富羅鳥城の陰謀

薔薇美

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お仕置き

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「よろしゅうに。サギと呼んで下され」

 サギは男子おのこの稽古場へ入って他の手習い子に挨拶した。

「サギ、ここだ、ここだ」

 実之介が自分の隣の文机を指す。

 サギの文机と文箱はいつの間にやら実之介の文机と並べて置かれていた。

「場所を取って置いたんだ」

 手習い所は各々の席が決まっておらず、場所取りのために手習い子はわざわざ朝早くから来て好きな場所に自分の文机を置くのだ。

 稽古場は上座に師匠の文机が正面向きに置かれて、その両側に手習い子の文机が向かい合わせに二列ずつ並んでいた。

 お座敷の宴席の座り方と同じで師匠から見ると手習い子は横向きである。

 サギの文机は廊下側の後列の一番前であった。

「ふうん?」

 キョロキョロと向かい側の手習い子を眺めると兄弟なのか十二歳ほどの子と七歳ほどの子が並んでいたりと年少、年中、年長と席が分かれてもいない。

 手習い所は各々の手習いの進み具合でそれぞれ手本が異なる個別指導なのだ。

「実之介は何を書いとるんぢゃ?」

 サギは実之介の手本を覗き込んだ。

「ほお、往来物おうらいものか?」

 往来物とは書状を写して挨拶状などの文例を覚える実用的な手習いである。

 庭訓ていきん往来と商売往来とある。

 庭訓というのは家庭の教訓のことだ。

「こりゃ商売往来ぢゃな。なになに、ますます御隆昌の段、およろこび申し上げ――」

 サギは実之介が写している挨拶状を読み上げる。

「しぃ、稽古中はおしゃべり厳禁なんだ」

 実之介は口に人差し指の代わりに筆を立てた。

「なんぢゃ、おしゃべりはいかんのか。どれ、わしゃ、みんなの手習いも覗いてみるかのう」

 サギは立ち上がって、同じ後列の手習い子の背後を歩いていこうとしたが、実之介にむんずと足首を掴まれた。

「サギ。独り言も立って歩き廻るのも厳禁なんだ」

 実之介がコソコソと小声で注意する。

「ええ?そいぢゃ、じいっと黙って座っとるだけかあ?つまらんのう」

 サギは仕方なく自分の文机に戻って座った。

 思ったより手習い所はつまらぬところだ。

 もう楽しみは昼の弁当だけである。

 サギは文机の下に置いた弁当包みを膝に持ち上げ、ヒコヒコとニオイを嗅いだ。

(おお、焼き鮭のニオイぢゃ)

(これは煮しめの牛蒡ごぼうのニオイ)

(卵焼きのニオイもするのう)

(海苔のニオイもするから握り飯ぢゃな)

 弁当包みの向きをクルクルと変えて重箱の四方からニオイを嗅ぐ。

(はあ、早う弁当が食べたいのう)

(早う、早う)

(弁当ぢゃあぁ)

 サギはジレジレと貧乏揺すりをした。

 カタカタ、
 カタカタ、

 サギの貧乏揺すりで隣の実之介の文机と、サギと向かい合わせの手習い子の文机まで揺れる、揺れる。

「お師匠様っ、サギさんが邪魔をしますっ」

 いきなり、サギとは反対側の壁側の後列の一番前の手習い子が手を挙げてカミナリ師匠に言い付けた。

「なんぢゃと?お前の邪魔なんぞしとらんぢゃろうが?」

 サギはムッとしてその手習い子を睨み付けた。

「いいえっ、落ち着きのないサギさんが目障りで気が散りますっ」

 十五、六歳ほどのいかにも勉強熱心そうな男子である。

「――うむ」

 カミナリ師匠は先ほどからサギの行いを見て見ぬ振りしていた。

 なにぶん、山奥から出てきたばかりの子なので少し様子を見ようと思っていたのだ。

 しかし、他の手習い子から苦情が出たら叱らぬ訳にもいかない。

「サギ、人の稽古の邪魔をした罰ぢゃ。その前で正座なされ」

 カミナリ師匠はピシッと自分の前の畳を指して命じた。

「ば、罰ぢゃと?」

 サギは茫然とした。

「独り言を言ったり、立ち上がったり、弁当のニオイを嗅いだり、貧乏揺すりしただけなのに?」

 どう考えても悪いことはしていない。

「どれもこれも稽古中は厳禁ぢゃ。さ、この前で線香が尽きるまで正座して反省なされ」

 カミナリ師匠が畳の上に線香立てを置いた。

 手習い所の定番のお仕置きである。

(師匠の文机の真ん前で正座ぢゃと?)

(さては、見せしめというヤツか?)

(わしをさらし者にするつもりぢゃな?)

 はなはだしく気に入らぬがここで帰ってしまったら本懐ほんかいである手習い所での昼の弁当という目的を遂げられない。

 弁当を持ち帰って家で食べるのではわざわざ手習い所に入門した甲斐がないというものだ。

「――むぅ――」

 サギは仏頂面して師匠の文机の前へ進み出て、線香立ての前に正座した。

(ああ、つまらん、つまらん)

(手習い所がこんなつまらんところぢゃったとは)

(毎日毎日、こんなつまらんところにゃ来られんのぢゃ)

(あああ、席書会まではズル休みするかのう)

 ひたすら線香の先っぽを睨みつつ心の内でブツクサと文句を垂れる。

 線香が燃え尽きた頃には昼になっていた。
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