富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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道楽息子の変

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「ただいまぁ」
 
 昼時を過ぎて草之介が帰ってきた。
 
 重たいつづら箱を担いで虎也の住まう日本橋室町の長屋まで五百両を届けてきたのだが、伯父の根太郎にお得意様へ挨拶廻りと嘘をついた手前、あまり早く帰るのもマズいので途中、あちこちの遊び仲間のところへ寄り道していたのだ。
 
「まあ、お帰り。ご苦労だったわなあ」
 
 お葉は満面の笑みでねぎらう。
 
「どうしたんだい?これは?」
 
 草之介は広間の反物の川を見渡した。
 
 加賀屋が午後になって出直してきて手代二人が反物をコロコロと広げていたところだ。
 
「これは若旦那様、毎度ご贔屓に預かりまして――」
 
 加賀屋の番頭と手代が折り目正しく草之介にお辞儀する。
 
「わしの秋物のよそゆきを誂えるんだえ」
 
 お葉は上機嫌で上着の鬱金色に合わせる下着の反物を選んでいる。
 
「この黄色もええわなあ」
 
「うん、カスティラみたいな色ぢゃっ」
 
「あの薄黄色も合うわな」
 
「うん、栗の実みたいな色ぢゃっ」
 
 お花もサギも夢中になって畳に這いつくばり「あれは?」「これは?」と反物を引っ張っている。
 
「……」
 
 草之介は障子の横に突っ立ったまま渋面して、広間にコロコロと広げられていく反物を見つめた。
 
 今まで遊びに出掛けることなどなかった母が珍しくよそゆきを誂えるのに自分が文句など言える筋合いではないことは重々、承知しているが、
 
 馴染みの加賀屋の番頭が贅沢三昧の桔梗屋へ持ってくるのは当然のごとく最上級の品だ。
 
 おそらく上下一揃えに帯一式で二百両は下らぬであろう。
 
 (――年の瀬に支払えるだろうか?)
 
 草之介はやにわに不安に駆られた。
 
 この時代の商家は掛け売りが当たり前で客に商品を先渡しして、勘定は年に二度、盆暮れにまとめて集金する。
 
 現金払いで買い物の出来る店は『現金掛け値なし』の商法の越後屋の他は土産物屋や屋台や行商くらいのものだ。
 
(千両箱の中に本物の小判は何両、残っていたっけ?)
 
 草之介は思い出せない。
 
 たしかに五百両を取り出した時に残りの小判を数えたはずであるが思い出せない。
 
 馬鹿なのである。
 
(――あっ、そういえば、白見の伯父が来たはずだ)
 
 草之介はハッとして、
 
「おっ母さん、ちょいと――」
 
 慌ててお葉を店の棟の板間へ呼び立てた。
 

「昼前に白見の伯父が金の無心に来たろう?まさか金を渡してはおらんだろうね?」
 
 草之介はついぞ見たこともない真剣な顔でお葉に詰め寄る。
 
「ああ、渡したえ。ご長女のご縁談で持参金が入り用というので気の毒だしなあ。二百両ほど」
 
 お葉はケロッとして答えた。
 
「二百両っ?」
 
 草之介はカッと目を剥いて、
 
「おっ母さん、困るぢゃないかっ。桔梗屋がこれまでと違うと言うたのはおっ母さんだろうがっ?」
 
 苛立たしげに声を荒げた。
 
「そ、そうだが――」
 
 お葉は初めて草之介に叱られて目をパチクリさせる。
 
「おや、若旦那様がなんぞ?」
「どうしたことでしょうな?」
 
 いったい何事かと番頭、手代、若衆、小僧も暖簾口から板間を覗き込んだ。
 
金輪際こんりんざい、伯父上なんぞにポンポン気前良く金をくれてやるのはよしとくれ。あの千両箱の金だって取って置かなくてはならんのだ。いいかい?年の瀬までもう四月よつきあまりしかないんだからね」
 
 草之介はクルッと振り返って、暖簾口でビックリ顔している番頭等を見やる。
 
「番頭さん達。また今度、わしの留守に白見の伯父がやって来たら、今後、桔梗屋は伯父にビタ一文くれてやるつもりはないと言うて追い返しとくれっ」
 
 草之介は語気を強める。
 
「へ、へえっ」
「かしこまりましてござりますぅっ」
 
 草之介の言葉に白見根太郎がダニかシラミか油虫ほどに嫌いな番頭等は思わず手を取り合って小躍こおどりした。
 
「みんなも聞いとくれ。とにもかくにも、これからの桔梗屋は質素倹約を徹底し、菓子の売り上げだけで遣り繰りしていかなくてはならんっ。わしも含め、家の者すべて、たとえ、お父っさんおっ母さんであろうが年の瀬の支払いまで千両箱を開けることはまかりならんっ」
 
 草之介は生まれて初めて商家の真っ当な若旦那らしいことを言った。
 
 ただ、千両箱から五百両を抜いて偽物の小判を入れたのが母のお葉にバレたら困るので必死に誤魔化しただけであるが、
 
「――おお~」
 
 奉公人等はみな一様に驚きと感激の声を発した。
 

 これまでの草之介といえば日本橋の数多あまたの大店の若旦那の中でも一、二を争う道楽息子であった。
 
 押しも押されもせぬ稀代のボンクラであった。
 
 その草之介がまともな若旦那に生まれ変わったのだ。
 
 奉公人の誰もがそう信じて疑わなかった。
 

「ソウ坊様、人が変わったようにご立派になられて、先代もさぞやお喜びにござりましょう」
 
「ソウ坊様さえ真人間になられたら桔梗屋の行く末も安泰にござりますぅ」
 
 一番番頭の平六へいろくと二番番頭の角七かくしちは桔梗屋の印半纏の袖で涙をしぼらんばかりに嬉し泣きしている。
 
 番頭二人が十歳の小僧で桔梗屋に奉公へ上がった頃、お葉は二、三歳下のお嬢様であったので草之介などはさらに「ソウ坊様」と坊や扱いなのだ。
 
「ともあれ、店の売掛金と支払いが幾らになるか帳簿を見せとくれ」
 
 草之介は番頭に言い付けて大福帳を持ってこさせた。
 
「――う――っ」
 
 帳簿の金額を見比べるなり草之介は顔色を失った。
 
 どう見積もっても赤字だ。
 
 湯水のように金をバラまいて贅沢三昧していたのだから当然といえば当然だが、よもや千両箱にキッチリ千両あったとしても赤字なのだ。
 
(もし、年の瀬の支払いまでに『金鳥』を取り戻せなんだら大事おおごとだ。桔梗屋は日本橋一帯の店に借金だらけになってしまう)
 
 草之介はゾッと身震いした。
 
 長らく全盛を誇ってきた桔梗屋が借金だらけになるなど面目丸潰れで決してあってはならぬことだ。
 
(虎也殿、お頼み申す。年の瀬までに必ずや必ずや『金鳥』を取り戻して下されっ)

 草之介は手を合わせて拝んだ。
 
「にゃんまみじゃぶ、にゃんまみじゃぶ――」
 
 べつに虎也が猫魔の忍びだからと「にゃん」と拝んだ訳ではない。
 
 流行りの黄表紙にもお経を「にゃんまみじゃぶ」と書いてあるのでならったのである。
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