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猫かぶり
しおりを挟む「――たしか、わたし等が富羅鳥山へ眠り茸狩りに入ったのは長月の半ばだったよねえ?」
お虎が意味ありげにお三毛に横目を向ける。
「ああ。そうさね」
お三毛は考えるまでもなく即答した。
「玉左衛門が産まれたのが皐月の半ば。富羅鳥の大膳の子にしては二月ばかり早かないかえ?」
お虎は何もかもお見透しというようにギラリと目を光らせる。
「……」
虎也はやはり二人は父、又吉とお玉の関係を気付いてたかと戦々恐々とした。
富羅鳥山で大膳と出逢った頃にはお玉の胎内にはすでに又吉のタネである我蛇丸が宿っていたのであろうか。
「……」
我蛇丸、シメ、ハトは押し黙ったまま複雑な表情になった。
又吉は逆さ八の字の眉。
我蛇丸と虎也は兄弟のようにそっくり。
我蛇丸が産まれたのは二月も早い。
これだけ手掛かりを出されたら我蛇丸が大膳ではなく又吉とお玉の間に出来た子だとお虎とお三毛が疑っていることは容易に察しが付く。
「……」
小梅は興味深げに目だけキョロキョロと動かし、みなの顔を見比べている。
すると、
「ちょいと?」
熊蜂姐さんがギロッと目を剥いてお虎とお三毛を睨み付けた。
「お前達、まさかお玉が又吉と何かあったような邪推をしているんぢゃなかろうね?」
とたんに低く恐ろしい声音に変わる。
「だって、あの二人がこそこそと待合い茶屋で逢ってたって見た人もいるんだからね」
「そうさ。お玉姉さんのことだからお虎姉さんの男を横取りしたに決まってるさ」
「ああ。あの子はすぐに人のものを何だって欲しがってさ。自分は猫使いだから特別だって思ってるのさ」
にわかにお虎とお三毛が今は亡きお玉の所業をあげつらう。
三姉妹でも猫使いのお玉だけが別格の扱いだったのが二人には不満だったのだろう。
当時はまだ十八、十七、十六の多感な年頃の三姉妹だったのだ。
「お前達こそ、すぐに猫使いのお玉を妬んで根も葉もない出鱈目を抜かして。お玉は心優しい純情可憐な娘だったよ。姉の男を寝取るようなふしだらな娘なものかい。勝手な邪推はおよしっ」
熊蜂姐さんがお玉を擁護する。
「……」
我蛇丸、シメ、ハトは意外そうな顔をした。
昨夜、文次から聞いた話だと、お玉の本性はまさしくお虎とお三毛の言うように姉の男を寝取るであろう性悪で淫乱な女のようだった。
だが、母の熊蜂姐さんはお玉を心優しい純情可憐な娘だと信じているらしい。
「お玉はおっ母さんの前では猫かぶりしてただけだよ」
「そうさ。猫かぶりは猫魔のお家芸なんだから得意なものさね」
お虎もお三毛もお玉が純情可憐な娘などとはちゃんちゃら可笑しいという口振りだ。
「お前達、わたしの目がそんな節穴だと思ってんかい?馬鹿にして貰っちゃ困るね。母親のわたしが娘の猫かぶりを見破れないとでもお言いかい?お玉はホントに純情可憐な娘だったよ。母親のわたしが言うんだから間違いないさ」
熊蜂姐さんはお虎とお三毛を般若のような顔で睨み付け、
「玉左衛門、この二人の戯れ言なんざ聞かなかったことにしておくれ。猫使いに対する僻み根性で有りもしないことを言ってるだけさ。お前まで母親のお玉をそんなあばずれ女だと思ったら死んだお玉が浮かばれやしないよ」
我蛇丸にはガラリと変わって悲しげな天女のような顔を見せる。
「……」
熊蜂姐さんの顔の早変わりに我蛇丸、シメ、ハトは唖然とした。
「富羅鳥山に眠り茸を採りに行ったのだって持病の癪で寝込んでいたうちの人が胸の痛みで眠れないと言うので、お父っつぁんのためにわざわざ敵の山にまで入ったんだ。それくらいお玉は優しい娘だったんだよ。それなのに、罠の落とし穴に落っこっちまって。この二人は足を怪我して動けないお玉を見捨てて自分達だけ逃げてきた、とんだ薄情なろくでなしさっ」
熊蜂姐さんはお虎とお三毛を罵って泣き崩れた。
五男四女の母である熊蜂姐さんだが、子供のうちで猫使いのお玉を誰よりも大事にして可愛がっていたのだ。
「……」
お虎とお三毛はお互いを見交わしてやれやれと嘆息する。
猫使いであった猫魔の頭領は娘のお玉が富羅鳥に捕らわれたと聞いたとたんに胸の発作を起こし、お玉の身を案じたままあの世へと旅立ってしまった。
それだけに熊蜂姐さんの富羅鳥の大膳への恨みは根が深い。
その夜。
母と娘二人の諍いから料理の膳を囲む雰囲気でもなくなった我蛇丸、シメ、ハトはさっさと茶屋の恵比寿から帰ってきた。
「――という訳なんぢゃ」
シメとハトは錦庵の座敷で文次に茶屋での一件を話して聞かせた。
「……」
我蛇丸は縁側で座敷に背を向け、ぼんやりしている。
「ほう、そいぢゃ、熊蜂姐さんはホントにお玉が心優しい純情可憐な娘と信じとるんぢゃのう?」
文次は人によってお玉の印象がまったく食い違っていることを訝しんだ。
「オギャアと産まれた時から十七歳までを知っとる母親の熊蜂姐さんまで猫かぶりして騙せるものぢゃろうか?」
「それに、富羅鳥の婆様でさえお玉の猫かぶりに気付かなんだのは解せんのう?」
「……っ」
ぼんやりしていた我蛇丸はシメとハトの言葉にハッと目を見開いた。
(そうぢゃ)
富羅鳥の婆様、お鴇の目こそ節穴ではないはずだ。
あの眼力の鋭い婆様がたかが十七歳の娘の猫かぶりを見破れなかったとは思えない。
「いったい、お玉は心優しい純情可憐な娘ぢゃったり、性悪で淫乱な娘ぢゃったり、時と次第に応じて自在に変化したというのぢゃろうか?」
「それぢゃ猫は猫でも化け猫ぢゃわ」
ハトとシメは熊蜂姐さんの天女と般若と早変わりする顔を思い出した。
「あの母にして、この娘ありというヤツで、お玉にも二つの別の顔があったんぢゃなかろうか?」
「ぢゃが、お玉の場合は顔だけでなく早変わりする心まで二つあるような、不思議なことぢゃがそうとしか思えんのう」
「――ううむ――」
我蛇丸は唸った。
それならば、父、大膳がお玉のことを「分からん」と言ったことも頷ける。
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