僕たちはまだ人間のまま

ヒャク

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第59話「受け入れる」

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「ジェンの夢見てた」

(ああ、だからジェンって寝言で呼んでたのか)

時刻は19時15分過ぎ。
昼間に食べたケーキが効いているのか、空腹はいい具合に腹が減ってきたくらいで、急激に騒ぐほどのものではない。
鷹夜は話を聞いてから夕飯を考えれば良いだろうと思って、彼に「どんな夢だったの」と聞いた。

「ジェンはね、俺に何も言わずに芸能界辞めたんだ」
「え」

すぐそこのコンビニで鷹夜が買ってきたホットココアとホットコーヒーは、蒸し暑い夜だったが、冷房で冷えた身体にはちょうど良く滲みた。
2人は4人掛けのソファの真ん中でギリギリ触れ合わない距離感で隣り合って座り、芽依はココアを、鷹夜はコーヒーを手に取り、視線なんて交わさずに電源の入っていないテレビ画面を見ている。
液晶には、ソファに座った2人が反射して写っていた。

「俺達、親友ってくらい仲良くて、何すんのも一緒だった」

語り始めた芽依の視線は悲しげなものだ。
遠い日の自分とジェンを思い出すと、どのシーンもきらきらと輝いていて眩しい。
そしてその煌めきがなくなった今を見つめているのが、どうしても辛かった。

「辞めるときも直前までいつも通りで何の変わりもなかったのに、仕事終わって別れた後に急に引退発表された。中谷も事務所の社長もアイツに協力してて、全部俺に隠してジェンの引退の準備してたらしい。まあ、中谷も何で辞めたのか、理由は知らないらしいんだけど」

芽依は紙のカップについたプラスチックの蓋を外し、テーブルの上に置き、カップに直に口をつけてココアを飲む。
苦味はちょうど良く、香ばしくて甘い。カフェオレも好きだが、芽依はココアも好きだった。

「ジェンが出てきて、またいなくなる夢だった」
「、、うん」

鷹夜はテレビ画面に反射している芽依を見つめている。
芽依は手に持ったココアのカップを見ている。
夏の昼間の暑くて楽しい時間はどこへ行ったのか、今は線香花火の最後のようにしんみりとした雰囲気に包まれ、部屋の中は静かだった。

「ジェンの夢が終わったら、次はコンサートやる夢だった」
「コンサート、、ライブ?」
「そう。アイツが辞めて1人になってから1回だけソロでやったんだけど、もー、ボロボロで」

コト、とココアの入ったカップをテーブルに置くと、暖かさでホッとした芽依は脱力しながら背もたれに寄り掛かった。
じ、とテレビ画面に芽依の視線が移った事を察した鷹夜は、そちらを見つめるのをやめて隣の男の顔を直に見つめた。

「どんな風に?」
「んーと、、まず舞台に上がれなかった」
「わお」

鷹夜もテーブルにコーヒーのカップを置くと、芽依の隣にぼす、と寄り掛かり背もたれに体重を預ける。
彼の場合は天井を眺めた。
悪夢を見たにしろ見なかったにしろ、2人は先程まで眠っていた事もあり、頭はスッキリとしていた。

「震えて歩けないし、1曲目の歌詞は飛ばすしで最悪だった」
「んー、そうか。ファンからしたら元気に歌って踊る芽依くんが見たかったんだもんな。結構叩かれた?」
「めっちゃ叩かれた」
「あはは、災難だなあ」

広い部屋に2人だけで話していると、何だか世界にお互いしかいないように思えて面白い。
けれど外に見える高層マンションやビルの窓の明かりの数、世界には人がいる。
窓からは見えない世界にも、よりたくさんの人がいる。

「その1回で詰まり過ぎたから、アイドル活動は今休止してる」

いつの間にか洗濯機の音が止んでいた。
寝ているうちに洗い終わって止まったのだろう。
干しにいかないといけない。

「またステージに立つ夢でさ、やだーって拒むんだけど、行け行けってスタッフに押さえ込まれて、、情けねえよ。ジェンって叫んで泣いてんの、怖いから一緒にいてって言うの。馬鹿みたいだよね。あーあ、25の男のくせにぴーぴーと」

はあーー、と重たくため息をつく。
目を瞑ると先程の舞台下の光景が脳裏に蘇ってくるようで気分が悪かった。
彼にとってその場所は何よりも怖いものになってしまっている。
1人なのだと、隣にジェンがいなくなったのだとやたらと実感が湧いてしまう場所なのだ。

