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プロローグ

序章 敗れし魔王が遺した予言

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 その日の満月は血のように赤かったと後に記されている。
 とある山の中を駆ける影が三つあった。
 その内の一つは大きくも禍々しい蝙にも似た翼を背に広げ木々の上を滑空し、一つは己が背の丈の倍はあろうかという木の杖に立ち魔女さながらに飛翔をしている。
 残る一つは徒歩かちであるものの枝々を跳び移りながら宙を行く二つの影と併走していた。

「穿て、火の精霊よ! 『プロミネンススフィア』!!」

 杖の上の影が翼を持つ影に向けて指差すや、なんとその先端に火が灯り球状を成す。
 それはすぐに指先から放たれ、翼の影に向かって突き進む。
 翼の影はたいを捩って軌道を変えて火球を躱すが、驚くべき事に火球も闇に赤い尾を引きながら弧を描いて翼の影に追い縋る。

「分かれよ!!」

 杖の影が叫ぶと、火球は分裂して数を増やし、翼の影を覆い尽くさんばかりに囲い込む。

『チッ! 風の悪鬼よ、迎え撃て! 『ゲイルミサイル』!!』

 翼の影が舌打ちしつつも両腕を交差させるように振ると、突風が起こり周囲の火球を掻き消した。
 にも拘わらず杖の影は口角を僅かに上げる。

「今!!」

 己が失策を悟り翼の影は臍を噬んだ。
 火球の迎撃に僅かではあるが減速してしまった事が大きな隙となる。

「せいっ!!」

 加えて併走しながらも沈黙を保っていた徒歩の影がいつの間にか姿を消していた事に漸く気付いたのだ。
 かと思えば突然、涌いて出たかのように翼の影の頭上に現れた徒歩の影は手にした剣を背中に叩きつけるように振り上げて、その反動を使って振り下ろした。
 翼の影はそれに対処しきれず、身を捻ったが翼の片方を根本から断ち切られて、その勢いのまま錐揉みして森の中へと消えていく。
 それを追って二つの影も森の中へと降り立つ。

「さあ、今度こそ逃がさないぞ! 観念しろ!!」

 大木を背に座り込んで俯く翼の影の前に杖を持つ人物が立ち、月光に照らされてその姿を露わにする。
 それは柔かな金色こんじきの髪をトップに纏めた黒衣の少女であった。
 少女は杖の先を翼の影に突き付け、状況がどう動こうとも対処出来るようにしている。

「長かった戦いもこれで決着ですね。アナタとの腐れ縁も漸く終わりにする事が出来そうです」

 続いて姿を現したのは腰まである黒髪をポニーテールにした一見少女と見紛う程の美麗な少年だった。
 白磁を思わせる白い肌を道着で包み、紺の袴を履いている。
 少年もまたかます切っ先を翼の影に向けて警戒を示す。

『終わりだと? 確かに我が魔力は尽き、この身に受けたダメージは深刻だ。軍団は敗れ、余もこんな異世界・・・くんだりまで無様に逃げる有様よ』

 だが――翼の影が顔を上げる。
 中性的な美貌を不敵な笑みに歪め哄笑する翼の影に二人は訝しむ。

『だが、それがどうした? 貴様らに余は滅ぼせぬ! この『淫魔王』クシモ、今でこそ吸精鬼サッキュバスに貶められてはおるが、かつては豊穣と多産を司る地母神が一柱よ!! 神は殺せぬ、何人なんぴとであろうとな!!』

 かつては純白であったタキシードを己が血で紫に染めながらクシモと名乗った美女は立ち上がって二人を睥睨する。
 追い詰めているのは自分達ではあるが、未だに覇気が衰えぬクシモに二人は知らず半歩下がってしまう。

『今回は潔く敗北を受け入れよう。先程、余は死なぬと云ったが復活に膨大な時間を必要とするのもまた事実だ』

 三者の耳にパキリという乾いた音が届く。

『ふふふ……余はこれから永き眠りに就く。だがその前に一つ予言をくれてやろう』

「予言だと?」

 乾いた音は連続して聞こえ、徐々にその間隔が短くなっていく。
 見ればクシモの体が足元から少しずつ石のように固まっていた。

『先程は膨大な時間が必要だと云ったが、実際には復活にそう時間はかかるまい。何故なら地母神としての目を持ってすれば視えるからだ。貴様達が子を成し、その子供が余を崇める神官として復活の一助となるであろう事をな』

