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お月さんいくつ
しおりを挟む一方、
「ほんに憎ったらしい芸妓にさんざん三歳上と嫌味を言われたわいなあ。わしゃ悔しいわいなあ」
おクキは昼休憩に錦庵の裏長屋へ行くとシメに芸妓の松千代のことを事細かに話して聞かせて、
「ああっ、思い出しても腸が煮えくり返るわいなあっ。キイィッ」
さも悔しげにキリキリと手拭いを噛み締めた。
「はあ、ばからし。そりゃあ、おクキどん、芸妓に目の敵にされるなんぞ悔しがるどころか自慢話ぢゃわ」
シメは鼻で笑った。
ばからしは江戸の流行語で馬鹿らしいの意である。
「――へ?」
おクキは手拭いを握ったままキョトンとする。
「考えてもみい?向こうもおクキどんが自分より美人と思うて年齢以外には勝ち目がないと認めたようなものぢゃわ。それに半玉の小梅に年齢を訊くまではおクキどんが自分より年上かも分からんかったんぢゃろ。そりゃあ、おクキどんが見た目二十歳くらいで通るということぢゃろうが?」
シメなどは松千代と小梅の二人にずっと黙殺されているのだから、そのほうがよっぽど癪に障ることだ。
「まあ、そう言われてみればシメさんの言うとおりだわいなあ」
おクキはコロッと機嫌を直した。
「あんないけ好かん芸妓の話なんぞより、最近、何か面白い噂話は聞いとらんかえ?」
シメは半ば強引に話題を諜報活動へ持ち込む。
「噂なあ――」
おクキはしばし考えて、
「そうそう、こないだ人気芸人の児雷也がそこの料理茶屋に呼ばれてきたそうだわいなあ」
料理茶屋の女中から聞いた児雷也の話を思い出した。
「ああ、人気芸人というのは方々から宴席に呼ばれるそうぢゃからのう」
そういえば、児雷也の駕籠がゴロツキ三人に襲われたのは浮世小路の料理茶屋へ行く途中であった。
「もう児雷也の美しさに料理茶屋の女中はみな大騒ぎだったそうだわいなあ。呆れたことに宴席の後片付けの時に児雷也の使うた盃を女中同士が奪い合うて、盃を舐め廻したというんだわいなあ」
「なんと、おぞましいのう」
「こんな話、児雷也に夢中のうちのお花様のお耳にはとても入れられんわいなあ。とにかく児雷也のモテることと言うたら。けど、宴席には美人芸妓がズラリと出揃うていたというに児雷也に鼻も引っ掛けられず、色目で粉をかける芸妓衆もまるで戸板に豆だそうだわいなあ」
戸板に豆は弾き返されるの意で邪険にフラれることをいう。
「へえ、児雷也はまだ十七ぢゃし、いくら美人といえ芸妓はお座敷では年齢よりも老けて見えるからのう。十七から見たら美人芸妓も白粉臭い年増ぢゃわ」
シメはついポロッと口走った。
「おやまあ、児雷也は十七なのかえ?シメさん、よう知っとるわいなあ?児雷也の生い立ちは奇々怪々で謎だらけというに」
おクキは鬼武一座を後援している近江屋の女中とも親しいが児雷也の年齢など初耳であった。
「――えっ?いや、そんなことをチラッと小耳に挟んだんぢゃ。ホントかどうかは知らんぢゃがのう」
シメは慌てて誤魔化す。
児雷也の正体を他人に知られてはならない。
そこへ、
「ご免下さりまし」
右隣の小唄のお師匠さんの一軒をおとなう高い声が聞こえた。
半玉の小梅の声だ。
(小梅が小唄のお師匠さんのところへ?)
シメは怪しんで聞き耳を立てる。
昨日の宣言どおり小梅は小唄のお師匠さんのところへ稽古に通いたい旨を伝えに来たのだ。
今更ながら小唄のお師匠さんは名をお縞という蟒蛇の一族の女である。
美人のお師匠さん目当てに近所の商家の旦那や番頭が習いに来ているが、旦那衆は仕事帰りに稽古へ来るので昼の稽古は空いている。
そんな訳で小梅は滞りなく錦太郎店の裏長屋へ小唄の稽古に通うことになった。
そうと決まれば、
「ほんの心ばかりの品にござりますが――」
小梅は風呂敷からご進物の鰹節を取り出した。
昨夜の宴席の福引きで当てた上物の鰹節だ。
景品は五本だったので三本を挨拶代わりに持参した。
「まあ、上等の鰹節を。そいぢゃ、有り難く」
お縞は熨斗の付いた鰹節を目八分に捧げて受け取る。
「お師匠さんはやっぱり元は芸妓だったんでしょ?」
小梅はすぐに普段の調子になってお縞に訊ねた。
お縞がそんな堅苦しい女ではないと察したらしい。
「まあね、とうの昔。あの娘が産まれる前さ」
お縞は裏庭にいるおマメのほうへ顔を向ける。
十三年前にお縞が身籠って芸妓を退いたので蟒蛇の忍びには諜報活動に重宝な芸妓がいなくなったのだ。
今や蟒蛇の娘はおマメより他にいないが一族の誰もがおマメのようなふてくされの娘ではとても芸妓など勤まるまいと諦めていた。
デケデン、
デケデン、
庭ではおマメが雉丸の子守りをしている。
シメの家にはおクキがいるし、自分の家には小梅がいるので、おマメはどちらにも入りたくないのだ。
なにしろ長屋は二畳の土間と四畳半の座敷しかないのだから居場所がない。
貸本屋の文次の一軒は留守で上がり込んで黄表紙を読みたいが、雉丸がいると本や錦絵をクシャクシャにするので目が離せない。
錦庵の座敷はまるで見られたら困るものでもあるかのようにおマメは入ることを禁じられている。
それだからおマメは庭にいるしかないのだ。
「お月さん いくつ 十三 七つ~♪」
おマメは雉丸をおぶって童唄の『お月さんいくつ』を唄いながら裏庭を行ったり来たりした。
おマメの顔はいつもの二倍も三倍もふてくされに、ふてくされている。
おクキが来るのも小梅が来るのもおマメにはとんだ迷惑なのだ。
「あっち向いちゃドンドコドン♪こっち向いちゃドンドコドン~♪叩きつぶしてしぃまったあ~♪」
おマメは八つ当たり気味に大きな声で唄う。
デケデン、
デケデン、
雉丸もおマメの唄に合いの手を入れるかのように、ノリノリにでんでん太鼓を振っていた。
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