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焦るレオナルド
レオナルドは知らない。あの露店が、あの近辺で一番安く、そのぶん粗悪な品を並べる店だということを。
真新しく綺麗な品を置く店もきちんとある。それこそ、繊細で緻密な細工の品や、遠目から見ると宝石と見紛うほど美しいガラスを扱う店も周辺に存在する。
この街に住むシェリーがそれを知らないはずがなかった。彼女はわざとレオナルドを街で一番粗悪品が並ぶ店に案内したのだ。恋人が婚約者に綺麗な装飾品を贈ることなど許せなかったから。
シェリーのそれは分かりやすい嫉妬心だ。恋人が他の女に贈り物をすると聞いて心穏やかにしていられるはずもなく、わざと汚い品を選ばせることで溜飲を下げたにすぎない。その結果、どうなるかなどシェリーはまったく考えていない。
浅はかで考え無しのレオナルドと、嫉妬心を隠したシェリー。二人によって引き起こされた結果がどうなったかというとこれだ。社交界でのレオナルドの評価が著しく下がった挙句、母親と兄から尋問されるという事態に陥った。
ここからの未来がひたすら下り坂になることを、二人はまだ知らない。
「お前ごときが、クロエ様を侮辱することなど、決して許されぬ。あの方は名門カレンデュラ家の当主となる尊き方。お前の侮辱一つで我が家がどうなるかは分かっているのか?」
兄の詰問に言葉を失い、レオナルドは伏し目がちになる。その頼りなげな様子を見て兄は語気を強めた。
「……お前は当家の名を継ぐこともない。だからそこまで無責任な行動をとれるのだろう。だがな、貴族でいたいのならいい加減我が家の“顔”としての責務を理解しろ。軽率な振る舞いは、己だけでなく家をも汚す。次にクロエ様に無礼な真似をすることがあれば――おまえを当家の籍から外す」
「なっ……兄上、それは……!」
まさかリンデン家の籍を外すと宣言されるとは思わず、レオナルドは焦った表情で兄に迫った。
「ご冗談を……! 私はカレンデュラ家の婿になる身ですよ? リンデン家の籍を外されてしまえばクロエの隣に立つに相応しい身分とは言えなくなります。カレンデュラ家に平民の婿を迎えろというのですか!?」
「勘違いしているようだから言っておく。レオナルド、別にクロエ様の婿はお前でなくてもいいのだよ。リンデン家の一族の、年齢の見合う男であればお前でなくともよい。それこそ一族の中からお前よりもクロエ様に尽くし、弁えた慎ましい男を養子に迎えれば事足りること。我が家の子息が嫡男の私を除いてお前だけだから驕っているのか? 何をしても貴族のままでいられると勘違いしているのなら、お前などリンデン家に必要ない。追放することも辞さない」
「そ……そんな……!!」
本気の兄の顔を見てレオナルドの頭は真っ白になった。
自分は嫡男の兄を除けばリンデン家唯一の子息だから、クロエとの婚約という絶対に必要な事柄がある限り、家から追放されることはないと思っていた。
しかし、絶対だと思っていたことがそうではないと言われ、レオナルドは何も考えられなくなった。
「そもそも、あれはどこで購入したものだ? あのようなガラクタは店で扱われる品にも、商人が持ってくる品にも見たことはないぞ」
生まれてこのかた貴族御用達の店か出入りの商人が持参する上質な品しか見たことのない兄は、あれが市場の露店で売られているものだと本気で気づいていなかった。レオナルドもシェリーの案内がなければあのような安物を目にする機会は無かったことだろう。
ここで本当のことを言えば兄も母も信じられないほど激怒することは明らかだ。
だからこそ何も言えず、口を噤むレオナルドに母の静かな声が落ちる。
「どこであのような品を購入したかはともかくとして、レオナルド、お前はクロエ様に誠心誠意謝罪なさい。地に額づいてでも必死に許しを請いなさい。――それが、あなたの愚行に対する唯一の償いです」
「し、しかし母上、ちょっと気に入らない贈り物をしたくらいで謝罪が必要でしょうか?」
自尊心の高いレオナルドにとって、クロエに頭を下げることは屈辱であった。
どうせ結婚してしまえばお飾りの妻になるしかない惨めな女、というのがレオナルドのクロエに対する評価であり、それがどれだけ歪んだ価値観かに気がついていない。
確かにすこしばかりみすぼらしい物を贈ったが、そもそも人の贈り物にケチをつけるなんて……と不満たらたらのレオナルドに兄の怒号が飛ぶ。
「みっともないことを言うな! お前はどれだけ恥を重ねれば気がすむのだ!」
兄の声が雷鳴のように部屋中に響く。
レオナルドは思わずそちらに顔を向けたが、兄の眼差しには怒りと失望が入り混じっていた。
しばらくして、夫人が扇を軽く閉じ、静かに息を吐く。
「お前がすべきことは謝罪のみよ。言い訳など必要ないわ」
夫人はゆっくりと立ち上がり、扇の先で息子を指した。
「明朝、使者を出します。許可が出たらお前はカレンデュラ家を訪ね、正式に謝罪しなさい。そしてその場で、クロエ様が許すまで頭を下げ続けるのです。」
「そんな……!」
「恥を恐れるなら、最初から恥を作るのではない!」