「巫山戯るな!! 僕達の子供がお前を蘇らせるなんてあるものか!!」

 少女が激昂して叫ぶが、クシモは涼しい顔をしている。
 既に胸まで石と化していて呼吸すら困難となっているのだが、苦しみよりも狼狽える怨敵の姿に愉悦の情が上回っているのだ。

『信じるも、戯れ言と突っ撥ねるも貴様の自由だ。だが覚えておけ。勇者の血を引く者が必ずしも品行方正とは限らぬとな』

「黙れ!!」

 少女が杖の先から火球をクシモへと放つが、その身は殆ど石と化しており効果は薄い。
 クシモはこの期に及んでますます笑みを深める。

『しかし、貴様も惨い事をする。エルフとドワーフの混血ゆえに迫害されてきた過去を忘れたか? だのに貴様は有ろうことかニンゲンと恋をし、その胎内はらには既に……どうやら貴様は子にも同じ地獄を味わわせたいようだ』

 少女はエルフ特有の長い耳を悔しそうに触れる。
 そんな彼女に少年は寄り添い、勇気付けるように肩に手を乗せた。

『貴様達の子は必ずニンゲンを始め、エルフ、ドワーフから忌み嫌われるだろう。余はそんな傷つけられた子供を優しく導くだけだ。“護ってあげるよってこちらへおいで”とな』

 クシモに告げられた未来を想像したのか、俯き唇を噛む少女を護るように少年が進み出る。
 その表情かおは穏やかそのものであり、未来に不安を抱いている様子は見受けられない。

「私達の子供はアナタの甘言に乗るような弱い子にはなりませんよ。私とアルウェンの子です。必ず強い子に育ちます。それにアナタは知る由もないですがね……」

 少年はすぅっと目を細める。
 その目には武人として、否、父親としての覚悟が込められており、クシモは思わず息を飲んだ。

「オタク文化といってこの世界・・・・ではアルウェンのような女の子はむしろ受け入れられてますよ。我が道場の門下生の中には“混血児、なんて美味しい設定なんだ”という困った人もいるくらいです」

 それに――と少年はクスクスと妖艶に嗤う。
 男子とは思えぬ艶やかな仕草にサッキュバスである自分の方が引き込まれそうになり、クシモは知らず生唾を飲み込んだ。

「当道場の教えと稽古は少々荒っぽくてですね。そこで鍛えられた我が子が簡単に靡くとは思えません。よしんば我が子がアナタの元へ馳せ参じたとしても……」

 右手の人差し指をクシモに突き付けて少年は微笑む。

「アナタの手に負えるようなヤワな子にはならないと思いますよ? 我が三池家はどういう訳か、我の強い子が誕生しやすい。まあ、推察するに当家の男子は私のように華奢で女顔の者が多いですから、世間に舐められないよう自然にツッパッた人格となってしまうのでしょうね」

『それはそれで面白いではないか。じゃじゃ馬を飼い馴らすもまた一興よ』

 利かん気な子供を手懐けるのは慣れている。何せ自分は大地の女神にして母なる神だったのだ。むしろやりがいのある話である。
 ふとアルウェンが鬼も斯くやと思わせる形相でこちらを睨んでいることに気付いたクシモは苦笑した。

