Ambivalent

ユージーン

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47.DISABLED

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 下水道に下りた沙耶は、すぐに走り出した。方向は勘だ。だが、自分のたいていの勘は当たる。沙耶はそれを自負していた。現に、ノロマの吸血鬼の足に追いついた。
 スピードを落として音を殺す。相手の口を手で塞ぎ、頭を引き寄せて喉を切り裂く。亡骸の灰は汚水に溶けた。あと四体。つまらない狩りだと思いながらも、沙耶は引き返しはしない。新しい被害が増える前に、殺す。
 吸血鬼が足を止めたので、沙耶も足を止めた。身を潜めて様子を窺う。開けた場所に複数の人影が見えた。数は五体。
(一人はさっき仕留めた。となれば、合流したのか?)
 目を凝らすと、一人だけ様子の違う人物が見えた。他の四人は息を切らしているが、そいつだけは違う。佇まいは落ち着いていて、金髪に、細目の男。物腰は明らかに他の連中とは違っていた。
「お疲れさん、他の人は?」細目の男が口を開く。
「ご、護衛がいて……人工血液もこれだけしか……」
 息を切らせながら、一人の吸血鬼が密閉された容器を差し出す。
「んー、足りへんやんこんなん。もっとたくさんの人工血液奪わんとあかんやろ、君ら」
「け、けど……護衛がいるなんて……」
 細目の男は、吸血鬼の頭を掴むと、壁に叩きつけた。鈍い音が、一瞬だけ下水道に響く。
「言い訳嫌いやねんオレ。血液、残さず奪え言うたやろ?」
 再び、細目の男は吸血鬼を叩きつけ、倒した。絶命寸前の吸血鬼の頭を踏むと、一言。
「バイバイ」
 頭を踏む。全体重をかけて。折れる鈍い音が響き、踏まれた吸血鬼は灰になった。他の吸血鬼たちは、目の前の出来事を見て怯えたまま立ち竦む。
「ほらほら、次誰?」
 細目の男は、残る三人の吸血鬼を見渡す。目が語ってきた。次の生贄、誰だ、と。
「ま、待ってください! 挽回しますから、戻って奪ってきますから」
「えー、今から行っても君ら、殺されるだけやん。最悪捕まって俺のこと話すやろ? 金髪のイケメン吸血鬼に言われましたーって」
 平坦な物言いは、ねっとりとした不気味さを孕んでいた。恐怖した三体の吸血鬼は、口を紡いだまま、震えている。
「──まあでも、さっきから後ろに付いてきてる誰かさん、倒したらええけど」
 男の発言を耳にした沙耶は、驚いて目を開く。尾行はとうに気がつかれていた。いつからだ。考えを巡らせたが、見つかった以上は自省しても意味がない。沙耶は彼らの前に姿を晒す。
「あっ、なんや、可愛い女の子やん」
 他の吸血鬼が、現れた沙耶に驚く中で、細目の男だけは、関西弁に陽気さを孕ませていた。この状況で焦りもしないところをみると、実力者か、それとも愚か者か。
「君はアレ?【彼岸花】の捜査官さん? 『戦術班』とかいって、僕ら吸血鬼を安い給料貰って殺してる人ちゃう? どんくらい僕ら吸血鬼を殺したん? てか、前髪ちょっと赤く染めてるの変やで、自分で変とか思わんのん?」
 細目の男は自らを吸血鬼と名乗った。そして、一言の中に何度も疑問符をねじ込んで話す。ペチャクチャ喋るタイプは、沙耶が一番苦手としていた。
「口を閉じろ、耳障りだ」
 沙耶はナイフを引き抜く。両手に収めた武器を構えると、細目の吸血鬼が大げさに怖がった素振りを見せる。
「うわっ、こわー。てか、君らもなにつっ立ってんねん。早く倒しに行かんかい」
 一人の背中を叩き、細目の吸血鬼は命令を下す。三体の吸血鬼はそれぞれ顔を見合わせると、沙耶を見る。小柄な女。手には、銃ではなくナイフが握られている。近付けば、斬られる可能性もあるだろうが、三人がかりなら、仕留めるのは容易だろう。こんな楽な尻拭いなら、喜んで引き受ける。揃ってそんな顔を見せてきたので、沙耶は少し可笑しくなった。
 面倒だ。まとめて仕留めよう。そう思い、力を抜く。隙だらけの状態を自らで作り、三体の吸血鬼が作る三角形の陣形のしんの方へと、歩みを進める。
 沙耶の予想通り、吸血鬼は一斉に攻撃を仕掛けてきた。背後の吸血鬼が、他の二人の吸血鬼よりもやや速い。
「……連携するなら動きを合わせろ」
 そう言うと、沙耶は背後からの吸血鬼の攻撃をひらりとかわす。逆に相手の背を取ると、身代わりに利用した。突き出され、沙耶の代わりに、味方の攻撃を受けた吸血鬼は喉を裂かれて死亡した。
「なっ!?」
 一人の吸血鬼が驚きの声を漏らす。狩った相手は肉片にはならずに、灰になったことに。その灰が舞い上がり、さらには視界を遮られたことで吸血鬼は困惑する。
 薄い笑みを浮かべて、沙耶は隙だらけの二体を狩った。骨のない相手だ。地上のを含めてこれが前菜だとしたら足りなすぎる。
 冷笑したまま、沙耶はナイフで相手を差す。
「あとは、お前だけだな」
「もー、なんやねん、面倒やな」
 残された吸血鬼は、ため息をつく。気怠げな言葉の中に少しだけの苛立ちが見えた。
「血ィこれしかないし、まあ、ええか」
