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第四話 それぞれの冬
グレアムが帰って一週間後、アルノルトは王都へ出向いた。用件は教えてもらえなかったが、オットーの表情が珍しく硬かったので、リディアは何も聞かなかった。
屋敷は静かになった。
リディアはいつも通り仕事をした。帳簿の整理、食料庫の確認、使用人たちの調整。アルノルトがいてもいなくても、やることは変わらない。変わらないはずだった。
でも夕方、誰もいない執務室の前を通るとき、足が少しだけ遅くなることに気づいた。
おかしい、と思った。三週間前まで、この部屋の前を通っても何も感じなかった。
リディアは自分の足を叱りつけて、廊下を進んだ。
一方、カルヴェン伯爵家では。
伯爵夫人エレナは、いつものように午後のお茶を飲んでいた。向かいには古くからの友人、子爵夫人が座っている。
「グレアムが辺境に行ったんですって?」子爵夫人が言った。
「ええ、ちょっとした挨拶回りよ」エレナは答えた。「辺境伯閣下とは、年に一度くらいお付き合いがあるから」
「辺境伯といえば」子爵夫人がカップを置いた。「あなたのところから侍女を出したでしょう。あの子、どうしているかしら」
エレナの手が、ほんの少し止まった。
「……さあ。元気にしているんじゃないかしら」
「グレアムさんが戻ったら様子を聞けるわね」
「ええ」
エレナは微笑んだまま、カップを口に運んだ。
リディア・マルク。貧乏子爵家の娘で、でも仕事は確かだった。グレアムに「あの娘は閣下の覚えが悪い、このままでは奥様のお立場に関わる」と言われて、辺境へ出すことにした。
今思えば、おかしな話だった。リディアが夫人の覚えを悪くした場面など、一度もなかった。むしろ気が利いて、余計なことを言わない、使いやすい娘だった。
グレアムはあのとき、何を隠したかったのだろう。
エレナはその問いを、心の奥に押し込んだ。答えを知るのが、少し怖かった。
アルノルトが戻ったのは、十日後だった。
夕方、馬の蹄の音が聞こえてリディアは窓から外を見た。見てから、慌てて視線を外した。
夕食の時間、アルノルトはリディアを呼んだ。
「王都で動きがあった」
執務室で、アルノルトは地図を広げながら言った。「カルヴェン家の件だ。グレアムが帳簿を操作していた証拠が出た。家令と共謀して、領地の収益を横領していたようだ」
リディアは静かに聞いた。
「伯爵は知らなかったのか、あるいは見て見ぬふりをしていたのか、今調査中だ。グレアムは処分される」
「……そうですか」
「お前が教えてくれた数字が、端緒のひとつになった」
リディアは少し黙った。
「役に立てたなら、よかったです」
「役に立てた、ではない」アルノルトがリディアを見た。「お前がいなければ、気づくのがもっと遅れた。それだけのことをした」
リディアは返す言葉を探して、見つからなかった。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ」
アルノルトはそれだけ言って、地図に視線を戻した。でも、その横顔が、いつもより少しだけ柔らかい気がした。
リディアは胸の奥の、名前のつけられない感覚を持て余しながら、一礼して部屋を出た。
その夜、エレナのもとに使いが来た。
グレアムが王都で身柄を拘束された、という知らせだった。
エレナは手紙を読んで、しばらく動けなかった。
利用されていた。ずっと、あの男に。
そしてリディアは——何かに気づいていたから、追い払われた。
エレナはゆっくりと手紙を折りたたんだ。窓の外は、もう冬の色をしていた。
あなた、もう少し空気を読んでくれないと困るのよ。
自分が言った言葉が、今になって耳の奥に戻ってきた。
空気を読んでいたのは、リディアではなくグレアムだった。
エレナはただ、踊らされていただけだ。
謝りたい、と思った。でも今更、どんな顔で。
エレナは唇を噛んで、冷えた窓の外を見つめた。
屋敷は静かになった。
リディアはいつも通り仕事をした。帳簿の整理、食料庫の確認、使用人たちの調整。アルノルトがいてもいなくても、やることは変わらない。変わらないはずだった。
でも夕方、誰もいない執務室の前を通るとき、足が少しだけ遅くなることに気づいた。
おかしい、と思った。三週間前まで、この部屋の前を通っても何も感じなかった。
リディアは自分の足を叱りつけて、廊下を進んだ。
一方、カルヴェン伯爵家では。
伯爵夫人エレナは、いつものように午後のお茶を飲んでいた。向かいには古くからの友人、子爵夫人が座っている。
「グレアムが辺境に行ったんですって?」子爵夫人が言った。
「ええ、ちょっとした挨拶回りよ」エレナは答えた。「辺境伯閣下とは、年に一度くらいお付き合いがあるから」
「辺境伯といえば」子爵夫人がカップを置いた。「あなたのところから侍女を出したでしょう。あの子、どうしているかしら」
エレナの手が、ほんの少し止まった。
「……さあ。元気にしているんじゃないかしら」
「グレアムさんが戻ったら様子を聞けるわね」
「ええ」
エレナは微笑んだまま、カップを口に運んだ。
リディア・マルク。貧乏子爵家の娘で、でも仕事は確かだった。グレアムに「あの娘は閣下の覚えが悪い、このままでは奥様のお立場に関わる」と言われて、辺境へ出すことにした。
今思えば、おかしな話だった。リディアが夫人の覚えを悪くした場面など、一度もなかった。むしろ気が利いて、余計なことを言わない、使いやすい娘だった。
グレアムはあのとき、何を隠したかったのだろう。
エレナはその問いを、心の奥に押し込んだ。答えを知るのが、少し怖かった。
アルノルトが戻ったのは、十日後だった。
夕方、馬の蹄の音が聞こえてリディアは窓から外を見た。見てから、慌てて視線を外した。
夕食の時間、アルノルトはリディアを呼んだ。
「王都で動きがあった」
執務室で、アルノルトは地図を広げながら言った。「カルヴェン家の件だ。グレアムが帳簿を操作していた証拠が出た。家令と共謀して、領地の収益を横領していたようだ」
リディアは静かに聞いた。
「伯爵は知らなかったのか、あるいは見て見ぬふりをしていたのか、今調査中だ。グレアムは処分される」
「……そうですか」
「お前が教えてくれた数字が、端緒のひとつになった」
リディアは少し黙った。
「役に立てたなら、よかったです」
「役に立てた、ではない」アルノルトがリディアを見た。「お前がいなければ、気づくのがもっと遅れた。それだけのことをした」
リディアは返す言葉を探して、見つからなかった。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ」
アルノルトはそれだけ言って、地図に視線を戻した。でも、その横顔が、いつもより少しだけ柔らかい気がした。
リディアは胸の奥の、名前のつけられない感覚を持て余しながら、一礼して部屋を出た。
その夜、エレナのもとに使いが来た。
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エレナは手紙を読んで、しばらく動けなかった。
利用されていた。ずっと、あの男に。
そしてリディアは——何かに気づいていたから、追い払われた。
エレナはゆっくりと手紙を折りたたんだ。窓の外は、もう冬の色をしていた。
あなた、もう少し空気を読んでくれないと困るのよ。
自分が言った言葉が、今になって耳の奥に戻ってきた。
空気を読んでいたのは、リディアではなくグレアムだった。
エレナはただ、踊らされていただけだ。
謝りたい、と思った。でも今更、どんな顔で。
エレナは唇を噛んで、冷えた窓の外を見つめた。
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