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旧知の仲
しおりを挟むその晩、
ザブンッ。
「んふぃ~、ええ湯ぢゃあ~」
チャプン。
チャポン。
サギはお葉に勧められるまま一番風呂に入った。
江戸では火事に用心して湯屋へ行くのが当たり前でよっぽど裕福な商家でもなければ内湯はなかったが、桔梗屋はよっぽど裕福な商家なので湯殿もあるのだ。
それも檜の豪勢な広々とした湯船である。
「極楽、極楽~」
江戸へ来てからずっと裏庭で行水だったので久々に湯に浸かって良い心持ちだ。
湯上がりの着替えも菓子職人見習いの着るお仕着せの藍染めの作務衣をおクキが出してくれた。
目黒までの早馬の土埃で汚れた筒袖とたっつけ袴は下女中が洗濯してくれている。
「はあ~、桔梗屋は親切でええのう。とことん性悪の人でなしの錦庵とは大違いぢゃっ」
湯殿から出て茶の間へ行くと、もう晩ご飯の支度が整って、みなは箱膳の前に座っていた。
みなと言っても樹三郎はいないし、草之介は料理茶屋へ遊びに行ってしまったのでお葉、お花、実之介、お枝の四人だ。
上座に実之介がちょこんと座っている。
「あれ?草之介、いや、若旦那はおらんのか?」
サギはキョロキョロと見ながらお花の隣に座った。
「ふん、兄さんはさっそく茶屋遊びだわな」
お花は憎らしげに答える。
「なんぢゃあ、つまらん」
サギはガッカリした。
草之介には鬼料理の話を詳しく聞きたかったのだ。
「ほほ、草之介の茶屋通いは今晩っきりだえ。明日からはずっと一緒に晩ご飯を食べられるわなあ」
お葉はやけに機嫌が良い。
『金鳥』がなくなったからには草之介も明日からは心を入れ替え、商いに専念し、家に落ち着くであろうと思っていた。
「うわぃ、かしわ飯ぢゃあ」
サギは箱膳を覗き込んで万歳した。
かしわ飯は人参、椎茸、こんにゃく、かしわが彩り良く入っている炊き込み飯だ。
やはり、かしわ飯の上にはカスティラの耳の細切りが添えられていた。
はんぺんと三つ葉の吸い物も鰹節のだしが良い加減だ。
「うくぅ~、美味いのう」
サギは丼に大盛りのかしわ飯をモリモリと頬張った。
「あれ?お父っさんも兄さんと料理茶屋かい?」
「うん、おとっさんもおらんわな?」
何も知らない実之介とお枝が母を見やる。
「……」
お花は樹三郎は隠し子がお葉にバレて家出したと勝手に思い込んでいるので気まずい顔をした。
「ああ、お父っさんはな、ええと、取引先との大事なご用で、その、遠くへお出掛けなんだえ」
お葉は適当な出鱈目を言って取り繕う。
九歳ほどの樹三郎の行き先には心当たりがあった。
おそらく兄、白見根太郎の下谷の屋敷であろう。
他に九歳ほどの樹三郎が身を寄せられるところなど思い付かない。
そもそもお葉の父、弁十郎と、樹三郎の兄、根太郎はまだ二十歳前後の若い頃に長崎遊学の仲間であった。
それと遊学仲間には他に田貫兼次もいた。
弁十郎は長崎遊学で南蛮人から習い覚えた南蛮菓子の店をやるために家督を弟に譲ったが元々はれっきとした武家の出だ。
父とは旧知の長崎遊学仲間の白見根太郎の弟だった縁でお葉は樹三郎と知り合ったのだ。
今にして思えば世間知らずの箱入り娘が美男というだけが取り柄の男にのぼせ上がってしまったが、
しかし、おかげで四人の器量良しの子等に恵まれたのだから選択は間違ってはいない。
ただ、樹三郎の役目はもう済んだのだ。
お葉はそういう結論に至ってサバサバしていた。
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