『勘違い致すでない、勇者よ。余は貴様の子を屈服させようも誘惑しようとも思うてはおらぬ。母のように大地のように優しくその子を抱き留めるだけよ』

 何せかつては地母神と崇められた神だからな――と、クシモは思い返す。
 淫魔へと貶められた屈辱に耐えること千年、漸く力を蓄え人間界へ復讐の狼煙を上げたのが十年前の事。
 ただ心穏やかに田畑を耕し、子を宝として愛していただけの民を邪教の徒として殺戮と略奪の末に滅ぼされた怒りは今なお燻り続けている。
 天空に輝く星の一つ一つを神と見立てた星神教、この世の森羅万象に宿る精霊を崇めるプネブマ教、彼らがそれを成したのだ。
 実り豊かな大地を我が物にせんという愚にもつかない理由であったと知ったのはいつだったか。
 多産を司っている事からセックスに奔放だろうというこじつけに近い理屈によって淫魔へと貶められても、彼女は民の菩提を弔いながら静かに時を過ごしていた。
 だが、その沈黙は破られた。侵略者共はあろうことか民が安らかに眠る墓所を破壊したのだ。己が生活圏を広げる為だけに……
 正に怒髪天を衝く勢いで怒気を発したクシモは魔王と化し、星神教とプネブマ教への復讐を誓う。
 クシモはまず眠っていた民の魂を己が胎内へと宿し、吸精鬼サッキュバス吸血鬼ヴァンパイアへと産み直したのである。
 人ならざる者にされたが民達の中にクシモを責める言葉は無い。むしろ邪教徒として天国は疎か地獄にすら行けぬのなら神の復讐に殉じようと団結した程だ。
 彼らは夜な夜な聖職者を誘惑し、教徒を襲い、彼らに恐怖と堕落を強いた。
 クシモの軍団の恐ろしいところは血を吸われた者を下僕にする事でも精を吸われた者を快楽に溺れさせる事でもなかった。
 なんとクシモは子とも云うべき吸精鬼や吸血鬼に血や淫液を通して相手の力や知識、技能を盗む力を与えていたのである。
 膨大な知識と強大な力を蓄え続けた彼らは、自然界に宿る精霊や天空の神々に対抗できるだけの巨大な軍団へと成長を遂げた。
 千年にも及ぶ雌伏の時を耐えた『淫魔王』クシモの復讐戦争はこうして幕を切って落とされたのだ。

『ククク……誇れよ、勇者。貴様を迫害してきた連中には為す術も無かった余をここまで追い詰めたのだ。胸を張るが良い』

 考えてみれば憐れな娘ではあった。
 古来より顔を合わせただけで諍いが発生する程の犬猿の仲であったエルフとドワーフの橋渡しになればと望まれた子であったが、両親の立場が悪すぎた。
 片やエルフの中でも上位種にして王族であるハイエルフの王子、片やドワーフ族の族長の姫君、二人は秘やかに恋をして逢瀬を重ねていつしか子を得たのである。
 妊娠が発覚すると、二人は強く結婚を望み、産まれてくる子を両種族の和解の切っ掛けにしたいと主張したが却下された。
 当然の話である。混血児の一人や二人が産まれたくらいで埋まる程度の溝なら両種族にこれ程の確執は生まれていない。
 流石に生まれてくる子に罪が無い事と堕胎が出産以上に命懸けである事から誕生こそ許されたが、それぞれが純粋な血統を重んじているが故にアルウェンと名付けられた子は両種族から遠ざけられる事となる。
 引き取り先に選ばれたのが双方共通の友にして尊敬すべき偉大な魔法使いである魔女ユームであった。
 ハイエルフの王とドワーフの族長が揃って頭を下げれば無下に扱わないだろうという打算が無かったと云えば嘘になるが、魔女として迫害された過去を持つユームならばアルウェンにとって良き導き手となってくれるだろうという期待もあった。
 事実、ユームは師として此の上無い存在であり、混血児と同様に魔女もまた人から蔑まれていたが迫害を受けてなお歪む事無く研鑽の日々を過ごす人格は良き手本となった。
 師弟であり、義理の親子と云っても差し支えない関係は勇者に選ばれた今もなお続いている。

『さて、いよいよ下顎まで石と化し、口が回らなくなってきたか……』

 クシモは何故か敗北者とは思えぬ慈愛に満ちた表情を浮かべると、二人に別れの言葉を告げる。

『では、さらばだ勇者よ。次に見《まみ》える時を愉しみにしているぞ』

 最後に、強き子を産み、大きく育てよ、と云い残してクシモは完全に石となった。
 アルウェンと少年はしばらく山の中には場違いに妖艶な裸婦像を眺めていたが、やがてどちらからともなく踵を返すと山を下りて行った。
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