「格好悪い」

芽依は自分を責めるようにそう言った。
ジェンが辞めた理由も、実は自分が何かしらしていて追い詰めた結果、芽依といられないからと言って芸能界を去ったのではないかとずっと思っている。
あれから何度も「どうして」と唯一事情を知っている筈の事務所の社長に問い詰めたが、結局何も教えてはくれなかった。

『ジェンはお前が嫌だったんじゃない。芸能界が嫌になったんだよ』

ただそれだけを何度も聞かされた。

「ジェンくんがいなくなった理由とか、コンサートの怖さとか分からないけど、せっかく友達が出て来てくれる夢が悪夢なのは辛いな」
「え、」

唐突な言葉に芽依はハッとして隣を向いた。
鷹夜は再びコーヒーカップに手を伸ばし、一口飲んで、中身のコーヒーの黒く深い色を注意深く見つめている。

「君の中でジェンくんて言う存在が重たいものになってること。きっと楽しかった筈のコンサートが行きたくない場所になってること。それが悲しいのは何となく伝わってくる」

決して「分かるよ」とは言わなかった。
芸能人・竹内メイの一面を持つ彼の事を理解できると言ってしまうのは無責任に思えたからだ。

「でも情けないとか格好悪いって言うのはやめな」

苦味の広がった口の中。
鷹夜はまたテレビの画面を見て、今度はその中にいる自分と目を合わせた。
無表情で少し疲れた顔をしている。

「だって辛いもんは辛いじゃん。怖いもんは怖いし。それから逃げなくていいよ」

隣の男は美しく、彫りの深い顔をしていて、身体も鍛えてあって体格が良い。
一方で、鷹夜が目を合わせている男は童顔で、隣の彼と比べると身体も小さく華奢だった。
これでも大学時代よりは太った筈なのだが。

「ジェンくんといたい、話がしたい。どうして辞めたのか知りたいって自分をまず受け入れること。それを格好悪いと思わないこと」

もうひと口、コーヒーを飲む。

「コンサートが怖いってのを受け入れること。1人でやるのは無理だとちゃんと受け止めること」

苦味の後は香ばしく、酸味がスッと口に広がる。
コーヒーはもうぬるくなっていた。

「格好つけるのが芽依くんの仕事かもしれないけど、今仕事してる?今日オフだろ。今はお前、小野田芽依だろ。俺といるときはそうありたいんじゃないの?」

鷹夜の瞳がこちらを向くと、芽依はビク、と肩を揺らした。

「受け入れていいんだよ。竹内メイでいられない自分がいること」

その瞳の色は濃く、視線は芯があって強かった。
鷹夜と言う人間が自分でそこにいて、トン、と重みがあるのが分かる。
普段あまり感じさせない自然体の彼は、真剣に話すときはグッと存在感が増すのだ。

「受け入れる、、」

芽依が小さく呟くと、カップをテーブルに戻した鷹夜が身体ごと彼の方へ向いた。

「あんなあ、完璧じゃないんだからさあ。そんなに自分責めなくていいんだよ。悪夢くらい見るし、悪夢見た自分責めてもどーっにもならん」
「そうだけど、」
「それはそれとして受け入れて、次どうするかを考えよ。前に進まなきゃって思いがちだけど、立ち止まって考えんのも大事なのよ」
「、、、」
「ジェンくんいなくなって、コンサートできなくなって、スキャンダルで彼女に裏切られて、って色々あり過ぎて疲れてんだよ。ゆっくりしたっていいじゃんか。25だぞ?結婚急がなくて良いし、良い友達も周りにいてくれてるんだから、自分の疲れた部分の回復に時間使えよ」

何だか疲れがほぐれた気がする。

「自分を1番大事にできるのは自分だよ、芽依くん」

鷹夜は一見お人好しで、聞いている限りでは会社の上司に嫌がらせを受けている。
言い返せもせず頭を下げてばかりで、普段は自虐的な発言も多い。
けれどどこか強さがある。
そしてそれだけは、その会社の上司にも、他の誰にも折る事はできないのだろうと芽依は感じた。

「俺と話せば和むなら、嫌な夢見たら電話して来て。鍵持ってんだからうち来て飲んで一緒に寝てもいいな」

彼は優しい。
否定はせず、過去は見るな!未来に向かって歩き出せ!とも言わない。
ただ無理するのはやめて、休むときは休め。そう言って寄り添ってくれるだけだ。

「俺は格好悪い芽依くんたくさん見たけど、格好悪い芽依くんも好きだよ。可愛くて」

そして最後にいたずらに笑って、そうやって憎たらしい事を言うのだ。

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