Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

62.Cross-examine

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「なるほど……ね」
 矢島は読み終えた報告書を机に投げる。一枚が足元に落ちてきたので、早見はそれを拾って置いた。
「両隊共にご苦労様です。急な命令にもよく迅速に対応してくれました」
 矢島は真摯に早見と美堂の目を見て頭を下げた。その行動に早見は内心驚いた。矢島のことは上級役員に見えたが、そうではないらしい。
「それで、避難者の容体は?」早見の隣に立つ美堂が訊く。
「備え付けのシェルターに避難していた約六十名は、後遺症やショックもなく健康ですよ。まあ、もっと人は救えたんでしょうけど」
 遠回しな物言いをする矢島だが、なにを言っているのかは理解できる。大沼議員の息子のことだ。早々と議員の息子吸血鬼がシェルターを閉めたせいで、入り損ねた数十名が吸血鬼化した。事件から数日が経過した今でも、悪い冗談だと早見は思いたかった。
「早見氏と美堂氏はよくやってくれました。怪我人を出しつつもね」
 幸い両隊に死者や吸血鬼化した者はいなかったが、美堂の隊で二名が重傷、率いていた自分の隊でも負傷者が出た。問題があるとすれば、早見の隊の負傷者は味方に撃たれた点ということだ。
「それで、早見氏。隊員の様子は?」
「副隊長の綾塚沙耶は大丈夫です。撃った鵠美穂の方は……少しまいっているようですけど」
「能力種の仕業らしいですね。身体の動きを操るとか。しかも、その吸血鬼は元捜査官で『戦術班』」
 矢島は資料を見せる。どこかの情報をかき集めた資料ではなく、【彼岸花】の身分証明書だった。添付されている証明写真には、可愛らしい笑顔を見せる女性が写っている。あのモールに現れた彼女だった。
「永遠宮千尋。事件の捜査中に吸血鬼に噛まれて死亡。後に吸血鬼化して収容所に輸送される途中に逃亡。逃亡の際に数名を殺害。どうして吸血鬼化した際に殺さなかったんですかね。頭に一発撃つことくらい簡単にできるでしょうに」
 指で千尋の写真を叩く矢島。苛立っているのか、矢島は忌まわしげに写真を睨む。
「あの……能力種になる条件って?」
「あー……不明です。国立吸血鬼研究所が調べてはいますが、これといったものも無し。ていうか、税金あいつらに渡すくらいなら、うちの施設とか人員増やすのに回してほしいです。吸血鬼化の治療法を見つけるのに、年間何兆使ってるんですか。それで一歩も進展なしとか、なんなんですか」
 矢島は話を逸らしたが、同意できる内容もあった。吸血鬼化に対する治療が見つかれば、大勢の人々を救うだろう。今となっては、癌の治療薬より開発が急がれていた。もし治療法が発見できれば、それは世紀の大発見であり、対処の方法がない吸血鬼を撃つ必要もなくなる。不意に早見の脳裏に、吸血鬼化した息子の顔が浮かんできた。
「ああ、そうだ。柚村氏が見つけた液体、どうやら人工血液みたいです。成分が若干違いますけど」
「違うとは?」
「そこは、気長に待ちましょう。分析結果をまとめたのを近日中に知らせます」
 なあ、と話が区切れた間を見て美堂が口を挟む。
「その永遠宮いうんは元々うちの捜査官じゃったんじゃろ? どこの隊のもんやったんや?」
「須藤隊ですよ。須藤隊長は、吸血鬼化した永遠宮千尋の輸送してましたが、彼女が逃亡する際に殺害されました」
 それを聞かされた美堂は、なんちゅう女じゃ、と吐き捨てるように言う。
「素性を知ってるやつがおるじゃろ? 同期とか、同じ隊だった人間とか」
「ええ、いますいます。まあ、アカデミー同期の人間の話はほとんど役に立ちませんでしたけど」