夫人の手が振り下ろされ、固い扇子がレオナルドの顔に当たる。鉄製なのか、それを受けたレオナルドは「ぐはっ……」と鈍い声を漏らし、床に倒れ伏した。
真新しく綺麗な品を置く店もきちんとある。それこそ、繊細で緻密な細工の品や、遠目から見ると宝石と見紛うほど美しいガラスを扱う店も周辺に存在する。
この街に住むシェリーがそれを知らないはずがなかった。彼女はわざとレオナルドを街で一番粗悪品が並ぶ店に案内したのだ。恋人が婚約者に綺麗な装飾品を贈ることなど許せなかったから。
シェリーのそれは分かりやすい嫉妬心だ。恋人が他の女に贈り物をすると聞いて心穏やかにしていられるはずもなく、わざと汚い品を選ばせることで溜飲を下げたにすぎない。その結果、どうなるかなどシェリーはまったく考えていない。
浅はかで考え無しのレオナルドと、嫉妬心を隠したシェリー。二人によって引き起こされた結果がどうなったかというとこれだ。社交界でのレオナルドの評価が著しく下がった挙句、母親と兄から尋問されるという事態に陥った。
ここからの未来がひたすら下り坂になることを、二人はまだ知らない。
「お前ごときが、クロエ様を侮辱することなど、決して許されぬ。あの方は名門カレンデュラ家の当主となる尊き方。お前の侮辱一つで我が家がどうなるかは分かっているのか?」
兄の詰問に言葉を失い、レオナルドは伏し目がちになる。その頼りなげな様子を見て兄は語気を強めた。
「……お前は当家の名を継ぐこともない。だからそこまで無責任な行動をとれるのだろう。だがな、貴族でいたいのならいい加減我が家の“顔”としての責務を理解しろ。軽率な振る舞いは、己だけでなく家をも汚す。次にクロエ様に無礼な真似をすることがあれば――おまえを当家の籍から外す」
「なっ……兄上、それは……!」
まさかリンデン家の籍を外すと宣言されるとは思わず、レオナルドは焦った表情で兄に迫った。
「ご冗談を……! 私はカレンデュラ家の婿になる身ですよ? リンデン家の籍を外されてしまえばクロエの隣に立つに相応しい身分とは言えなくなります。カレンデュラ家に平民の婿を迎えろというのですか!?」
「勘違いしているようだから言っておく。レオナルド、別にクロエ様の婿はお前でなくてもいいのだよ。リンデン家の一族の、年齢の見合う男であればお前でなくともよい。それこそ一族の中からお前よりもクロエ様に尽くし、弁えた慎ましい男を養子に迎えれば事足りること。我が家の子息が嫡男の私を除いてお前だけだから驕っているのか? 何をしても貴族のままでいられると勘違いしているのなら、お前などリンデン家に必要ない。追放することも辞さない」
「そ……そんな……!!」
本気の兄の顔を見てレオナルドの頭は真っ白になった。
自分は嫡男の兄を除けばリンデン家唯一の子息だから、クロエとの婚約という絶対に必要な事柄がある限り、家から追放されることはないと思っていた。
しかし、絶対だと思っていたことがそうではないと言われ、レオナルドは何も考えられなくなった。
「そもそも、あれはどこで購入したものだ? あのようなガラクタは店で扱われる品にも、商人が持ってくる品にも見たことはないぞ」
生まれてこのかた貴族御用達の店か出入りの商人が持参する上質な品しか見たことのない兄は、あれが市場の露店で売られているものだと本気で気づいていなかった。レオナルドもシェリーの案内がなければあのような安物を目にする機会は無かったことだろう。
ここで本当のことを言えば兄も母も信じられないほど激怒することは明らかだ。
だからこそ何も言えず、口を噤むレオナルドに母の静かな声が落ちる。
「どこであのような品を購入したかはともかくとして、レオナルド、お前はクロエ様に誠心誠意謝罪なさい。地に額づいてでも必死に許しを請いなさい。――それが、あなたの愚行に対する唯一の償いです」
「し、しかし母上、ちょっと気に入らない贈り物をしたくらいで謝罪が必要でしょうか?」
自尊心の高いレオナルドにとって、クロエに頭を下げることは屈辱であった。
どうせ結婚してしまえばお飾りの妻になるしかない惨めな女、というのがレオナルドのクロエに対する評価であり、それがどれだけ歪んだ価値観かに気がついていない。
確かにすこしばかりみすぼらしい物を贈ったが、そもそも人の贈り物にケチをつけるなんて……と不満たらたらのレオナルドに兄の怒号が飛ぶ。
「みっともないことを言うな! お前はどれだけ恥を重ねれば気がすむのだ!」
兄の声が雷鳴のように部屋中に響く。
レオナルドは思わずそちらに顔を向けたが、兄の眼差しには怒りと失望が入り混じっていた。
しばらくして、夫人が扇を軽く閉じ、静かに息を吐く。
「お前がすべきことは謝罪のみよ。言い訳など必要ないわ」
夫人はゆっくりと立ち上がり、扇の先で息子を指した。
「明朝、使者を出します。許可が出たらお前はカレンデュラ家を訪ね、正式に謝罪しなさい。そしてその場で、クロエ様が許すまで頭を下げ続けるのです。」
「そんな……!」
「恥を恐れるなら、最初から恥を作るのではない!」
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