 人工血液の容器を掴むと、穴を開けて中の血に口をつけた。ごくりと、喉を鳴らす音が聞こえる。だが、思い切り吐き出した。
「マッズ! 収容所の吸血鬼ってこんなん飲んどるんか!? うわ~、可哀想やな」
 同情するような、小馬鹿にするような口調で吸血鬼は感想を述べた。吸血鬼の口から、零れるように血が流れ落ちる。瞳は、血のような赤色に染まっていた。
 能力種──血液を摂取すると、瞳が赤くなる、特殊能力を持った吸血鬼。それを瞬時に理解した沙耶は顔を引き締める。まさか、人工血液でも有効だったとは。
 この一見ふざけた様子を見せている吸血鬼が能力種だということにも驚かされたが、なにより注目すべきだったのは、その吸血鬼の爪だった。一瞬のうちに伸び、猛獣を思わせるくらい鋭く尖っている。血を摂取した瞬間に、一気に成長したようにも見えた。
「行くで」
 吸血鬼が向かってくる。スピードは、決して速いわけではない。目で捉えるのも容易く、むしろ遅いくらいだった。
 沙耶も、ナイフを構えて吸血鬼に向かう。相手は隙だらけだった。ただ爪を生やすだけの能力ならば、恐れることもない。接近戦の経験はこちらにもある。針の穴に糸を通すように、急所と隙が重なったところを狙えばいい。
 その認識は甘かったことを、すぐに沙耶は知る。
「そこや」
 吸血鬼はわざわざ口で知らせる。回避のモーションに入っていた沙耶は、そのまま吸血鬼の爪を避ける。
 後ろの壁が激しく抉り取られた。その破壊力を目の当たりにした、沙耶は急いで距離をとる。
「なんや? ビビったんか?」
 獲物を殺り損ねた吸血鬼は、破顔した顔を沙耶に向けた。
 沙耶はコンクリートの壁を見る。爪で引っ掻いた、といったレベルの話ではない。削りとった、あるいは、むしりとった、といった表現が正しいだろう。壁には、指と同じ五本の傷跡を深く刻まれているが、その破壊の余波は周りにまで及んでいる。
 不意に、肩に痛みを感じた。血が腕を伝い、落ちる。思わず瞠目した。攻撃は間違いなく避けたはずだ。避けてないにしても、かすったのだろうか。当たりどころが悪かったのか、血はとめどなく流れ落ちていく。
「今なら、土下座したら許したるよ。まあ、殺すけど」
「お前に頭下げるくらいなら、死んだ方がマシだ」
「うわー、でた、プライド高いなあ。せめて、人を不快にしたことチャラにして死ぬ方がええんちゃうん?」
「黙れ」
 肩の傷が痛み出す。戦闘の障害になるくらいの痛みが、途切れなく襲ってくる。
「ナイフ持ってるけど、まだやる気なん君? やめときーや、せめて仲間連れてきたらまだ勝ってたかもしれんのに」
「一人で充分だ」
 ほうか、と吸血鬼は無関心に言って、沙耶の方に走り出す。
「首スパーンといくでー」
 軽い口調で、吸血鬼は腕を振り上げた。沙耶もナイフを構える。刺し違えてでも殺す。その意気込みで、吸血鬼の懐へと迫った。だが、決着がつくことはなく、代わりに銃声が響き渡った。
 慌てたように吸血鬼は攻撃をやめて、沙耶から距離をとる。
「大丈夫か?」
 銃声、そして声のした背後を振り返ると、京が立っていた。手に握られた銃には硝煙が立ち上っている。
「……なんやねん、お前?」
 爪を生やした吸血鬼は苛立ちを露わにして、突然の乱入者を見据える。
「正義の味方」
 不真面目な答えに、吸血鬼はため息をつく。
「もうちょいオモロイこと言えんのんかいな」
「期待には応えれそうにないな。そっちのってことは、俺も冗談言える余裕はねえぞ」
 京が銃口を向けると、吸血鬼は顔をしかめる。
「……二人がかり、おまけに銃相手にするのはめんどいなあ」
 気怠そうにそう言うと、吸血鬼は素早く立ち去る。二発だけ京が撃ったが、対象に命中することはなかった。
 すぐに沙耶は吸血鬼を追おうとするが、京に肩を掴まれて阻止される。よりにもよって京が掴んだところは、吸血鬼に斬られて傷を負った方だった。
「くっ……!」
 痛みに悶えたところで、やっと京がその傷に気がついた。
「……珍しいな、お前やられたのか沙耶」
 沙耶は京をねめつける。どうしてだか、味方のはずなのに、京に少しだけ苛立ちを覚える。物言いがどことなく、不愉快に感じたから。
「文句あるのか? 私だって怪我くらいする」
「あいつ、そんなに強かったのか?」
「威力があるだけだ。強いわけじゃない」
「でも、押し負けてただろ?」
 その物言いに我慢ならず、沙耶はナイフを京の顔に向けた。
「怒んなよ」
「細胞再生治療があるからな、多少の傷はなかったことにできるぞ」
「攻撃もらったからって、俺に八つ当たりするな」
 京はナイフを指で挟むと、横にどかす。
「それより、勝手に動くなよ。早見さん上で怒ってたぞ」
 それを京から言われても、沙耶はあまりピンとこなかった。どことなく、誇張されていた物言いだったので。
「早く戻るぞ。これ以上ここにいたら鼻が曲がる」
 京に促され、沙耶は来た道を引き返す。吸血鬼の去った方を見たが、追うことはせず、踵を返して出口へと向かっていった。
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