 そこで、と矢島は付け加えた。
「須藤隊の元隊員たち……早見隊の綾塚沙耶、柚村京。美堂隊の相澤あいざわれん。それと、辞めてしまった『技術班』の柴咲梨々香。彼らから永遠宮千尋についての情報を集めることにします」



 ○



「なあ、柚村」
「ん?」
「あの女って誰だ?」
 病院の長椅子に腰掛けていた京は、幸宏からの突然の質問に首を傾げた。
「……どの女だ?」
「とぼけんじゃねえよ。この前のモールの時に現れたハット被ってたデカいおっぱいぶら下げた吸血鬼だよ。テメエのこと名前で呼んでただろ」
 ああ、と京はようやく幸宏が言っている人物のことを理解した。千尋のことだ。
「元カノとかか?」
「んなわけあるか。あいつが恋人だったら、相当苦労するぞ」
「怪しい反応だな。なら、どういう関係なんだよ」
「どうって……」
 幸宏への返事に京は言葉を詰まらせる。元同僚もしくは相方言っても、幸宏が納得してそれ以上詮索しなくなるかはわからなかった。なにせ、あの状況で名指しされたのだ。しかも好意的に。
 モールの事件後、上からの調書で指摘されたことを京は思い出した。元同僚で知り合いだから撃たなかったのか、と何度も訊かれた。当然そんなことはないのだが、どうも疑いの目をかけられているらしい。
 京が幸宏の返答を迷っていると、沙耶が現れた。話題が逸らせると思った京は、すぐさま沙耶に声をかける。
「よお、具合は?」
「なんともない」
 沙耶は澄まし顔で言う。モールの件で美穂に撃たれた沙耶だが、弾丸による外傷はなかった。弾は防弾ベストが防いでくれた。今回病院を訪れていたのは撃たれて倒れた時に頭を打って気を失った、その時の検査だ。
「んだよ、てっきりくたばったかと思ったぜ。倒れた衝撃で頭打っただけなんてマヌケに聞こえるぜ」と幸宏。
「勤務の状況はどうなってる、氷姫」
「全員オフィスに集合してるよ。つーか、俺じゃなく柚村に聞けばいいだろうが、
 幸宏は相変わらず棘のある物言いで沙耶に接する。
「お前、まだ沙耶が副隊長なのに不満あんのか?」
「別に。ただ、テメエが不祥事起こしたり、使えなくなったそん時は……俺が副隊長だからな」
 幸宏はまだ不満たらたらなようだ。それとも、単に沙耶のことが気にくわないから噛みついているのだろうか。京はちらりと沙耶の顔を見る。顔には出てないが、鬱陶しそうにしているのがなんとなくわかった。
「……わかった。なら帰りの運転を頼もうか。
「おい、俺は運転手じゃねえぞ。つーか、行きも柚村だったんだから、帰りも同じでいいだろうが」
「副隊長命令だ」冷たくそう返す沙耶。「それとも、副隊長の命令は聞けないか? 
 沙耶の幸宏は車のキーをひったくると駐車場へと向かった。
「珍しいな」
「なにがだ?」
「お前がいちいち人に命令するなんて」
「お前にも命令してやろうか京?」
 遠慮しとく、と言うと京も駐車場に向かった。
 【彼岸花】の本部の地下駐車場にたどり着くと、見覚えのある車が停まっていた。目がチカチカするほどの派手なピンク色のセダンだ。
「なんだあの車」
 目を細めた幸宏がセダンを見て言う。一方で、京の方は車の持ち主の目星がついていた。なにしに来たんだろうか。
「京くぅーん」
 車を下りたところで持ち主に声をかけられた。京は別段驚きはしなかった。唯一、度肝を抜かされた点は髪の毛の色が青色になっていたところだ。
「やっほー、沙耶ちゃーん。とぉ、鼻ピアスロン毛」
「……柴咲?」
「そうでぇす、お久しぶり!」
 柴咲梨々香は軽く会釈をすると、沙耶に抱きついた。相変わらずの派手な格好は変わらないようで、動くたびに柑橘系の香水の香りがほんのりと香ってくる。
「なにしに来たんだテメエ」
