Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

61.意反

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 戻ってきた京のことをあんじゅは見ることができなかった。彼をどんな顔で見ていいのかわからなかったし、京の方もなにも言わないままなので、尚更言葉を見つけることができないでいた。
 周りを見渡しても、今の銃声を気にかける者などいない。他の隊員たちから見たら、投降してきた吸血鬼が殺された、そんな状況にしか思わないのだろう。だが、あんじゅにとっては全く違う。匿ってもらい、その見返りとして未羽の家族を収容すると約束した。その約束は守る気でいたし、守れるものだと思っていた。それなのに。
「どうして……」そんな言葉が思わず口に出てしまう。
 角を曲がれば、灰と衣服が捨てられているだろう。それを見る勇気は、あんじゅにはなかった。見てしまえば、未羽の死を受け入れなければならない。それを見たとき、自分の心が平静を保っていられるのかわからなかった。
「霧峰」
 不意に呼びかけられた。沙耶の声だった。
「綾塚さん」
「生きてたか」
「……はい」
 通気口から落下して以来の再会だった。沙耶の頬や髪には灰が付着いており、握っているナイフには血で固まった灰がこびり付いている。
「なにがあったかは聞いた。お前を助けた彼女は、他の客の血を吸ったんだろう? 同情の余地はない」
 相変わらず沙耶は淡々としている。他人事、ましてや吸血鬼の事だ。沙耶は気にかける素振りも見せない。灰かぶりのその様子から、また多くの吸血鬼を手にかけたのだろう。
「そういうふうに思えたら……楽ですよね」
 楽。そう、楽だ。敵に助けてもらえたとしても、使命を優先させる。その意思が強く宿っているなら、一寸のブレもないだろう。
「楽……か」
 独り言のように呟いた沙耶は、そのままどこかへと行ってしまった。
 もし、落下の際に通信機器が壊れていなければ、未羽たちにどんな答えを出したのだろうか。助けてくれた後で、二人しか保護できないと言ってしまったら。その時は、。思慮深く答えを探しても詰まってしまい、心に靄がかかる。
 ふと、美穂の姿が見えた。あんじゅは声をかけようとしたが、妙な感覚を覚えた。美穂は顔を強張らせていて、動きもぎこちない。余計な力を入れて歩いているように見える。
「鵠さん……?」
 怪訝そうに見ていると、美穂と目が合った。一瞬、あんじゅは美穂が泣いているようにも思えた。なにかを訴えているようだった。なぜ泣いているのだろうか、そう思ったと同時に、手にしていたライフルを構えた。射線上には、沙耶の姿が見える。
 間を置くことなく、銃声が轟いて、沙耶が倒れるのが見えた。
「え……っ?」
 思わず息を呑む。あんじゅには目の前の出来事が信じられなかった。美穂がその手で沙耶を撃った。驚愕したあんじゅだったが、それに驚いているのは、撃った美穂の方だった。青ざめた表情で立ちつくして、倒れた沙耶を見ている。
「なんや今のは!?」
 美堂の恫喝にも似た声が響く。すぐに状況を理解した美堂隊の人間が美穂に銃を向けた。
「お前……なにしとんじゃオイ!!」
「違う……私……助け……やだ……!」
 目に涙を浮かべた美穂が首を振る。だが、手にしたライフルは構えたまま、次の標的を狙っていた。
「やめろ! 銃を下ろせ!」
 京が美堂隊の隊員に向かって言うが、美堂隊は隊長を含めほぼ全員が美穂に銃口を向けていた。
「吸血鬼にはなってない! 銃を下ろせ!」
 吸血鬼化したとしても、善悪などの意思は残る。例え吸血鬼化していようとも、美穂が沙耶を撃つことなど、考えられなかった。
「鵠! やめろ!」
 京が再度呼びかける。だが、美穂はライフルを下ろそうとしない。
「む……り……」
「鵠!」
「無理なのよ! 身体が言うこときかないの!」
 泣き叫ぶように訴えた美穂はボルトを動かし、薬莢を排出する。あまりにも不自然な言動を見て、あんじゅはある仮説が浮かぶ。
「鵠さん!」
 あんじゅが呼ぶと美穂は反応した。
「吸血鬼に噛まれましたか? それとも、血を飲まされたんですか?」
 仮説としては二つだった。いずれも能力種。噛みついた対象者に影響を与えるか、あるいは、血液そのものが影響を持っているのか。
「噛まれ……た……そっから、身体の自由が効かなくなって──」
 先を言おうとする前に、美穂の指が引き金を引いた。幸運にも撃ち抜かれた人間はいなかったが、ほぼ全員が美穂に銃を向け出した。
「やめえや! 下ろさんかい! 撃つぞ!」
「ま、待ってください!」
 あんじゅは美堂に制止を促す。第三者の声が割り込んだのはその時だった。
「無駄だよ。彼女は僕の操り人形だから」
 頭上から聞こえた声に全員が顔を上げる。二階のフロア、手すりにもたれかかった女がこちらを見下ろしているのが見えた。
「あっ……」
 あんじゅはその女を見て思わず声を漏らす。カウボーイハットを被った女。京の見舞いに行った時に会った、彼女。永遠宮千尋がそこにいた。
「やあ、久しぶりだね、京」
 千尋は笑顔で京に手を振ると、飛び降りて着地した。
「相澤と沙耶も久しぶり。梨々香は……本部かな?」
 いくつかの人物の名前を呼ぶ千尋。反応したのは小さく手を挙げた相澤だけだった。
「お前、何者なにもんや? おい」
 美堂の銃が対象を千尋に変えた。ショットガンを向けられても、千尋は怖じけることなく、小さな笑みを見せる。
「吸血鬼だよ」
 そう言った千尋は口を見せる。尖った牙は見受けられなかった。千尋は軽やかな足取りで血溜まりの方へと歩く。指で血溜まりをなぞった千尋は血を口に含む。その瞬間、瞳の色が真っ赤に染まった。
「能力種……っ!」
 赤く染まり上がった千尋の目を見て、ほとんどの者の銃口は対象を変えた。あんじゅ以外の早見隊の者も、千尋に銃を向けていた。
「悲しいなあ、かつての仲間たちに銃を向けられるのって。特に、京……君からは」
 名指しされた京は銃をしまう。そして、足早に千尋の元へと向かって行った。早見が京を止めようと腕を掴んだが、それを振り払って京は歩いた。
「……なにしてやがる?」
 足を進めながら京が千尋に訊く。千尋は微笑んだまま、なにも言わない。
「ここでなにしてやがる!」
 京と千尋との距離が数メートルに縮まったそのとき、京の足元に弾丸が飛んだ。撃ったのは、美穂だった。
「顔を見にきただけだよ、それだけ」
 京は立ち止まったまま千尋を睨みつけていた。あと一歩踏み込めば、手が届く距離だった。
「ふざけたこと言ってんじゃねえ」
「他にどう言えばいいんだい? 吸血鬼を引き連れてショッピングモールを襲撃した、と言えばいいのか?」
 遠くから見ていたあんじゅだが、離れていても京が怒っているのは充分に伝わってきた。表情までは見えないものの、背中越しから伝わってくる怒りの感情をあんじゅは今まで感じたことがない。両者を誰もが注視していたが、それよりも気がかりになることがあんじゅにはあった。
 あんじゅは視線を沙耶に移す。美穂に撃たれた沙耶は、少しばかり身動いでいる。撃たれた場所によっては、一刻を争うかもしれなかった。
 あんじゅが再び京たちの方に視線を向けようとすると、動きを捉えた。ゆっくりと美穂に近付こうとしている人物がいる。あんじゅはその人物と目が合う。同じ隊の、美濃原カイエ。目が合ったことをカイエも確認した。その次の瞬間に無線が入る。
『俺が銃を取るんで、身柄を確保してください』
「は、はい」
 あんじゅはゆっくりと美穂に近付く。美穂と目が合った際に、あんじゅは人差し指を唇に添えた。
 配置についたカイエが開いた手のひらを見せる。五つの指、五秒後。あんじゅもそれを理解した。そしてカウント五秒後、互いに行動を起こした。カイエが美穂のライフルを強引に奪った。その直後、あんじゅは美穂に足払いをかける。美穂が千尋に操られているのかわからなかったため、あんじゅはできる限りの力を込めて美穂を拘束した。
「痛っ! まっ……ちょっと!」
「ご、ごめんなさい!」
 後で美穂にこってりと絞られるかもしれない。そんなことがあんじゅの頭によぎったが、抵抗されないように美穂をしっかりと押さえつけた。
「確保しました!」
 あんじゅの声に、誰もが気を取られて隙を見せる。それを見計らった千尋が逃走した。逃げる千尋を追いかける京の姿が見えた。
「待って、き、霧峰! ねえっ!」
「ごめんなさい鵠さん」
「いや! もう平気よ! 身体動くから!」
「え?」
 一瞬その言葉を信じかけてあんじゅは力を緩めたが、油断させる罠かと勘ぐってしまう。
「早く放しなさいよ!」
 

