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手も足も出ない
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サギは蜘蛛のごとくササーッと屋根を這って裏側へ廻り、錦庵の調理場を窺った。
店内から「いらっしゃい」「いらっしゃい」「いらっしゃい」と景気の良い声がひっきりなしに聞こえてくる。
お葉が錦庵で食べるようにと念を押して方々へ蕎麦代を心付けに配ったので続々と客がやってきたのだ。
たちまち錦庵はギュウギュウ詰めの満席となった。
「おクキどぉん?すまんが店のお運びを頼めんかのう」
てんてこ舞いのシメが裏長屋へ声を掛ける。
「へえい」
おクキは子守りに飽き飽きしていたようで「待ってました」とばかりに素早くたすき掛けし、赤子の雉丸を抱えて裏庭から調理場へ小走りしてきた。
シメが赤子をおぶったまま洗い物と盛り付けをし、ハトが蕎麦を茹で、おクキがお運びをする役割分担のようだ。
(しめしめ、ハトは釜戸の前から離れられんし、シメは赤子をおぶっとれば動きが取れんというものぢゃ)
サギは料理屋の屋根から錦庵の屋根へヒラリと飛び移ると草鞋の上に足袋を履いた。
家の中へ忍び入るのに土足厳禁は鉄則だ。
そして、軒を両手で掴み、屋根からクルンと前転して縁側へ飛び下り、スサッと座敷へ入り込んだ。
(むうん、錦庵には桔梗屋と違うて土蔵はないんぢゃし、火事の多い江戸ではすぐに持ち出せるよう寝床の近くに仕舞ってあるはずぢゃ)
サギはそう推測して、いつも我蛇丸が寝ている縁側に面した座敷に的を絞って探すことにした。
四畳半の狭い座敷には行灯と文机と枕屏風しか置かれていない。
押し入れの襖をそっと開くと下段には我蛇丸の着替えの入った行李が二つきり。
上段には布団二組と蚊帳が丸めて入っているきりだ。
一番上の天袋の襖を開くと中には何も入っていない。
(さては、天井裏ぢゃなっ)
サギは天袋に潜り込むと、用心して襖を閉めてから天井板を押し上げた。
その時、
「何をしているんだわいなあ?」
裏庭からおクキの鋭い声が響いた。
(――み、見られたっ?)
サギは全身がドキンと固まる。
だが、
「何って、あたしに錦庵の座敷へ入っちゃいけないとでもお言いかえ?」
おクキの詰問に答えたのは小唄のお師匠さんのお縞の声だ。
(な、なんぢゃ、おクキどんはわしに言うたかと焦ったぢゃろうが)
サギはホッと脱力した。
「誰もおらぬ隙を狙ってコソコソと、怪しいわいなあ」
「何が怪しいってのさ?あたしゃ、この錦庵の錦太郎の孫娘で、我蛇丸の再従姉なんだからね。なにさ、赤の他人がでしゃばって」
おクキもお縞も憎々しげにお互いに突っ掛かる。
「怪しいといったら怪しいわいなあ。わしは何日も前からお縞さんが座敷の押し入れの中を何やらコソコソと探していたのを知っておるわいなあ」
「それは夏物の片付けをしてやってただけぢゃないか。おクキさんこそ親切ごかして錦庵へ手伝いになんぞ来て、ホントはお前さんこそ何かコソコソと探ってるんぢゃないのかえ?」
おクキとお縞は身体を斜に構えてキッと睨み合いになった。
さながら狐と蛇の対決である。
(あ、そういえば、小唄のお師匠さんは――)
サギはハッと思い出した。
熊蜂姐さんがお縞は猫魔の間者だと言っていたことを。
(熊蜂姐さんはお縞を使って錦庵から『金鳥』を盗み出させるつもりぢゃったのか)
(そいぢゃ、お縞はとっくに天井裏も探しとるんぢゃろの)
天井板を押し上げた時に砂埃が落ちなかったのは前に誰かが開けたばかりだという証拠だ。
どうやら天井裏に『金鳥』はなさそうだ。
(むうぅ)
サギは思いっ切り顔をしかめた。
無駄に天袋などに潜り込んでしまった。
(これぢゃ、まるでカスティラの箱の中ぢゃあ)
サギは天袋に横たわったままでおクキとお縞が立ち去るのをひたすら待つしかないのだ。
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