「別にぃ、あんたに会いに来たわけじゃないからぁ、ご安心を。梨々香は呼ばれて来たんだから」
「呼ばれた?」
「そそっ、じゃなきゃ元職場にわざわざ足を運びはしないからぁ」
 言って、梨々香は沙耶から離れる。沙耶の方から少しだけ甘い香りが漂ってきた。
「あっ、沙耶ちゃんと京くんも、呼ばれてるよぉ~」
「俺らが?」
 京と沙耶は思わず顔を見合わせる。お互いに心当たりがないといった感じだった。
「あれ? 知らないのぉ?」
 沙耶がああ、と言うと梨々香が返す。
「ちーちゃんの件だよ。永遠宮千尋ちゃん」
 京は沙耶に視線を移した。険しい顔をしているのが見取れた。そしておそらく、自分も同じ顔をしている。



 ○



 矢島のオフィスに到着すると相澤の姿が見えた。待っていた相澤はやってきた元同僚の梨々香を見てテンション高くハイタッチをする。梨々香もノリよく相澤の手を叩いた。
「はいはーい、それ以上懐かしむのは終わって部屋を出てからにしてねー」
 椅子に腰かけた矢島は軽くだが、律する口調で言う。
「単刀直入に言うね。須藤隊に所属していた君らから話を聞きたいから呼んだの」
 立ち話もバッサリと切り捨て、矢島は永遠宮千尋の写真を差し出した。
「先日のショッピングモールの事件で吸血鬼化したうちの元捜査官が確認されました。名前は永遠宮千尋、須藤隊にいた『戦術班』」
 監視カメラの切り取られた映像の一部、それを見て驚きの反応を見せたのは梨々香だった。
「生きてたんだ」
「ええ、仕留め損ねたので」
 矢島はやや皮肉混じりに言うと続けた。
「それでですね聞きたいんですけど。吸血鬼化した吸血鬼ハンター、永遠宮千尋。彼女がなにを考えているかを」
「なにを、とは?」
「話の意図が見えないですか? 綾塚氏」
「意図に興味などない。もう一度目の前に現れたら殺すだけだ」
「へー、まあ頑張ってくださいね。今度は頭打って気絶なんてしないようにね」
 ミュージカルのように声を張り上げて、矢島は沙耶に向かって言う。対しての沙耶は冷ややかな視線を矢島に送っていた。
「まあ、綾塚氏なら躊躇しないでしょう。吸血鬼化した室積むろずみ氏をサクッとやっちゃうくらいですから。そこは大いに評価してますよ」
 矢島は笑顔を沙耶に向けた。まるで、飴と鞭のようだ。
「柴咲氏はどうですか?」矢島は梨々香と顔を合わせた。「よくガールズトークしていたらしいですけど」
「んー、まあ、梨々香はそれなりに話してたよぉ」
「どんな内容の話ですか?」
「んとねぇ、相澤がウザいとか、相澤がキモいとか」
 梨々香が言うと、相澤がすかさず話に入りこんだ。
「ちょっと待って! ちーちゃんそんなこと言ってたの!?」
「知らなかったのぉ? 服の趣味ダサいとかぁ、よく二人で話してたよぉ」
 ぎゃあぎゃあと、両者の声が次第にうるさくなり、話が脱線していった。
「はいはいはい、やめ、ストップ、終わり! 同窓会じゃない!」
 内容があまりにも逸脱したためか、矢島の方も立ち上がり、声を上げた。
「関係ない話をしないで下さい。あー、じゃあ次、相澤氏は?」
「俺は……ちーちゃんとはあんまり話さなかったよ。てか、ちーちゃんと一番親しかったのって、ユズだよな?」
 にたにたと笑う相澤は京の方をじっと見る。ああ、と矢島の方も思い出したように資料に目を通した。
「そういえばそうでしたね、柚村氏。彼女とは一番親しかったらしいですね」
「あいつの教育係りだったし、組んでたからな。必然的にそうなるだろ」
「彼女とはどれくらい親しかったんですか?」
「どれくらいって?」
「プライベートで仲良かったのか、食事をしたり遊んだりしたのか。あとは……
「──は?」
 京は愕然として聞き返す。後半の部分は聞き間違いかと思った。
「待て──なに?」
