富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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馬と武士は見かけによらぬ

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 ここは大伝馬町三丁目辺り。

 藍染めの長暖簾がずずっと先まで連なる通り。

 右を向いても、左を見ても、

 木綿問屋、木綿問屋、木綿問屋。

 江戸の三大大店である木綿問屋、大丸があるのは大伝馬町の隣の通旅籠町とおりはたごちょう

 木綿問屋のほとんどが伊勢からの出店でみせなので町には伊勢の言葉が飛び交っている。

 木綿問屋の立ち並ぶお洒落の町だけに通りも浮世絵から抜け出したように美しい。

 すぐ隣は旅籠屋はたごやがズラリと立ち並んだ馬喰町だ。


「――おっ、馬臭いぞ。こっちぢゃな」

 サギは鼻をヒコヒコさせながら馬臭いニオイを頼りに大伝馬町ニ丁目のほうへと向かった。

「ここぢゃなっ」

 大伝馬町の名主なぬしで伝馬役の馬込勘解由まごめ かげゆの屋敷の冠木門かぶきもんを見上げる。

 馬込勘解由の名は先祖代々、当主に継承されている。

 伝馬役で馬込というハマり過ぎな名は伝馬役を任された折に苗字帯刀を許され、「これより馬込と名乗れよ」と幕府おかみから付けられたからである。

 ちなみに初代の馬込勘解由の娘はウイリヤム・アダムス(三浦按針)の妻だったらしい。


「う~ん?あれが馬屋か?」

 サギが冠木門から覗いて見ると、手前に伝馬役所の表玄関があり、L字の縦長に馬屋もあるが思った以上に馬屋は小規模だ。

 伝馬は必要に応じて江戸近辺の村の馬持に提供させることになっているらしい。

 日本橋のような町中まちなかですべての伝馬が常時待機している訳ではないのだ。


「――おや?もしやぁぁ?」

 背後から深編笠の侍が近付いてサギに声を掛けた。

 あの語尾の震え声は聞き覚えがある。

「もしやぁぁ?」

 サギが口真似しながら振り返ると、侍は深編笠を少し持ち上げて顔を見せた。

(八木のメエさんっ)

 やはり、江戸城のお庭番の八木明乃丞だ。

「先だっては富羅鳥藩の貴重な御品を頂戴致しぃぃ、お毒見係の者に成り代わりぃ、かたじけなく有り難く御礼申し上げまするぅぅ」

 八木は深編笠を取るとかしこまって一礼した。

「いや、畏れ入谷の鬼子母神――ぢゃない、畏れ入りたてまつりまする」

 サギもかしこまって一礼する。

 つい言い間違えたが、武家の教育を受けたので挨拶くらいはちゃんと出来る。

 だが、松千代姐さんがマッチョ姐さんになるようなサギには廻りくどい言葉は舌を噛みそうで面倒臭いのだ。

 八木はサギに目礼し、大きな荷を担いだお供二人を従えて冠木門をくぐり抜けた。

「お頼み申すぅぅ」

 八木は懐から出した伝馬朱印状を表玄関の伝馬役人に示した。

 将軍様の発行する伝馬朱印状を持つ者には伝馬の貸銭は無料である。

 伝馬朱印状を持たぬ大名、幕府役人は公用でも有料。

 百姓町人も伝馬の利用は出来るが貸銭は幕府役人の二倍であった。


「この荷を紀州までぇぇ」

 元々、お庭番は八代将軍の吉宗が紀州から連れてきたので代々世襲して八木の祖父の郷里さとも紀州である。

 八木はしょっちゅう江戸から紀州へ荷を送っているので伝馬役所は顔馴染みでお構いなしにズンズンと中へ入っていく。

「あちらで荷の目方めかたを量るのでござるぅぅ」

 八木が竿秤さおばかりのあるほうを指す。

「ほお~」

 サギも八木の後にくっ付いてズンズンと中へ入った。

 伝馬の運ぶ荷の目方は一駄に四十貫目(150kg)までと定められている。

 なるべくギリギリの目方まで荷を積みたいのが人情だ。

 八木の荷が竿秤で量かられている間、サギは馬屋の前を行ったり来たりして馬を眺めた。

「ここには何匹の馬がおるんぢゃ?」

 サギは馬に草鞋わらじを履かせている人足の男に訊ねた。

 馬を匹と言ったのはサギが馬鹿だからではなく、元来、匹というのは馬を数える単位であった。

「馬は十匹。いずれ劣らぬ選りすぐりの駿馬だ」

 人足の男は馬の鼻面を撫でながら大威張りで答える。

「ほお、それでも十匹の中で一番、抜きん出て速い馬はいずれぢゃ?」

 サギがまた訊ねる。

「選りすぐりの中でも一番速い馬ならば、この黒鹿毛くろかげだろうな」

 人足の男はスラリと細身の黒鹿毛を指した。

「ほお、クロカゲかあ。にゃん影の仲間のようで気に食わんが、まあ、速ければいい」

 サギは黒鹿毛の後ろ脚の腿を触ってみる。

 ほど良い筋肉の張り具合だ。

「よし、このクロカゲを借りるぞっ」

 サギは勝手にパパッと手早く馬に鞍を着け、手綱を引いて馬屋から出す。

「えぇぇ?」

 八木は事態を飲み込めぬまま慌てて伝馬役所の中から飛び出した。

しからば、八木殿。急ぎの用にて御免をこうむって。はいどうっ」

 サギはスサッと鞍に跨がると黒鹿毛の脇腹を勢い良く踵で蹴った。

「ヒヒンッ」

 黒鹿毛はいきり立ち、弾かれたように駆け出す。

 砂塵を一面に捲き上げ、瞬く間にサギは黒鹿毛と冠木門を駆け抜けていった。

 パッカ、
 パッカ、

「おお、さすがは富羅鳥のぉぉ」

 そのあまりの速さに八木は目を見張って思わず感歎の声を上げた。

 パッカ、
 パッカ、

 江戸時代の早馬も競馬の騎手と同じく前傾姿勢の立ち乗りである。

 小柄なサギに早馬は打ってつけだ。

 パッカ、
 パッカ、

 サギの早馬は矢のごとく飛び去ってしまった。

「さても速い速い。あんな乗り手は滅多におるものではござらん」

 伝馬役人もサギの早馬に見入っていたが、

「――あっ?ところで、今のは何者にござりまする?てっきり八木様のお連れとばかり」

 急にハッとして無断で馬に乗っていかれてしまったことに気付いた。

「いやぁぁ、あの、ええぇぇ――」

 まさかサギが富羅鳥の『くノ一』などと明かす訳にもいかず、

「はあ、拙者の連れの者にござるぅぅ」

 八木はやむにやまれずサギの乗っていった伝馬の賃銭を立て替えることになった。
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