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産みの親より育ての親
しおりを挟む「――という訳で明日、昼七つ半、芳町の茶屋、恵比寿にてお待ち致しておりますと熊蜂姐さんからの言伝てにござります」
さっそく小梅は火消の長屋からの帰りしなに錦庵へ寄ると、熊蜂姐さんが錦庵の面々を会席に招じる旨を儀礼的な口調で伝えた。
「蜜乃家の熊蜂姐さんが?わし等にいったい何の用件で?」
我蛇丸は解せぬような顔をする。
「富羅鳥と猫魔の話し合いだってさ」
竜胆もトラ猫の入った柳行李を持たされて小梅にくっ付いてきて口を挟む。
「猫魔との話し合い?」
「それに何だって熊蜂姐さんが?」
シメとハトも何のことやらという顔だ。
「――は?ひょっとして知らないんだ?そいぢゃ、あたしのことも知らない?」
小梅は呆気に取られて普段の口調に戻ると高飛車に顎を突き上げて我蛇丸、ハト、シメの顔を見返した。
「蜜乃家の半玉の小梅ぢゃろうが?」
シメがそれくらい知っているという調子で答える。
「はああ、それだけぇえ?」
小梅は吐息しながらヘタへタと脱力した。
「小梅は猫魔の三姉妹のお三毛さんの娘だぜ?」
竜胆が見かねて口を出す。
「――えええ?猫魔の三姉妹の娘?」
「ということは我蛇丸の従妹か?」
シメとハトは意外そうに小梅と我蛇丸の顔を見比べた。
「ねえ?富羅鳥の忍びだろ?何でそんなことも知らないってのさ?もう江戸へ来てから三年だろ?」
小梅は癪に障ったように問い詰める。
「いや、わし等の江戸での目的は富羅鳥藩の秘宝の捜索ぢゃけぇのう。猫魔に関して調べる必要はこれといってなかったんぢゃ」
我蛇丸はいつもの無愛想のまま素っ気なく答えた。
小梅が自分の従妹と知っても動じるでもない。
ただ、前々から腹に一物ありそうな胡散臭い娘だと思っていたので「なるほど」と合点がいっただけだ。
「あ、そう?猫魔には関心がない?へええ」
小梅はますます気に障った。
我蛇丸は猫魔の忍びには何の関心も持たなかったというのか。
猫魔の血を引いているくせに。
「関心がない訳ねえさ。我蛇丸さんは猫魔のお玉様の子なんだろ?自分を産んだ実のおっ母さんぢゃねえか」
竜胆は小梅に代わって我蛇丸に突っ掛かる。
「実の母親のことなんぞ何も覚えとらんしのう」
我蛇丸は五歳の時に富羅鳥山でサギの母のお鶴の方を見つけ、自分の望みどおりの美しい母様を得てからは実の母には何の思慕も抱いていない。
大膳とお鶴の方は夫婦になった訳ではないが、サギが産まれてから実の親子と同じように楽しく賑やかな日々を送ってきたのだ。
それに、父、大膳の口から実の母のお玉の話が出たことは一度もなかった。
自分を産んだ母がお玉という猫魔の頭領の娘だということも大伯父の蟒蛇の錦太郎爺っさんから知らされたくらいである。
(ああ、そうぢゃ。たった一度、父っつぁんに訊いたことがあった)
我蛇丸は幼い日のことを思い出した。
「のう?父っつぁん、わしを産んだ母様はどんな人ぢゃった?」
無邪気にそう訊ねると父、大膳はやにわに顔を強張らせて、しばし黙考すると、ただ一言、「分からん」と答えたのだった。
あの時の大膳は暗闇で何も見つからぬような為す術もないような表情であった。
(どんな人か『分からん』って、何ぢゃったんぢゃろう?)
ともかく、我蛇丸はその時に実の母のことは決して父に訊いてはならぬと悟ったのだ。
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