「え? 寝たの意味わかりません? もしかして童貞?」
 矢島の表情に小馬鹿にしたようなわらいが見えた。
「意味は知ってる。その質問の意図がわからないんだが」
「意図に興味持たなくていいんですけどね」
 先ほどの沙耶の言葉を引用した矢島は京に視線を移したまま、じっと凝視し始めた。
「どこまで仲が良かったのか、知りたいだけです」
「ほどほどだよ……この質問関係あるのか?」
「大いに関係ありますけど? 吸血鬼化する前の人と親し過ぎて、同情を抱いて殺せなくなったりとか、けっこうありますから」
 種が変わっても、それまで築いてきた関係が崩れることはない。吸血鬼化しても、本人の性格や意思はそのまま引き継がれていく。そうなれば、見る側の問題でしかない。
「それで、彼女と寝たんですか? 寝たから同情して殺さなかったのでは? それとも、現在進行形でそういう仲ですか?」
「……人をおちょくるのもいい加減にしろよ」
「別におちょくってませんよ。調査ですから。吸血鬼になる前にどれだけ親しかったかの調査です」
 矢島は爽やか過ぎる笑顔を向けた。おそらく彼女は答えを知っている。知っていて、京が自分で言うように仕掛けている。下手くそな仕掛けだが、京が苛立つにはそれで充分だった。
「あー、ユズ、それ俺も気になる。千尋と?」
「お前は黙ってろ!」
 京は茶化す相澤を睨む。感興の視線を送ってきているのは、相澤だけではなかった。梨々香もだった。なにも言ってはこないものの、口から出る言葉を待っているように思えた。沙耶の方はなにも反応を示さない。ただ、前に座っている矢島の方をじっと見ていた。
「で? 彼女とは寝たんですか?」
「セクハラで訴えるぞ」
「ええ、どうぞ。
 ため息を一つして、京は答えた。
「……一度、だけ」
「ふーん、彼女に対しての同情心は?」
「ない。あいつは人殺しだ。逃亡するために須藤隊長と、仲間を殺した」
「吸血鬼化した彼女を最初に見つけたのはあなたでしたよね、柚村氏。その時に、永遠宮千尋の処刑を反対した、らしいですが」
「その時に反対したのは……あいつが……誰かを殺してまで逃げると思わなかったからだ」
「ふーん、なるほどなるほど」
 少しだけ考える素振りを見せた矢島。
「わかりました。ではまた後日。追って調査報告と、柚村氏が渡されたモノの調査も報告しますので」
 解散。それを命じた矢島は満足そうな表情を見せる。京は口を開くことなく苛立たしい気分で部屋を後にした。
 今の質問が必要だったかどうかなど京にはわからない。単なるストレスの捌け口にされた気もすれば、本当に調書するためだったのかもしれない。ただ、嘘はなに一ついてない。
 千尋が吸血鬼化した際に抱いた感情と、今自分が千尋に抱く感情はまるっきり正反対だ。吸血鬼化した千尋を見た時には、とてもじゃないが手を下すことはできなかった。誰かが代わりに、銃を彼女の頭に向けた時には全力で止めた。仲間が変わってしまった彼女を見る目を変えた時には憤りを覚えた。だがそれも、須藤隊長や他の仲間を殺して逃亡した時には消えた。
 あの場で、自分が千尋を殺していたら、須藤たちは死ななかっただろうし、今回のモールの事件も起きなかったはずだ。下手をすれば、沙耶や美穂も死んでいた。一つの命を終わらせれば、何人もの命が救われた。
 ふと、京は足を止めた。自分は本当に終わらせれるだろうか。彼女に──千尋に引き金を弾けるのだろうか。他の吸血鬼と同じように。振り返れば、これが初めてかもしれなかった。自分の人生に入りこんできた者を撃つことは。
 京は窓から空を見る。雲一つない晴れ晴れとした空を、暗澹たる気持ちで。
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