない。
ただただ堰を切ったように、嗚咽が止まらなくて。
俺は、杏梨のことを愛していた。もちろんそれは、家族として。だから戻ってきたくないこの場所にも彼女のためを思えば帰ってこれたし、泣いてる杏梨の電話一つで、俺はここまで来てしまえた。杏梨は、誰からも必要とされなかった俺にとって、心の安寧だったから。俺がここにいてもいいと、そう思える支えだったんだ。
それなのに……、杏梨から拒絶されて、まるでこれまでの全てを否定されているみたいだ。こんなの、存在すら、いらないと言われているようなものじゃないか?
────ああ……今すぐ叫びだして、消えてしまいたい。
強烈な虚無感で、押し潰されそうだった。視界がぼやけて、誰の表情も分からない。
だけど足も鉛のように重たくて、ここから逃げることもままならなかった。
そんな異様な緊張感が漂う部屋の中。
急に開かれた扉の音が、それを打ち消した。
「ちょっと……! ここは親族以外の面会は禁止ですよ……っ!!」
「うるせえな……邪魔だって言ってんだろ……」
「っひ……!」
今にも人を殺してしまいそうなほど、鋭い目つきをした狭山が立っていた。腕を引っ張って押さえていた看護師も、間近でその眼光に当てられ、顔を引きつらせている。
だけど狭山は、それに気にする様子もなく中まで歩いてくると、父さんの襟を掴んで締め上げた。
「……なっ、急に、なに、を……!」
「……さっきから黙って聞いてりゃ、お前ら何様だよ……。勝手に引き取って、勝手に愛せなくなって、全部お前らが悪いんだろうが……!」
「ぐ……っ、ぅ……」
父さんが顔を真っ赤にして、苦しんでいる。俺はそれを呆然と眺めているだけで、動くことができない。
「ずっと気にくわなかったんだ。自分の都合、恵に押し付けてばっかのお前らが。そのせいでどんだけ恵が傷ついたのかも知らねえ癖にさあ! 気づかねえフリしとけば、全部なかったことにできるとでも思ったのかよ……!?」
狭山の怒号に、杏梨が悲鳴を上げる。俺はその声で、ようやく我に返ることができた。
────まずい、こんなところで暴れたら取り返しのつかないことになる。それに狭山を早く止めないと、父さんをどうにかしてしまうかもしれない……!
狭山に罪を負わせたくない。その一心で、俺は狭山の胴へと飛び付いていた。
「狭山……! やめてくれっ、もういいんだ……!!」
「離して広崎……、俺はコイツらを消さないと気が済まねえんだ……」
「嫌だ……っ、俺は望んでない! 俺は……俺は、ただ狭山が傍にいてくれるだけでいいんだっ……。だからもうやめてくれ……! こんなことして狭山に会えなくなる方が、俺はもっと嫌だ……ッッ!!」
ぎゅうっと、想いが伝わるように、胴へ回した腕を強めた。吐き出した言葉は全て、俺の本心だったから、ちゃんと聞いてほしかったんだ。
「…………クソが……!」
「………うっ、ゲホッゲホッ……」
暫くして、ドサッという音の後に、父さんがようやく解放されたことが分かった。頻りに咳き込んでいることから、かなり強く絞められていたようだ。
でも俺は父さんの安否よりも、狭山が罪を犯さなくて済んだことの方に、ほっと心の底から安堵していた。
「広崎……」
堪えるように、震える狭山の腕が背中に回される。そのままきつくきつく抱き締められれば、どれだけ狭山が我慢しているのか、易々と分かってしまって。
それだけで、俺はもう十分だった。俺の代わりに、こうして怒ってくれる存在がいるだけで、他にはもう何もいらなかった。
「帰ろう、狭山」
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