僕たちはまだ人間のまま

ヒャク

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第16話「ピンクのバラとかすみ草」

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速くして、と言っても、中谷は法定速度を厳守した。
当たり前の事ではあったが、芽依は握りしめたピンク色のバラを見つめながら車の後部座席に深く座り、携帯電話のアプリを起動させる。
午後21時48分。
もう既に2時間と少し、待ち合わせの時間を超過している。

(メッセ、何も来てない)

何度開き直しても、アプリには先程のメッセージから一言も来ていなかった。
新宿駅に着いたところで、もしかしたらもういないかもしれない。
そんな考えも確かにあるのだが、芽依はバラを見るたびに、「あの人なら多分待ってる」と根拠のない自信が芽生えていた。

「見えて来たよー、メイ。てか何で新宿駅?変なことしないでよ?女?」
「いや、友達」
「誰?泰清くん?荘次郎くん?」
「違うやつ、高校のときのやつ」

テキトーな答えだったが、中谷がそれ以上踏み込むことはなかった。
彼女が心配しているのは次なるスキャンダルを芽依が引き起こす事だ。
けれど彼の必死な表情の中にある冷静さを見極め、そう言った事ではないのだろうと踏んで大通りから新宿駅の近くの路地に曲がって入り、一旦車を停めた。

「メイ」
「なに!」
「あなた芸能人。俳優でアイドルよ。忘れないで」
「分かってるよ。送ってくれてありがとう。旦那さんに宜しく!」

それだけ確認した。
困ったように笑った芽依は、ガチャ、とドアを開けて外に出る。
彼女にバックミラー越しに手を振ると、そそくさと駅の方へ消えていってしまった。

「さて、帰るか」

ブォン、と車が動き出す。
芽依は新しい改札を目指して走っていた。

MEI[目印、白いブーツとピンクのバラです]

一か八か、芽依は短くそれだけを雨宮に送った。
履いている白いブーツの足先だけを写真に撮って送り付ける。
アプリのメッセージには既読や未読の通知機能は付いていない。ただ、きっとまだいるのだろうと思って芽依はメッセージを送った。
改札の周りをキョロキョロと見回したが、かすみ草の花束を持った人間はいない。
ただでさえ高身長で目立つ芽依は、人の目を避けるように着ているパーカーのフードを目深にかぶり、22時近い時間には絶対に必要がないサングラスを鞄から出して掛け、マスクをつけた。

「いない、、」

10分程歩き回ったが、雨宮らしき人影はなかった。
チラチラとこちらを見てくる会社帰りのOLや大学生らしき集団の目を避けて、芽依はアプリを確認する為に人が少ない通りへ歩いていく。

(もう帰ったのか、、流石に、10時だしな)

返事は来ているだろうか。
フラフラと携帯電話を見ながら歩き、改札からは少し離れた、街路樹や花壇のある通りへ出た。
街路樹を囲う枠は人が座れる高さになっていて、タイルが敷き詰められて夜でもツヤツヤと光を反射している。

(ここにもいない、、1回落ち着いてメッセ見る、か、、え?)

狭い通路を一つ挟んで隣の街路樹を囲う枠に、ポツンと人影があった。
革の平たい鞄を足元に置き、手には小さな花束を握り、何かの通知が来て枠に置いていた携帯電話がブブッと震えた事に驚いている。

「あ、MEIさんだ」

「ッ!!」

携帯電話の画面を見ながら、その小さな人影はニコ、と人の良い笑みを浮かべた。
期待と、安堵と、少し気恥ずかしそうな表情。

(雨宮、、さん、だ)

その優しく落ち着いた声に、何故か絶対にそうだと確信が湧いた。
電波が悪かったのか、芽依が送ったメッセージは、今やっと彼に届いたようだった。

(どうしよう、本物だ、、本物の雨宮さんだ)

嘘なんてついていなかった。
雨宮が送ってきた写真は紛いもなく今目の前にいてかすみ草の花束を握っている男そのものだ。
少し小柄で腕が細い。痩せている顔はスッキリした作りで、ぽわぽわと花でも出せそうな程に人の良い笑みを浮かべている。
雨宮本人だ。
芽依の心臓は壊れそうな程に荒々しく鼓動を始めた。

(話しかけなきゃ、、俺がMEIだって、ごめんなさいって言わなきゃ)

そう。
芽依はここに謝りに来たのだ。
ネカマをして1ヶ月も騙し続けてきたこのお人好しに、ひと言だけ言う為に。
自分が犯した罪の重さに向き合う為に。
一歩踏み出すと、ドコ、と重たいブーツの音が鳴る。

(謝れ、逃げるな)

ドコ、ドコ、ドコ。
近づいて行く芽依のイカつく大きいブーツの音に、雨宮は気が付かない。
嬉しそうに携帯電話でアプリを開き、彼が送ったブーツの写真を眺めて、返事を打とうとしていた。
雨宮の正面から当たっている街灯の灯りを遮って、マスクを外してパーカーのポケットに突っ込み、とうとう芽依は彼の前に立った。
ピンクのバラは勿論、右手にしっかりと握っている。
気を利かせた中谷が、切られた茎の先に濡らしたティッシュを巻き、その上から、スタジオの廊下の空の弁当箱が積まれた机にたまたま置いてあったアルミホイルを、小さく千切って巻き付けてくれたものだ。

「、、、?」

目の前が暗くなった事に気が付いて、雨宮はこちらに顔を上げる。
大きな目。整った顔立ち。
「お人好しですよ~、すぐ騙されますよ~!」と、そんな事が書いてありそうな顔だった。

「、え」

困惑した表情は弱々しくて、小学校時代は絶対にいじめられていただろうな、と考えてしまう。

「どうもこんにちは」

バクバクとうるさい心臓を誤魔化すように、芽依は低い声を捻り出した。
本当は口から心臓がポイッと出てしまいそうで、声も上擦ってしまいそうで恐ろしかった。
手汗を握り、震えそうになる拳や、膝を、どうにかまともに見せている。

「こんにちは、、?」

雨宮の眉間に皺が寄るのが見える。
当たり前だ。
こんな怪しく図体の大きい、声に愛想のない男に急に話しかけられて、不審に思わない奴はいないだろう。
芽依はサングラス越しに雨宮を見つめた。

(終わらせる)

もう一度そう強く心に決めて、口を開いた。

「メイです」
「、、、え?」

ぽかん、と雨宮の口が開いた。

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