 ○


 屋上の駐車場へと続く扉を乱暴に開けた京は、千尋の姿を捉えた。
「動くな!」
 銃を構えて、制止を促す。振り返った千尋の目はまだ真っ赤に染まったままだった。その表情には、どこか寂寥感せきりょうかんがある。
「京、僕のこと撃てる?」
 京は答えなかった。かつての相方的な存在がそこにいる。千尋は人間だった頃となにも変わらない。唯一、赤く染まった瞳が千尋と自分のことを違う者だと証明している。
「お前が引き起こしたのか?」
「僕は、命令に従ってるだけだよ」
「命令って、誰の命令だよ!」
 京が猛るように問い詰めていると、近くのバンの荷台が開いた。屈強な体格をした吸血鬼が数名ほど現れ、興奮した様子で向かってくる。
 吸血鬼を撃ち殺した京は千尋の立っていた方に目を向ける。だが、そこには千尋の姿はなかった。下を見下ろして見たが、やはり姿は確認できなかった。
「あいつ……」
 京は思わず歯噛みする。モールで発生した吸血鬼の襲撃、それにかつての同僚が関わっているなんて思いもしなかった。
 千尋の姿を見た時には京は我が目を疑った。接触を試みようとしている予兆はあったものの、まさかこんな形で再会するなんて。赤い瞳、能力種、今回の事件の関わり、京にとってはあまりにも情報が多過ぎて頭に入ってこなかった。
 唐突に、早見隊長から連絡が入る。
『京くん、吸血鬼は?』
「逃しました。そういえば、沙耶は?」
『沙耶ちゃんは防弾ベストのおかげで助かったわ。倒れた時に頭打って気絶したみたいだけど。話す?』
 早見に返そうとしたそのとき、京はなにかが落ちているのに気がついた。先ほど千尋が立っていた場所と同じところに、細長い物体が見える。拾い上げると、それが試験管なことに気がついた。蓋がしてあり、中には赤黒い色の液体が入っている。
「血?」
 液体がなんなのかはわからないが、見た限りではそう見える。血液だ。どうしてこれが落ちているのか検討もつかなかったし、なぜ封をしてあるのかも京はわからなかった。
「あいつなに考えてやがる……」
 試験管をしばらく凝視した京は屋上を後にした。
 




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