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泥中の蓮
しおりを挟む同じ頃、
下谷の白見の屋敷では、
「ふぉっふぉっふぉっ」
根太郎が太鼓腹を揺すって高笑いしていた。
「まんまと見合い相手の小納戸二人と勘定見習い三人が是非とも美根を嫁にと申し込んできおったわ。ふぉっふぉっふぉっ」
今日、見合いの仲人を通じて五人から申し込みの旨を伝えられたのだ。
せっかく美しいお桐を見合い相手の武家娘と勘違いさせたというのに、若侍八人が八人揃って打ち寄せて申し込まぬとは口惜しいが、
若侍は上役の命令で不承不承に見合いさせられた者がほとんどなのだから五人も申し込んできたなら上々か。
「さあて、誰を選ぶかだが、禄が百石ぽっちの勘定見習い三人は言わずもがな。五百石の小納戸の猪野様か山鹿様のどちらかだが、山鹿様が良かろうの」
「ええ、どちらでもなんなりと。美根をお旗本へ嫁にやれるとは、ほんに夢のようにござりまするなあ。ほほ――」
妻のお幹は袖を口元に当てて笑み崩れる。
その時、
(――ああ、我が父母ながら嘆かわしいこと)
美根は廊下で嘆息していた。
(ふん、旗本へ嫁入りだと?また金がごっそり入り用ではないか。性懲りもなく桔梗屋へ無心するつもりか)
九歳ほどの樹三郎は次の間で渋面していた。
根太郎とお幹が話をしている茶の間を挟んで次の間では九歳ほどの樹三郎が、廊下では美根が盗み聞きしているのだ。
すっかり根太郎とお幹は小納戸の山鹿に美根を嫁がせることに決めたようだが、
武家同士でも旗本と御家人では身分違いなので婚姻は許されない。
それがために美根はいったん然るべき旗本家の養女にならねば山鹿へ嫁ぐことは出来ぬのだ。
だが、案ずるには及ばず、
昨今は貧乏旗本ばかりで謝礼金を目当てにどこの家でも喜んで養女の依頼を引き受けてくれるであろう。
(金さえあればの話だ)
九歳ほどの樹三郎は心の内で吐き捨てた。
武家の社会はむやみやたらに規律が厳しいが金さえ出せばたいていの規律はうやむやにすることが出来る。
たとえ切腹せねばならぬような不始末をやらかしたとしてもそれ相応の袖の下を渡せば上役がチャラにしてくれるのが武家の社会だ。
そんな武家に生まれ育ったせいで根太郎も樹三郎も金に浅ましく執着するようになってしまったのだろうが。
「――では、謝礼金のほうは明日にでも桔梗屋へ出向いて頼んでみるとして、目出度いことだし、お葉さんなら気前良く二百両くらいはポンと弾んでくれよう」
やはり、当然のごとく根太郎は桔梗屋に金を用立てて貰うつもりである。
「美根を養女に引き受けて貰う旗本は――、そうだの、宇佐木様に持ち掛けるか。なにしろ数多の貧乏旗本のうちでも取り分けて困窮しておるという噂だからの。これも良い功徳だ」
根太郎は自分よりも身分が上の貧乏旗本に金の力で優越感に浸れる機会を得てご満悦だ。
(――まあ、なんということ――っ)
美根は廊下で悲痛に眉根を寄せた。
根太郎が美根の養女の依頼先に名指しした貧乏旗本の宇佐木とは、こともあろうに美根の奥女中仲間の久良の父であった。
まさか宇佐木が娘の久良を吉原の遊女に売り飛ばしたほど困窮していたとは根太郎は知る由もない。
(ああ、けれども、二百両もあれば、久良様の前借を返せるに違いない――)
(久良様が吉原から自由の身になれる――)
自分に出来ることならば、苦界に身を沈めた久良を是が非でも救い出したい。
(あまり気が進まぬけれども、久良様を助けるためならば――)
美根の心は千々に乱れていた。
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